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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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硯龍山砦 (東筑摩郡筑北村永井)  

◆中信濃のスクランブル交差点に築かれた謎の旗塚◆

12月としては例年になく晴天の日が続き、山城ツアラーの皆様も束の間の探索をお楽しみいただいたようである。

小生も久々の信濃先方衆合同ツアーで宮坂本には未掲載の山城四ヵ所を巡る。(そのうち一つは断定できない案件でした)

信濃の山城を世に知らしめた最大の功労者の宮坂武男氏ですら、信濃にはまだまだ未発見の山城はあると断言しているのだから、我らは手探りでも探し出すしかあるまい・・・(笑)

今回ご案内するのは、前号で告知していた「硯龍山砦」(すずりゅうやまとりで)。比高270mを黙々と登るのは辛いものである(汗)

硯龍山砦 (6)
例によって入口には筑北教育員会の標柱。期待させるくせに、城址には何の標柱も全くないのである・・・(汗)

硯龍山砦 (38)
標柱から尾根先の墓地沿いに城跡への登山道が続く。迷うことは無い。


【立地】

上田市・千曲市・筑北村の境に位置する大林山(1,333m)の西の支脈に大根場(1085m)があり、その北西の尾根筋の水無沢と駒形沢の間の尾根に位置する。
北の山下には北国街道の脇往還一本松街道や四十八曲峠が通り古来より古道の交差する交通の要衝でもあった。

硯龍山砦 (10)
墓地を過ぎると標柱がまたもやお出迎え。

硯龍山砦 (11)
まあね、こんな斜面をひたすら登るのよ・・・

【城主・城歴】

伝承では安坂城主の家臣がいたという。また、安坂城には安坂七騎という家臣団があったというが、詳細は不明なようである。
安坂城についてはここをクリック➾安坂城
中信濃のこの地域は、甲越紛争における争奪戦があり、その後は武田氏滅亡後の天正壬午の乱における上杉景勝と小笠原貞慶による領土争いがあり、麻績城や青柳城の城主が目まぐるしく変わった。これらの城に付随した出城や砦についても都度改修が行われ守備兵も変わったのであろう。

この砦の立地は一本松峠や四十八曲峠からの敵に備えたもので、勢力図が変わった時に臨機応変に使用されたものと推定される。

硯龍山砦見取図①
中腹に平場があり、最上部には城の平(じょうのひら)という広い空間がある。

硯龍山砦 (12)
登り口からの急坂には旗塚が十数個確認出来る。間隔は20m~30mぐらいである。

硯龍山砦 (13)
直系5m程度のものであるが、往時はどのような旗指物が立てられていたのか想像してみるのも楽しい。

硯龍山砦 (15)
残念ながら岩盤堀切ではなく、採石の跡。この山は研ぎ石が採れたようで、尾根筋には何ヵ所か大規模に採石した跡が残る。


【城跡】

登り口からの斜面には20~30m間隔で旗塚が確認出来る。眼下の古道からは良く見えたはずで、侵入する敵に対して示威的な効果をもたらしていたと思われる。
標高850m付近には虚空蔵堂の置かれた平場がある。残念ながら平場の先端部分は採石によって崩されてしまっているが、宮坂武男氏は、ここに物見があったのではないか、と推測している。平場の背後には堀形っぽい窪地があるし、見張りを置くとしたらこの辺で充分であろう。

硯龍山砦 (16)
採石で破壊された虚空蔵堂のある平場の先端部分。

硯龍山砦 (17)
虚空蔵堂のある平場。

硯龍山砦 (22)
背後の堀形。

●城の平(じょうのひら)

虚空蔵堂から更に比高で60mほど尾根を登ると「城の平」と呼ばれる広い平地となる。山の上にこんな平地があるのも驚くが、ここが砦跡と言われてもピンとこないし、こんな広い場所で敵を迎え撃つとは考えにくい。
麓からはここは全く見えない窪地になるので、逃げ込み場所としての機能があったのかもしれない。

それにしても、入口に立派な標柱があったので、何処かに標柱はないものかと探し回ったが見つからず。仁熊城ではテキトーな場所に標柱を立てたのに、ここでは何故?どうしたの・・・(笑)

