らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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大築城 (長野市戸隠)  

◆鬼女紅葉伝説の荒倉山に築かれた詰め城◆

そういえば4年前の今頃は、戸隠の鬼女紅葉伝説に没頭し、取り憑かれたように毎週戸隠周辺を探索していた・・・(汗)

無論このような話が史実ではなく、伝説の域を越えない言い伝えであることは百も承知であったが、それを現代まで口伝として残した偉業に敬意を表しての事であった。調査記録は自分なのだが、今読み返しても我ながら真剣に取り組んでいた秀逸の作品であり、この情熱を越える日が来るのかは、甚だ疑問ではある・・・(笑)

さて、そんな自画自賛はさておき、今回ご紹介するのは、鬼女紅葉の伝説満載の荒倉山に築かれた大築城である。

大築城 (54)
まずは荒倉キャンプ場を目指そう。林道は狭いが舗装路なので乗用車でも大丈夫。

大築城マップ
管理棟の入口には案内図があり大築城も表示されているが、遊歩道は廃道に近い状態なので直登しよう。

【立地】

旧戸隠村の西側で俗に荒倉山と呼ばれる山脈の東に張り出した尾根上のピラミッド形の山頂に築かれている。荒倉キャンプ場から北側へ林道を辿り、ヘアピンカーブを南に下り舟岩方面と合流する三又路付近に車を止めて斜面を直登する。かつては南尾根を辿る遊歩道があったようだが廃道で通行は困難。直登といってもある程度道形があるので藪漕ぎの覚悟は不要だ。

大築城 (51)
カーブミラー付近からテキトーに斜面を登ると城跡に着きます。さすがに夏は避けましょう・・ってかこの時もギリギリでした(笑)

大築城 (4)
途中まではこんな感じで道形があるので「ひたすら」ピークを目指しましょう!

【城主・城歴】

ここから南東1.3kmに位置する溝口伯耆守の居城福平城の詰めの城と伝わる。

大築城見取図①
小さな砦なのだが、厳重な防御が施されている。

【城跡】

山頂の岩を巧みに利用し城壁や土塁の代用としている。最上部の主郭と堀切㋑で隔てた副郭で構成され、前後を数条の堀切で穿っている。萌えだした新緑のために細部は捉える事が出来なかったが、積石で郭を補強するなどかなり手が込んでおり、福平城の改修時にセットで補強されたと考えられる。

大築城 (58)
南尾根を辿ると最初に現れる堀切㋐。ここから城域となる。

大築城 (19)
郭2の南側の切岸。

大築城 (26)
郭2(15×10)

大築城 (23)
郭2はやや傾斜しており周囲を土塁が囲む。

大築城 (59)
郭2と郭1の間の堀切㋑。

残念ながら城跡は鬱蒼とした雑木林で囲まれ見晴らしも良くない。周囲の木を伐木すれば戸隠の大半が見通せるはずなので、往時は物見として活用されたのであろう。

大築城 (30)
別アングルで堀切㋑。

大築城 (61)
大岩を土塁代わりに利用した主郭。

大築城 (38)
巨岩が鉄壁の守り。

大築城 (46)
主郭(郭1)背後の堀切㋒。城域で最大の上巾8m。

大築城 (47)
最終の堀切㋓を上から見下ろす(上巾7m)

【参考までに】

●下記は当日の城跡までのGPSログ(赤い点線)。攻略される方の参考になれば・・。

大築城 (2)

●紅葉の岩屋へは車で行かれますが、釜岩と舟石は徒歩で。お勧めはやはり紅葉の名の如く秋ですね。

大築城 (67)
紅葉の岩屋。トンネル手前の左側に遊歩道があり案内板もある。興味のある方は是非。


≪大築城≫ (おおつきじょう) 

標高:1199m 比高:230m (荒倉キャンプ場より)
築城年代:不明
築城・居住:不明
場所:長野市戸隠
攻城日:2016年5月22日
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:林道より30分
駐車場:無し(林道脇に路駐)
見どころ:堀切、土塁など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
注意事項:直登なのでそれなりの装備で。
付近の城跡:福平城、高城、大昌寺山城、中尾城など

