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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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馬山西城 (群馬県下仁田町馬山)  

◆境目の城「城館セット第二弾」 その2◆

二度目のスマホの画面割れはフロントカメラ付近に留まっていたので、何とか2~3ヶ月は持つだろうと思っていたのが甘かった・・。
その日のうちに画面中央まで筋状のひび割れが侵攻してしまい、早急に修理しないと仕事にも影響が出ると予想された。

我が家の財務局に詫びを入れ、出費を抑えるためにネットを駆使して最安値の業者を探し当てて本日長野市へ。
現品を見た修理業者が一言「これ、インカメとセンサーも壊れてますね・・・、どうします?」

「えええ! 聞いて無いよオ! オオオオオオオオオオオオオオ!」

フロントカメラ①
正式名称は「フロントカメラ内側 イン 近接 明るさセンサー」 カメラが破損すると他のセンサーも動作不良となるらしい。

「時は私に眩暈(めまい)だけを残して 通り過ぎて行く」・・・その後の顛末はまた別の機会で・・・(笑)

今回ご案内するのは、前回ご紹介した馬山東城の詰めの城「馬山西城」である。

mayama jyou
馬山東城から見た馬山西城。東城の背後の堀切は黄色線のあたりと推定されているようだ。

【立地】

現在米山寺のある場所が馬山東城の本郭で、そこから南西の背後、鏑川との境にある「西城山」と呼ばれる山に位置する。
グンマーの城館は、城郭研究家の山崎一氏の比類なき調査記録が基本とされるために、山崎氏の提唱する「一城別郭」(いちじょうべっかく)という定義に従うのが慣例のようである。

この定義は結構厄介で、私流の解釈とすれば、それぞれ独立した縄張の城を通常は複合的に一つの城郭として運用するが、籠城戦になった場合、それぞれが独立の城として敵を引き受け、万が一片方が落城しても、残りの兵隊は残存するもう一つの城に落ち延び籠城戦を継続するという形態のシステムを指している。

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馬山東城から大手道を登ると途中で道が不明瞭になるが、尾根伝いに進むと郭4が現れる。


馬山西城見取図①
この縄張図を見る限り、ここでは籠城という概念よりも物見・狼煙台としての機能とか、一時的に敵をやり過ごすという簡素な防御である。

【城主・城歴】

馬山東城でも触れたが、ここは関東管領山の内上杉氏配下の国峰城の小幡氏の支城として一族が守ったと思われる。さらに西側に位置する鷹ノ巣城と共に、下仁田の防衛拠点として城館一体型で築城されたと見る。
余地峠を越えて西上野攻略を進めた武田軍は、この街道筋の山城を改修して使用したが、鷹ノ巣城やこの城は改修の跡がみられない。

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郭3と郭4の接続部分。

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郭2と主郭の通路。これは後世に改変されたもので、本来の通路は西側を迂回して主郭の東下の郭に通じている。

【城跡】

楕円形の山頂には城跡碑と石祠が二基鎮座している。ここが主郭で東の尾根に四条の堀切を介して数段の郭が配置され、岩場の最終の郭8は鏑川沿いの街道の物見と推定される。
縄張りとしては単純で、堀切も単に尾根を区切るだけの意図で古い形式のようだ。

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主郭に建つ城址碑と二基の石祠。

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主郭の広さは12×11とかなり狭い。

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主郭から東尾根に向かうと数段の段郭の先に現れる堀切㋐。

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城域で最も長い堀切㋑。他の堀切に比較して多少長いだけで幅は狭い。

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堀切㋒。

先日、南牧村の城址を探索した時に、「グンマーの山城って、尾根を最大限に使うのがセオリーなんだ」とようやく知った。

それが、山城を拡張していった産物なのか、意図せず防衛の為だけなのかは分からないが面倒な地域特性とも思えた(笑)

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東尾根最終の最終堀切㋓。

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郭7。東尾根では最大の面積を誇る。

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東端の郭8には石祠が建つ。周囲は絶壁に囲まれた要害の地である。


