らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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霞城2 (リテイク 長野市松代町大室)  

◆山城ガイドブックに決して載る事のない北信濃を代表する美しき石積みの平山城◆

先日、えいきの修学旅行の管理人のえいきさんよりお誘いがあり、信濃先方衆の相方ていぴす殿と共に上田市西部公民館主催講座で、長野県立歴史館主任の遠藤公洋氏による「中世城館跡から何が分かるか~城はどのように使われたか」を受講してきた。

霞城201801 (1)
旧上田警察署の跡地に移転新築した上田西部公民館。

最近は体力勝負の現地踏査ばかりが主体になっているので、スキルアップの為にこういう講座で学習するのも必要なのである。

霞城201801 (3)
色々と山代の現地踏査の写真なんかも入れていただき大変勉強になりました。

霞城201801 (2)
地元の山城ファンのメーリングリストの募集チラシなんかもありまして。

公開講座は思いのほか盛況でして、50人ぐらいは集まったみたいです。年配者ばかりと思いきや女性の参加者も多く、この趣味もようやく認知されつつあるんだなーなんて実感しました・・(笑)

で、今回の遠藤公洋氏の講座でメインの素材として取り上げられていたのは「霞城」(かすみじょう 長野市松代町大室)。

なるほど、周辺の山城とは明らかに性格が違い、規模も大きく石積みを多用した霞城は北信濃の山城群の中でも特殊な立ち位置にあるのに商業主義のガイドブックで取り上げられたのを見たことが無い・・・言われてみれば確かにそうだ・・・(汗)

●2014年発刊 「長野の山城ベスト50を歩く」 屋代城、鞍骨城、松代城、尼巌城、井上城

●2017年発刊 「甲信越の名城を歩く」 屋代城、鞍骨城、松代城、尼巌城、井上城

霞城201801 (9)
二条の堀切を越えて忽然と現れる折れを伴う石垣は、いつ訪れても言葉に出来ない感動を与えてくれます。(2018年1月撮影)

IMG_4574.jpg
まあ、しっかり遺構を見たいなら秋口でしょうか・・・(手前は副郭を囲う北側の石積みで、奥に主郭の石積囲み 2016年3月撮影)


【地元では大手石門と呼ばれる霞城の遺構の謎】

今回の公開講座で取り上げた霞城について、遠藤氏は現地の遺構概要図(縄張図とは呼ばないのがポイント)について問題提起を解説した。これが非常に興味深いもので、プロジェクターで投影された宮坂武男氏の図面と河西克造氏の図面の比較を見せられて、小生も大いに驚いたのである。

宮坂武男氏の図面には描かれていない遺構が、河西克造氏の図面に描かれているのである。

霞城遺構図①
河西克造氏の霞城遺構図。赤丸で囲んだ部分が宮坂氏の縄張図には描かれていない場所。

遠藤先生はこの場所について河西氏が遺構として図面に描くべきなのかかなり迷ったと推測している。何故なら宮坂武男氏がこの場所について描いていないからである。(宮坂氏が見落としたとは考えにくく、後世の造作物として遺構とは認めず割愛したのかもしれない)

残念な事に小生はこの城を四度も踏査しながら、この場所については知る由も無かったのである・・・(汗)

そして、遠藤先生はこの場所を実際に踏査し断言は避けるものの、この遺構が霞城のものであろうという結論に達したという。
西側の登城口を左右の石積群によって桝形を形成し、攻城兵を足止めする防御構造で、しかもこの場所を頭上より守備兵が狙い撃ちする場所も現地踏査で確認出来たという。

「こりゃー現地踏査に行くしかあるまい・・・」 この事であった。

しかし、このあと全国的に大雪に見舞われてしまったのは周知の通りである。だが、見たいものは見たい・・・ビョーキであろう(笑)