大築城 (65)
紅葉の岩屋入口から見た大築城遠景。



大昌寺山城① (19)
大昌寺山城の麓から見た福平城・大築城方面。
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Posted on 2018/04/20 Fri. 14:13 [edit]

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0411

根小屋城 (長野市戸隠)  

◆善光寺と戸隠三社を結ぶ信仰の古道を抑える台地の先端に築かれた砦◆

武田信玄と上杉謙信が干戈を交えた甲越紛争は、川中島合戦ばかりにスポットが当たるのだが、越後国境の野尻口や関川に通じる戸隠・鬼無里でもゲリラ戦が繰り広げられた。

この紛争は、戸隠山や飯縄山、小菅山などの修験道を味方につけることで宗教上の優位性と大義名分を確保したいという狙いがあり、信玄の調略に応じて謙信の怒りを買った戸隠山は兵火に焼かれ、三社を小川村に疎開させるという悲劇に見舞われている。

今回ご案内するのは、善光寺参りを終えた信者が陣場山を越えて裾花川を渡り、戸隠山に向かう台地の古道を監視したという根小屋城。なんせ、3年前の6月の訪問なので記憶が曖昧なのはご容赦願いたい・・・・(笑)

根小屋城(長野市戸隠) (2)
農道の開通により堀切の形が変わってしまったが上巾12mの横堀㋐。

根小屋城(長野市戸隠) (1)
L字の横堀㋐に接続する㋑を堀形とみるのは中々難しいが耕作地化による改変であろうか。

【立地】

飯縄山(1917m)の南に広がる裾野の台地が裾花川に突き出す先端の高台を利用して築かれている。ここからは南の陣場平山(1257m)とその西脇の地蔵峠が一望できる。西側の楠川を挟んだ栃原の台地に築かれた福平城と共に善光寺平からの侵入を見張ったものであろう。

根小屋城(長野市戸隠)見取図①
残念ながら近年に主郭に電波塔が立てられたが、破壊は最小限に留まったようだ。

根小屋城(長野市戸隠) (4)
ほぼスクエアな郭3。

根小屋城(長野市戸隠) (5)
城址は耕作化されたものの、郭の輪郭や切岸はそのまま残ったと思われる。


【城主・城歴】

史料や口伝等も無く不明。善光寺平に通じる陣場山を中心とした物見や砦が見渡せる位置にあるので、甲越合戦の頃には重要な拠点として狼煙台の機能も果たしていたと思われる。

戸隠地域に展開する山城としては福平城に次ぐ広さがあるので、第二次川中島合戦後の講和条件で前線を下げさせられた武田軍が柏鉢城を拠点として裾花川流域から野尻口を目指してゲリラ戦を展開する拠点の一つとして整備された可能性は考えられる。

根小屋城(長野市戸隠) (7)
郭2もかなりの広さだ。

根小屋城(長野市戸隠) (28)
主郭と郭2との境界は土塁でかさ上げした圧巻の切岸。主郭を見渡せないように目隠し効果も狙ったものであろう。


【城跡】

最高所に位置する主郭は電波塔の建設により南側が改変されたものの最小限に留まったようだが、郭の内部は身の丈もある藪が生い茂り詳細が確認出来なかった。南西に接続する郭4は堀切㋒を介して両サイドに腰郭を置き裾花川に突き出している。
郭2と郭3を囲む横堀㋐と㋑は上巾12mほどあり往時はもっと深かったと想定され、福平城やその出城の大昌寺山城と同じ時期の土木工事と考えられる。

根小屋城(長野市戸隠) (27)
主郭に立つ電波塔。ロケーションの良さで選ばれたのだろうが、何も城跡に立てなくとも・・・・(汗) ※右端は巨大な土塁。

根小屋城(長野市戸隠) (9)
草茫々の主郭から高土塁を見てもなんの事やらさっぱり・・・(汗)

根小屋城(長野市戸隠) (11)
先端の郭4と主郭を区分する堀切㋒。

根小屋城(長野市戸隠) (22)
郭4の削平地。

根小屋城(長野市戸隠) (26)
主郭に立つ物見櫓・・・(笑)