≪馬山西城≫ (まやまにしじょう)

標高:334m 比高95m(道の駅しもにたより) 
築城年代:不明
築城・居住者:小幡氏
場所:群馬県下仁田町馬山
攻城日:2019年5月5日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
駐車場:米山寺の駐車場を借用
参考文献:「境目の山城と館 上野編」(2015年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
見どころ:城址碑、など
その他:登り口は耕作地の脇を通るので十分に注意すること。電流柵には触らない事。

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郭8から見下ろす鏑川の流域。



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Posted on 2019/06/24 Mon. 21:23 [edit]

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馬山東城 (群馬県下仁田町馬山)  

◆境目の城「城館セット第二弾」 その1◆

先週修理したばかりのスマホのガラスを本日再び破損・・・(涙) 仕事柄、休日だろうが何だろうが、常に持ち歩く悲しい習性に悲嘆。

学習能力の無さもさることながら、「最近の俺、ついてない事ばかり多すぎる・・・」と愚痴ってみても仕方ないが、「人生山あり谷あり・・・」というものの、山は登れても谷底ばかりの人生も如何なものかと・・・(笑)

今回ご案内するのは、下仁田町の城館セット第二弾「馬山東城」(まやまひがしじょう)。

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お寺の山門の東脇にある石碑。こぶりながらも中々立派です。


【立地】

下仁田町の中心街の東側で、鏑川が北側にL字で張り出し横瀬川と合流する河岸段丘の台地上に位置し、背後には比高約80mほどの山体が控えている。(この山が馬山西城)
西へ向かえば信濃との国境の内山峠、余地峠に通じ、東の富岡との中間地点にあたり、交通の要衝である。
最近出来た「道の駅しもにた」の東側の台地なので、迷う事は無いと思う。

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馬山東城の主郭は米山寺のある場所と推定されている。

馬山東城見取図東側を流れる横瀬川を天然の水堀とした要害の地である。

【城主・城歴】

国峰城主の小幡孫七郎憲重の城と伝わる。400m後方の山に馬山西城があり、城館一体型であった。馬山東用はその居住区にあたり、馬山西城は詰め城、要害城として機能していたと思われる。
この場所は、信濃に通じる内山峠、余地峠を抑える境目の要衝として戦国時代には重視された。小幡氏はもちろん、関東管領上杉氏に味方した高田氏、市川氏、長野氏そして彼らと西上野の覇権を争った信玄にも重要視されたと推測される。

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米山寺の一段北側の畑から見た主郭。舌状台地に築かれた居館である事がよくわかる。

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米山寺の東側。畑が霊園なる日も近いのだろうか・・・?

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まあね、北側の郭は墓地ばっかりで興ざめってか・・・。

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米山寺の本殿。

【城跡】

米山寺の建っている辺りが主郭で、その北へ延びる舌状台地が城域である。米山寺の南側に堀切があったと思われるが、耕作地化されたときに埋められてしまったようでハッキリしない。
城の西側の鏑川手前に「堀之内」という地名があるが、この城館と関係する場所なのかは不明だという。

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南側から見た主郭。堀形を探したが見つからず・・。

たまたま駐車場にいらした米山寺の奥様に見学の許可を頂くと、「先日も埼玉から親子で見学にお越しいただきましたよ。最近、ブームなのでしょうかねえ。」と言ってペットボトルのお茶まで頂戴してしまい、恐縮しきり・・・。信州上田から来たと告げると、「数年前、上田にお邪魔しました。真田で盛り上がってましたね。馬山西城も行かれるのですか、お気をつけて。」とご丁寧なお言葉までいただく。

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米山寺から見た馬山西城。

≪馬山東城≫ (まやまひがしじょう)

標高:276m 比高42m(道の駅しもにたより) 
築城年代:不明
築城・居住者:小幡氏
場所:群馬県下仁田町馬山
攻城日:2019年5月5日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-
駐車場:米山寺の駐車場を借用
参考文献:「境目の山城と館 上野編」(2015年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
その他:耕作地には許可なく入らない事。



