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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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山城探訪に手ごろな新兵器登場か?  

◆重たい巻尺とサヨナラ出来そうな予感◆

先日、スマホをiPhone12に機種変更したのですが、計測機能が付いている事に気が付いた。(おーい、今頃かい・・・笑)
※iOS12以上のスペックがあればiPhone12以前の機種でもOKらしい

計測アプリ①

「はて、機械音痴の根っからの昭和時代の原始人にこのような最先端の道具が使えるのだろうか?」

まあね、「習うより慣れろ!」とは良く言ったもので、なんとか使えるようになった。
(ポケモンGOでお馴染みになったARという技術らしいが、小生には仕組みすら理解できない・・・汗)


計測アプリ (1)
なんか、面積も計算出来るらしい。シャッターボタンで画像も撮影出来るのがイイね。


そういえば、以前にテレビでこの計測機能を使って身長を図ったりビルの窓枠の測定もやっていたのを思い出した。

「山城の現地の計測に使えたら面白いだろうなあ、あの重たい巻尺要らなくなるよね。現地でチョッと試してみようか」

少しでも楽したいし、山城へは出来るだけ軽装備で身体に負担を掛けたくない・・・この事であった・・・(笑)

それに、小生のお知り合いの城友さんの何人かは土木用の最先端の光学計測器を持っていて、堀の深さや土塁の高さなんかを簡単に表示させていた。でも、結構お値段も良くて、買えそうもない。「よし、これで少しは対抗できるのか?」

【実験その1.鷲尾城】 千曲市倉科

なんでこの山城かって?15分くらいで登れるし、石積みの垂直も計測してみたいし一通りパーツ揃ってますもの。

計測アプリ (21)
まずは正面主郭虎口の左側の石積みから。(垂直の計測試験)

計測アプリ (11)
おお、なかなかいいねえ。小生の身長よりも高い石積みなので、数値としては正確だよね。

土木用の光学計測器と違って、難点は測定物に近づかないとダメって事かなあ。

なので、平面を測定するには起点から終点まで歩かないといけない・・巻尺を引っ張ったり、巻いたりする作業が省略されたと考えればいいのかなあ・・・(汗)

お次は主郭の計測。

計測アプリ (8)

計測アプリ (3)
背後の土塁から虎口までの距離は36.35mの表示。

あくまでも起点から終点までの長さの計測なので、堀切を計測しても垂直の深さではなく堀底までの斜面の長さである。

計測アプリ (5)
主郭背後の堀切の堀底までの計測値。ほぼ垂直に近いので数値としては悪くない。

計測アプリ ②
郭2の背後の三重堀切。数値が写真に入ると具体的に想像できるメリットはあるよネ。


【実験その2.塩崎城】 長野市篠ノ井塩崎

ではチョーシこいたついでに、久しぶりの塩崎城へ行って遊んでみた(笑)

この山城もすべてのパーツが揃っていてお手軽に訪問出来る北信濃お薦めの山城である。

計測アプリ (28)
麓にある長国寺の駐車場をお借りして寺の裏山へ初心者でも約30分で登れますよ。

まずは主郭と郭2の間にある石積みから。(この山城独自の特殊な防御施設。これ見るだけでも価値があります)

計測アプリ (29)
おそらく石積みの上には狭間付きの板塀があり、攻城兵を狙撃したんでしょうね。迫力あります!

計測アプリ (13)
計測値は1.89m。小生の身長よりちょっと高い程度なので、あってるみたいです。

計測アプリ (46)
全体はこんな感じ(上の削平地が主郭)。作りかけで放置されたような感じもするし・・・。その目で確かめてね。

実は郭4にも似たような石積みの突き出しがあります。

続いて主郭を計ってみました。

計測アプリ (15)
縦21.83m。それより背後の土塁が気になるかしら?

