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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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村上連珠砦の山城ガイドブックを数量限定で販売中  

◆数量限定!売り切れご容赦!、信濃国の山城調査の第一人者である宮坂武男氏公認のガイドブック◆

小生が初めて和合城~虚空蔵山城を縦走したのは2007年11月の事なので、14年ほど経過している。当時は山城云々よりも屏風のように立つ山並みを歩いてみたいという気持ちだけだったが、全く山登りの経験もないヤツの無謀な挑戦は往復8時間に及び、家族から捜索願が出される寸前だった・・・(汗)

山城ガイドブック①

今はようやく「村上連珠砦」という名前が浸透しつつあるが、十数年前にこの二十数か所に及ぶ砦群を攻略するのは至難の業であった。当時のSNSには情報など皆無の状態で、「図解山城探訪」に頼るしかなかった・・・(汗)

山城ガイドブック② (1)

地元民にはなじみの深い太郎山、それに西へ連なる虚空蔵山は、ハイカーの絶対的領域であり、おおよそ中世の山城などと関連付けて紹介している小生など、彼らからしたら危険分子以外の何物でもなかったようである・・・(汗)

山城ガイドブック② (2)
貴方は、この20の城塞群のうちのいくつを見たのでしょうか?

【村上氏の塩田地域支配のために築かれた城塞群】

隣接する上田市と坂城町は現在、千曲川の右岸は国道18号線、左岸は県道77号線でつながっているが、江戸時代時代に北国街道が整備される以前には、千曲川の氾濫原のために岩鼻と呼ばれる奇岩を境として相互乗入が難しく、通常のルートは室賀峠越えのみであった。(右岸の岩鼻の上に築城されたのが和合城である)

葛尾城を詰城として麓に居館を構えた村上氏は、鎌倉幕府が滅んだ跡の塩田地域の統治を任じられる。家臣の福沢氏を北条氏が居館を置いた塩田城の城代に命じ、村上氏は本拠地の坂城との連絡手段として、虚空蔵山にいくつかの砦を構築したと推定される。

戦国時代に入り、甲斐の武田氏が信濃へ侵攻を始めると、村上義清は塩田城との防衛ラインを強化し、交通の要衝を抑える室賀氏、浦野氏との関係を強化する一方で、虚空蔵山に配置する砦も万が一に備えて改修を急いだと思われる。

山城ガイドブック② (3)
山岳登山のスペシャリストで、元長野県警の山岳遭難救助隊長の中島豊氏による和合城へのコースマップも掲載されています。


【武田氏滅亡後の村上連珠砦】

天文二十二年に、武田氏によって攻められて村上氏の籠る塩田城が落城し、村上氏は越後の上杉謙信を頼り落ち延びて詰城である葛尾城が自落する。
村上氏の連珠砦は、その後ある程度武田による改修がされたと思われるが、武田氏による拠点城としての岡城、そして海津城が築城されるに及び、利用頻度は少なくなったと思われる。

武田氏が滅亡し、織田信長が本能寺の変で横死して武田遺領を巡る天正壬午の乱が勃発すると、信濃国は北条・徳川・上杉・小笠原の草刈り場とな、り虚空蔵山は川中島四郡を抑えた上杉と佐久を制圧した北条、そしてその後に真田が味方した徳川との境目となる。

現在虚空蔵山に展開する砦群のうち、規模の大きな砦(和合城、ケムリノ城、虚空蔵山城、飯綱城)は、その時代の改修かもしれない。

山城ガイドブック② (4)
ようやくメジャーな山城となった虚空蔵山城と飯綱城。



虚空蔵山①

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鉄塔No25が「ケムリノ城」の座標になるとは、感慨深いものがあります・・・(笑)

山城ガイドブック② (5)
物見城への尾根筋からのルートは最近整備されましたが、以前は麓の沢からから困難なルートしかなく人を寄せ付けない険しさ。


山城ガイドブック② (6)
村上連珠砦の中では花古屋城とともに広大な城域を誇る飯綱城。戦国末期まで改修された縄張りを是非ご覧ください。

実は、この「山城ガイドブックを作成・編集した「太郎山山系を楽しくつくる会」のメンバーの皆さんは、長野県の山城研究の第一人者である宮坂武男氏とは村上連珠砦の調査の頃より関わりが深く、地元主催の講演会に宮坂氏は度々講師を務めている。

