らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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猿が城物見 (東筑摩郡生坂村下生坂)  

◆眠峠・雲根峠を監視する物見砦◆

山城巡りがだいぶ市民権を得たとはいえ、「趣味は山城あるいは中世城郭です」なんて言ってみても世間的にはまだまだ通用しない・・・(汗)

なので、こんなブログを書いているヤツは一見フツーの市民のように見えるが、実態は「???」であろうか・・・(笑)
この趣味が家族に理解を得られるケースは滅多にない。ヲタクに昇格することは無く、未だに奇人・変人の領域に留まる・・(汗)

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猿が城物見から見下ろした「城が原・こやしき」(拡大5倍)

そんな事を書くと、真面目に取り組む山城ツアラーを自称する諸氏からはお叱りを受けそうだが、実態とはそんなものである。
そして我々のような山城ブロガーが目指すのは「ハツモノ・レアモノ・キワモノ・ゲテモノ」。この表記もかなり反感を買うと思うが、SNSの世界とはそんなものだと自覚している。

「一番槍」 「初掲載」 「SNS初公開」 「ネット初披露」・・・・

どこかの政党の予算の仕分け作業ではないが、「二番じゃダメなの・・・?」  敢えて言おう、「ダメなのである」・・(笑)

猿が城物見見取図①

だいたい信濃の山城をとことんSNSでアップしている方は少ないので、敢えて書かずとも殆んどがハツモノ・レアモノとなる・・(笑)

今回ご案内するのは生坂村シリーズ「猿が城物見」。猿とか鬼とか名の付く城は人を寄せ付けないが、ここは車で近くまで行ける。

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下生坂地区から林道を北へ登ると途中に眠峠(ねむりとうげ)への登り口がある。「眠」とは「多くの曲がり坂」の意味だという。

【立地】

犀川の右岸、日岐大城に続く生坂さんちの北端に近い山の上に立地する。猿が城と呼ばれる範囲は広く、宮坂武男氏が特定したのは、周辺の各城が見通せる雲根峠の小山とその北80mの小山で、物見としては最も適しているという。我ら信濃先方衆ももちろん異論などない。

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雲根峠の北側80mのA地点。ここが物見の中心らしく頂部は削平されている(11×6)

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郭Aと雲根峠の小山Bの尾根の東側の沢状窪地。横堀と称する記録もあるようだが、自然地形の沢であろう。

【城主・城歴】

日岐丸山氏に関連する物見砦と推定され、尾根を通る眠峠や雲根集落の通路の雲根峠を抑え、犀川沿いの動向を探るための物見砦と推定されている。

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窪地は領民の逃げ込み場所としても最適な構造である。

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対岸の土塁状尾根との間の沢状窪地。(郭Aより見下ろしています)

【城跡】

物見砦へは林道を通るのだが、よく整備された林道なので小型乗用車であれば4WDでなくても通行は可能である。ただし、下生坂村から登る途中には害獣除けフェンスがあるので、開けて閉める作業が必要になる。尾根の先端を右に回り込むと道路脇から鉄塔の保安通路が見えるのでそこから鉄塔に向けて入り、鉄塔から西側が崩落した尾根を南に伝って登ると主郭Aに着く。

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物見からの景色はあまり良く見えないので、登り口となる北側の鉄塔から撮影しよう。

「生坂村村誌」によれば、城址には数基の旗塚が絵図に書かれているのだという。恐らくA~Bの間の尾根上に何基か置かれていたのであろう。
土塁状尾根との間に挟まれた窪地を横堀とするには無理がある。これだけの土木工事量が在地土豪に出来るとは思われない。

猿が城物見①
沢状窪地よりみた主郭A。

元々は有事の際に住民が逃げ込む場所だったような気がする。水の手は確認出来なかったが、この場所なら敵をやり過ごす為の緊急避難場所としては最適なような気もする。

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雲根峠の分岐であるBの堡塁。Aよりはかなり狭い(5×3)

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郭A周辺を調査するていぴす殿。

猿とか鬼とかいう名のつく城はかなり険しい場所にあり、人をなかなか寄せ付けない。今回ご案内した「猿が城物見」も、林道が無ければかなりの苦労を要したと思われる。

普段は峠の監視砦として部外者の侵入を見張り、有事の際には、日岐大城の北を守る支城としての任務があったのだろう。

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雲根集落から見上げた険しい尾根の裏側にこのような隠れ家スペースがあるとは思わなかった。

≪猿が城物見≫ (さるがじょうものみ)

標高:830m 比高:330m(雲根集落より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:東筑摩郡生坂村下生坂区
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:林道脇から15分
見どころ:雲根峠、沢状窪地、土塁状尾根、鉄塔付近からの景色
注意事項:整備された林道だが、落石には注意し慎重に走行されたし
駐車場:鉄塔保安道の林道脇に数台駐車可能
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:宇留賀城、金戸山城、城が原・こやしき、城平物見など
Special Thanks to ていぴす殿