計測アプリ (14)
横は26mだって。

この山城、見どころが沢山あるので真面目にリテイク記事を書かねば、と思っていますが、いつになるやら・・・(汗)

せっかくなので、西の尾根を叩き切って集合掘りとなる絶望的な落差を誇る三重の連続堀切の写真をあげておきます。

計測アプリ (34)

計測アプリ (36)

計測アプリ (37)

【結論】

重たい巻尺持って歩くよりもはるかに便利な機能でした。なので、今後は山城ライフで活躍してくれると思います。

そうはいってもスマホなので、落としたりすると大変!なので、小生は三脚付きの自撮り棒(これが便利なんです)にしっかり固定して「万が一」に備えましたよ(笑)

なんで他の人は使わないのかなあー。えっ、7万円はする光学測定器みんな持ってるの??凄いなあー(汗)

せっかくなので、今回訪問した山城の場所を掲載しておきます。
※お手軽といっても、トレッキングの支度で。特に靴はしっかりした靴でお願いします。

鷲尾城地図1①
鷲尾城は急坂を登るのでゆっくりで20分くらいかなあ。倉科将軍塚古墳の背後の二条の堀切も見てね。中級者は北西尾根の段郭と土塁に囲まれた郭をちゃんと調べてネ。


塩崎城地図①
塩崎城は長谷寺から案内板があるので迷う事はないが、鉄塔からの道が部分的に岩場になっているので足元注意。ゆっくりで30分くらい。主郭と郭2の北側の登り石塁は必見。その先の北斜面に横堀と竪堀も必見。城域背後の三重の堀切は集合掘。見どころ満載です!!
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Posted on 2021/03/04 Thu. 21:11 [edit]

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神明城 (伊那市長谷黒河内)  

◆文武両道に長じる歴代黒河内家の根拠地◆

昨日、スマホの機種変更をした。4年3ヵ月の間、苦楽を共にした「7」であった。

想い起せば、画面のガラスは2週連続して落として割るし、バッテリーは2回ほど交換したが、山城の写真撮影や山ログで正確な位置情報の表示、城址からのtwitter発信など小生の厳しい環境下での山城ライフをしっかりサポートしてくれました!心より「ありがとう!」を伝えたい・・・・。

引退後は、娘の長女の室内専用デバイスとして第二の人生が待っています。今までの過酷な主とは違い大事にしてもらえると思いますw

マスクしていると顔認証してくれない新しい相棒の「12」の操作に悪戦苦闘しつつ、今回ご案内するのは「神明城」(しんめいじょう)

神明城 (1)
古屋敷とよばれる城の東側。

【立地】

人造ダム湖の美和湖東岸の黒河内の段丘上に位置する。ダムの湖面よりは約70mの高さがあり、段丘の中段には寺や数軒の民家がある。ダム湖が出来て水没する前には水田もあったようである。北東300mには沢を隔てて艮城があり、八人塚も傍らにある。

神明城 (2)
城跡の真ん中付近は「中道」との呼名。耕地化による改変で遺構らしきものは何もない。

【城主・城歴】 ※以下「定本 伊那の城」(1996年 郷土出版社)P89より引用、一部追記

城は寿永二年(1183)頃、源為朝の直系黒河内二郎義純が築いたと伝えられ、往古は「黒河内藤沢之庄」の庄であった。諏訪社領に属し、鎌倉幕府の旗下、承久の乱には将として軍功をたて、文安二年(1445)小笠原家家督争いに加勢、蔵人正国討死、室町、戦国を高遠氏に属し、天文十八年(1549)武田氏高遠侵攻に鵯越(ひよどりごえ)で城主の黒河内八郎左衛門朝光戦死。弟の隼人政信が当主となるも、武田に叛いたため伊那の狐島で処刑される。その後黒河内家は存続を赦されたようで江戸時代は保科氏に属する。世々黒河内家の根拠としてこの地で活動してきた。寛文年間(1661~73)在に下り郷の始動の地位にあった。

神明城 (4)
天王という地名の残る場所。城(屋敷)の中枢部分であろうか。

【城跡】

「定本伊那の城」の解説によれば、城址は、南北約200m、東西約150m。北は稲村沢の急傾斜深く登坂困難な地形。西側は三峰川へ崖となり、東と南に空堀を備える単郭式平山城である。水の手は郭内に湧水がある。城跡はほとんど消滅しているが、泉水、庭石、神明社が祀られている。