今回のガイドブックの出版に際しても、宮坂先生に閲覧いただき推薦を頂戴している。

このように「全国山城サミット上田・坂城大会」の現地ツアー用の城ガイドブックとして作成されましたが、今回は在庫のある分のみ有料で配布させていただくことになりました。
再販とか増刷の予定はありませんので、この機会での購入をお勧めします。(1冊700円)

購入方法や詳細は上田市役所のHP⇒山城ガイドブック購入方法

この山城ガイドブックさえあれば、貴方も「村上連珠砦マイスター」間違いなし!

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Posted on 2021/05/02 Sun. 07:05 [edit]

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飯田は今日は土砂降りでも雨天強行の信濃先方衆 その③  

◆春雨じゃ、濡れてまいろう~雨降りのラストは飯田城アラカルト◆

だいたいね、ダイジェストなんて1週間ぐらいで記事にしなくちゃ意味ないのに、1ヶ月もかけてます・・・(笑)

「年度初めは忙しいんですよ!」と嘯いてみるが、ものぐさ太郎であることは間違いない・・・(汗)

今回ご案内するのは、今さらの飯田城・・・十数年ぶりかしら。当時はざっと見ただけなんで、結構見落としてる場所もあったよね。

飯田城2021 (19)
案内看板によると、赤い文字の場所が城に関する遺構らしい。

南信濃は相方の「ていぴす」様のテリトリーなので、主な見どころを彼に案内してもらった。

●本丸跡

長姫神社のある場所が本丸跡。松川川の斜面に古い石積跡がある。

飯田城の本丸石積跡
ここは案内図には載っていない本丸の石積の跡。

●二の丸跡

飯田城2021 (1)
この下に井戸(水の手)があったらしい。

●水の手坂・水の手御門

ここに立派な石垣があることを初めて知った次第(汗)

飯田城2021 (4)
「水の手坂」には御門の他にも立派な石垣が残る。

飯田城2021 (7)
水の手御門の石垣(南側)

飯田城2021 (6)
水の手御門の石垣(北側)

毛利・京極時代の飯田城は、ここが大手門だったが、慶長年間に小笠原秀政が城主になると城を積極的に改修して大手門を西側に変更し、ここは搦め手門となったようだ。廃藩置県により建物や門が撤去されてしまったが、かなりの気合を感じる(笑)

●櫻丸御門(通称:赤門)

飯田城で最も有名な遺構であろう。その昔はかなりなインパクトがあったのに、うっかり通り過ぎてしまった。

最初に見たときは、かなり傷んでいて、門も開けてあったが、今回は閉じていたのでびっくり!

飯田城2021 (16)
ええい、後ろの合同庁舎が邪魔だ!!

本丸が町から遠いので、櫻丸の政庁を置き執務を行ったという。

飯田城2021 (18)
趣のある佇まいが素敵ですw

●飯田城の紅梅

昭和二十八年、飯田動物園が開設の折りに江戸町飯田藩士邸より移植されたという。飯田城の城主堀氏は、寛文十二年(1672)初代親昌が下野国の烏山から移り、脇坂氏から代わって以来十二代親広まで続いて明治維新を迎えた。
この名木は藩士原某が、藩主から拝領したものと伝わる。(現地説明板より)

飯田城2021 (10)
雨の日の紅梅もおつなもんですよ。

●飯坂城(推定)

当初この地域を収めていた坂西氏が飯田城を築く前に本拠地として使用していたのではないかと伝わる。
飯田城から見ると西側で松川に突き出る尾根の先端に位置する。(現在のハローワークの東側)

現在は愛宕稲荷神社が勧進され、遺構は何もないが恐らく単郭の館城だったようだ。神社に建立された石碑に城址の記載がある。

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現在は神社となっている飯坂城の比定地。

飯田城2021 (8)
飯田城の水の手坂から見た飯坂城。

さて、シリーズでお送りしました「飯田方面土砂降り城巡り」はいかがでしたでしょうか?

