らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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元寺場跡 (松本市波田)  

◆白山信仰を今に伝える山岳系寺院跡◆

山城の記事もロクにアップ出来ないのに、「神社仏閣巡りしている場合か!」とお叱りを受けそうなのだが、戦国時代に築かれた中世城郭を語るには、宗教的な背景を知っておく必要もあるのです・・・(ま、苦しい言い訳か・・笑)

今回ご案内するのは、昨年6月に記事にした「若澤寺跡」(にゃくたくじあと)の前身のお寺だったと伝わる「元寺場跡」(もとてらばあと)。

元寺場跡 (30)
修験者の苦行とは比較できないにしても、素人の我らでもこの場所への到達は難儀した・・(汗)

【立地】

松本市の波田地区は長野県のほぼ中央に位置し、梓川流域右岸に広がる河岸段丘と飛騨山脈より分かれた山岳地帯、ならびにこれに連なる山麓平地より成り立っている。波田地区の中央にある白山(1387m)の山頂付近に「元寺場跡」(もとてらばあと)、中腹の水沢に「若澤寺跡」がある。また、若澤寺跡の沢を挟んだ北東には戦国時代の山城の波田山城がある。

元寺場跡 (2)
若澤寺跡(中堂救世殿)  久々に見学したら絵図看板が追加されていた。

若澤寺跡には何回か来ていて、その上の元寺場跡(1250m)と白山(1387m)へは、いつかチャレンジしたいと思いつつ、その機会が無かった。が、今回信濃先方衆の課題であった「殿様小屋」探索が藪が酷くて途中で頓挫したため、急遽未訪の白山修行の旅と相成った訳である・・・(笑)

周辺図①
周辺地図を見ると楽勝な高さに見えるが、若澤寺→元寺場跡までは比高300m、若澤寺→白山山頂に至っては比高437mとヤバイ

ロクな下調べもせずに、「1時間もあれば着きそうだネ・・・」なんて例の如くお気楽極楽で若澤寺の田村堂から白山目指して登り始めたが、白山信仰の権現様だけに、そうたやすく近寄る事は赦されなかった・・・(汗)

【元寺場跡の変遷】

元寺場跡は、若澤寺の前身のお寺と伝えられ、神仏一体で信仰されていた平安・鎌倉時代に山岳信仰の寺院として建てられたと推測されている。(当初は天台宗であったが訳あって途中から真言宗に宗旨を変えたらしい)
この元寺場跡では、平成11年から3年間、現地で発掘調査が行われ、その結果、平安時代から戦国時代にかけての皿や灯明具など、寺で使われていたことを示す遺物が多く出土した。
このことから、少なくとも一定期間は白山信仰の山岳系寺院として利用され、修験者の修行の場としても活用された事が確認された。
しかし、16世紀以降の遺物は発見されていないので、江戸時代以降はこの場所は利用されなくなったと考えられている。

元寺場跡 (6)
かなり傾斜のキツイ尾根を喘ぎながら登る。1100m付近から見る景色の高さに驚く。

元寺場跡 (7)
元寺場の手前標高1200m付近から見た松本平。信仰心があったとしても、毎回は勘弁して欲しい距離と高さである。


【白山頂上に祀られた白山権現】

その山の名前から、山岳信仰から修験道として体系化された白山信仰の拠り所で、現在は頂上には祠が一つあるだけだが、数段にわたって人工的な平場が確認出来るので、かつては白山権現を祀る建物があったものと推定される。
元寺場跡との比高差は137mもあり、道も消えかけた険しい道のりで人を寄せ付けない場所にある。

元寺場跡 (9)
白山山頂(1387m)の白山大権現の祠。

元寺場跡 (10)
白山の三角点。

元寺場跡 (14)
小屋掛けするには十分な山頂付近の削平地。

加賀・越前・美濃の白山信仰が何故この場所に?と思う方もいらっしゃるだろうが、この波田地区は飛騨と信濃の国境の地であり、古来より飛騨と信濃の深志を結ぶ交通の要衝であった為に信仰がスムーズに受け入れられたのであろうと推測される。

元寺場跡 (17)
白山からは梓川を挟んだ対岸に西牧氏の本城だった北条城が見える。


【元寺場跡の構成】

平成11年(1999)4月から3年間にわたり、考古学的発掘調査が行われた。大きく4つの人工的な平場から構成され、遺跡全体の面積は中腹にある若澤寺よりも広い。(若澤寺の広さは1.1ha)
「平場1」の基壇には、中心であった堂の礎石が残っており大きな建物が建っていたと考えられる。北側にもうひとつ方形の基壇があるが、礎石は見当たらないので増設工事中に中断したか建物を伴わない宗教空間であったかは不明だ。
南に一段下がった「平場3」には方丈のような建物の礎石群が発見されているので、少なくとも寺場跡には二つの建物があったと推定されている。