と書かれているが、現地を歩いても堀など見当たらず、往時の姿をイメージするのはかなり困難であった・・・・(汗)
(というか、地図片手に歩いていても不審者そのものなので、通報される前に早々に退散したというのが事実である・・・笑)

神明城 (6)
南側の高台から撮影した城の西半分。恐らく住宅の立つ場所とその北側が中枢部だったと思われる。

神明城 (7)
同じく城の東半分。要害の地に築かれた巨大な館城というのが、往時の姿であろう。(奥に見えるのが美和湖)

そういえば、先日地元ローカルのニュース番組見てたら、伊那市高遠町にある長野県を代表する日本酒「黒松仙醸」の蔵元「株式会社仙醸」(せんじょう)の社長さんの苗字が黒河内なので、びっくり。神明城のゆかりの方なのかしら・・・いつかお尋ねしてみたい。(←いやいや、アルコール系の宣伝のチェックのし過ぎだと思うが・・・笑)

≪神明城≫ (しんめいじょう 神明の古城) 

標高:890m 比高:70m (美和湖より)
築城年代:不明
築城・居住者:黒河内氏
場所:伊那市長谷黒河内
攻城日:2021年2月6日 
お勧め度:★☆☆☆☆ (南の高台の道路から見る程度かと)
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け) 
城跡までの所要時間:-
駐車場:無し
見どころ:-
注意事項:住宅地なので撮影注意。不審者と間違われない様、住民の方がいたら挨拶を忘れずに。
参考資料:「信濃の山城と館⑤上伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版) 「定本 伊那の城」(1996年 郷土出版)
付近の城址:艮城、桑田砦、溝口上の城、溝口下ノ城など

八人塚地図①

Posted on 2021/02/24 Wed. 22:40 [edit]

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特別番組 『あなたも行ってみたくなる!?上田地域の山城』 がもうすぐ公開  

◆今秋開催予定の山城アフターサミットの前座番組として思いっきり笑い飛ばしてください!◆

学芸員でも何でもないただのアマチュアの山城ブロガーである小生が、ローカルとはいえTV番組に出ていいものかどうか・・(汗)

そうは言っても、ようやく認知されつつある「中世の山城と城館」の新たなファンを獲得する事が出来るのなら、ひと肌でもふた肌でも脱いでご協力しましょう!(←いや、中年男の裸なんぞ見せられた日にゃ、みんな逃げていくのでやめましょう・・・笑)

で、ホントに番組作ってみました。(もちろん、上田ケーブルビジョンさん製作のプロ仕様)

今回ご案内するのは、虚空蔵山山系の山城では認知度の低い「持越城」(もちこしじょう 上田市上塩尻)と東信濃の隠れた名城「祢津下ノ城」(ねつしものじょう 東御市祢津)の二つの山城です。

冗談は顔だけで充分なんだけど、「真面目に番組宣伝してくださいネ!」という上田市教育委員会のご依頼もあり、放送スケジュールをご案内させていただきます。

【まずは地元のケーブルテレビの番組】 ※地元じゃないし見れないしという方、最後まで読んでネ


スクリーンショット 2021-02-19 195339

◆上田ケーブルビジョン(地上121ch)

2月25日(木) 6:30~ 、9:30~、12:30~、19:30~、22:30~ 

◆丸子テレビ放送(地上デジタル12ch)

2月27日(土) 9:00~、13:00~、19:00~、22:00~


【そしてYouTubeで3月1日より動画配信】 

山城YouTube②

◆上田市行政チャンネル

こちらをクリックしてネ→上田市行政チャンネルYouTube

「昇太師匠とか、千田教授とか、平山センセとか、萩原さちこさんに負けるもんか!!」(←いやいや、絶対無理でしょう・・・笑)

「チャンネル登録よろしくお願いします!」(←って、いつからユーチューバーになったの??)