二日目は、お約束通り雨も上がり、南信濃の山城を満喫してまいりました。

土砂降りの雨の中の城巡りもいい経験になりました・・・決して負け惜しみではありません・・(いや、悔しさが滲んでる・・笑)


Posted on 2021/04/20 Tue. 22:08 [edit]

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飯田は今日は土砂降りでも雨天強行の信濃先方衆 その②  

◆晴れ男の記録更新を止めても見たかった南信濃の山城群とは◆

さて、ここで皆様に朗報(?)があります。

「大人の山遊び」が合言葉になった上田市行政チャンネルの山城動画「あなたも行ってみたくなる?! 上田地域の山城」第二弾の撮影が決まりました!

この手の番組でYouTubeでの動画再生回数700回はとっても立派な視聴数なんだそうですよ。ひたすら皆様のおかげでございますw

前回は地元ケーブルテレビUCVのプロ仕様撮影でしたが、第二弾は予算が取れず、とっても手作り感満載になりそうです・・・(汗)
公開予定日が決まりましたら、またご案内差し上げたいと存じます(^.^)

では、前回飽きて中断した雨の山城巡り第二弾の続きをば・・・・


【龍江城山城】(たつえじょうやまじょう)

前回ご案内した兔城(とじょう)から約1km南の龍江ちくの丘陵部の先端に位置する。
桃井氏が居城とした兔城は、上の城(原城)の出城とされているが、未だに所在が不明であり、この場所も候補地とはなるが人里離れているし、以降も曖昧なため断定には至っていないという。

龍江城山城 (1)
土砂降りの中、堀形らしきものが確認できる

龍江城山城 (6)
西側のはしっかりとした堀切が確認できる。おそらく貫通していたものを耕作地化により中央部は埋められた可能性がある。

龍江城山城 (10)
主郭は残念ながら薮である。

龍江城山城 (11)
雨の中の主郭を踏査する「ていぴす」さん。槍が降ってきても止めないんでしょうね・・・(笑)

もはや怪しい人たちである・・・(汗)

竜西地区への眺望は良いらしいが(雨で見えない)、近くに集落もなく、古道からもだいぶ外れたこの場所になんで?

我々は降りしきる雨の中、竜東地区を離れ、天竜川を渡り竜西地区へと向かった。


【飯沼城・原ノ城】

止みそうもない雨天強行軍、市街地の城館へ繰り出すことにした。

しかし、山間部の山城と違い、いくら雨降りとはいえ「怪しい人たち×2乗」である。まして学校の敷地内を通過するのは日曜日以外は確実に通報を覚悟するところだったが、この日は日曜日であったので助かった・・・(汗)

飯沼城&原ノ城 (16)
飯沼城の主郭跡にはは現在飯沼諏訪神社が祀られている。

飯沼城&原ノ城 (4)
神社主殿の背後は、巨大な土塁が半周するように残っている。

飯沼城は史料、伝承等なくはっきりしたことはわからないが、城名からして飯沼氏の本城であろうと考えられている。
飯沼氏は応永七年(1400年)に勃発した大塔合戦の時の守護小笠原長秀の援軍の中にその名がみえるという。

現在の城跡は、中学校の敷地、宅地化、飯田線による改変で、本郭以外は現状を留めていないが、河岸段丘を利用した城館であったと推定されている。

また、飯沼城と原ノ城は400mの至近距離で隣接しており、途中になんの障害物もないことから、密接な関係があったと思われる。

飯沼城&原ノ城 (22)
原ノ城の主郭の土塁。

残念な事に原ノ城も見晴山と呼ばれる段丘の先端部以外は宅地や事業所の敷地として改変されてしまい往時の遺構がほとんど残っていない。

飯沼城&原ノ城 (21)
低い土塁が周回しているが、往時はもっと高かったと推定される。

飯沼城&原ノ城 (26)
見晴山と呼ばれるだけのことはある眺望。

飯沼城&原ノ城 (30)
この城の見どころである主郭先端の東から北にかけての横堀。戦国末期の改修であろうか?