硯龍山砦 (23)
長さ300mで幅は広いところで50mぐらいはあろうか。

硯龍山砦 (31)
逃込み城や隠れ城としては最適な場所と広さ。

硯龍山砦 (24)
西側に少し小高い場所があったが、自然地形で遺構は認められず。

砦とはいうものの、旗塚が置かれた簡単な物見で、敵に対しての示威的な施設だったと思われ安坂城の入口を監視していたのであろう。口伝では、安坂七騎は侵略してきた敵とは戦わずに避難をしていたというから、案外彼らの逃げ込み城だったというのが事の真相かも知れない・・・・

硯龍山砦 (33)
城の平より四十八曲峠方面。現在は見晴らしは良くない。


≪硯龍山砦≫ (すずりゅうやまとりで 玉根砦 じょうのひら)

標高:932m 比高:270m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:筑北村永井玉根
攻城日:2020年12月6日
お勧め度:★★☆☆☆
難易度:B(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け) 
城跡までの所要時間:30分
駐車場:無し。墓地の近くに邪魔にならないように路駐
見どころ:旗塚、虚空蔵堂付近の削平地、
注意事項:城跡に標柱はありません・・・(←しつこい・・・笑)
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 戎光祥出版)
付近の城址:安坂城、矢倉城、山崎砦、口城、麻績城など

硯龍山砦
習うより慣れろ!の地理院地図。

硯龍山砦 (1)
西側より見た遠景。
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Posted on 2020/12/16 Wed. 14:22 [edit]

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口城 (古司口城 東筑摩郡筑北村・麻績村安坂)  

◆青柳城と安坂城の連絡用に築かれた砦◆

このところ、休肝日を設定したので真面目に記事を更新している(←エライエライ・・笑)

が、同時に夕飯はサラダとリンゴだけなので、かなり空腹に苛まれる。TVでラーメン店特集なんて放映していると一揆を起こしたくなる・・・・・(汗)
古来より「戦(いくさ)」のキッカケなんて、腹が減ってイライラした時の判断が原因なんだろうなあーと嘯いてみる・・・(笑)

今回ご案内するのは、青柳城が有名な筑北村で取りこぼした二つの城のうちの一つの「口城」(こうじょう)。もう一つは次回で。

口城 (1)
口城へは背後の尾根まで舗装道路が入っているので小型車なら入口まで横付け可能(途中ゲートがあるので注意)

口城② (3)
林道から入って5分ぐらい急坂を登ると最初のピーク「A」に到達。

【立地】

筑北村と麻績村の境に聳える四阿山(1387m)から北を流れる麻績川方面に張り出した数本の支脈には、西から青柳城(あおやぎじょう)、口城(こうじょう)、安坂城(あさかじょう)が築かれている。
口城の築かれた支脈は麻績盆地に突き出しているので、ここからの視野は結構広い。(現在は雑木林で見晴らしは良くないが)
対岸の麻績城虚空蔵山城高城を見渡せるのはもちろん、背後の矢倉城青柳城安坂城も手に取るようにわかる。
安坂城から本城である青柳城を直接見る事が出来ない為に、この場所に連絡用として口城が築かれたと推定されている。

口城見取図①
城跡はAとB2つの推定地がある。標高はAのが高くここからでないと青柳城が見えない。

口城② (5)
100×20の広大なA地区。

口城② (8)
岩ガレの散乱する緩い傾斜を経てB地区との接続部分。ここも50m程の削平である。

【城主・城歴】 ※「信濃の山城と館④」(宮坂武男著 戎光祥出版)P427の記述を転載

城名の「口城」(こうじょう)は「古城」から転化したものと考えられる。延宝九年(1681)「麻績町検地帳」によると、安坂川対岸の山麓に「口城」の地名が見られ、坂井村古司(こし)集落背後の虚空蔵山になる。。
「長野県史跡名勝天然記念物調査報告書」の「安坂城址」mp「3口城址」の項によると、「山頂には自然のまつの平地が広く残っており、それを利用したものと思われる」として、「口城」は「古城」の当て字と考えられるとしていて、安坂城と青柳城の連絡のための城と考察している

口城② (9)
B地区の登り坂。夥しい量のガレが剥き出しになっている。

口城② (11)
筑北村教育員会はB地区のピークに標柱を立てて集落の地名を取り「古司口城」としている。(平成25年に立てられた)