【おまけショット ビデオ撮りの様子】

ビデを撮りは1月11日に実施。(バラシてもいいのかなあ・・・汗)
まずは持越城の登り口から。(後ろの山は平山センセがビデオ撮りした飯綱城)

撮影風景 (3)
進行役は教育員会の谷口さん、後ろに立っている方はブラタモリで有名な教育委員会の和根崎さん(サポート役)

撮影風景 (5)
祢津下ノ城の主郭での撮影現場。この日は城跡から富士山が見えましたよ!

実は、番組がどんな仕上がりになっているのかマル秘扱いらしくて、出演者は誰も事前に見ていないんです・・・(汗)

なので、小生も25日の放送を楽しみにしております・・・・(笑)

ちなみに、YouTubeの動画再生回数次第では、「上田地域の山城第二弾!」とシリーズ化されるそうです!
(ホントかなあ・・・汗)

「えっ、見たくない・・・・そう言わずにチャンネル登録と拡散お願いします!!」
 (必死・・・・笑)

Posted on 2021/02/19 Fri. 21:41 [edit]

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艮城 (伊那市長谷黒河内)  

◆黒河内家の本城を守るために築かれた城◆

「明日やろう、は、バカヤロー」 そんな言葉をラジオのパーソナリティが言っていた。なるほど、的を得ている。

「明日からダイエットするから、今日は思いっきり食べよう!}とか、「明日から禁煙するから、今日までは吸っても大丈夫だよね」とか・・・自分自身に言い訳を探しはじめて、期限を延ばそうとする・・・

そう、その明日は、残念ながら永遠に来ないのである・・・(笑)

自慢じゃないが(←いや、充分に自慢してる・・汗)、週二日の休肝日は夕飯を食べない。そう決めて家族に宣言して即実行。おかげで4.5kgの減量に成功。しかし、空腹との戦いに無条件降伏したくなるのも事実である・・・(汗) さて、いつまで続くのかしら。「継続は力なり?」 ・・・いいから米が食べたい・・・心から・・・頼む・・・金払うから・・・(笑)

そんな「腹ペコ青虫さん」が今回ご紹介するのは、八人塚が祀られている「艮城」(うしとらじょう)。

艮城 (28)①
八人塚のある場所から西側に突き出た段丘に艮城があり、八人塚のある場所も改変されているが城に因んだ名が残るという。

【立地】

三峰川によって出来た河岸段丘を北の沢と稲村沢によって削り残された台地の上にある。南北を深い沢に囲まれ中々の要害地形である。現在、三峰川は美和ダムによって堰き止められ、分杭峠に続くかつての秋葉街道は半分以上がダム湖に水没したが、旧長谷村は高遠と大鹿を結ぶ要衝の地であり戦略的にも重要視された場所でもあった。

城の名前は、黒河内氏の本城である神明城(しんめいじょう)の艮(丑寅、北東)の方角にある事に由来する。

艮城① (7)
艮城と八人塚のある台地を遮断する上巾19mの巨大堀切。

艮城① (11)
北の沢側より見た大堀切。

艮城見取図①
主郭の背後を深い堀切で絶ち切り、正面の斜面に通路を兼ねた横堀を伴う。南側には段郭が伴う。

【城主・城歴】

高遠家に属した神明城主の黒河内氏一族の築城と伝わる。(黒河内氏の出自については、次回の神明城で記載したい)
「定本伊那谷の城」の記述によれば、「神明城主黒河内八郎左衛門朝光の弟隼人政信が、武田氏伊那侵攻に備えて築城した。天文十八年に武田と戦った兄の朝光が戦死後も、伊那の諸豪士と合力し武田氏に最後まで抵抗し、弘治二年(1553)武田氏のため伊那狐島で惨殺された。」とある。