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雲根峠登り口の城が原・こやしき方面から見た猿が城物見。やはり「猿」の名が付くだけの峻険な地にある事がわかる。
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Posted on 2017/05/24 Wed. 22:54 [edit]

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城が原・こやしき (東筑摩郡生坂村下生坂)  

◆犀川沿い集落と雲根峠の沿道の監視で築かれた居館跡◆

先日の碓氷峠の陣城の記事は全国区の皆様にとって、かなり刺激的だったらしい・・・(笑)

グンマー県の教育委員会様が登録し忘れた城跡について、「再登録したほうがいいですよ」と、軽井沢町役場の職員が忠告した事が現実となり、今回の発表まで斎藤慎一先生の手助けも借りて足掛け三年の長旅だったらしい・・・(汗)

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それよりも熊野皇大神社のこまいぬの価値のが上かも知れない・・・(笑)

今回ご案内するのは、生坂村の領主であった日岐丸山氏と深く関りがあったであろうとされる「城が原・こやしき」。

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国道19号線から入ると上り坂に堀状の沢が見える。天然の防御構造である。

【立地】

国道19号線の東、犀川の第二河岸段丘上に城が原(城の原とも)・こやしきがある。雲根集落の白山神社の北の台地上で、ここから犀川右岸の道は、山清路の岩山で通れなくなるために後背の山越えの道、雲根峠を通って込路(こみじ)へ出るのが往古の道である。雲根はその峠道の起点となる。

城が原・こやしき見取図①
天然の沢を堀と見做した河岸段丘上の屋敷地であろうか。

【城主・城歴】

史料・伝承等不明。立地からみて、犀川べりの監視と、雲根峠の備えで、その監視・警備にあたった番士の居住したところではないかと考えられている。また、猿が城の直下にあたるために、その根小屋ではないかとの説もあるが、雲根集落そのものが、雲根峠の要地で、大岡、麻績、坂北、入山、丸山地区への交通と深く関り、戦略上も重要なところであったと思われる。

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推定居館跡から猿が城物見、雲根峠を臨む。

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犀川を挟んだ北側の対岸には城平物見が見える。

【館跡】

耕作地化と道路の開通により細部は失われたようで詳細は不明。明治六年の切り図には、こやしき、城の原、上ノ原、下原道上、墓地などが記されている。民家の裏手に西から入る幅30mの沢が自然の堀となり、それを利用して造られたと思われる。付近には、馬セバ、カマ田の地名がある。

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標柱のある場所が「城が原(こやしき)」と呼ばれているようだ。

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城が原から見た天然の沢。ここが堀の役割となり段丘上の居館の防御の要になっている。

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城が原の北側の郭。耕作地となり往時の面影は見ることが出来ない。

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城が原の中心部。猿が城物見を命令された番兵の掘立小屋があったのだろうか。

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辺境の地とはいえ、正面の小山を経由した雲根峠を目指して、猿が城に行けというのは酷な話でございます・・(汗)

≪城が原・こやしき≫ (じょうがはら・こやしき)

標高:500m 比高:15m(国道より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:東筑摩郡生坂村下生坂
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:国道19号線の道路脇から10分
見どころ:自然沢の堀、標柱
注意事項:農道は狭いので、国道19号線のパーキングエリアに車を止めて歩いていくこと。
駐車場:国道19号線北側にパーキングアリアあり。
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:宇留賀城、金戸山城、猿が城物見、城平物見など
Special Thanks to ていぴす殿



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猿が城物見より見下ろした「城がはら・こやしき」と対岸の城平物見。

Posted on 2017/05/21 Sun. 21:38 [edit]

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城平物見 (東筑摩郡生坂村東広津)  

◆宇留賀城の物見砦か?◆

小生のブログでは毎度お馴染みとなった信濃先方衆の同胞である「長野県の歴史を探し求めて」の管理人の「ていぴす」殿がブログの更新を停止して約1年経った。

彼曰く「山城や城館のブログって現地調査だけでなく、城歴など背景の下調べも結構大変なので疲れます・・」

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城平物見の主郭を調査する「ていぴす」殿。早くブログ再開しろよ!と願う声は多いようだ。

なるほどその通りで、小生も一時期は市町村誌を片っ端から借りて熟読してという作業が続き閉口したものである。
ていぴす殿の気持ちが分からない訳ではないが、小生のポンコツブログとは違って写真にもこだわりがあるし、城歴もかなり詳しいので、そのうち復活していただくことを心から願うばかりである・・・。