戸隠地区には驚くほど城跡が点在している。政教分離が徹底された現在の日本では考えられないのだが、往時は善光寺参りと戸隠山(戸隠三社)参りは周辺の地域住民の必須科目だったようで、上杉も武田も征服地の円滑な統治には宗教の取り込みは必死だったようである。

根小屋城(長野市戸隠) (32)
堀切㋐から見た城域。


≪根小屋城≫ (ねごやじょう 城) 

標高:860m 比高:-m 
築城年代:不明
築城・居住:不明
場所:長野市戸隠原口
攻城日:2015年6月7日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:5分
駐車場:無し
見どころ:堀切、土塁など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
注意事項:特に無し
付近の城跡:猿丸城、城ヶ峯城、栗田氏舘など

根小屋城(長野市戸隠) (36)



根小屋城(長野市戸隠) (39)
北側から見た城跡全景。

大築城 (52)
南を流れる裾花川の土合集落からみた根小屋城。こちらから見ると居館ってよりは山城って感じですよね(笑)

Posted on 2018/04/11 Wed. 23:44 [edit]

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0406

左右前山城 (長野市信州新町左右)  

◆仁科領に通じる街道を抑えた境目の山城◆

まだまだ4月初旬だというのにここ数日は初夏の暑さとなり、上田城の桜もほぼ満開という異常事態・・・(汗)

恐らく4月7日から開催となる「上田城千本桜祭り」の初日は「散り始め」であろう。葉桜で一杯もまた風流かと・・・(笑)

今回ご案内するのは、前回ご案内した左右秋葉山砦(そうあきばやまとりで)の南約1kmに位置する「左右前山城」(そうまえやまじょう)である。

左右前山城 (2)
左右集落から大姥山に続く林道の途中で車を置いて鞍部を目指す。三角点(1006.4m)のある場所が城跡である。

左右前山城 (4)
尾根の鞍部には分岐点の標柱があり、ここを乗り越せば大町市八坂の布川峠に下り、東に向かえば大姥山山頂へ。

【立地】

大町市八坂地区のトレッキングコースとしては難易度の高い「大姥山」(おおばやま・おおうばやま 1003m)の西へ約600mの尾根続きにあり、城址には三角点(1006.4m)がある。
ここから南尾根を辿ると、犀川筋と金熊川筋を繋ぐ、布川峠に通じており、往古も道が通じていたものと推定される。仁科領との境目の城として牧野島城への伝達を担ったものと思われる。

左右前山城 (5)
三角点方面が城跡のようです。さあ、行ってみましょう!

左右前山城見取図①
三方の尾根伝いの古道を抑える場所に築かれたようだ。

左右前山城 (9)
北尾根に最初に現れる堀切㋒。

左右前山城 (21)
続いて現れる堀切㋑。上巾8mは城内では最大幅である。

左右前山城 (20)
西斜面側の堀切㋑。

【城主・城歴】

特に文献資料には登場しなかったようだが、左右集落の殿屋敷を拠点とした在地土豪の詰めの砦であり、秋葉山砦と共に仁科口の守備の一環として重要視されたのであろう。
三方の尾根をそれぞれ堀切で断ち切っているので、犀川沿いと金熊川沿いの集落を結ぶを山道の交差路上に築かれたようだ。

左右前山城 (27)
堀切㋑を越えると主郭をコの字に囲む腰郭。一段上に主郭が置かれている。

左右前山城 (34)
東尾根を遮断する堀切㋐。

左右前山城 (46)
南斜面に鋭い角度で落ちる堀切㋐。

左右前山城 (52)
主郭の三角点。修験者の霊場を示すお札が刺さっている。

ここを訪れたのは2016年11月なのだが、1年半も前の事なので写真を見て縄張図と照らし合わせても、どこの場所を撮影したのか記憶があいまいである・・・(汗)
いわんや、これより前に探訪して撮影し、未だブログに掲載していない山城の写真などは断片の記憶の継接ぎ作業になる。
さて、どうしたものか・・・・自業自得には違いないが・・・・(笑)