いやいや、こんなガレの小山のピークでしょうか?まあ、確かに狼煙や鐘太鼓を叩くにはそんなに広く無くてもいいけど・・・。
確か仁熊城(にゅうまじょう)の標柱も全く違う場所に立てられたという前科もあるし・・・・(汗)

口城 (14)
山頂にはところどころ平場もあるが、人工的に手を加えた跡とは思えない。


【戦慄の虚空蔵祠跡】

ここの城址に何故突然来たかというと、実は小生のブログにコメントをくださる「筑北衆」様の情報によるもので、城址にある虚空蔵祠の囲み石積みがどうしても見たかったのである。
B地区は、古くから「虚空蔵山」と呼ばれているので、虚空蔵堂が勧進されたのであろうか。それにしても、この地域は虚空蔵の名の付く山や史跡が多すぎる。

なんせ、実物見ておったまげた!こりゃー凄い。城の遺構だったらもっと凄かったのに・・・・返す返す残念ではある・・(笑)

口城② (12)
「なんだ、ちみは!」 標柱から下を見下した時の驚きはハンパ無かった!!

口城 (6)
東に虎口があり、周囲を高さ2mの石積で囲まれた遺構に圧倒される。

口城② (14)
内側から見た東の石積み

口城② (13)
西側(山頂側)背後の石積み。

松尾古城を彷彿とさせるに充分な遺構には戦慄を覚えた。が、しかし、ここは中世城郭の場所についてはピンポイントがずれている教育委員会でも、この遺構を城のものとは認めていないのである。

口城② (20)
東の尾根から見上げる。トーチカとしての迫力と防御性は申し分ない・・・(笑)

【城跡】

先にも述べた通り、この城域は844mを頂部とするA地区と、842mのガレ山を頂部とするB地区と二つに比定地が分かれている。南西に位置する青柳城や矢倉城との連携を考えると、連絡用の物見が置かれたというのはA地区で異論はないが、天正壬午の乱で青柳城と決別した安坂城の防衛城として見た場合はB地区であろうか。
旧虚空蔵祠跡にも何らかの構築物があったと考えるのは早計であろうか・・・

口城② (21)
旧虚空蔵祠跡から先の東尾根は、キチンと削平されていて、堀切は無いものの郭だったと推定される。(個人の感想)

口城② (26)
B地区の南側の斜面。

宮坂武男氏は、口城の主要部はA地区だろうと推定されているが、B地区を否定している訳ではない。小生は、神様の言う事を尤もだと信じながら反論できる証拠を集めてB地区も捨てきれないと想像を掻き立てている。それはそれで楽しいのである。

この記事を読まれている貴方も、是非現地に立ってみて、貴方の感じたままを教えて欲しい・・・。

口城遠見
麻績新城から見た対岸の安坂城と口城の遠景。


≪口城≫ (こうじょう 古司口城 こしこうじょう)

標高:844m 比高:220m ※麓の古司集落より
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:筑北村と麻績村の境
攻城日:2020年12月6日
お勧め度:★★☆☆☆ (虚空蔵祠跡の遺構は個人的には☆三つ・・・笑)
難易度:C(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け) ※飯田城はS)
城跡までの所要時間:林道登り口から10分
駐車場:林道脇に広いスペースがあるので路駐可
見どころ:削平地、虚空蔵堂祠跡のコノ字の石垣
注意事項:特になし
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 戎光祥出版)
付近の城址:安坂城、矢倉城、山崎砦、硯龍山砦、麻績城など

口城地図
YAHOO地図から国土地理院に切替えたが、イマイチぱっとしない・・。

硯龍山砦 (8)
硯龍山砦から見た安坂城と口城。

Posted on 2020/12/09 Wed. 21:30 [edit]

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上田館 (塩尻市北小野上田)  

◆上田城と関連する麓の居館跡か◆

ブログ開設11周年なのだが、このところさっぱり更新する気力に欠けてしまい、定期的にご訪問頂いている読者の皆様には申し訳なくお詫び申し上げます・・・(汗)