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城跡より見た北西方面。鏑川に突き出た舌状台地で要害の地であることが分かる。

Posted on 2019/06/23 Sun. 07:37 [edit]

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鷹ノ巣城 (群馬県下仁田町)  

◆背後を大崩山、フロントを南牧川と栗山川が守る城館一体型の要害◆

先日、スマホを不注意でコンクリートの床に落としてしまいフロントガラスを大破。今度ばかりは打撃を受けた角度が悪くて、表面9Gの保護シールもバキバキに貫通。幸い液晶の損害は免れたが復旧費用1万円の出費は更に痛かったが、それ以上にこの年齢で「艦これ由良」を待受け画面にしていた事実を修理業者に知られた恥ずかしさは消せはしない・・・・(爆笑)

そんな馬鹿野郎話はご愁傷様で片づけて、グンマーシリーズが続く。西上野は信濃と同じく武田信玄の被征服地であった事もそうだが、境目の最前線で臨戦態勢の山城が多い事も魅力なのであろう。

今回ご案内するのは、下仁田町の「鷹ノ巣城」。安中市板鼻にある板鼻城も鷹ノ巣城と呼ばれていたので、群馬県には同名の城が二ヶ所ある。

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本城跡は現在吉崎公園となっている。

【立地】

下仁田町の市街地の南側で、南牧川と栗山川が合流する場所に突き出た場所が居館跡で、背後には大崩山(おおぐいやま)が聳え立つ。この山には物見が置かれているので城館一体型の縄張りである。

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居館跡の吉崎公園から見た大崩山(おおぐいやま)。山頂の手前に物見台が置かれたようだが、今回は踏査をパス。

鷹ノ巣城見取図①
三方を川に囲まれ、背後を大崩山に守られた要害の地である。

【城主・城歴】

先日掲載した吉崎城でも触れたように、鷹ノ巣城は小幡三河守貞政の居城とされ、山の内上杉家に出仕していたため、留守は城代の桜井丹後守が仕切っていたとされる。城主の小幡三河守貞政は信玄の侵攻にさいして武田家に降り、武田家滅亡の際には景勝を頼って越語へ奔りそこで没したという。
城代の桜井丹後守は、武田、滝川、北条と主を代えて存続したが、小田原の役で上杉軍の攻撃を受け落城、そののち徳川に出仕したというが定かではない。鷹ノ巣城は徳川領になるに及び廃城になったという。

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吉崎公園の中心と隣接する保育園跡地が「おくるわ」と呼ばれる居館の中心部分。

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廃園となった下仁田保育園。その後の利用方法は介護サービス付き老人ホームになるのだろうか?

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主郭の北側と東側は段差を伴う郭2で囲まれ。、東側の現在はソーラーパネルが並ぶ。最近城跡でよく見かける光景になりつつある。

【城跡】

現在、主郭(おくるわ)は下仁田保育園跡と吉崎公園で、周囲に石積みが周回するが往時のものかは判断できない。大手は東側と考えられ、現在の集落が城下の名残りであると推定される。詰めの城としての大崩山へはどうやって登ったのか不明。

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吉崎公園の東屋から北方面。南牧川が天然の堀となり、要害の地であることが分かる。

≪鷹ノ巣城≫ (たかのすじょう)

標高:263m 比高20m(南牧川より) 
築城年代:不明
築城・居住者:小幡氏
場所:群馬県下仁田町吉崎
攻城日:2019年5月5日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:-
駐車場:吉崎公園の北側に駐車場有り
見どころ:主郭を囲う石積みなど
参考文献:「境目の山城と館 上野編」(2015年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
その他:大崩山はどうしても登りたいなら西側の鞍部から登山道がある。物見は頂上より東側に下がった場所なので自己責任で。

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自然地形に守られた要害の地とは、まさにここを指すのであろう。

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保育園跡から見た大崩山の物見。その迫力は半端ない。

中世の城郭に関する本の記載を読むと、平地の居館と背後の詰め城(山城)のセット(城館一体型)という定義に関しては、否定的な記述を多く見かける。が、否定する根拠については納得できる記述を読んだことが無い・・・(笑)