霞城201801 (4)
永福寺の登り口。木曽福島城の探索で積雪30cmの雪中行軍を経験しているのでこの程度は想定内。

霞城201801 (8)
途中には色違いの石祠が勧進されている。遠藤先生によればこの石祠は上田小県に多く見られここが信仰の山を物語っているという。

霞城201801 (12)
スパイクピン付きのゴム長でゆっくり10分も登れば主郭に辿り着く。良い子はマネしないでネ(笑)

実はこの霞城、小生の初期のブログ記事⇒霞城の出来栄えが酷いのでリテイクしようと昨年の3月に再訪問して各箇所の写真を撮りなおしたのだが、そのまま在庫として今日に至る・・・。その時もこの大手の石積は知らずにいたのである・・・(汗)

今回、一部藪化している西斜面を南尾根側の古墳群から回り込んで念入りに踏査してみた。

その結果、後世の耕作化に伴う石積みも見られるので、どこまでが往時の遺構と判断するのかかなり線引きが難しいのを実感した。宮坂武男氏が大手石門を縄張図から外したのはそうした判断からであろうし、河西克造氏はその遺構を忠実に描いたのは実際にそれを見た人の判断に委ねたいと思ったのであろう。

霞城201801 (14)
南西斜面の石垣。これは石の種類や積み方が明らかに違うので後世の造作である。

霞城201801 (20)
大手石門の南隣の石積群。城の主要部と同じ種類の夥しい石で構成された石積みが斜面を覆っているのが分かる。

霞城201801 (21)
近くに寄ってみると乱積みなのだが、見せる為の石積であればこの程度で充分であろう。

霞城201801 (22)
考え方によっては、この場所で大量の石を採掘して主要部の石積の造成を行ったともかんがえられないか?


【西大手石門】

石ガレの斜面を落ちそうになりながら西斜面を横移動すると、目の前に折れを伴った見事な石積み出現した。

「ああ、これが大手石門か!!」

明らかに通路の桝形を囲む石積みが設置され、その門の両サイドを扇方で守るように更に石積の壁がある。

「これは凄いや・・」

霞城201801 (25)
大手門右側を守る石積の「壁」。二段構えである。

霞城201801 (26)
大手門の右側。美しい。

霞城201801 (27)
桝形門の中央開口部。

霞城201801 (30)
桝形門から西斜面を見下ろす。確かにここが霞城の大手道にふさわしい厳重な防御である。

霞城201801 (28)
城の中枢部に比べると結構雑な積み方だが、工事を急いだと考えればわざわざ後世の人々が造作したとは思えないシロモノだ。

霞城201801 (29)
麓から見上げると相当な威圧を受けたであろう大手門の石積群。視覚効果もバッチリである。


さて、遠藤先生はこの場所が大手桝形門であったとすれば、攻城兵が殺到する門に対して頭上攻撃が可能な場所があるはずだと申されていた。
ここを見下ろす場所は確かに存在するのである。

霞城201801 (32)
大手桝形門を見下ろせる位置から撮影してみた。屈折を強いられる攻城兵はここで頭上から鉄砲や弓の洗礼を受けるのであろう。

さて、「霞城の大手門の謎に迫る編」は如何でしたでしょうか・・(笑)

取り急ぎ記事にしてしまったので、本当はリテイク版としてもう少し他の郭なども触れたかったのですが、そうしているとアップが来年になりそうなので止めました・・・(汗)

城主・城歴としては上杉景勝の配下となった土豪の大室氏の居城と伝わるようですが、これだけの石積を多用する大きな城郭の普請は無理だと思われます。天正十年における景勝の普請あるいは織田方武将の普請も充分想定されるように思います。

遠藤公洋氏が言われるように霞城はもっと取り上げられても良い城なのですが、文献資料に現れない事が要因なのか残念な扱いです。他にも長野市周辺には大峰城・霜台城・枡形城なんかも遺構は凄いのに知名度はイマイチなんて城が沢山あります。

まあ、小生の地道な布教活動で霜台城は訪問者が増えてきているので嬉しい限りです。

霞城201801 (38)
霞城から見た鳥打峠方面。

このブログを読まれたあなたは、霞城の大手石門についてどのように思われるでしょうか?