さて、今回ご案内するのは前回の上田城を築いた在地土豪の麓の居館と伝わる上田館(うえだやかた)。

上田館見取図①
竹入川の段丘を利用した居館で、㋒~㋔の堀形から一辺150mぐらいの方形居館が想像できそうだ。

【立地】

塩尻市にある北小野矢彦神社の東南300mの小野川(竹入川)に面した台地上が「畑中」といって上田館跡と伝わる。ここから北北東300mにある小山は上田城で、矢彦神社の後方の山には川鳥城(かっとりじょう)、その山の尾根先の頂上には狼煙台と伝わる霧訪山(きりとうやま)がある。

DSCF2609.jpg
南東の竹入川方面からみた堀形㋒。

DSCF2610.jpg
㋒の右側の崖渕にも堀形㋓が確認出来るが、往時のものかははっきりしないという。

【城主・城歴】

宮坂武男氏の調査を以下引用させていただく。

天文年間(1532~)に府中小笠原氏の配下の草間肥前(備前とも)がこの小野に居たようで、豪将として名高い。小笠原氏が追われると、草間肥前も武田氏に属したという(「伊那の古城」より)
草間肥前は辰野町の小西城の城主ともいわれ、武田氏の侵入の時には、荒神山や羽場城を守ったとされるが、その本拠地ははっきりしない。この居館も一つの拠点であったろうと言われている。

DSCF2611.jpg
堀形㋑

また、この館には、小野神社、矢彦神社にかかわる今井氏が居たと言われる。ここからは平安期の土器はたくさん出るが、それ以前の土器は出ないという。土師、須恵器が沢山出る事から、この一帯は小野の中心地であったと考えられている。
この地域には古くから神社と関係する勢力があり、その人々の屋敷が神社周辺にあったことが想像でき、その勢力を統括する者があり小笠原氏の支配下にあった時があると思われ、その一人が草間肥前と言えよう。この畑中の館(上田館)もそうした意味で、この地の神社勢力とも関係があり、上田城とも深く関りのあった者の館であったと推定されよう。また牧に関連するものとの考え方もあるようである。

DSCF2612.jpg
堀切㋐の北隅には城の守護神として稲荷社が祀られている。

DSCF2613.jpg
堀切㋐。約40mの長さでしっかり残る。

【城跡】

竹入川の崖渕を利用した居館城で、ほぼ感存する堀切㋐と一部残る堀切㋑から一辺約40mの方形居館の姿が想像できる。ここが屋敷の中心区間であろう。現在道路となっている㋒と㋔の堀形が外郭であるとすれば、一辺焼く120mの長方形の居館となり、一族郎党の屋敷もあったものと考えられる。

DSCF2615.jpg
堀切㋐方面から見た堀形㋔方面。

写真みたら堀形ばっかり。肝心の居館跡の全景とか全く撮影してない・・・(笑) まっ、そんな時もあるさ!


≪上田館≫ (うえだやかた 畑の中の館・雄館)

標高:821m 比高:5m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:塩尻市北小野上田
攻城日:2018年6月3日
お勧め度:★☆☆☆☆
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け)
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し
見どころ:堀切
注意事項:耕作地は無断侵入禁止、民家が多いので撮影時にはプライバシーに注意
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編
付近の城址:小西城、川鳥城、上田城など

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上田館から見た上田城。

Posted on 2020/07/26 Sun. 11:32 [edit]

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上田城 (塩尻市北小野上田)  

◆勝弦峠を監視した在地土豪の山城◆

ステイホームが習慣化されてしまい、すっかり出不精になってしまった・・・(汗)

そんな時こそブログの更新を精力的に行い長期在庫を減らせばよいのだが、惰性で日々を過ごす悪循環・・・(笑)

なんせ見取図描いて、数年前の写真を見ながら「ここは何処?私は誰・・・」を繰り返すのは、認知症予防に効果がありそうだが、そんな作業は結構辛いので逃げていると余計更新が遠のく。

今回ご案内するのは塩尻市北小野にある上田城。残念ながら上田市の上田城とは何のかかわりもないのでご容赦ください。

IMG_6623.jpg
上田城の主郭及び主郭に建つ標柱

【立地】

北小野の小野神社の東400mの小山上に上田城がある。この山の南直下には勝弦峠(かっつるとうげ)を越えて諏訪から小野へ出る街道が通り、上伊那と塩尻・筑摩を結ぶ伊那街道に合流する所である。また小野から西へ辿れば木曽谷のに至る交通の要衝に位置している。この山の南南西300mに上田館がある。
小野地区には上田城の他に前回紹介した小西城、川鳥城(かっとりじょう)があり、それぞれ関連して機能していたものと思われる。
※天文17年(1548)に行われた小笠原VS武田の「塩尻峠の戦い」は勝弦峠が主戦場だったという説がある

