らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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航空母艦 瑞鳳 (エンガノ沖海戦仕様)  

◆軽空母ながら、数々の海戦で活躍した歴戦の雄姿◆

「ええい! プラモ記事など掲載せずに山城の記事を更新せんかい!!」とお叱りを受けそうだが、これはこれで記事にするのが楽しいのである・・・(笑)

艦船模型もブラウザゲーム「艦これ」の貢献度は偉大で、従来艦も金型が新しくなったり、製品化されていなかった艦船がラインナップに加わったりブームはまだまだ続きそうですネ。ありがたい事ですw

軽空母瑞鳳 (1)
本体はハセガワ製で「艦これ」部分は青島が担当したコラボ作品。(この模型は従来金型)

しかし、真面目な艦船モデラーが、艦これ版のイラストの箱絵を家に持って帰れるか?というと、かなり勇気がいるのである。(ってか家庭内で立場が危うくなるので絶対に無理だと思われる・・・汗)
新しい金型の艦船が「艦これ」先行で発売になると、通常パッケージは約半年遅れになるのでヤキモキしながら待たされる。

小生のような不良中年でさえ、この箱を持ってレジで会計するのはかなり赤面で、「ルーラ」とか「リレミト」を唱えたが無駄だった(笑) 家庭内への持込みは、山城趣味よりも市民権を得ているらしいので見て見ぬふりで入国審査はパスしたが・・(爆)

軽空母瑞鳳 (3)
甲板の下地塗装の上から迷彩塗装(推定)の準備。曲線用のマスキングテープは慣れないと使いづらい。

軽空母瑞鳳 (7)
側面の迷彩は貨物船の形のカモフラージュで対潜水艦用だとか。

軽空母瑞鳳 (8)
このキットは迷彩模様のデカールキットが入っているので、えいやーと塗分けてみた。

【艦歴】

日本海軍では、いざ戦時になった時にやん旗艦で空母に改修して戦力を補強できるようにするための、高速給油艦「剣埼」(1番艦)と「高崎」(同型艦)の建造を計画しました。「高崎」は建造途中で潜水母艦として完成させることになりましたが、さらに設計変更されて昭和15年12月、横須賀工廠で航空母艦「瑞鳳」(ずいほう)と改名されて完成しました。

軽空母瑞鳳 (22)
デカールを貼ってみた。迷彩塗装は敵の攻撃機から「右旋回中の戦艦」に見えるようにデザインが考えられたというが。

ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦と転戦し、この間に前部飛行甲板の延長と対空火器の増強が行われました。連合艦隊最後の決戦となったレイテ沖海戦では囮部隊として小沢艦隊に所属し、作戦行動中の昭和19年10月25日、エンガノ沖海戦でアメリカ機動部隊による三波にわたる空襲により、ついにその艦命を終えました。

軽空母瑞鳳 (21)
側面に赤錆を入れてウェザリングしてみた。(チョッとわかりづらいか・・・)

軽空母瑞鳳 (20)
飛行甲板もタイヤ痕スリップ痕やすすで汚して戦闘状態を再現してみた。(いやいや、汚しすぎだと思いますが・・・)

【とりあえず完成させてみた】

瑞鳳は甲板に艦橋を設置しないフラットトップ型の航空母艦で、搭載機は零戦五ニ型、零戦二一型、天山などであった。
先日購入した艦船プラモ本では、瑞鳳の二一号電探(対空レーダー)の位置については、前部エレベーターの前で遮風柵の後ろではないかと推定した記事がありました。(このプラモは通説の甲板中央より後方の左側)
色々と研究しこだわりを持て再現するというのは、さすがプロのモデラーですネ、頭が下がる思いです。

軽空母瑞鳳 (24)
ゴミじゃありません、零戦五二型、天山一二型の大軍の塗装乾燥中の一コマですw

軽空母瑞鳳 (25)
空母瑞鳳、完成です!

【空母瑞鳳 主要項目】 (建造時)

基準排水量:11,200t  全長:185m 幅(水線最大幅):18m 飛行甲板(長さ×幅):180×23m 吃水:6.64m
旗艦出力:52,000hp 武装:40口径12.7cm高角砲(連装×4) 
搭載機:(常陽1機)、艦上攻撃機(常用6機/補用3機)
速力:28.0ノット
完成:1940年

軽空母瑞鳳 (27)

【おまけ】

せっかく恥ずかしい思いをして購入した「艦これ」とのコラボ作品なので、最終仕上げは以下の通り!!