左右前山城 (55)
郭2は郭1より一段高い場所にあるが、削平の曖昧さと不整地処理が残る。

左右前山城 (59)
郭2は布川峠からの突き当りに位置し山道を左右から挟撃するような造りである。意図的なものだろうか・・。

左右前山城 (60)
郭2のピーク。30×20程度の広さがあるが敢えて加工しないという選択肢がとられたようである。

左右前山城 (65)
郭2の南の先端は崖渕でなかなか人を寄せ付けない。

左右前山城 (69)
西斜面を遮断して竪堀となる堀切㋓。埋まりつつあるがそのラインは美しい。

左右前山城 (71)
南斜面から見上げた堀切㋓と郭2。

この場所は天正壬午の乱において上杉方と小笠原方の境目となるのだが、積極的に改修した痕跡は見られない。近くには牧野島城代の芋川親正が景勝に進言して新たに築城したという大野田城もある。
上杉VS小笠原の境目を巡る戦いは、ここより北側の仁科口の美麻にある千見城の争奪戦となっていたので、左右前山城には物見兵が置かれた程度と考えられる。

左右前山城 (47)
東尾根から見上げた主郭。

≪左右前山城≫ (そうまえやまじょう)

標高:1006mm 比高:250m (左右公民館より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市信州新町左右
攻城日:2016年11月13日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:林道より10分 駐車場:無し
見どころ:堀切、切岸など
注意事項:林道はオフロード車なら終点の大姥山まで行かれる
参考資料:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版)
付近の城址:左右秋葉山砦、戸谷城、牧野島城、和田城など



左右秋葉山砦 (58)
左右殿村より見た左右前山城遠景。

Posted on 2018/04/06 Fri. 07:58 [edit]

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0329

左右秋葉山砦 (長野市信州新町左右)  

◆信州新町と八坂村の境目の見張砦◆

このような趣味が無ければ、「長野市信州新町左右」(しんしゅうしんまちそう)という場所は一生訪れる事がなかったであろう。
今回ご案内するのは難解な読みの「左右秋葉山砦」(そうあきばやまとりで)。

で、単なる通過ではなく、長野県の全市町村をしっかり歩きまわって制覇するのはあと僅かで達成すると思われる・・・(笑)

マイナーな山城の紹介こそがこのブログの本懐である・・・偉そうに言っても中身がプアなのでご容赦願いたい・・・(汗)

左右秋葉山砦 (61)
お堂のある上の平地は馬場と呼ばれる。左右秋葉山砦はその奥の尾根上に位置している。

【立地】

砦は旧信州新町(現在は長野市)と八坂村(現在は大町市)の境にある長者山(1159.8m)の南東に延びる尾根先の末端部に位置する。ここへ行くには左右集落から東の尾根先にあるお堂から高合に続く道を歩き、途中の分岐から長者山への登山道に入る。尾根の鞍部についたら南へ向かうと城域になる。

左右秋葉山砦 (59)
畑作業をしていたご夫婦に許可をもらって駐車。

信濃先方衆の共同作戦、実はこの直前に探訪した「左右前山城」(そうまえやまじょう)で時間がオーバーしてしまい、既に15:30であった。11月の山間地の攻城戦のタイムリミットは戻りを16:00ぐらいを目安にしないと危険なのだが、「頑張って行きますか・・」(笑)

地主さんご夫妻にも「今から長者山へ登るの?」と怪訝な顔をされましたが、説明するのも面倒なので「下調べですw」と・・。

左右秋葉山砦 (1)
分岐地点ですでに15:50。大丈夫なのか?

