らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
0305
野火附城 (小諸市御影新田) 
ネタも尽きてきたので、舞台は南信濃から北佐久地方へ移る・・(笑)
小生のブログをお読みいただいている方は動物の「キツネ」あるいは「狐」はたまた「きつね」に対してどういう印象をお持ちなのでしょうか?
小生にとっての「きつね」は、小学生の時に読んで号泣した新美南吉の童話「ごんぎつね」そして「てぶくろを買いに」がマストである・・。


「かあさん、あの時の純真な心は、何処へ捨ててきたんでしょうか・・・・」(笑)
そう思って大人になって読み返すと、泣けて仕方ないのである。成長してないのかなあー(爆)
今回ご案内する野火附城の別名は「狐っ原」(きつねっぱら)。
その昔、キツネという言葉は冠者(間者=スパイのこと)の隠語であり、諜報活動を行う人々の拠点には「きつね」の名がつけられていたという。

「狐っ原」と呼ばれる城跡への入口。(東側)
【立地】
御影集落の南東の御影神社の南に続く沢の南の台地が、俗称「狐っ原」(きつねっぱら)になる。台地の南は鎌田の沢の田切で、二つの田切の沢は、西で合流するが、その間の三角形の台地の先端部を使って砦が築かれている。
現在は中部横断自動車道の「佐久小諸JCT」の建設及び料金ゲートの建設により城跡の1/3が破壊されたものの田切地形であったことは推測出来る。


城域北側は田切地形で崖下を用水が流れている。
【城歴】
鎌田の沢は御影用水が造られる前から、湧水を集めたり、水路があって、田作りが行われていて、古い集落がひらけていたようである。御影新田村の前身の曽根村に属する集落である。
城主・城歴は不明であるが、「狐」(見張・監視の士卒の隠語)が居た場所で、平原城の南の物見砦と考えられる。

狐原(きつねっぱら)と呼ばれる城域の内部。

入口から80mほど進むと一条の堀切に遭遇する。城域を南北に貫通していたようだ。
【城跡】
数年前に中部自動車横断道の拡張」工事に伴い、城の南側に高速道路の料金所が建設され1/3が破壊された。周辺が耕地整理化された中で辛うじて山林として残ってきただけに残念な仕打ちだが、なんとか壊滅は逃れ遺構も僅かに残ったのは不幸中の幸いであった。

北側から撮影した堀切。右側が土手付きになっているのが確認出来る。
東台地の基部の道から80mほど入ったあたりに、藪で見落としてしまいそうな、羽場8m深さ最深1m弱の浅い堀が、北の田切りから鎌田の沢まで通っていたと思われる。砦の決め手はこれだけで、土塁の付いている方が内側になるから、堀より西側の台地の先端部が砦になる。
土木工事も簡素で、堀一条、しかも直線で、あとは台地周辺の田切りの崖が守りとなっている古式の物見の類に属する。

堀切から見た北側の田切り地形。僅か15m程度の比高も結構な高さに感じる。

堀切から西側。物見用の掘立建物があったのだろうか?

北の崖淵にかつての砦のイメージがある。
地形から見ると、平原大井氏と耳取大井氏の境目の場所にあたる。
監視砦にしては広すぎると思うが、この辺の砦は何処も似たような造りなので案外と大雑把だったのかもしれない(笑)

南西の砦の先端部。往時は険しい崖淵だったと思われる。
旧明科町(現在の安曇野市)にも「狐ん城」(きつねんじょう)という砦があり、やはり監視用の小屋があったと伝えられている。
タヌキもキツネも人を誑(たぶら)かしたり騙(だま)したりする動物の代表とされて気の毒なのだが、信州には「タヌキ」の名称に関連する城跡は無かったように思う。

高速道路の一部となった南側。
個人的な憶測とすれば、キツネのイメージがタヌキよりもシャープな感じがする・・それだけの事だったと思う(爆)
小生の近所の道路でもひき逃げされて轢死したタヌキの死体を数多く見かけるが、俊敏さに欠けるが故であろうか。
おっと、死者に鞭打つ言動は慎まないといけませんネ・・(笑)
≪野火附城≫ (のびつけじょう、狐っ原)
標高:750m 比高:17m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市岩村田
攻城日:2014年1月12日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し
見どころ:堀切
注意事項:特に無し
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:小田井城、平原城、平尾城など

城跡から見える平尾富士(1156m)
Posted on 2014/03/05 Wed. 20:59 [edit]
« 窪寺城 (長野市安茂里) | 大島城 (下伊那郡松川町元大島古町) »
こんばんは。
「手袋を買いに」 と 「ごんぎつね」 は、泣ける物語の双璧でしょう。
私の場合は、子供たちに読んで聞かせたんだけど。
キツネは間者だったんですか。
草というのは聞いたことがあるけど(あれは藤沢周平さんの創作なのかな)
ところで、この場所です。
『御影集落の南東の御影神社の南に続く沢の南の台地』
お馴染みの地名が出てきました。
神社までは行ったことがあるけど、「南に続く沢の南の台地」となるとサッパリです。
今度行ってみなくては。
Re: 万見仙千代 様へ
こんこん様に対して日本人は特別な畏怖の念を持っているような気がします。
神様にしちゃったり、スパイにしちゃったり・・少なくともタヌキ殿よりは格が上のようです(笑)
堀切1本と田切地形だけで何も残っていません。意外と本物の狐が住んでいたのかもしれませんよ。
20th Century FOX
こんにちは、自分の国には狐も狸もいなかったし 残念ながらその童話も全く知らないのですよね~
狐といえば・・・operation desert fox. Erwin"desert fox"Rommel. Michel J Fox sexyなイイ女に U foxy(古い?)
あと・・・塹壕・タコツボを Fox Hole と呼んでましたね~
隠語で間者=狐 とは まさにですね。
イメージでは武田信玄=Old Fox 真田昌幸=Foxy Men でしょうか(笑)
それでは失礼いたします。
Re: Butch様へ
山深き信州では、野山を動物たちと駆け巡り、民話を語り継ぎ、童話に涙するのが正しい生活習慣でございます。
戦闘機のミサイル発射に際して「fox1・fox2・fox3」という言語が発動されますが、この場合のFOXは英語のキツネとは一切関係がありません・・(笑)
ごんぎつね
懐かしい話を思い出しました。
お餓鬼の小学校の国語の教科書にも載ってました。
さすが日本、いい話を載せます。
かの国なら・・?慰安婦か、南京大虐殺か?
共通点はごんぎつねも含めて、みなフィクションですか。
まあ、それはおいておいて、狐って、うちの近所にもまだいます。しっぽがかっこいいです。頭がいいというイメージがありますね。確かに狸はどこか抜けてますね。
ところでこの城、それでも完全湮滅してないんですね。
しかし、この付近には田切地形を利用した城が多いですね。
あの地形なら最低の工事でもそれなりの防御力が発揮できますね。
しかし、あの崖、怖いですね。
Re:あおれんじゃあ様へ
きっと南鮮人の方は豊臣秀吉が攻め入った事も賠償請求してくると思います。
してもらった恩は簡単に忘れますが、やられた事だけは永遠に記録されるのでしょう(笑)
キツネさんに対する日本人の畏怖の念はあの精悍な容姿も関係しているのかもしれませんね。
当時はオオカミさんもいたのになんでキツネが格上の扱いだったんでしょう?
仰せの通り佐久地方は田切地形の変にデカイ城ばかり。下伊那は石を投げりゃ河岸段丘の馬鹿デカイ城に当たりますネ。楽して数を稼げるので最高ですw
« p r e v | h o m e | n e x t » |