軽空母瑞鳳 (31)
ブラウザゲーム「艦これ」ではその容姿とキャラボイスで圧倒的な人気を誇る瑞鳳。

軽空母瑞鳳 (32)
「艦これ」とのコラボシリーズは基本的に価格が高め設定なので、個人的には前回の大鯨と今回の瑞鳳で終了予定です・・(汗)

しかし、この溢れる情熱が何故か今は山城ブログに向く事は無い・・・・(笑)



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Posted on 2018/06/13 Wed. 16:31 [edit]

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火打山狼煙台 (佐久市春日)  

◆春日城と芦田城を繋ぐの狼煙台か?◆

戸隠シリーズを一旦終了して舞台を久々の佐久方面へ移そう。といっても、二年前の話ではあるが・・・(汗)

この地域の未訪の山城は小倉城と笠原城を残すのみである。

小倉城は春日城の詰め城で、天正壬午の乱で家康の佐久平定戦で功績のあった依田信蕃(よだのぶしげ)が、大道寺政繁率いる北条の大軍を相手にゲリラ戦を敢行した三沢小屋ではないかと推定されている。今年の晩秋には探訪したいものである。

今回ご案内するのは、依田信蕃の父の信守が防衛上の理由で芦田城から春日城に移転した際に、繋ぎの狼煙台として機能したという火打山狼煙台。

火打山狼煙台(佐久市春日) (24)
春日城の麓から望月カントリークラブに通じる手前道路の最終ヘアピンカーブの北側が遺構である。(鉄塔が目印)

【立地】

春日地区の本郷の西の山頂で、望月カントリーゴルフ場の東の山になる。ここからは春日城、望月城、天神林城が眼下に見えて遠く浅間山連峰も見通すことが出来、狼煙台の立地としては申し分ない。

火打山狼煙台(佐久市春日) (10)
カーブミラーの脇からテキトーに登ると切岸が目の前に現れる。

火打山烽火台見取図①
東京ディズニーランドが35周年とは何の関係もありませんが、そのシルエットが・・・・(笑)


【城主・城歴】

宮坂武男氏の聞き取り調査の過程では栃久保城との関連では伝承が無く、ここが火打山と呼ばれていたことが判明したという。
春日城は山城であるものの、周囲を山に囲まれた谷中の城であったために春日城より70mほど高く芦田城との連携が可能なこの場所に狼煙台を造ったと推定される。

火打山狼煙台(佐久市春日) (8)
方墳と錯覚するような形と切岸。

火打山狼煙台(佐久市春日) (9)
主郭を囲む帯郭。輪郭式の縄張りである。

【城跡】

道路の開通による多少の破壊はあるものの、これが方墳のような主郭を取り巻くしっかりした帯郭とその一段先の平場。南西には小屋掛けできそうな平場も人工的に加工してある。

火打山狼煙台(佐久市春日) (11)
狼煙台の北側は削平され北側に続いている。

耕作地跡か?とも想定するものの、麓からの比高200mで標高960mの高地にわざわざ何をつくるのか・・という事で、往時の遺構であろうという結論付けとなる。

火打山狼煙台(佐久市春日) (13)
ミッキーシルエットの主郭内部。土塁は最初から無かったのであろう。

火打山狼煙台(佐久市春日) (17)
東南にある小屋掛けが想定される削平地。

山城や古城を利用した山城は伝承が数多く残るものの、古代よりの狼煙台となるとその素性は謎な場所が多い。

この火打山狼煙台の設立については不詳であるものの、このスタイルが往時の狼煙台のスタンダードであるとすれば極めて貴重な遺構であろう。公認するかの有無ではなく後世に伝えるべきものであると考える。

火打山狼煙台(佐久市春日) (15)
狼煙台は整然とした方形である。

この日は春日城にも登って写真を撮り直してリテイク記事の準備をしたのだが、それもいつになるやら・・・(汗)


≪火打山狼煙台≫ (ひうちやまのろしだい)

標高:960m 比高180m 
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市春日栃久保
攻城日:2016年5月01日 
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:5分  駐車場:無し
見どころ:切岸・郭
付近の城跡:春日城、式部城、小倉城、天神林城など
注意事項:特になし
参考書籍:「信濃の山城と館① 佐久編」(宮坂武男著 2012年 戎光祥出版)



火打山狼煙台(佐久市春日) (26)
春日城の麓から見た火打山狼煙台。

Posted on 2018/06/10 Sun. 21:10 [edit]

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馬曲温泉 「望郷の湯」  

◆戦士の休息◆

先日、某ローカルラジオ局のパーソナリティが木島平村にある馬曲温泉のソフトクリームが絶品と言っていた。

春先に収録された某ローカル地方局の地元グルメナビで、飯山の富倉蕎麦を美味そうに食レポしていた。

日帰り温泉とグルメレポートを兼ね、家人を唆して 「いざ北信濃!!」(笑)

【馬曲温泉】 (まぐせおんせん)