このあたりは、当初坂西氏の所領であったが、知久氏の台頭によりその配下の黒田氏の所領となり、その後知久氏が武田氏に滅ぼされると、座光寺氏の所領へ。さらに武田滅亡後は、松岡氏の領地と、目まぐるしく変遷している。

さてはて、今夜も飽きてしまったので、続きは③へ・・・。 (まだ続けるんかい・・・・笑)

Posted on 2021/04/12 Mon. 21:46 [edit]

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飯田は今日は土砂降りでも雨天強行の信濃先方衆 その①  

◆晴れ男の記録更新を止めても見たかった南信濃の山城群とは◆

♪雨あめ もっと降れ わたしのいい城連れてこい 雨あめフレフレ もっと降れ・・・♪・・・(笑)

土砂降りの雨の中を城巡りなど、狂気の沙汰かと思うかもしれないが、「春雨じゃ、濡れて参ろう」・・・この心意気である(笑)

我ら信濃先方衆、ホントは南信濃の大河内八重城を攻略するべく共同戦線までは合意したものの、お互い現役の勤め人ゆえに、なかなかスケジュールが合わず、3月21日&22日で決行とした。同じ長野県とはいえ、上田市から飯田市までは片道200km。日帰りでは無理な距離なので、一泊二日でビジネスホテルを予約しての城攻めである。

今さら、雨が降ろうが槍が降ろうが、決行するしかなかった・・・この事である・・・(汗)

まあね、最近の天気予報が外れるはずも無く、初日は予想通りの土砂降りの雨さ!!(笑)

【神之峰城】

諏訪氏の分流である知久氏が天竜川の東一帯の竜東地域に勢力を伸ばし、更に竜西の一部まで取り込み知久平に居館を置いていたが、戦国期に入りここ神之峰に築城し本拠地を移したという。
天文二十三年、伊那に侵入した武田信玄に最後まで抵抗するが落城し没落。武田氏滅亡後の天正壬午の乱で徳川方に付き家名再興を果たし旧領回復するも、天正十三年に改易される。

神之峰城 (1)
神之峰城は城の中枢部まで車で登れる。

「信濃の山城は800以上探訪しました!」みたいな偉そうなことを平気でYouTubeで言っているが、南信濃の山城を語るには必ず押さえるべき知久氏の「神之峰城」(かんのみねじょう)が未訪なのは隠していた・・(汗)

神之峰城 (3)
写真だと雨降りに見えないのが不思議だ・・・

神之峰城 (20)
主郭はNHKのテレビ塔が建つ

神之峰城 (13)
遠く上伊那まで見渡せるという郭2からの眺望・・・残念ながら心の目でみるしか無かった・・・(涙)

詳細はそのうち・・・(笑)


【知久平城】

知久氏が神之峰城に移る前に本拠地として居館が置かれていた。知久氏が神之峰に居城を移すと、出城として機能していたようである。
天上壬午の乱で徳川方として復帰を果たした知久氏であったが、下伊那の大半が徳川の勢力圏となると、徳川に尽力した下伊那の松岡氏、下条氏は利用価値が無くなり滅ぼされてしまった。家康は奥三河田峯城の菅沼一族である菅沼小大膳を伊那の郡司に任命。菅沼小大膳定利は知久平の居館を大規模改修して築城を始めた。神之峰城の知久氏の当主はまだ幼少で、後見人が知久平城で菅沼氏によって暗殺されると、危険を察した知久一族は大久保忠世を頼り浜松へ落ち延びた。
其の後、菅沼氏も飯田城へ移り知久平城は天正17年~18年にかけて破却されたという。

知久平城 (14)
案内板はあるものの、標柱も説明板も無い主郭。

知久平城 (18)
何故か出丸には標柱がある。

知久平城 (19)
城らしい雰囲気が残る出丸。

降りしきる雨の中、傘をさしてRainジャケットと長靴を履いたオジさん二人・・・いかにも怪しい(笑)

戦国時代の下伊那の諸豪族が辿った運命は悲哀というしかない。結局戦国時代を生き延びたのは、高遠の保科氏、松尾小笠原氏だけである。(知久氏は、その後家康に認められて阿島原籏本として復帰したが)