左右秋葉山砦 (4)
分岐点から必死こいて尾根の鞍部についたのが16:00。ここから城域。

【城主・城歴】

史料・伝承等なく不明。城跡には以前に秋葉社が祀られていたのでこの名がある。秋葉社は円形城の土檀の上に置かれていたようである。

左右秋葉山砦見取図①
縄張図。

左右秋葉山砦 (13)
鞍部の窪地。近くに水源が見当たらないので恐らく天水溜かもしれない。

左右秋葉山砦 (16)
東斜面の削平地より尾根先の郭を見上げる。

【城跡】

神社の勧進で城跡は一部改変されたようだが、基本的にはL字の尾根を削平して城の中枢部として前後を堀切で遮断し、土檀状の場所に物見櫓があったのかもしれない。郭4は小屋掛け出来そうな広さがある。

左右秋葉山砦 (21)
堀切㋓。東斜面がかなり緩いので長めの竪堀としている。

左右秋葉山砦 (24)
東斜面を下る竪堀㋓。上巾は4m程度だが、結構長い。

左右秋葉山砦 (28)
城域の最高所にある郭(7×4)。前後を堀切㋓と㋒で遮断している。

左右秋葉山砦 (30)
L字型ながら郭の面積が最も広い郭4。

左右秋葉山砦 (35)
秋葉社の勧進に伴い改変されたであろう中枢部。

左右秋葉山砦 (34)
城域中枢部で最大の幅のある堀切㋑(上巾4m)

左右秋葉山砦 (42)
郭1から見下ろした郭3(10×10)。

オーソドックスな縄張はこの城の南東に位置する左右前山城とほぼ同時期と見てよさそうである。
牧野島城との関連もあると思われるが、八坂へ通じる金熊川沿いの古道の監視目的のように思える。

左右秋葉山砦 (45)
三角形の郭2。

左右秋葉山砦 (54)
東尾根の城域最終の堀切㋐(上巾6m)。かなり埋没している。

実際のところ、僅か20分で城跡を探索するのはかなりハードである。さりとて竪堀は堀底から頂部まで歩いたし土檀部はイマイチ形状が掴みきれず周辺を何度も回った。東尾根の堀切二条も疑心暗鬼の有様・・・(笑)

相方のていぴす殿と東尾根を強引に下って、登り口の馬場平にリターンしたのは16:30。正味20分間の探訪でしたが見どころさえ押さえればノープロブレムかと・・・・(笑)

左右秋葉山砦 (57)
無事生還した馬場平から撮影したていぴす殿と左右前山城。


≪左右秋葉山砦≫ (そうあきばやまとりで)

標高:889mm 比高:130m (殿村お堂より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市信州新町左右
攻城日:2016年11月13日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し
見どころ:特に・・
注意事項:特になし
参考資料:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版)
付近の城址:左右前山城、戸谷城、牧野島城、和田城など

Posted on 2018/03/29 Thu. 23:22 [edit]

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横谷入城 (松本市浅間温泉)  

◆浅間地区を領有した赤沢氏の物見砦か◆

湯治場として松本藩のお殿様も通ったという浅間温泉。その歴史は古く、天武天皇に仕えた豪族の古墳も周辺にみられるという。

さて、今回ご案内するのは、その浅間温泉を見下ろす尾根上に築かれた横谷入城(よこやいりじょう)。前回ご紹介した茶臼山城とともに浅間地区を見張る赤沢氏の砦と伝わる砦である。

横谷入城 (1)
登り口のふるさと公園駐車場から横谷入城を見上がる。ピークを二つほど越えた奥側になる。

【立地】

浅間温泉の東方、大正山(1050m)から南東に延びる尾根先の大音寺山(887m)に築かれている。以前は西側の上浅間配水池の沢沿いの道を登るルートだけだったようだが、平成18年に尾根の東側からの遊歩道が整備され、二年前には「浅間温泉ふるさと公園」として西側の御殿山も含めて大規模に整備されたので迷わず城跡まで辿り着ける。
しかし遊歩道の整備に伴い城跡の遺構がかなり崩されてしまい、宮坂武男氏が踏査した平成8年の縄張図とはかなり違ってしまっている。

横谷入城 (3)
ふるさとは公園宿泊客のトレッキング用の遊歩道整備が目的のようだが、効果はどうなんだろうか。

横谷入城 (30)
つづら折れの遊歩道を10分ほど登ると最初のピーク。ここは平場で堀切があるらしいのだが・・・。

【城主・城歴】

「長野県町村誌」では赤沢氏の持ち城で部下に守らせたとあり、「松本市史第二巻」にも「赤沢氏の持城で稲倉城の要砦で物見城とも呼び、天文年間には浅間孫太郎が守っていたが武田氏により落城、破却されたとある。