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飯山市の国道117号線から右折し、県道38号線に入り千曲川に架かる「綱切橋」を越えて「馬曲温泉」の道標の案内通りに県道354号線をひたすら北東に進むと鄙びた日帰り温泉施設辿り着きます。

利用料金は510円で、内湯と露天風呂に入れて、公民館の大広間のような休憩場も無料で利用出来ます。内湯と露天風呂は全く別の場所なので、内湯で体を洗い露天風呂に移動して景色を楽しむのが良いでしょう。

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手打ちそばや定食類も揃う食堂。お土産の種類も豊富だ。

この馬曲温泉、実は2015年12月に信濃先方衆の平沢城攻略後に訪れているだが、その時は平沢城の全景の写真撮影のみで利用していない・・・(汗)

まあね、その時に快く敷地内に入って写真撮影を許可してくれた方々への感謝の意も込めて今回の訪問となった。
往時のレポートは⇒2015北信濃の山城納めをご参照ください。

●平沢城の説明板はこの場所にある

ここからは露天風呂に入りながら平沢城の全景が見える。こんな贅沢な山城マニア向けの温泉は、他に狐落城の堀切が観察できる「びんぐしの里 湯さん館」(埴科郡坂城町ぐらいであろうか。

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馬曲温泉の温泉施設の中に立つ平沢城の説明板。

20151216210448d90[1]
2015年12月の馬曲温泉よりの写真。

平沢城①
上の写真を拡大すると堀切や郭が遠目でも良くわかる。

残念ながらまだ記事にはしていないのだが、平沢城は結構技巧的な山城で、近くの犬飼山城と共に木島平村を代表する山城である。険しい山尾根にあり、麓からのアプローチ方法が結構大変なのだが、林道走破が可能な車両をお持ちであればトライして欲しい。

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2018年6月の撮影。

●露天風呂

上下二段の湯船にゆったり浸かりながら、平沢城や高社山、その先の飯山市街地などがご覧いただけます。

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男湯の脱衣所。この先の撮影は軽犯罪法に抵触するので悪しからず・・・(笑)

●ソフトクリームは隠れた逸品と評判

ここのソフトクリームは300円。が、しかしその味はミシュラン三ツ星に相当すると評判である。

では、実食!!

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何の変哲もないソフトクリームなのだが、カウでモウなかすかな甘さ(チョッと何言ってんだかわかんない・・・・笑)

木島平村の牧場で育った牛の搾りたての生乳100%で構成されているという。なので、ここでしか味わえない幻のソフトだとか。

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温泉に入らなくても入場口の売店で販売していますw

皆さんも、北信濃にお越しの際は「馬曲温泉 望郷の里」に是非お越しくだされ・・・!!




【富倉そば】

今回食べたお店が正統派なのかは別として、小麦粉の代りにヤマゴボウをつなぎとした幻の蕎麦といわれる「富倉そば」を食べたことが無い。

それでも「信州人か!!」とお叱りを受けそうなのだが、信州人=そば通(「または毎日の主食がソバ」という都市伝説は止めて欲しい・・・汗)というのは、ご勘弁願いたい。

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感想は? 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

せっかくなので、名物「笹すし」も注文してみた。

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「感想は?」 「御馳走様でした!!」(注 元気よく・・・・笑)

富倉そばを食べながら、2015年5月に探訪した其の名のルーツの富倉城を思い出した。

あの時は酷い藪の中をむさ苦しい中年男が2名、訳の分からぬ雄たけびをあげながら、カプサイシンスプレーを撒きながら山城を探訪していました。

「機長、逆噴射です!! 安全装置が外れてます!!」

機長の自爆だけで、実のところ巻き込まれずに良かった・・・(笑 師匠、ゴメンナサイ・・・笑)




Posted on 2018/06/03 Sun. 21:48 [edit]

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針立城 (長野市戸隠栃原)  

◆再調査が必要な居館城跡◆

基本的にはしっかり現地踏査を行った山城や城館を記事として掲載するのをモットーとしているのだが、再調査は直近でも晩秋になりそうなので、流れ的に掲載しておこうと思う。お赦しくだされ・・・。

今回中途半端にご案内することになったのは戸隠シリーズの「針立城」(はりだちじょう)。

針立城 (1)
南側より城跡の西側の堀切を見る。

【立地】

戸隠栃原の福平集落の700m東に位置する針立集落の東の小山になり、城の東側は奈良尾沢の深い渓谷となり天然の要害である。近くには福平城や南に円光寺館などがあり、福平城に関連する城砦と考えられている。

針立城見取図①

【城主・城歴】

史料・伝承等無く不明。立地からは福平城の溝口氏に関係のある人物の城館と推定されている。

針立城 (4)
まあね、夏場は城館といえども突入するのは勇気がないと・・・(汗)