艮城 (7)
北斜面の通路。

艮城 (9)
通路の幅が斜面を回り込み次第に太くなり横堀になる。塹壕として作られたように思えるが。

艮城 (13)
こんな感じの土手付きの横堀。主郭の正面の防御用に掘られたようだ。

艮城 (16)
結構しっかり叩いているよね。

艮城 (11)
横堀の先端。この先は適当に稲村沢につなげていて、特に加工された竪堀とはなっていないようだ。


【城跡】

67×28の主郭は、東側台地との堀切側に巨大な土塁を備えて背後から城の中が見えないように工夫している。土塁は大堀切の土を掻き上げて作られたようで、堀底からは13m、郭側からも9mあり、壁のようである。主郭への入口は南側で、ちょっとわかりづらいが、枡形虎口となっている。
主郭の南の稲村沢側には段郭が置かれている。この沢には現在も通路があるので平時は連絡路となっていたかもしれない。
主郭の北側は犬走のような連絡通路が堀切から伸びていて、斜面を取り巻くうちに横堀となり主郭の正面を防御している。
高遠方面からの敵に備え、本城である神明城の守備で新たに築城されたというのは合点がゆく。

艮城 (23)
主郭内側から見た背後の巨大土塁と枡形虎口。

艮城 (22)
南側の土塁はかなり低い。(奥に桝形虎口)

艮城 (21)
北側の土塁はかなり高く盛られていて、東側からの目隠し効果を担っている。

艮城 (24)
67×28の主郭。(東側より撮影)

艮城① (19)
67×28の主郭(西側より撮影、デジカメで撮影した補助用写真。やはりスマホに勝てないのか・・・汗)

艮城 (19)
主郭の南側にある帯郭。

武田軍の諏訪と伊那の侵略は、電光石火の如くで抵抗する地元勢力が無かったような記載も多いが、その実情は違うらしい。
隙あらば「武田信玄、何するものぞ。我ら伊那谷衆が結束し、再び我が郷土を昔の通りに取り戻して見せる!」

しかし、黒河内隼人政信ら上伊那八人衆の思惑は外れ、強大な軍事力を持つ武田信玄の前に散った。
本来であれば、八人衆の一族は根絶やしにするのが鉄則であるが、領民の反抗を抑える為に親族を取り立てる懐柔策を取ったという。

艮城 (27)
桝形虎口に立つ石碑。城友の久太郎さんだったら、寝転がって「いいよ、そのポーズ!!」とかいって撮影するんだろうなあ(笑)

艮城① (35)
主郭背後の大堀切の南側(稲村沢方面)。ここから沢伝いに通路があるので、往時も使われたものと推察される。


≪艮城≫ (うしとらじょう) 

標高:900m 比高:90m (国道より)
築城年代:不明
築城・居住者:黒河内隼人政信
場所:伊那市長谷黒河内
攻城日:2021年2月6日 
お勧め度:★★★☆☆
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け) 
城跡までの所要時間:-
駐車場:無し
見どころ:大堀切、高土塁、段郭、横堀
注意事項:特になし(八人塚よりは害獣除けゲートを開けて入る。必ず閉める事)
参考資料:「信濃の山城と館⑤上伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版) 「定本 伊那谷の城」(1996年 郷土出版)
付近の城址:神明城、桑田砦、溝口上の城、溝口下ノ城など

八人塚地図①
あたしゃ国土地理院の地図しか信用できしまへん・・・(何語じゃ!・・・笑)

艮城① (28)
虎口にある「艮城」の石碑(昭和53年建立)と高土塁。

Posted on 2021/02/17 Wed. 19:49 [edit]

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八人塚 (伊那市指定史跡 伊那市長谷黒河内)  

◆武田に叛いた伊那谷の八人衆の首塚◆

一週間に一度ブログを更新するのは、やはり強靭な精神力が必要なようで、ヘタレの小生には無理だったようである・・・・(汗)

ここはやはり一ヶ月に最低でも三回の更新という無難な目標に方針変更したい。これすらどうなんだろう・・・(笑)

