らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
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山城の最高峰に位置する「御坂城」(山梨県笛吹市)のリベンジに挑む ③ 
ようやく長野市でも初氷が観測され、マイカーの窓ガラスにも霜が付くほどの外気温となった。
既に暦の上では「立冬」である。雪が降るまでにいかに多くの山城を探訪できるか・・・勝負が始まっている・・(笑)

御坂峠に立つ道標。御坂路の他に尾根伝いの稜線も往時から道として利用されていたと思われる。
【馬出しを備える屈強な構えのC地区】
峠から北側の尾根沿いに展開するC地区は周囲を長大で巨大な堀切に守られ、ほぼ独立した戦闘空間で峠との比高差も約50mある。ここから御坂山を越えれば天下茶屋を経由して清八峠、三ツ峠方面に抜ける。そこからの敵襲に備えた郭で、馬出を備えた厳重さが見どころである。

C地区の西側斜面(藤野木側)を下る長大な竪堀の終点はL字となってB地区との境界を形成している。(かなりガスってます・・)

BとかCとかはこちらで確認をお願いします・・
この日は曇天で遺構の写真を撮るには良いのだが、さすがに標高1500mを越えると気温も低くなり、時折ガスが巻いてしまう。
ガスを避けるように東側の竪堀を登ってB地区からC地区へ移動する。

東側の竪堀を登る「ていぴす殿」

途中で振り返って竪堀を撮影。結構な急斜面で息切れがしますw

「えーっ、まだ登るの??」(苦笑)
こんな山の中で土木作業を続けた北条軍の兵隊、さぞかし嫌だったでしょうネ。幸いなことに築城作業が行われた三か月間は夏場だったんで、これが冬場だったら凍死者も出たと思われる。

堀切は途中で途切れる。このあたりは岩盤地帯なので作業が後回しにされたと推定。(宮坂図には続いているような表現)

さらに進むと再び堀が現れる。天候がコロコロ変わり日が差したりすると写真が斑(ブチ)になる・・(汗)
このあたりはCの中心地区の真下の斜面にあたる。西側に比べて横堀の作業の完成度が低いのは北条方が押さえている河口湖側なので、急ぐ必要もなかったからだと思われる。
【C地区馬出付近】
北側尾根の最終付近は馬出を置き堀切を二重にする厳戒体制で、東斜面に対してさらに堀をL字にしている念の入れようだ。
しかしながら、全体的に作業が途中で中断、放置されたようで未完だったことが分かる。

C地区の最北端。土橋にして馬出に接続させている。

東側から撮影した馬出の断面。

C地区中心部への入口は平虎口で、馬出との段差は高く堀切で遮断されている。

北側の最終堀切はL字となって東斜面を補強し警戒している。

東斜面のL字堀(北側より撮影)
【C地区中心部】
楕円形の頂部はかなり広く、削平が途中で放棄されたようだが、面積ではD地区よりも広い。兵舎はここで、兵隊の半分ぐらいはここに駐留していたのかもしれない。

雑木林になっていてロクな写真が撮れない・・・(汗)

それでも中心部はなんとか削平されていた。
【C地区の西側の長大で技巧的な堀切】
御坂城全体でも西側の斜面(藤野木側)は対徳川軍への防御を意識し、巨大で長い横堀を構築しているが、C地区に関しては更にL字堀を二重に組み合わせた厳重な備えを施している。

C地区西側のメインの横堀。

メインの横堀と一段下にL字堀を接続する部分。敵兵の侵入を警戒し開口せずに土塁で閉鎖している。

恐ろしく長く深く、ため息の出そうなメインの大堀切。

一段下のL字堀。土の芸術品だ。

二番目のL字堀の接続部分を堀底より撮影。

藤野木側からの峠道より見上げたL字の竪堀。恐ろしく長く巨大だ。

B地区(峠)にひたすら真っすぐ下って行くメインの横堀。圧巻である。
さて、如何だったでしょうかC地区。
次回はB地区と複雑怪奇なA地区を予定しておりますが、いつになるやらお約束は出来ません・・・(笑)
個人的には一つの城は一回の記事で掲載したいのですが、御坂城は無理ですネ・・・(汗)
Posted on 2016/11/09 Wed. 10:21 [edit]
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大きすぎて~
こんにちは、らんまるせんせ。オンシーズン、楽しんでおいでですか?
こちらもようやく七五三が終わるので、神社巡りのオフシーズンが終わりました。
相方さんがいらして、大きさを実感。縄張図だけではわからない大きさにびっくりです。すごいなぁ。こんなに大きいと、堀だか地山の合間だか、素人にはわからないです。
すごいなぁ。元はまっすぐな斜面だったのかなぁ?と、らんまるせんせの汗と汗と息切れの結晶なのに素朴な驚きばかりで申し訳ないです。
大河を見てもまだ北条はどこ?等と初歩的な場所をうろついておりますが、こうして初心者に優しく画像メモをつけていただくと一層興味がわきます。いつもありがとうございます♪
Re: つねまる様へ
小生も攻城シーズンが本格化し、なかなか御坂城の続編が投稿できずにどうしたものかと・・(汗)
信濃の山城でも標高1500mにあんなデカイ城はありまでん。さすが築城名人の北条さん、財力と配下の土豪衆をこき使って素晴らしい土木工事をしてくれました。
おかげで全て見て回るのに大変でした・・・(笑)
昨日も筑北村のラスボスリベンジに出掛け、遭難しそうになりながら無事攻略してきました。
来週は前人未到の山城へ。果たして生きて帰れるかしら・・・(汗)
無駄だねえ
標高1500mの山に城を築いてもねえ・・。普通はもっと麓近くに造らんとねえ。
寒いし、食料輸送も大変そうだし。
峠を抑えるといってもバイパスする路もあるはず。
ここは、それほど戦略的な価値なさそうに見えます。
確かに敵から攻められることはなく・・というか、そんな無駄なことする武将もそうはおらんと思うけどさ。・・・安全性は抜群だけど。
何を考えてここに造ったのかな。
もしかしてお百姓さんへのゴマスリのための公共事業だったのかも。
Re: あおれんじゃあ様へ
小生もこの城の存在を知った時には「正気の沙汰か?」と思いました。
築城技術に関しては武田を越えた感のある北条氏、さすがの縄張りではありますが城ヲタクの術中にハマった感が満載です。
天正壬午の乱における若神子城周辺の城の改築も素晴らしいものがありますが、致命的なのは「勝つための城ではない」
おおよそ天下を治める野望よりも、縄張技術の核心を極めたい・・・この事のように思えてならない・・(笑)
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