上田城(「塩尻市 (5)
上田公民館からの登り口には城安寺があったが、廃仏毀釈により廃寺となる。その後集会所となるも失火でで焼失したという。

上田城(「塩尻市 (6)
集落の信仰の地でもあった城跡へは二つの参道と公民館からの遊歩道と3本ある。比高40mなのでお手軽に見学できる。

上田城見取図①
後世の耕作地化と墓地の造成により、どこまでが遺構なのか判別が難しくなっている。

【城主・城歴】

「信府統記」には塩尻与の「北小野古城地」として記載があり、小野・矢彦両者との関係が深く、麓の居館も含めてその社家の勢力によるものではないかとしている。
また、「東筑摩郡誌」には「小野城址」として「筑摩地村字上田、本丸の平東西十間、南北十五間 近年村の公園となす。小笠原家の塁砦なれども来歴不詳なり」とある。
この山の麓にある上田館の要害城がこの上田城とする伝承があり、その館主は小野神社・矢彦神社の社家今井氏が居たともいわれている。

上田城(「塩尻市 (7)
大手道をぼちぼち(墓地墓地)登りましょう!(ってオヤジギャグかい・・笑)

上田城(「塩尻市 (12)
尾根伝いは段郭が重ねられてます。

チョッとした小山なので、段郭の途中を東にスライドして秋葉神社へ。ここも郭だったようです。

上田城(「塩尻市 (19)
火の神様なんで、城址に秋葉社を勧進している所は多い。(天保12年の建築で遠州秋葉社の分社)

上田城(「塩尻市 (21)
主郭の南側の段郭から見た主郭の入口。ここは後世の加工によるもので、本来の虎口はここではなく西側にかすかに遺構がある。

【城跡】

頂部の主郭は低い土塁がほぼ全周している。広さは15×21.北東の尾根続きの鞍部に堀切二条を穿ち切断している。北西尾根にも一条堀切を入れている。
大手道は城安寺からの尾根筋と推定され、現在墓地となっている階段状の部分も郭があった可能性は否定できない。西尾根は参道の設置と墓地の造成による改変、植林による造成等で往時の遺構ははっきりしない。

上田城(「塩尻市 (28)
主郭南側の段郭(5×21)

上田城(「塩尻市 (30)
主郭(15×21)南正面は虎口に見えるが本来は左側(西側)から入ったものと推定される。

上田城(「塩尻市 (31)
主郭の端より北東尾根の二重堀切を見下ろす。

上田城(「塩尻市 (33)
北東尾根の最初の堀切。切岸も取り込んでいるが、かなり浅くなっている。

上田城(「塩尻市 (40)
北東尾根二重堀切の二本目。上巾5m(わかりづらいので補助線入れてます)

上田城(「塩尻市 (46)
北西尾根の段郭と切岸の状況

上田城(「塩尻市 (47)
北東尾根に残る堀切

単郭に段郭を重ねた単純な構造で、堀切も短く在地土豪の詰め城という域を出ていない。地域支配の為に怒号が傷たものが、やがて戦国時代になって小笠原氏の伊那街道の中継あるいは勝弦峠の監視用として使われたものと推測される。

上田城(「塩尻市 (59)
西尾根の参道登り口。集落の信仰の山として大切にされたようだ。

上田城(「塩尻市 (10)
主郭からの眺望は難しいので大手道の途中から見た小野方面。監視砦としては良好な位置にある。

≪上田城≫ (うえだじょう 城山・小野城)

標高:869.4m 比高:39m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:塩尻市北小野
攻城日:2018年6月3日
お勧め度:★★☆☆☆
難易度:D(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け)
城跡までの所要時間:上田公民館より約10分 駐車場:上田公民館借用
見どころ:堀切、土塁など
注意事項:特に無し
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編
付近の城址:小西城、川鳥城、上田館など



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南側の上田館付近から見た上田城。

Posted on 2020/06/28 Sun. 14:40 [edit]

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高津屋物見 (東筑摩郡生坂村)  

