らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
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犬甘城(松本市) 
松本市にある城山公園は市民の憩いの公園である。
しかし、その公園が山城跡であると知る人は少ない。
小生も遺構のある場所だとはつい最近まで知らなかったのである(笑)

この公園(?)に俄然興味を持ったのは、天文十九年の高白斎記の記述にある「イヌイの城」だろうという説だった。
【宮坂武男氏の考察】
天文十九年(1550)七月の武田氏による府中攻略で、林大城以下五城が自落した時の「七月十五日 酉刻イヌイノヲ攻敗り勝鬨御執行戌刻 村井ノ城へ被納御馬候 子ノ刻、大城、深志、岡田、桐原、山家五ヶ所ノ城自落・・・」という「高白斎記」の記述で、イヌイの城は従来埴原城ではないかと推定されていた。
しかし五城の城名がはっきりしているのに一城だけが戌亥(いぬい)の方角で表現されている事や、埴原城は林大城や村井城から戌亥の方角に当らないなど不自然であること、「イヌイ」は「イヌカイ」の「カ」の文字が脱落したもので犬甘城(イヌカイジョウ)を指すという説があり、この方が状況から説得力がある。

本郭北側を遮断する堀切。
天文十九年七月に勝鬨をあげたのはこの犬甘城であり、約2時間かけて村井城へ帰ったとあるから、丁度8kmほどで時間も合ってくる。この説をとりたい。
この犬甘城を攻め落とされたのでは、深志城は袋のネズミで放っておいても自落するしかないし、他の城も守り通す事は難しい。
「イヌイノ城」は「イヌカイノ城」の方が現実味があると考える。
~以上、宮坂氏のコメント~

本郭北側の物見台

41×8の腰廓。
小生も「イヌイの城」は埴原城という説には疑問があった。
現地を見れば判るのだが、そんなに簡単に落とせるとは思えない堅固な縄張りで城域も広い。
「イヌイ」≒「イヌカイ」
なるほど云われてみれば類似語か・・・・・(笑)

二の郭と本郭は段差で仕切る。

二の郭と三の郭の間は定石通りの堀切。
深志城から1.5kmの犬甘城を血祭りに上げる事は、心理作戦上も有効だったのだろう。

郭の中では一番広い四の郭。前後を深い堀切が守る。

五の郭と六の郭の間にある堀切。だいぶ変形したが、かつては二重の堀切だったと思われる。

稲荷社のある五の郭。
訪れた日は土曜日だったのだが、秋雨が降りしきる天気だった事も幸いし誰もいない・・・(笑)
最終の六の郭には展望台がある。

「何とかは高いところが好き」なので、どうしても登りたくなる(爆)

南東1.5km先には松本城。

奈良井川を辿れば、光城、塔ノ原城へ続くディフェンスラインだ。

林大城方面。この城を落とせば、他の城が自落するのも無理は無いだろう。
信濃制覇に一歩近づいた武田晴信は、この場所で何を想ったのだろうか?
雨の古城散策も悪く無いが、雨の日の強風の中、展望台に登る愚かな行為は止めましょうネ(笑)

宮坂武男氏による縄張図。
≪犬甘城≫ (いぬかいじょう 蟻ヶ崎山城)
標高:678.0m 比高108.0m
築城年代:不明
築城・居住者:犬甘氏
場所:松本市蟻ヶ崎城山
攻城日:2011年11月19日
見どころ:堀切跡、曲輪群など
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:5分
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」
Posted on 2011/12/02 Fri. 08:01 [edit]
No title
らんまるさま、こんばんは。
「イヌイ城」が犬甘城だという説は初めて拝見しました。
なるほど、という感じですね。
確かに、あの立地はとても重要ですね。
今では宅地が進んでいるようですが、往時は、我々の求める「山城」だったのでしょうね
Re: 大垂水さんへ
小生も初めのうちは「まさか?」という思いでしたが、公園化される前の犬甘城は確かに要害であったと思われます。
外堀にある堅固な城を意に介さず、喉元に匕首を突き立てる荒っぽい戦術は晴信の真骨頂だったのでしょう。
小笠原長時の狼狽ぶりが目に浮かびます。
犬甘城の救援として後詰めすら出来ない事を計算した武田の軍略には脱帽せざるを得ませんネ。
イヌイの城は
こんばんは
私が高校生の頃、イヌイの城とは埴原城というのが定説でした。
でも、ほんと?という疑問はずっとありました。
なので、高校の時にクラブで作った本にも、一応その説を書いてはいましたが、
友達と、絶対乾の方向ということは、城山だよね、などと話していました。
実際の犬甘城は、古絵図などによれぱ、今の東側芝生になっているあたりにも、
遺構はあったようで、平山城に近い構造であったようです。
江戸時代19世紀初め頃まで、立ち入り禁止であったので(松本城丸見え)、
遺構もよく残されてきたのでしょう。その後藩の公園となり解放され、
現在の公園に至っています。
でも、城があったことを知っている市民は、あまりいないようです。
Re:赤いRVR@松本様へ
連コメントありがとうございます。
往時、陣太鼓や鬨の声が何処まで聞こえるのか分かると面白いと思います。
月明かりの無い夜に軍勢の不気味な足音や威勢のよい勝鬨の声など上げられたら、敵味方確認する前にかなり焦りますよねえ・・(笑)
足弱の女子供の救済措置として「自落」が慣例だったとは最近知りました。
籠城戦で落城すれば、領民は略奪強奪の被害は免れることが出来無いし、一族郎党は一人残らず自害させられ滅亡します。反逆の芽は徹底して摘み取られるわけでした。
華々しく散る武士道もあれば、臥薪嘗胆を期す撤退もあったんですね。
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