【兔城】(とじょう)

知久氏の配下だった桃井氏の居城と伝わる。城の東側に廃棄物処分場が作られ削られてはいるが公園として整備され旧態を良く留めている。武田軍により神之峰城が落とされると、この兔城も落城し以後は使われることは無かったという。

兔城 (11)
主郭の背後の段付きの巨大な箱掘

兔城 (18)
公園化された主郭。訪れる人も遊ぶ子供も絶えたのであろう。古城の佇まいとはこういうものであろう。

兔城 (21)
主郭の背後の巨大な土塁は高さ3m以上で上部がしっかり叩かれて補強されている。見どころの一つだ。

蓮郭式の単純な縄張だが、造りはなかなかに堅固で少数でも守り易い城である。

今日は飽きたので、この辺で。続きは②へ。

Posted on 2021/04/05 Mon. 21:15 [edit]

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桑田砦  

◆溝口上ノ城に関連する物見か◆

3月は何かと忙しい。(←更新しない言い訳か・・・見苦しいゾ!)

仕事的には年度末だし、母親の一周忌もなんとか済ませたし、最近は観光協会からの依頼もぼちぼちある。山城にも行きたいし。

それにしても、「あなたも行ってみたくなる?上田地域の山城」のYouTube再生回数が500回を超えていたのにはびっくり・・(笑)

今回ご紹介するのは、伝承だけ残り遺構的には何も残っていない「桑田砦」(くわたとりで)。更新詐欺の声もあるが・・・(汗)

桑田砦 (4)
最近建て替えとなった「桑田いきいき交流施設」の裏に薬師堂がある。物見はこのあたりにあったと考えられている。

【立地】

旧長谷村溝口の南で、御殿山の南の裾野に位置する南郷の桑田にある薬師堂付近が砦跡と伝わる。
ここから北北西に700mで溝口上ノ城(みぞくちかみのじょう)と下ノ城、南南西1kmに艮城、そして神明城と続く。

桑田砦 (2)
薬師堂の境内には立派な枝垂桜があり伊那市の文化財指定を受けている。

桑田砦 (3)
かつてあった枝垂桜は長野県の天然記念物指定で樹齢千年近くだったとか!。見たかったなあ。

【城主・城歴】

史料、口伝等なく不明。
合併前の「長谷村誌」(平成9年)によると、薬師堂周辺には「矢塚」「ほり畑」など城館に関係する地名が残っているので、ここに城館があったのだろうと推定している。

桑田砦 (5)
周辺は農地の構造改善で改変されてしまい、往時の面影すら残っていない。

【城跡】

薬師堂の建つ場所には堀や土塁などの遺構は全く見当たらない。薬師堂の境内も施設が併設されてしまったために往時の広さを知る由も無いが、かつてはここに居館があり、周囲に土塁や堀が囲んでいたのであろうと推測してみる。
農地の構造改善により地形が改変されてしまったが、ここからの見晴らしは優れているので、溝口上ノ城に関連した南に備えた物見が置かれ、地名が残ったと推定される。

桑田砦 (6)
薬師堂から南の秋葉街道方面を臨む。(旧秋葉街道は美和湖に沈んでいる)

桑田砦 (7)
薬師堂から艮城、神明城方面。

「なんで取るに足らない小さな砦跡まで掲載するの?」と時々聞かれる。

誰かが記録として残さなければ、永久に忘れ去られてしまい、再び思い出される事も無い。こうして記事にすることで、皆さんの記憶に残ればいいなあーと思ってます。


≪桑田砦≫ (くわたとりで) 

標高:902m 比高:-
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:伊那市長谷溝口
攻城日:2021年2月6日 
お勧め度:★☆☆☆☆ 
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け) 
城跡までの所要時間:-
駐車場:無し
見どころ:-
注意事項:特になし
参考資料:「信濃の山城と館⑤上伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版) 
付近の城址:艮城、神明城、溝口上の城、溝口下ノ城など

桑田薬師堂航空写真
空から見た桑田砦の位置(Yahoo地図の航空写真に加筆転載)

Posted on 2021/03/18 Thu. 22:18 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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