◆日岐大城と対峙する犀川沿いの見張砦◆

そのうち止めようと思いつつ始めたこのブログ、今年の7月で十周年のメモリアル(?)イヤーとなる予定だ。

万事やる事為す事中途半端な自分がここまで継続するとは思いもよらなかった・・(まあ、一ヶ月に一度の記事の更新という月も多々あったが・・汗)

ブログを継続する為の逃げ口として「プラモ戦記」を始めたが、本業(?)は山城の記事であり、それを期待して訪問してくださる皆様の期待を裏切り続けて良いものか自問自答の日々は続いております・・・(笑)

今回ご案内するのは4年前のGWに訪れた生坂村の高津屋物見(たかつやものみ)でございます。

高津屋物見(生坂村) (6)
物見は村営のキャンプ場「高津屋森林公園」の敷地内にあり遊歩道も完備されているので迷う事はありません。

【立地】

物見のある山は犀川の左岸にあり、対岸2kmの山上の日岐大城と対峙する位置にあり、雲根峠の猿ヶ城物見、万平、小屋城など見渡せる上に、この山の尾根通しに西行すれば1.7kmで中山城になりう、犀川流域ばかりか広津地区の村々、更に遠くは金戸山(かなとこやま)、麻績の高城、青柳城まで視野に入るし、南陸郷、七貴の山々に安曇平まで見え、正に展望台の趣のある山である。

高津屋物見(生坂村) (8)
公園として整備され、遊歩道にはツツジの花が咲き乱れる。「あー、あれは春だったんだね」(by吉田拓郎・・・笑)

高津屋物見(生坂村) (10)
最初に現れる削平地。往時のものか後世のものかは微妙な判断。

高津屋物見(生坂村) (11)
二番目の削平地。

【城主・城歴】

現地に立つ生坂村教育委員会の平成7年の説明板には「大日方氏の山城、標高776m、寛政元年(1789)「池田組明細帳」にのる。約50m×30mの平地が頂上にあるのみで、人工を加えたあとはない。明治四十年代まで秋葉大権現があり、相撲が盛んに行われた。眺望がよく犀川べりと北山方面を見張る物見台であろう」と記されている。

高津屋物見見取図①
自然地形とはいうものの、堀切や削平地は往時の面影が残る。

高津屋物見(生坂村) (15)
主郭手前の郭。ここに秋葉社があったというが、大日方神社に合祀されたという。

高津屋物見(生坂村) (22)
主郭跡に再現された土俵跡(東屋)。この先使われる事のない土俵をわざわざ復元する意味などなく、無駄遣いと言わざるを得ない。

高津屋物見(生坂村) (24)
主郭から見た西側尾根筋。堀切が一条確認出来る。

高津屋物見(生坂村) (25)
砦に残る唯一の堀切の拡大写真。

【城跡】

バブル期の開発事業で公園整備化され、キャンプ場やコテージなどが建てられていまい往時の面影は知る由も無いが、説明板にあるように、もともと地山を簡単に削平しただけの物見である。宮坂武男氏の観察眼によりいくつかの遺構も認められたが、果たして往時の遺構かは判断が難しいが、少なくとも堀切は認めても良いと思われる。

高津屋物見(生坂村) (26)
堀切の先は緩い傾斜の付く細長い郭で先端に若干の平場を接続しそこで城域は終わっているようだ。

高津屋物見(生坂村) (33)
西側より見た主郭。郷土出身の関脇御嶽海に来ていただきたいものである・・・笑


≪高津屋物見≫ (たかつやものみ)

標高:772m 比高:280m(犀川より)
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:東筑摩郡生坂村昭津区長谷久保
攻城日:2015年5月5日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:堀切、削平地
付近の城跡:日岐大城、京ヶ倉、小屋城、など
注意事項:特になし
参考書籍:「信濃をめぐる境目の山城と館・松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)

高津屋物見(生坂村) (3)
対岸には日岐大城、京ヶ倉、小屋城なども一望出来る。

【おまけショット】

日岐大城の物見岩jから見た高津屋物見。立地条件がお分かりいただけるかと・・・。

hikioojyo (86)

前回、下書きのまま酔っぱらって投稿してしまい、ご迷惑をお掛けしました・・・その割には適当な記事なのでご容赦ください(笑)

Posted on 2019/03/29 Fri. 20:36 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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