下仁田町、南牧村には城館セットの物件が多い。小屋掛けのスペースすら確保が難しい山城の築城条件を緩和するための麓の居館という考え方は理に適っていると思うがどうであろうか・・・・。

Posted on 2019/06/18 Tue. 21:58 [edit]

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吉崎城 (群馬県下仁田町吉崎)  

◆単なる物見砦と言うには身分不相応の五条の大堀切の備え◆

先入観を持ちたくないので、初訪の山城は登り口の確認だけWEB検索させていただく主義である。

なので、今回の吉崎城は日頃お世話になっている清之介さんがブログで記載している事はガッテン承知の介(古いなあー笑)なのだが、彼には登り口にジムニーが駐車出来るか聞いただけである・・・(ゴメンナサイ・・・汗)

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麓から見上げる。どうやら手前の山頂が吉崎城らしい。

登城口は県道の千沢の橋のたもとの民家の脇道を入った突き当り。富士山登山口の道標がある。軽自動車なら入れて二台ぐらいの駐車スペースがある。

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登城路は浅間神社の参道を登るので、ジムニーの手前を左に登る。

【立地】

下仁田市街地の東南東、鏑川の右岸で千沢が合流する所の東の山が藤山(富士山)で、そこが城跡である。標高453mの頂上の主郭には富士浅間神社が勧進されており、麓からの登山道も整備されているが、鳥居までは結構急斜面が続く。
比高は約200mだがゆっくり登って30分弱ぐらいで頂上。眺望はすこぶる良い。(冬場だけ・・・・)

吉崎城見取図①
最近テキトーさに拍車がかかってきた見取図(笑)

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中段にある郭。山頂の主郭は狭いので、実際の小屋掛けはここだったと思われる。

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鳥居のあたりも削平が確認出来る。ここから先が城の主要部となる。

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上から見ると、鳥居とその周辺が削平された郭になっているのがお分かりいただけるかと・・。

【城主・城歴】 ※「境目の山城と館 上野編」(宮坂武男著)より引用

城主は桜井丹後守の出城で家老の桜井右近将監居城と伝えている。鷹ノ巣城主小幡三河守貞政は山の内上杉家に属し殆んど鷹ノ巣を留守にしていて城代の桜井丹後守が仕切り、吉崎城の方は右近将監が守ったものと推定される。築城は鷹ノ巣城の後で三河守貞政がの後を継いで、この吉崎城を築いて、本城の鷹ノ巣城の防衛を強化したものと考えらている。鷹ノ巣城主の小幡三河守は、武田氏滅亡の時に上杉景勝を頼って越後へ奔り、そこで没したらしい。

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富士浅間社のある主郭。9×9と狭く単郭なので籠城など無理。

城代の桜井丹後守は武田氏から滝川氏、更に北条氏に従って存続したと思われるが、天正十八年(1590)小田原の役で、上杉軍の別動隊の藤田能登守信吉により、西牧城・根小屋城と共に攻略され、同年、徳川領になるに及んで廃城となったものと思われる。なお、桜井氏は、その後徳川氏に任官して大坂奉行になったものがあるという。(『市川家弁財天の丈』による)また吉崎地区に桜井氏の後裔が現存している。 (以上引用終わり)

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主郭その2.この時期は緑が萌えだして眺望は良くない。

【城跡】

城跡は山頂部分(物見砦)と中段の曲輪(居住区)と二部構成になっている。
見取図をご覧いただければお分かりになるかと思うが、山頂部の単郭の北東尾根は五条の堀切で深く断ち切っている。また、南東の尾根は岩ガレの痩せ尾根に岩盤堀切二条で断ち切り防御を強化している。

●五条の堀切

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主郭の一段下の段郭から見下ろした堀切㋐。尾根自体の傾斜がキツイ上に更に堀切とは・・

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堀切㋐。補助線なくてもこの見映え。

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堀切㋐を下方から仰ぎ見る。

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堀切㋑。実は、五条の堀切を写した画像が何点か行方不明になってしまって・・・(笑)

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堀切㋑。上巾は8m。そして鋭い。

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堀切㋑の堀底。画面に入りきれない薬研堀ってのも素晴らしい!