横谷入城見取図①
宮坂武男氏の縄張図(平成8年)によれば、良好な遺構が残っていたはずなのだが・・・。

赤沢氏の所領は、女鳥羽川上流の稲倉(しなぐら)を中心とした集落と浅間峠を越えた女鳥羽川下流の浅間周辺なので、浅間峠の街道を監視する砦としてはもちろん、烽火台としての機能も併せ持っていたのかもしれない。

横谷入城 (29)
必死に探した堀切㋖。が、土手付きの痕跡すら分からない状態。

横谷入城 (8)
城の中枢部に入る手前の削平地は「アルプス展望台」として新たに標柱とベンチ数台が設置されていた。

横谷入城 (6)
物見としては申し分ないロケーション。

横谷入城 (7)
遠く塩尻市方面まで見渡せる。

【城跡】

頂部に単郭を置き、前後を数条の堀切で防御した簡単な縄張だが、主郭の東側には土留めの石積が確認出来る。
西の沢筋の遊歩道には「空堀」の表示があるが、これは伐木の作業道を兼ねた山道のようであり、竪堀ではなさそうである。
遊歩道の整備に伴い城跡は大規模な伐木が行われた結果、雨水や風雨が地表を削り堀切は崩れてしまったようである。

横谷入城 (9)
城址に立つ新しい標柱。

横谷入城 (10)
22×13の主郭。削平されているだけで土塁で囲まれた痕跡はない。

横谷入城 (25)
主郭の東側には土留めの石積みが散見出来るが西側の斜面には無かった。

宮坂武男氏の縄張図によれば主郭の西側には三条の堀切があったようだが、現在では崩落したか整備過程による改変でその姿がハッキリしない。堀切㋒はほぼ壊滅状態である。

横谷入城 (28)
かすかな堀形を辿るとこんな感じに二重堀切になっていたと思われる。

同じように主郭の東側の鞍部へかけての尾根にも堀切が二条あるがライン、遊歩道整備でエッジラインが欠け、北へ下る竪堀㋑の堀底には切断された倒木が積まれて埋もれていて肉眼での確認も困難な状況に追い込まれている。

横谷入城 (13)
強引に補助線を入れてみたが、チョッと厳しい・・・(汗)

横谷入城 (17)
西斜面から竪堀となっている堀切㋑の僅かな痕跡を探してみた。

横谷入城 (21)
堀切㋐も堀底が歩道となり一部破壊されたようだ。

城域の東側の鞍部は平地になっているので小屋掛けが出来そうだ。現在「堀切」と表示された標柱が立つ場所は一見すると確かに竪堀に見えるが元々は古道で沢筋の作業道として拡幅されたものであろう。だが、途中に水源があることからこの砦の登城口だった可能性もある。

横谷入城 (19)
鞍部に接続する堀切遊歩道。平成18年度の整備事業の際に空堀跡の看板が立てられたが、検証する必要はあると思われる。

横谷入城 (14)
鞍部と城域を遮断していれば堀切と考えられるが、乗り越しにもならずに大正山方面に続いている。

武田信玄の中信濃侵攻の際に、この付近の土豪は悉く小笠原を離反し武田の軍門に降っている。赤沢氏もその一人であり、武田統治時代には既に横谷入城はその役目を終えて使われなくなっていたと思われる。
また、ふるさと公園の案内図には「横谷城」という表示があるが特に遺構は確認できないという。


≪横谷入城≫ (よこやいりじょう)

標高:887mm 比高:160m (ふるさと公園駐車場より)
築城年代:不明
築城・居住者:赤沢氏
場所:松本市浅間温泉
攻城日:2018年3月17日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:有り(無料)
見どころ:アルプス展望台からの眺望、石積み
注意事項:特にないが、温泉街の道路は狭いので通行に注意。
参考資料:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版)
付近の城址:茶臼山城、伊深城、早落城など

横谷入城 (32)
浅間温泉の西側の女鳥羽川沿いから見た横谷入城遠景。

Posted on 2018/03/25 Sun. 19:12 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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