【城跡】

宮坂武男氏の踏査報告によると、土塁を伴う最高所の主郭の前後に三ヶ所の副郭を伴う城館で、周囲は深い渓谷に面しているため地続きの南側にのみ堀が穿ってあったようだという。
今回は藪が酷いのと本能的に警鐘が鳴っていたので探索は諦めて、周囲の地形観察に留めた。
都合が合えば、改めて調査してみたい城跡である。

針立城 (5)
この時は何故か突入するのを躊躇(ちゅうちょ)した。無理してはいけないのである・・・。

針立城 (10)
郭4は耕作化により改変されているが、切岸は往時のままだと思われる。

≪針立城≫ (はりだちじょう 沢尻の城)

標高:818.2m 比高9m 
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市戸隠栃原
攻城日:2016年5月22日 
お勧め度:★☆☆☆☆ 
城跡までの所要時間:5分
見どころ:不明
付近の城跡:大昌寺山城、福平城、円光館など
注意事項:耕作地は無断侵入禁止  駐車場:無し
参考書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)

針立城 (7)
城の南側の堀跡(推定)

Posted on 2018/06/01 Fri. 22:32 [edit]

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五十土城 (戸隠栃原)  

◆福平城の南口を守る砦か◆

GW明けは連休も取れずに一週間に一度の日曜休みだけで、これといって観たい映画も無いし、近くの博物館や歴史館も特別に興味のある展示会をやっている訳でもないので、なんとなく一日が終わってしまう焦燥感・・・(汗)

といって蜘蛛の巣や毛虫が降り注ぎ、蛇を警戒しながらスズメバチに追われる夏の山城探索などに出掛ける気にもならない(笑)

かといって天気が良いのにブログ記事を更新するのもどうなんでしょうかねえ・・・今回ご案内するのは戸隠の「五十土城」(いかづちじょう)

戸隠周辺の城と居館①
戸隠地区で残るは「高城」と「志垣城」「猿丸城」の3つでコンプリートなのだが、猿丸城は大藪に阻まれて一度撤退している。

【立地】

旧戸隠村栃原の五十土(いかづち)集落の北側の山裾の高台にある。ここは谷沢の谷に面して断崖となり集落を見下ろす場所に位置している。東の台地上には大昌寺と大昌寺山城、北の大地には福平集落と福平城があり、その台地の南側の登り口にあたる。

五十土城見取図①
まあ、高台にホームベースのような単郭があるだけなのだが・・・(汗)

五十土城 (2)
道路脇から数分登れば高台(主郭)へ。墓地への道路が付いているので軽自動車なら入れる。

五十土城 (3)
主郭の墓地。周辺はかつて耕作地だったようだ。

【城主・城歴】

史料、伝承等無く不明。宮坂武男氏の調査によれば、この南下の家の家号が「十」(じょう)なので、この山が城跡と考えられているという。展望はあまり良くないのが、五十土城の北側の斜面を比高50mほど登れば福平城の外郭に通じる事や、南東の大昌寺山城とは指呼の間にあるので、福平城の砦だった可能性も考えられるという。

五十土城 (6)
主郭の北側は窪地になっていて堀があったと推定してみるがどうであろうか。

五十土城 (1)
西の谷沢方面に下る堀形。それっぽく見えます。

【城跡】

33×38の五角形状の頂部は墓地とかつては耕作地だったようで、「十(じょう)」と呼ばれた麓の家号の家との間に削平地が確認出来るが、これは往時のものかは断定できない。
本郭の南側の断崖に下りる小径の中間に稲荷と数基の石祠が確認出来るが、この城跡との関係は不明である。

五十土城 (5)
東側に福平城の出城と伝わる大昌寺山城。

五十土城 (8)
「十(じゅう)」という家号の家は恐らく五十土城の代々の城守だったのであろう。

≪五十土城≫ (いかづちじょう) 

標高:780m 比高:20m
築城年代:不明
築城・居住:不明
場所:長野市戸隠栃原
攻城日:2015年8月29日
お勧め度:★☆☆☆☆
居館跡までの所要時間:-
駐車場:墓地腋
見どころ:特になし
参考文献・書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
注意事項:住宅地につきプライバシー注意
付近の城跡:追通城、福平城、中尾城、上祖山城、鬼ヶ城など
SpecialThanks:ていぴす殿

五十土城 (11)
高台の南側の斜面には稲荷社と石祠が祀られている。城と何か関係性があるのだろうか?

複雑な縄張図を描くのが面倒だと言って、安易に平地の城館で誤魔化す目論見はもちろんあります・・・(笑)

そうはいっても、誰かが記事にしなければ忘れ去られてしまうのも口惜しいので掲載にしてみました。

そんな小生をSNSで批判ですか・・・心外です甘んじて受けましょう!!(爆)

Posted on 2018/05/20 Sun. 20:49 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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