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堀切㋒を見下ろす。上巾10m。撮影位置が悪すぎて実感わかない・・・?(汗)

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堀切㋒をサイドから。五百年の風雨に耐えての雄姿。

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堀切㋓。上巾8m。鋭さに脱帽です、はい。

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凄いなあー、ため息しか出ない・・・(笑)

つらつらと㋐㋑㋒㋓と四条までロクな無い説も無く写真のオンパレード!
んーん、実物を見ると痛く感動すると思うのですが・・・・

北東尾根先最後の堀切㋔ですが、苦労して下りた割にはピンボケ写真しかなくて感動のフィナーレを飾れない・・(笑)
おまけに見取図の竪堀が反対側の沢に長大に伸びているというミス・・・(汗)

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仕方がないので補助線入れて見ました。

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ラストの堀切㋔は北斜面に落ちる長大な竪堀。

●南東尾根

㋕と㋖の岩盤堀切二条があり、その先はガレの痩せ尾根でかなりの落差があり、この方面からの侵入はかなり難しいと思われる。
ウモ殿も小生も断念したこの尾根を清之介さんは下りて調査に及んだというので、申し訳ないが「命知らずの病人」の称号を贈呈したい・・・(爆笑)

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きゃー、グンマー名物岩盤堀切㋖!!(信州も負けないぞ!!イエイ! 笑)

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グンマー名物岩盤堀切㋕!!(昌幸公が黙ってないぞ!イエイ! 笑)

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堀切㋖の先は断崖絶壁。ここを下りるヤツの気が知れない・・・(汗)

如何でしたでしょうか?

正直申し上げますと、宮坂武男氏の描いた縄張図を持参して検証しながら踏査するつもりだったのに、縄張図を車に置き忘れた事に気づいたのが中段の郭付近でした・・・(爆)

なので、隅々まで堪能させていただき自分自身で感じる事が出来た次第でございますw

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アプリ「やまログ」の当日の山頂の画像データ。このアプリは長年使っていますが、信頼性はピカイチかと。


≪吉崎城≫ (よしざきじょう)

標高:453m 比高215m(県道より) 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:群馬県下仁田町吉崎
攻城日:2019年5月5日
お勧め度:★★★★★(久々の満点)
城跡までの所要時間:25分
駐車場:軽自動車なら2台ほど。乗用車は川沿いの道路に自己責任で。
見どころ:五条の大堀切、二条の岩盤堀切、中央曲輪群からの景色など
参考文献:「境目の山城と館 上野編」(2015年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
その他:南東尾根の探索は危険なので回避すること。

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中央段郭群からの景色。ここを敵に奪取されると、本城の鷹ノ巣城が危険なのは一目瞭然である。

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鏑川を挟んだ対岸からの遠景。

Posted on 2019/06/11 Tue. 22:24 [edit]

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金比羅山砦 (群馬県嬬恋村鎌原)  

◆鎌原城の物見砦◆

この冬は例年になく降雪が少ないらしいが、そうはいっても冷凍庫のような信州の冬である。

山城攻めも諦めて、最近お気に入りの岡崎体育を聞きながら艦船プラモの製作に疲弊している日々・・・(笑)

今回ご案内するのは、小生が微力ながら宣伝活動を継続してきた鎌原城の物見砦と伝わる金比羅山砦。

羽根尾城・鎌原城 056
10年前の鎌原城址。地元民もほとんど知らなかった城跡だったが、お土産店のお婆さんに教えてもらい何とか探し当てた・・(汗)

某大河ドラマ「真田丸」の相乗効果を期待して、岩櫃城とともに鎌原城も整備が急ピッチで行われたがさほどの集客効果にはつながらなかったようだ。

金毘羅山の砦 (6)
すっかり整備された鎌原城の本丸に建てられた立派な城址碑。格上の岩櫃城の城址碑に匹敵する豪華さである・・・(笑)