今回紹介するのは、信濃先方衆の槍働きで、何とか生坂村の山城と居館跡を全て制覇しマイスターとなるために奮戦した「ていぴす」殿のラスト2城のうちの「城平物見」(じょうっぴらものみ)の探訪記である。あたしゃまだまだその域には程遠い・・・(汗)

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ジムニーなら林道で城域に横付けなのでとっても助かりますw

【立地】

生坂村の犀川の左岸の東広津と売るがの両地区の間にある山の尾根上にある。その昔は会の広瀬橋から通学路の山道がこの尾根に入っていたという。広津と犀川沿いの集落を結ぶ重要な道の乗り越しに位置するので、犀川沿いの周辺の動向を監視するためにこの場所に物見が置かれたのであろうと推察する。

城平物見見取図①
尾根を何ヵ所か削っただけの物見である。ここで敵を迎え撃つ意図は無いようだ。

【城主・城歴】

この砦についての資料はなく伝承も不明だという。城平(じょうっぴら)の地名から砦があったのだろうと推定されるだけで詳しい事は分からない。ここの尾根上からは、宇留賀城、金戸山(かなとこやま)、雲根峠の猿が城物見、日岐大城などが見え、犀川流域もつぶさに観察が可能である。こうした立地条件から、金戸山とともに宇留賀城の物見だったのではないか?という推測が成り立つ。

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郭の西端には石祠がある。

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尾根の最高部の東端。段差を含めて約70mという広さだが、後世は道としての機能が優先されたようである。

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何となく続いている尾根の平坦地。

【城跡】

697.3mの三角点のある場所まで含めると概ね三段の平場が城域であろうと思われる。三角点の東側にも一段高いコブがあるが、地山のままで加工の跡は無い。雑木が無ければ遠くまで見渡せる。

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真北方面には宇留賀城。

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南には犀川沿いに屋敷群、遠く日岐城まで見渡せる。

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15mほど下がった場所にも平場。

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三角点のある場所も城域に含まれるのかもしれない。

在と土豪の境目を見張る砦としては、このようなもので充分であっただろう。
山道が生活道路だった往時は、ここまで登るのには訳もなく来れたと思われる。

≪城平物見≫ (じょうっぴらものみ)

標高:723m 比高:240m(犀川端より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:東筑摩郡生坂村広津
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:林道脇から5分
見どころ:尾根の削平
注意事項:軽自動車の四駆なら林道で横付け
駐車場:無し
参考文献:「信濃の山城と館②松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:宇留賀城、金戸山城、猿が城物見、城が原・こやしきなど
Special Thanks to ていぴす殿



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南の犀川沿いから見た遠景。

Posted on 2017/05/20 Sat. 08:10 [edit]

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和田東山城 (長野市若穂保科)  

◆耕作地とも城跡とも断定できない微妙な遺構◆

前号では、碓氷峠の陣城についてざっくり掲載してしまったが、「旧道が城内に取り込まれている」という事実の見落としを指摘され、ハッと我に返った。そう、城の西側の堀切と図で示した場所は実は旧道の址だったのか・・・(汗)

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現在の陣城の東側の中山道旧道。北条攻めに際しては突貫工事で軍道も整備されたであろうという想像力が欠けていた・・。

横川から刎石堀切まで歩いた経験がありながら、何故その事(道の幅)に気がつかなかったのだろうか。もっと子持山方面に下っていけば誤りに気付いたはずだった・・。
リベンジは晩秋に持ち越して、これから初夏になるのだが頭を冷やした方が良いのかもしれない(笑)

気を取り直して、今回ご案内するのは若穂保科地区最終回の「和田東山城」である。

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城の入口に鎮座する東山神社。今も地元に大切にされている神社である。鳥居前に駐車場があるので停めさせていただこう。

【立地】

保科上和田地区の東山神社の脇から100mほど道を上った所に和田東山城跡がある。ここは奇妙山系の山尾根の鞍部にあたり、傾斜のゆるい尾根が張り出していて、東麓を赤野田川が自然の堀となって流れている。その上部には古墳群がある。
東方1.5kmの山上には保科氏の霜台城があり、その中段には前の山砦があって、保科の谷を挟んで相対している。

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神社の脇の道を登る。

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途中墓地となっている三段ほどの段郭が確認出来る。防御というよりは耕作の跡か?