今回ご案内するのは城館ではなく、伊那谷の城巡りをするなら一度は訪れて欲しい「儚き戦国時代」を偲ぶ史跡である。

八人塚 (2)
現在の国道152号線(秋葉街道)の東側を通る道路脇にある八人塚の看板。うっかり通り過ぎてしまった・・・(汗)

八人塚 (1)
畑の中の綺麗に手入れされた松が植えられた場所が八人塚である。(伊那市指定文化財) ※奥に艮城がある。


【八人塚】 ※現地説明板より引用(伊那市教育委員会)

戦国時代の享禄元年(1528)武田信玄の父信虎が、諏訪大社の神官諏訪頼満と境川で戦ったのが、武田氏の信州侵攻の最初であった。それ以後、武田氏は信州侵入の挙に度々出たので、信州の諸豪族は武田氏に対し城を堅固にするとともに、新たな城を築くなどして侵入に備えた。
天文十四年(1545)信玄は杖突峠(つえつきとうげ)より高遠に入り、高遠城を落とし、その勢いをもって福与城を攻撃した。こうして上伊那は武田の軍門に降ったこととなった。

艮城 (3)
正面から見た八人塚。地域の方に大切に整備されているのが伺える。

弘治二年(1556)武田信玄が上杉謙信と川中島で対陣中に、上伊那の諸豪族は武田氏に反抗するために、信玄の娘の嫁ぎ先の木曽氏を攻撃して帰った。
これを聞いた信玄は大いに怒り、上杉軍との戦いを中途にして急遽伊那へ戻り、木曽氏を攻めた八人の諸将を捕らえ狐島において処刑し晒首にした。
黒河内の住民の勇士は暗夜に乗じてひそかに狐島に赴き、八人の首を持ち帰り黒河内の艮城(うしとらじょう)の東のこの地に丁重に葬った。
郷人はこの八人の諸将があくまで武田氏の侵入に反抗し郷土を守ったその勇をたたえ、霊を慰めるとともに英名を後世に伝えるためにこの碑を建てた。以後毎年黒河内区の主催による追善供養の法事を碑前において挙行し、往時を偲んでいる。

艮城 (4) - コピー
諸将八名の名が刻まれた石碑。(おーい、影で読めないぞ!)

八人塚に葬られた諸将の名と領地(城)を以下に記載します。

●黒河内隼人政信 (伊那市長谷黒河内 神明城)
●溝口民部少輔正慶 (伊那市長谷溝口 溝口城)
●松島豊前守信久 (箕輪町 松島城)
●伊那部左衛門尉重親 (伊那市春日 春日城)
●殿島大和守重国 (伊那市東春近 殿島城)
●宮田左近正親房 (宮田村 北の城)
●小田切大和守入道正則 (宮田村 小田切城)
●上穂伊豆守重清 (駒ヶ根市 上穂城) ※上穂は「うわぶ」と読む

艮城 (5)
説明板は現地見学の基本なのでしっかり読みましょう!(写真撮って後で読む・・・という輩もいるようですが・・・笑)

八人塚については「甲陽軍鑑」「伊那武鑑根元記」に記載があるという。

ちなみに、胴塚は処刑された伊那市狐島の蓮台場にあり、首の無い八体の石仏があるという事です(未だ見てませんが・・)

八人衆の居城で未訪問なのは上穂城だけですが、宅地化されて遺構があるような無いような事になっているようです。


≪八人塚≫ (はちにんづか) 

標高:900m 比高:-
場所:伊那市長谷黒河内
攻城日:2021年2月6日
お勧め度:★★★★☆ (艮城とセットで)
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け) 
史跡までの所要時間:-
駐車場:無し(邪魔にならない場所に路駐)
参考資料:「信濃の山城と館⑤上伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版)「定本伊那谷の城」
付近の城址:艮城、神明城、溝口城など


八人塚地図①
艮城と神明城はそのうち記事にしようかと・・・・

艮城 (28)

こうした史跡にもスポットをあてて、忘れ去られてしまわないようにするのも、私たちの大事な使命かと思ってます。

Posted on 2021/02/12 Fri. 22:16 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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