是非、現地を訪れていただき、その目で確かめていただきとう存じますw

霞城201801 (40)
主郭に建つ説明板には石門の事が書かれている。


≪霞城≫ (かすみじょう)

標高600m 比高60m
築城年代:不明
築城・居住者:大室氏?
場所:長野市松代町大室
最新攻城日:2018年1月28日 
お勧め度:★★★★★ (満点)
城址までの所要時間:10分
見どころ:折れを多用した縄張と荘厳な石積み、石門と呼ばれる大手門、稜線からの景色、大室古墳群
その他:駐車場は大室神社を利用。※登り口の永福寺も可だが集落の路地が狭いので軽自動車でなければ難しい。

【大手石門への行き方】

永福寺から登り尾根に出ると二条の堀切がある。二番目の堀切の手前に「石門登り口」の矢印看板があるので、その方向に進み斜面を下って行くとストレートに着きます。

霞城201601 (24)


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Posted on 2018/02/01 Thu. 22:40 [edit]

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コメント

 しばらく更新が無かったので、具合でも悪いのかと心配してましたが、要らぬ心配でした。
 石門、私も見ていなかったので、行かなければと逸っているのですが、雪で信越国境(妙高)を越えるのはリスクが高く、堪えていました。石門公開ありがとうございました。らんまるさんも見落としていたとは、どうやら私達、教義が同じ同門ですね。
 らんまるさんも城遺構と観られたようで、石門を大手とすると、ルートは大室側ではない方向と繋がることになり、構築者が大室氏ではない可能性も生じますね。
 やや美しすぎるのが気になりますので、やはり己が眼で見たいです。

えいき #- | URL | 2018/02/02 22:14 * edit *

Re: えいき様へ

雪国からコメントありがとうございますw

あの講義を聞いた後は、霞城の事ばかり考えていて夜もぐっすり眠りました・・(笑)
我ら宮坂教の信者ではありますが、時折教祖の教えに疑問を持つことがあります。

「どうみても堀切とは思えない・・・」

「若槻山城の番所の後ろの五重堀切は書き忘れたのでしょうか・・・」

「ここの平場は何故縄張図に無いのか・・・」  等々・・・

霞城の石門は案外教祖の見落としかもしれませんネ。斜面が抉られた内側にあるので、郭2からは死角となりあそこに遺構があるとは思いもよりません。主要部の石積と折れに感動して大室古墳群の尾根をみれば充分ですもの・・・(笑)

松代周辺の山城群は天正十年の景勝改修説が定着しつつあるものの、この霞城はその縄張の特殊性から信長の命を受けて川中島四郡を受領した森長可による改修説も捨てきれません。本日、象山神社脇の竹山城を再探索しましたが、あの石積は織田系の改修のように思えました。

雪解けになりましたらその目で確かめて頂ければ幸いですw

らんまる #- | URL | 2018/02/03 20:14 * edit *

縄張り図と時代背景を考えると
森さんの弟時代に、海津城の支城として
再整備された感じがしますね。
大手枡形も海津城方向を向いているので
このお城の遺構と考えて問題なさそうな気がします。

地形的には川田古城の方が、海津城の支城に
ふさわしい感じますが・・・
比高が高いので没になったのかなあ

追伸
久しぶりに霞城の縄張り図見ましたが
豊織系の縄張りでびっくりしました。

丸馬出 #- | URL | 2018/02/04 09:32 * edit *

いしがきい

余り労せずに中世の石垣の城を拝むのには最適の城ですね。
小生が行った15年ほど前は城に行く道など分からず、先端部から直登でした。
この辺には石積塚がたくさんあり、段々畑も石垣補強、あげくに石切場あり。どこまで遺構か分からず振り回されますなあ。
とは言え、主郭部のは本物。
脱糞モノです。
この城の石垣に美を感じてしまうのは我々ビョーニンだけじゃないでしょう。

