らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
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松岡南城 (下伊那郡高森町牛牧) 
下伊那地方の中世城郭は、天竜川とその流域の河岸段丘上の地形を利用した城館が約七割ぐらいだろうか。
しかもいずれも規模がデカく、純粋な軍事要塞というよりは軍隊の生活空間を取り込んだ総構えのようだ。
これは、東信濃の小諸・北佐久の城館群と共通しているように思えるが、どうであろうか。

松岡城の入口に置いてあるパンフレット。下の小城が松岡南城。高森町の「やる気」が感じられて嬉しい(笑)
さて、高森町へ来たら松岡城を避けて通る訳にもいかないが、天の邪鬼なので先に松岡南城をご紹介しよう・・(汗)
ここではデジカメのバッテリーが終わってしまい携帯のショボイカメラで何とか撮影。画像の悪さはご容赦願いたい。

郭6と郭3の間の堀切㋔。東側は耕作地による改変で消滅している。(左側が郭3)
【立地】
松岡本城の西側の銚子洞とヨソ洞を隔てた200mの位置にあり、台地の先端部から150m交替した場所に造られている。城域の西側は陣原台地を隔てる順礼沢の深谷となり要害の地である。

【城歴】
松岡本城と隣接しているだけでなく、かなり手の込んだ縄張りで単なる砦ではないのが分かる。
高森町のパンフレットや城跡の説明板では主郭位置の特殊性や南に対する厳しい防御指向から松岡氏の隠居城ではないか、と考察している。

西の沢へ竪掘となり落ちる堀切㋔。他の堀切とともに集合堀となる。
【城跡】
●執拗に刻んだ西斜面
郭6は民家もあるのであまりウロウロ出来なかったが、西の斜面の土手付き竪掘の処理は見どころの一つだ。
四つの竪掘の㋖㋕㋔㋓はそれぞれ土手で仕切られているが、最終的には集合堀で収斂している。
更に北側にも畝傍状に堀を刻んでいる。明らかに西を意識している。

斜めに掘られている堀切㋖

沢の下へ向けて四味一体(?)となる西斜面の処理。
●改変で往時の縄張りが不明な郭5周辺
郭2と郭3は明らかに果樹園の造成に伴い一部を改変され、堀切㋓と㋔も埋められたようだ。
ヨソ洞に向けて横堀となっていたと思われ、その間にもう一つ郭5が存在していたかもしれない。

郭3から見た北東方面

郭3と2の間の堀切㋓
●郭2と出丸9と堀切㋒
郭2の周囲に土塁があったのかは不明。西側の斜面には出丸9を置く事で堀底からの攻城兵を一掃する。
ヨソ洞の沢へ向けて集合堀にしているのは西側斜面と似た処理。

郭2.

周囲を堀切で守られた郭9.

堀切㋒の土橋っぽい場所で郭1の入口にある標柱。

ヨソ洞方面の堀切㋒(上巾12m)

ヨソ洞の沢へ収斂して落ちる堀切㋒
●郭1(主郭)と郭4、7(未整地)と周辺の堀切
背後を二重堀切(郭4はあるが)、フロントを一重の太い堀切で穿っているので、郭1が主郭である。
通常は7を主郭として縄張りが決定されるはずだが、台地の先端部はワザと未整地になっている。
本城に遠慮して造られたと見られるその縄張りゆえに「隠居城」と称されるのであろうか。

郭1(33×19)

西側の堀切㋒。郭1の斜面をL字の横堀となったあとに竪掘となる。

堀切㋑。
同行した「ていぴす」さんに教えていただいたのだが、この城の郭4から先は通常は藪が酷くて入れないそうです。
ところがその日、神は我々の正直な行いを讃えて全容を見せてくれました・・(笑)
なんと、藪が刈り払われて郭4と共に堀切㋐、その先の未整地7まで問題無く通行出来たのです!(チョー嬉しい)

郭4の南側の高土塁。

幾多の訪問者を拒み続けた郭4と堀切㋐。

綺麗に刈り払われた跡は素晴らしい光景でした。

郭7は何の変哲もない広大な雑木林だった・・(汗)
雑木林の郭7からのロケーションは素晴らしいの一言である。
隣に松岡本城が無ければ、ここを主郭として縄張りを置いたであろう。
松岡城の城兵の動きも一目瞭然となっている。
もし、そんな縄張りで築城され、松岡氏の敵対勢力がこの城を奪取したとすれば大変厄介な事になったと思われる。
川中島合戦時における葛山城と旭山城の二の舞になりそうだ。
それを避けるためにわざと本城の縮小版で築城し城代も絶対に裏切る事の無い松岡一族を置いたものと思われる。

銚子洞を挟んで松岡本城。

遠く知久氏の神之峰城も見える。
現役を引退しても豊かな老後などあるはずもなく、老体に鞭打って更に過酷な砦守備の勤務が待っていたのである。
松岡家もある意味ブラック企業だったのであろうか・・・・(笑)
≪松岡南城≫ (まつおみなみじょう 小城)
標高:560m 比高:100m(南沢より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:下伊那郡高森町牛牧
攻城日:2013年2月10日
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:あぜ道歩いて5分 駐車場:無し、適当に路駐。
見どころ:堀切(集合堀など)、切岸、土塁、ロケーション
注意事項:耕作地、民家には注意
参考文献:「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編 宮坂武男著」
付近の城址:次郎城、古御家、松岡城、大下砦、北本城、南本城など
Special thanks:ていぴす殿

松岡城の巨大な横堀から見た松岡南城。
Posted on 2014/01/26 Sun. 17:24 [edit]
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かっこいい堀ですね。
見事な堀ですね。
このような物件、信州にはゴマンとあるのが羨ましいですわ。
しかし、どれほどの工事量ですかね。
農民の農閑期の収入確保のための事業として工事したという説もありますけど。。
昨日1月25日、福島の某城に行ったのですが、あまりにセコイ遺構で知らずに通りすぎ、そのまま、裏の比高130mの山に登ってしまう。痛恨のエラーをしちゃいましたわ。
比高90mも損しましたわ。くそう。
Re:あおれんじゃあ様へ
師匠、今月は比高差のある山城など何処にも行けず、月末最後の二連休は孫に遊んで貰って万事休す(笑)
そうでしたか、ゴミのような堀切を乗り越えてしまいましたか・・(汗)
でもそれだけの比高差を体験すれば何故その場所に造ったか築城者の意向が汲み取れそうですねえ・・(笑)
松岡さんを内部告発して断絶させたのは家臣の坐光寺さんで、この方は徳川の旗本として近くの山吹城に陣屋を構えて明治維新を迎えています。500年近くも繁盛した松岡さんも「部下の一刺し」で轟沈するとは夢にも思わず慢心していたようですね。
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