らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
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蟻城3 (リテイク 南佐久郡佐久穂町穴原・崎田) 
◆二重横堀を巡らす居館城の北城◆
ツイッターを利用し始めたのは良かったのだが、怒涛の如く押し寄せる情報量に振り回される有り様だ・・・(汗)
ブログが地方のローカル線とすれば、ツイッターの世界は首都圏を全速力で走る走る満員の快速電車であろうか。
年の瀬にやっかいな道具に手を出したと後悔する半面、新たな出逢いもあるので両刃の剣かもしれない(笑)
今回ご案内するのは蟻城の謎の城館の「北城」。

南城から見た臼田町方面。ここから烽火を上げればリアルタイムに情報が伝達出来る。
【立地】
蟻城の南城の北尾根が950m地点で分岐した北東の尾根先に突如として現れる。山城と言うよりは、尾根の先端を加工して城館の縄張りとしているので、時代も用途や目的も西城や南城とは全く異なる。

【城主・城歴】
詳細は全く不明の城館である。崎田・花岡の集落を統治する土豪の居館にしては規模は大きいし、防御構造も戦国末期に通じる比較的新しい手法を用いているので、武田または北条が普請した可能性も今後は考えてみる必要があるかもしれない。

北東尾根を下り切る手前で突如出現する堀切㋙。

中央を仕切る土手。

主郭の外周を囲む堀切㋚。堀底は広いが、箱掘ではなく薬研堀だ。
【城跡】
南城から伸びる尾根を完全に遮断する意図の横堀㋙と㋚があり、その中心の最高位に主郭がある。城域の東側は全くの無防備なので、この城の防御の指向性は南尾根である。つまり、南城を奪取された場合に備えているのである。

横堀㋙の堀底西側から見た郭1と手前の堀切。土手も何故か寸断しているので通路も兼用していたのかもしれない。
●主郭
南側のみ土塁がある。郭内を見えないように盛ったか単純に堀切工事で排出された土を積んだのかは不明。

主郭。全体的にやや傾斜が残っている。

南辺に残る土塁跡。

郭1と郭2の間の処理。
●郭2
郭1との間に堀切㋚を介して台形。


郭2の全景。
●城域西側
二重堀切に連結するように沢から竪掘が上がるが、堀と言うよりは通路または物資の運搬路であろうか。

郭3と連結するような竪掘。
●郭3
城内で最大の広さのある郭で、周囲に対しては窪地のような場所にある。実際の生活に供する居館や掘立小屋はここにあったのだろう。


郭2と郭3の間には明らかに堀形(堀の跡)が認められるのだが、宮坂武男氏は認定していない。何故だ?

郭3から見上げた郭2。手を加えた切岸であることが分かる。
佐久地方でこのような居館城の遺構は珍しい。
甲州街道から北上する敵を想定して南城が奪取される最悪のリスクに対して真面目に縄張りしてます。
北条さんって考えよりも、徳川方の依田信蕃が対北条の備えとして武田仕様の城館を置いたとみれるような気がしてますが、どうでしょうかねえ・・(笑)

トゲトゲの植物に刺されまくって城域を脱出した北側の道路から撮影した北城の郭1と2.
≪蟻城 北城≫ (ありじょう きたじょう)
標高:900m 比高40m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:南佐久郡佐久穂町穴原・崎田
攻城日:2014年12月13日
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:45分(西城~南城経由北城まで)
駐車場:無し。適当に路駐。
見どころ:圧巻の二重横堀、土塁など
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編」(2013年 宮坂武男著) 「定本佐久の城」(1991年 郷土出版社)
注意事項:夏場の攻城は藪だらけになので止めましょう。棘科の植物があるので手袋はめましょう。

こんな適当な看板に騙されてはいけません(笑)
ツイッターを利用し始めたのは良かったのだが、怒涛の如く押し寄せる情報量に振り回される有り様だ・・・(汗)
ブログが地方のローカル線とすれば、ツイッターの世界は首都圏を全速力で走る走る満員の快速電車であろうか。
年の瀬にやっかいな道具に手を出したと後悔する半面、新たな出逢いもあるので両刃の剣かもしれない(笑)
今回ご案内するのは蟻城の謎の城館の「北城」。