あおれんじゃあ #- | URL | 2018/02/04 20:47 * edit *

Re: 丸馬出様へ

昨日、竹山城(象山)を再々探索してきました。
竹山城の主郭を囲む石垣は平石積みではなくかなり高度な技術で造成されているので、ここも織田系の普請と見れそうです。

霞城も竹山城も織豊系の匂いがしますよネ。
天正十年の上杉景勝改修説が定説化しつつありますが、森さんちの改修説も現実味を帯びているように思えます。

コメントありがとうございました。

らんまる #- | URL | 2018/02/04 21:08 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

城の近くには大室古墳群がありその約半数が積石塚古墳でしたネ。
掘っても掘っても平石ばかりなら、それを使うってのが常套手段のようでして古墳の積石も使われたと思われます。

近世城郭に近い縄張の霞城は北信濃ではかなり特異体質の城でありながら、周辺の山城とごっちゃにされているのは気の毒です。
他にも文献資料に現れない大峰城や枡形城、若槻山城、霜台城・・・甲越紛争・天正壬午の乱に関りがあると思いつつ・・・もう少しピックアップされ知名度を上げて欲しい山城には違いありません(笑)

らんまる #- | URL | 2018/02/04 21:20 * edit *

森さんは土着の領主に反感かっていたようなので
豊織系の城を造って武力を示した可能性もありますよね。
そうだとすると、霞城や竹山城は海津城に登城する際に
よく見える場所にあるので石垣城にするには
いい物件だったのかもしれませんね

丸馬出 #- | URL | 2018/02/06 20:25 * edit *

Re: 丸馬出様へ

鬼武蔵といえども、一癖も二癖もあるまとまりの無いマイルドヤンキー土豪や国衆を短期間で支配するのはかなり難しかったのでしょうネ。武田時代の海津城がどの程度のものかは分かりませんが、後詰めの城を作る必要性は差し迫っていたと思われますw

検証は必要だと思いますが、正壬午の乱で信濃の山城は転換期を迎えたように思えます。

らんまる #- | URL | 2018/02/06 21:31 * edit *

少し前に川中島をおとずれてみました。
霞城の大手を記事にのせてみますので
宜しかったら呼んでいただければ幸いです

丸馬出 #- | URL | 2018/03/04 17:19 * edit *

いってみました

記事を読んだらいてもたってもいられず訪れてみました。
この時期は枯葉ですべるので
直登はとても難儀しました。
長年の相棒、工事計測用の赤白棒が
大活躍で苦笑してしまいました。
(地面に刺さるし、両手で体重を支えられるのでお勧めです)

石門についたら、すごい遺構でびっくり、
長野県でもトップクラスの遺構かと思います。

ロープまでついた遊歩道が整備されていてさらにびっくりでした。

丸馬出 #- | URL | 2018/03/06 04:40 * edit *

Re: 丸馬出様へ

松代城周辺は山城が密集しているので何度行っても飽きませんネ。

記事読みました。
採土採石の跡が往時のものなのか難しい判断ですが、石門に攻城兵を停滞させる作りですね。
河西氏の迷いも分かるような見事な石門ですw

らんまる #- | URL | 2018/03/06 07:42 * edit *

Re: 丸馬出様へ

スパイクピン付きのゴム長は重宝します。が、防寒仕様でないので長時間の雪中行軍には耐えられません(笑)

直登ですか。確かに南側から登ると近いですよね。日当たりが良いので残雪もほとんど無いかと。
とても素晴らしい遺構なのですが、その素晴らしさ故に「本当に往時の構築物なのであろうか?」そんな疑念も湧きます。
北信濃で特筆すべき城だという事を再認識しました。

と同時にガイドブックに載せてしまうと大量の見物者が押し寄せ遺構が破壊される懸念もあります。
ならば、そっとしておきたい隠れた名城ということで・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2018/03/06 07:52 * edit *
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