10年前の探訪時に説明板に記載のあった「金比羅山砦」の記載は気になっていたのだが、そのまま捨て置いた。
今回たまたま信濃先方衆の上野国遠征で、相方がチョッと寄ってみましょうよ・・・という言葉でその気になったしだいである・・(汗)

羽根尾城・鎌原城 057
10年前の説明板にも、現在の説明板にも「金比羅山砦」は鎌原城の物見として記載がある。

【立地】

吾妻かわの右岸、鎌原城(かんばらじょう)の北、谷を隔てた断崖上の小山が金比羅山砦である。崖の直下を国道144号線が走り鎌原城との間の谷は、西窪(さいくぼ)から鎌原への道が通るが、山体は険しく近寄りがたい山である。登り口は東側の浅間白根火山ルートのカーブの所から尾根沿いに踏み址があるので、それを辿る。吾妻川の谷へ張り出した山のために流域の視野は広い。対岸に西窪城が築かれている。

金毘羅山の砦 (9)
道路脇から道形を辿り尾根を登ると立派な堀切が現れる。

金毘羅山砦見取図①
今回は手を抜いた縄張図です・・・ごめんなさい・・・(汗)

【城主・城歴】

鎌原城の所で吾妻川が蛇行するために、同城から西方は良く見通せるが東方は丘陵地により視野が限られてくる。それを補うために谷中へ突出した金比羅山に砦を置き物見の塁としたと伝える。西側は西窪城から、東方は赤羽台を介して鷹川城、羽根尾城へ伝えたという。
言ってみれば鎌原城の目となった砦で、戦国期には狼煙台として機能したもので、真田氏の支配下に入った頃には、沼田から鳥居峠や角間峠の先の真田、更に上田までの連絡網が出来ていたことが考えられ、その一つに数えられ物見である。

金毘羅山の砦 (10)
こんなちっぽけな砦で土塁付きの堀切に出遭えるとは思いもよらなかった・・。

金毘羅山の砦 (12)
堀切を登った最高部が主郭。(16×10)

【城跡】

山頂の主郭は16×10mほどの長方形の平場で、中央部が少し高くなっているのは金比羅祠の跡と思われる。南に上巾9mの堀切がある。北側6m下に30×10mの2の曲輪があり、東辺に土塁が残る。1との間に虎口状地形があるので、ここへ鎌原城からの連絡路が登っていたことが考えられる。あるいは水場への道があったのかもしれない。
北は断崖で、2の先端から東の沢へ下る道跡が残る。

金毘羅山の砦 (13)
主郭(郭1)から見下ろした郭2.同胞のていぴす様が調査中である・・・(笑)

金毘羅山の砦 (14)
郭2は東側に土塁痕が残る。

金毘羅山の砦 (16)
主郭と郭2の境。堀切に見えるが両サイドへの切込は見られない。

金毘羅山の砦 (19)
郭2の先端の段郭。この先は断崖絶壁である。

郭2つと堀切一つの取るに足らない小さな砦である。だが、それがとてもいいのである・・。

得体のしれない妖怪が来襲するかもしれない恐怖に狼狽する在地土豪と地元民。

こんな田舎にも戦国時代という風雲急を告げる時代があったのだと、改めて思うのである・・・・。


≪金比羅山砦≫ (こんぴらやまとりで)

標高:860m 比高:70m
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原
攻城日:2018年10月24日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:10分 駐車場:無し(邪魔にならないように路駐)
見どころ:堀切、土塁など
付近の城跡:鎌原城、西窪城、大笹関所、鷹川城など
注意事項:特になし
参考書籍:「信濃をめぐる境目の山城と館・上野編」(宮坂武男著 2015年 戎光祥出版)



羽根尾城・鎌原城 084
吾妻川の対岸から見た金比羅山砦。

金毘羅山の砦 (5)
おまけショット⇒鎌原城では城主様がお出迎えしてくれました。

Posted on 2019/01/31 Thu. 22:40 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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