元寺場跡見取図①
パンフレットに掲載されている発掘調査図を転載しています

元寺場跡 (19)
白山山頂に向かう稜線から少し東へ下った場所に広大な元寺場跡が出現する。

元寺場跡 (21)
堂跡の基壇1。方形に盛土されているのが確認出来る。

元寺場跡 (23)
堂跡の礎石。しっかり残っている。

元寺場跡 (26)
堂跡の北側の「基壇2」。ここには礎石が無いが、堂跡と似たような広さだ。

元寺場跡 (22)
平場2から見下ろした平場3。藪の下に礎石が発見され、建物跡が確認されたという。

1270mの高所に広大な山岳寺院の跡がある、というのも驚きだが、若澤寺跡から片道1時間以上もかかるこの場所で3年間に渡る発掘調査作業が行われていたというのも驚嘆である。さぞかし屈強な肉体と体力をお持ちの調査隊だったのであろうか・・(汗)

元寺場跡 (27)
平場3の建物跡地。基壇が無いので坊さんや修行僧が生活を営んだ方丈があったのだろうか。

元寺場跡 (29)
標柱のある場所が寺の正面入り口。(南側の平場3より撮影)

元寺場復元図①
戦国時代にはこのような山岳系寺院がこの地にあったと推定される。(パンフレットより転載)

元寺場跡 (33)
今回、信濃先方衆は修行の旅となった。毎回険しい場所にある遺構にお付き合いいただいている頼もしい相方の「ていぴす」さん。

元寺場跡 (35)
東側の参道から見上げた元寺場の入口。後光が差しています・・・

絵図①
江戸時代に描かれた「彩色若澤寺絵図」にも元寺場付近の白山社が描かれている。建物はその後朽ち果てたのだろうか?

今回の訪問後、旧波田町(現在は松本市)教育員会のが平成17年に発行した「若澤寺を探る2」を探して読んでみた。(順番が逆だろうが!・・・笑)
素晴らしい調査報告書で、とても感嘆した。たぶんないだろうが、この報告書を呼んだ後に、もう一度現地に建ってみたいと思った次第である。波田町の地域の歴史に対する真摯な姿勢を感じた。

最後に、小生のここ数年のテーマとなっている「宗教空間を取り込んだ戦国時代の山城」の問題提起として、ここにパンフレットの鳥瞰図を転載してみたい。

復元図①

この図を改めて見た時に、ハッと気が付いた。これこそが、戦国時代における「若澤寺宗教空間復元図」なのだ。

上田市にある塩田城、松本市四賀の虚空蔵山城が極めて酷似している。山岳信仰や修験道を基調とする宗教空間に山城を取り込み、民衆の信仰を保護し為政者の統治を正当化しているように思われる。
しかし、このテーマに突入するのはかなりの覚悟と調査・裏付けが必要で、先日岩櫃城フォーラムで拝聴した斎藤慎一氏の講演に共感しつつ、宗教という得体のしれない分野に対する恐怖心もあり、イマイチ踏み込めない世界でもある・・・(汗)

元寺場跡 (31)
取り付け金具が恐ろしい力で破壊されていたので、説明板を木の根に置きなおした。この先誰がこの場所に来るのだろうか。

≪元寺場跡・白山≫ (もとてらばあと・はくさん)

元寺場跡→標高:1250m 比高:300m (若澤寺跡より) 白山→標高:1387m 比高:437m (若澤寺跡より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:松本市波田地区
攻城日:2017年10月9日 
お勧め度:★★☆☆☆ (山岳系寺院に興味がある方のみお勧め)
白山までの所要時間:90分 駐車場:林道脇に路駐
見どころ:祠、基壇、基礎跡
注意事項:元寺場跡から若澤寺へ続く旧参道は途中で道が消滅するので行ってはいけません。我ら信濃先方衆は遭難寸前だった
参考書籍:「若澤寺史跡保存会パンフレット」・「若澤寺発掘調査報告書」(波田町教育委員会)
付近の寺跡:西光寺、阿弥陀堂、熊野権現、盛泉寺など 
Special Thanks:ていぴす殿 

元寺場跡 (2)

元寺場跡 (3)
若澤寺跡に残る石仏には、廃仏毀釈で切断された首に痛々しい傷が残る。「排除」という名目で被害にあった寺院の哀しさである。
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Posted on 2017/10/17 Tue. 21:12 [edit]

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« 西牧氏終焉の地という幻の「殿様小屋」の遺構を求めて  |  茶臼山陣場 (長野市篠ノ井有旅) »

コメント

No title

お疲れ様でございました。
行きたくてしょうがなかった白山へ行けてとても嬉しかったです。
山岳信仰と寺院、城との関係性がとても勉強になり遺構も素晴らしかったですね。
登った者しか見られない景色も最高でした。
(キツかったけど。。。)
あと勉強しなければいけないのは。。。下調べをする事と登った道を降る事ですかね(笑)
これからも安全第一でいきましょう。
ありがとうございました❗

ていぴす #k9MHGdfk | URL | 2017/10/17 22:29 * edit *

Re: ていぴす様へ

お疲れ様でした。

毎度の事ながら、我らには学習能力が欠如していて、獣道を読み解く能力と嗅覚が卓越して進歩した事を如実に物語る今回の修行でした・・・遭難しないのは奇跡なんでしょうね・・・(笑)

信濃の山城探訪は、信仰宗教との結びつきが強いようで、そのあたりを解き明かしていかないと謎解きパズルは完成しないようですネ。

「安全は全てに優先する」・・・来た道をまともに帰れない我々への格言だと思います・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2017/10/17 23:19 * edit *
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