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三弾の段郭を最上部の郭から見下ろして見る。

【城主・城歴】

記録等がなく不明。地元では和田氏の築城との伝承があるという。

和田東山城見取図①
郭2の背後に堀切を穿つのがセオリーだと思うが、古墳群に向かう尾根には何の防御構造も確認出来なかった。

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郭3の先端から東の沢に下る唯一の堀切。

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おむすび型の郭3。郭2との段差が切岸で区画されている。

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郭2から見下ろした郭3。(21×23)

【城跡】

墓地の段郭を除くと、和田集落に突き出した尾根先に平坦な三つの郭が並ぶ縄張である。最高部の郭1の背後を堀切で遮断していれば、戦国期の砦と認識できるのだが、郭1と郭2があまりにも丁寧に削平されているので、後世の耕作地化による影響と考えられどこまでが城跡なのか非常に分かりづらい。

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郭2の先端には三角点(403.9m)

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郭2と郭1。切岸がハッキリしすぎているが、それはそれで美しいと思うが・・。

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郭1の周囲は美しい切岸が加工されている。後世のものかもしれないが、一見の価値はある。

城域の東側は斜面が比較的緩いのだが、赤野田川(あかんだかわ)が天然の堀切となっているのでそこそこの防御にはなっているように思われる。

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郭1から見た郭2との東側の接続部分。傾斜が緩いのがお分かりいただけるでしょうか。

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主郭の内部。

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西側から見た主郭の虎口。

要害城というよりは、保科の入口を監視した物見砦としての要素が強いような気がする。この程度の脆弱な防御では敵の来襲に対して持ちこたえるのでかなり厳しい。宮坂武男氏は尾根伝いの古墳群との関連を指摘しているが、尾根沿いの道は失われてしまい、背丈以上の藪に覆われている状況での確認は困難と思われ今回の調査は断念した。

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こんなちっぽけな砦でも、アングルによっては充分な見応えがある・・(笑)

≪和田東山城≫ (わだひがしやまじょう)

標高:410m 比高:30m
築城年代:不明
城主;不明
場所:長野市若穂保科
攻城日:2017年4月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、切岸
注意事項:特になし
駐車場:東山神社の鳥居前に3台程度の駐車スペースあり
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:霜台城、加増城、前山の砦、春山城など

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城址より霜台城を臨む。

霜台城2 (36)


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Posted on 2017/05/18 Thu. 23:04 [edit]

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碓氷峠で発見されたという陣城を訪ねて  

◆時間をかけて検証する必要があると思うが・・◆

5月13日、碓氷峠で陣城の遺構が発見されたというニュースが全国を駆け巡った。twitterのTLはその話題で持ちきりだった。
「真田昌幸らの北条攻略拠点か、「陣城」跡を発見

豊臣方の小田原攻め(1590)における兵站補給基地として築城されたのではないか?と推定されており、昨年の真田丸効果から続く山城ブームも拍車がかかりそうな発見である。

そんな話を耳にしちゃうと、居ても立ってもいられない性分なので、本日は碓氷峠へ出陣したのでありますw

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この日は横川から碓氷峠を走る「安政の遠足」なる行事があるとは知らず、しかもそのゴールが熊野皇大神社だとは・・(汗)

仮装行列遠足(?)で賑わう峠の頂上から5分ほど下ると中山道との分岐点になる。
新聞記事によると、陣城は熊野皇大神社から東へ250m付近なので、この付近になる。

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何の気なしにこの分岐点を中山道方面に向かうのだが・・・

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「長坂」という看板に沿って中山道を進むのだが、城域はこの分岐から南の三角地帯だと後で知ったのである・・・(笑)

中山道を用心深く下るとすぐに「あそこに見えるは、土塁でしょうか、それとも堀切跡でしょうか・・・」

深く霧が巻く悪天候の中であったが、嗅覚という恐ろしいビョーキがその存在に気が付く。

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「ここなのか?」

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新聞記事の写真の箇所はここらしい。

場所の特定が極めて疑問なので、霧雨の中を隅から隅まで歩き回ってみた。

陣城の定義がイマイチ曖昧なので、自分としての判断は「山城の遺構に違いない」との結論である。

碓氷峠陣城跡か①
現地を歩いた感覚で思い出しながら描いた見取図。こんな感じであろうか。

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城の北側の一段下を中山道(旧道)が通る。

【ここでいいのか?】

記事に書いてあるような楕円形とは言い難いし、竪堀8条も見つけることは出来なかった・・・・。多少墓地として改変されているが、叩き土で背後を固めた郭が2ヶ所あり、その西側は箱掘のような巨大な二重堀切が沢筋まで下りている。

おまけにお「城の虎口は桝形?」

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城域西側の巨大な箱掘。天正壬午の乱の時の北条氏の補給基地の可能性は否定できないのであろうか?

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郭4背後のL字土塁。

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郭1と郭4の間は堀切に近い形で遮断されているが、その先は曖昧な平郭となっている。

ここでいいのか?という疑問もさることながら、安易に「豊臣方の陣城」と決めつけてしまっても良いものであろうか。

あらゆる可能性を想定しながらの作業は慌てる必要などなかろうかと・・。

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宮坂武男氏も言うように、まだまだ未発見の山城は多いようですネ(笑)

いずれまた再調査に訪れてみたいと思いますw

Posted on 2017/05/14 Sun. 23:29 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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