南城から見た臼田町方面。ここから烽火を上げればリアルタイムに情報が伝達出来る。
【立地】
蟻城の南城の北尾根が950m地点で分岐した北東の尾根先に突如として現れる。山城と言うよりは、尾根の先端を加工して城館の縄張りとしているので、時代も用途や目的も西城や南城とは全く異なる。

【城主・城歴】
詳細は全く不明の城館である。崎田・花岡の集落を統治する土豪の居館にしては規模は大きいし、防御構造も戦国末期に通じる比較的新しい手法を用いているので、武田または北条が普請した可能性も今後は考えてみる必要があるかもしれない。

北東尾根を下り切る手前で突如出現する堀切㋙。

中央を仕切る土手。

主郭の外周を囲む堀切㋚。堀底は広いが、箱掘ではなく薬研堀だ。
【城跡】
南城から伸びる尾根を完全に遮断する意図の横堀㋙と㋚があり、その中心の最高位に主郭がある。城域の東側は全くの無防備なので、この城の防御の指向性は南尾根である。つまり、南城を奪取された場合に備えているのである。

横堀㋙の堀底西側から見た郭1と手前の堀切。土手も何故か寸断しているので通路も兼用していたのかもしれない。
●主郭
南側のみ土塁がある。郭内を見えないように盛ったか単純に堀切工事で排出された土を積んだのかは不明。

主郭。全体的にやや傾斜が残っている。

南辺に残る土塁跡。

郭1と郭2の間の処理。
●郭2
郭1との間に堀切㋚を介して台形。


郭2の全景。
●城域西側
二重堀切に連結するように沢から竪掘が上がるが、堀と言うよりは通路または物資の運搬路であろうか。

郭3と連結するような竪掘。
●郭3
城内で最大の広さのある郭で、周囲に対しては窪地のような場所にある。実際の生活に供する居館や掘立小屋はここにあったのだろう。


郭2と郭3の間には明らかに堀形(堀の跡)が認められるのだが、宮坂武男氏は認定していない。何故だ?

郭3から見上げた郭2。手を加えた切岸であることが分かる。
佐久地方でこのような居館城の遺構は珍しい。
甲州街道から北上する敵を想定して南城が奪取される最悪のリスクに対して真面目に縄張りしてます。
北条さんって考えよりも、徳川方の依田信蕃が対北条の備えとして武田仕様の城館を置いたとみれるような気がしてますが、どうでしょうかねえ・・(笑)

トゲトゲの植物に刺されまくって城域を脱出した北側の道路から撮影した北城の郭1と2.
≪蟻城 北城≫ (ありじょう きたじょう)
標高:900m 比高40m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:南佐久郡佐久穂町穴原・崎田
攻城日:2014年12月13日
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:45分(西城~南城経由北城まで)
駐車場:無し。適当に路駐。
見どころ:圧巻の二重横堀、土塁など
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編」(2013年 宮坂武男著) 「定本佐久の城」(1991年 郷土出版社)
注意事項:夏場の攻城は藪だらけになので止めましょう。棘科の植物があるので手袋はめましょう。

こんな適当な看板に騙されてはいけません(笑)
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Posted on 2014/12/27 Sat. 23:12 [edit]
« 2014年の山城納め | 蟻城2 (リテイク 南佐久郡佐久穂町穴原・崎田) »
コメント
山頂の南城が本城で北城と西城が支城なんでしょうが、明らかに北方向に対する城砦群ですなあ。
ここは結構、遺構が埋没したような感じを受けるのですが、広葉樹林だからでしょうか。
さすが、冬場は視界がすっきりしていいですね。
あおれんじゃあ #- | URL | 2014/12/29 22:13 * edit *
Re: あおれんじゃあ様へ
北城は明らかに年代が違うようですね。南城と西城は余地峠と十石峠方面からの来襲を意識しているので北へ備えているようです。
林道を四台の鉄砲隊がドカドカ走り回っているので、そそくさと撤収してきました(汗)
らんまる #- | URL | 2014/12/30 08:43 * edit *
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