らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
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駒形城(上田市) 
佐久市と茅野市にも同じ名前の城跡があるが、上田市にある駒形城はWEBサイト初登場であろう。
マイナーすぎるので攻城のルートなど存在するはずもない。いつもの事である…(笑)
ところで最近気になっている商品がある。ソニーの「ナブ・ユー」という登山にも使えるナビだ。
リンクさせていただいる春の夜の夢のアテンザ23Zさんは購入したらしい。
道無き攻城戦の強力な兵器となりそうだ。ネットでの評判を研究してみる価値はありそうだ。
さて、話を戻そう(汗)
駒形城は上田市古安曽(こあそ)平井寺(ひらいじ)にあり、県道65号線の終点となる平井寺トンネル有料道路の入口の東側の峰に位置する。
砂原峠より見る駒形城。
富士嶽山(1034.3m)から派生する北北西の支脈の先にあり、南南東の峰には以前に攻めた水の手城がある。
塩田城平への入口となる砂原峠と平井寺を眼下に見下ろす場所なので、恐らく吉澤城とともに塩田城の支城であった可能性は高い。
有料道路の料金所手前600mに脇へ入る林道があるので、そこへ進む。(車は道路脇の路側帯に捨てましょう)
林道を200mほど進むと南斜面に続く伐採樹木の運搬通路があるので、そこを通り途中から尾根を目指して登る。
見上げるとカモシカ殿が稜線を上に逃げて行った。あの急傾斜を軽々と嘲り笑うように…(悔)
ところどころアイスバーンになってる急斜面は転落の恐怖との戦いの連続である(汗)
毎回思うのだが
「何が楽しくてこんな場所に一人でヘバリついているのだろうか…」
意地だけである(笑)
だんだん進化してきた縄張図。
攻める始めて25分、ようやく細長い「郭4」へ這い上がる事が出来た。
ウナギの寝床のような郭4。39×3とかなり細長い。
かなり埋もれているが、堀切が確認出来る。
郭1。背後を土塁でせり上げている。その後ろに二重の堀切があるので、主郭とみて間違いない。(18×5)
痩せた尾根上なので仕方無いが狭い。おまけに東西の斜面はかなりの傾斜なので攻め上がるのは無理だ。
主郭背後㋑の堀切。
連続して二本目となる堀切㋒。
吉澤城と違って、この砦はかなり手が加えているという印象だ。村上氏、武田氏によって戦国期まで使用されたのであろう。
郭2から二重堀切を見る。
この砦の最高地点にある郭2.(17×3)残念ながら視界はあまりよくない。
郭2の背後は上巾5m㋓の堀切。結構な深さがある。
郭3。(12×3)
南側の尾根には最終の堀切㋔があり、その先は防禦らしき遺構は無い。(ってか転落しそうな細い尾根が続く)
平井寺集落の住人の皆さんが交代で詰めていた砦かもしれない。
尾根の南は急峻な坂となり、富士嶽山に続いている。
※余談だが、小生は富士嶽山とこの峰の西側に聳える安曽岡山(独鈷山系)に無意味に登山している…(笑)
城跡からみる安曾岡山(1104m)
7倍ズームなら料金所も手に取るような場所にある(爆)
≪駒形城≫ (こまがたじょう)
標高:751m 比高165m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市古安曽平井寺
攻城日:2012年2月19日
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:25分
見どころ:堀切、郭
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」
料金所付近から見上げる駒形城。
「やっぱナビ欲しいなぁ・・・・・」 独り言である(笑)
Posted on 2012/02/19 Sun. 16:48 [edit]
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らんまるさま、お疲れ様です。
再度の誰も行ったことのない城址、ありがとうございます。
わたしも全く知らない城ですが、なぜこんな場所に築いたのでしょうか?
古い街道沿いなのでしょうか?
しかし、里山といえども、この季節の登山は生死を争うものだと存じ上げます。
攻城後の”一杯”は格別でしょうが、どうぞご自愛もお忘れなく
Re: 大垂水さんへ
大垂水さん、お気遣いありがとうございます。
「やる」と決めたらひたすら登るだけです(笑)
誰かが攻めなければ、この城は永遠に忘れ去られてしまう…いつもそんな想いです。
幸い今年の冬は上田小県の降雪量は少ないので、ある程度の標高であればなんとかなりそうです。
「地元の人間が地元の城を知らずして何とする」
どんなに小さな砦でも小生にとっては宝物であり、信州の城を皆さんにお伝えしたいという一存ではあります。
縄張図上手いじゃん
この物件は知りませんでした。
誰もアップしていない城をHPやブログで披露するのは快感ですね。
一番槍ですもんね。
縄張図、よく分かります。
しかし、細尾根ですね。
滑落、くれぐれもお気を付け下され。
Re: あおれんじゃあ様へ
お褒め頂き恐悦至極でございます。
「ブタも煽てりゃ山城に登る」…このことですネ(笑)
武田晴信は長窪城から塩田城へのルートは砂原峠越え(旧鎌倉街道)だったようですが、三才山峠に通じる平井寺峠の監視も強化したのだと思います。
急峻な山城巡りは下山が恐ろしい・・・カモシカ殿に急襲されたらひとたまりもありませんわ(爆)
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