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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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荒城2 (リテイク 上田市常磐城)  

◆太郎山の派生する尾根の付け根に築かれた物見砦◆

冬に向けての体力づくりと称して、最近は上田市民の山「太郎山」(1164m)に2回ほど登った。歩数計では約11,000歩ほどだが、比高600mなので、横移動の平地に比べればおよそ四乗のパワーを使う計算になるという。

さて、本日も太郎山トレッキングにトライするのだが、せっかくなので前回「上田城石切丁場その①」でご紹介した「牛伏・荒城」コースを通り、十年ぶりの荒城を訪問しようと思った次第。

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千曲川に架かる上田橋と常田大橋の中間地点から見た遠景。荒城の標高は900mと結構高い。

考えてみたら、牛伏城はリテイク記事を書いたが(⇒牛伏城)、荒城は一度行っただけで、その場所に辿り着くまでの大変さからパスしてきた・・(笑)

【立地】

上田市の北側に屏風のように聳える太郎山山系の中心である太郎山(1,164m)から東へ延びる支脈から分岐するように南に下りる尾根の付け根に位置する。荒城からさらに210m下った尾根先には牛伏城があり、虚空蔵沢を挟んだ反対側には矢島城がある。

【城主・状歴】

史料、伝承等なく不明。大正十一年刊行の「小県郡史」には「アラ城址」として以下の記載がある。

「アラ城は上田市常盤城區字太郎山の七合目にある山城なり。本郭は方二間にして、北方に堀切あり。東、南、西の三方は峻坂なれど、其の南方のみには降下するに随ひ工事を施せり。即東西五間、南北二間の一郭ありて、次に東西三間、南北二間の一郭、次に東西七間、南北三間の一郭、次に方二間の一郭、次に堀切、次に方一間小郭、次に堀切あり。これより漸次山腹に連なる。所傳なし。或いは村上連珠砦の一にして、牛伏城と此城を併せて一郭と見るべきか。」

荒城見取図①
主郭の前に三条の堀切を穿ち、主郭の手前は段郭と高い切岸で防御。主郭の背後は岩盤堀切一条、その背後を二条の堀切。

【城跡】

11×6の単郭の前後を堀切で防御した物見砦であろう。この場所からは東尾根筋の花古屋城は見えず、尾根先の牛伏城との直接連絡も難しい。飯綱城は「指差しゴウロ」のある支脈が邪魔でほとんど見えない。

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最初に現れる堀切㋐。かなり埋まっている。

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堀切㋐と堀切㋑の間は緩い勾配で削平は不完全なまま。

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こちらはしっかり残っていました。

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主郭手前の堀切㋒。宮坂武男氏は二重堀切の一条が半分埋まったように記載しているが、当初から二条目は片側のみだろう。

小県郡史が最後に推察しているように牛伏城と荒城が「上の城と下の城」の関係だったのか?の判断は難しい。直接の連携を行うにはあまりにも距離があり過ぎると思う。
その点、矢島城のある場所は視界に入るので、宮坂氏が推定するように荒城は矢島城の詰め城(物見の城)と考えらる。

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堀切㋒から見上げた主郭手前の切岸。小さな段郭を重ね左側に虎口があったようだ。

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石積で補強された主郭の切岸。この辺の手法は飯綱城、物見城や花古屋城と共通している。

主郭は地山を削り削平して背後をわざと削り残し主郭を目隠しする工法で、ケムリノ城、物見城、花古屋城も全く同じ作りである。村上連珠砦がほぼ同じ時期に作られ同じドクトリンで設計された事を物語っているように思える。

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西側から見た主郭。

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東の通路側からみた主郭と背後の削り残し。搦め手からの敵から中枢部が見えないようにする工夫だろうか。


【太郎山山系を楽しくつくる会の皆様の城址整備活動】

昨年、小生は事務局の早川様にお誘いいただき「太郎山山系を楽しくつくる会」(会長:内田守之氏)に入会させていただいた。
この会は、その名の通り、太郎山山系の登山道の整備や史跡、城址整備などに以前から積極的に取り組み、最近では上田市教育委員会と連携して村上連珠砦や中世の城郭に関するセミナーや勉強会を定期的に行い、ここ数年の村上連珠砦の整備事業に関しては小生も会の皆様の努力と行動力には感謝の気持ちで一杯です。

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今回まさか荒城も整備して看板があるとは夢にも思いませんでした・・・

飯綱城と牛伏城の整備は昨年の活動で存じておりましたが、まさか荒城まで実施していたとは、いたみ入ります。
内田会長の村上連珠砦に対する情熱と会の統率力は素晴らしい。

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こちらは牛伏城の案内看板。

今年の11月は全国山城プレサミット、来年はいよいよ本番の全国山城サミット上田大会本番なので、小生も微力ながらお手伝いさせていただく予定です・・・

さて、話を城跡に戻しますか・・・(笑)

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主郭背後の岩盤堀切㋓。やはり村上連珠砦には岩盤堀切が良く似合う。

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堀切㋔。

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城域最終の堀切㋕。この先は傾斜がきつくなり高度を更に上げて太郎山の表参道に繋がっていく。

「村上連珠砦群」の全制覇を密かに狙う方がいらっしゃるようです。荒城は牛伏城までの道が無く直登していた時期は、結構難易度の高い砦の一つでしたが登山道が整備されたのでかなり楽にはなりましたが、いかんせん登り口から約1時間近くかかるので、遠見番所並みの忍耐は相変わらず必要かと…修行だと思って頑張りましょう・・・(笑)

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到着時の荒城の位置表示。

その後、太郎山山頂を目指して再び無事登頂に成功。しばらくはこのルートは遠慮させていただきます・・・(汗)

≪荒城≫ (アラジョウ アラ城)

場所:上田市常磐城(標高900m 比高410m)
攻城日:2019年9月7日(初回訪問:2010年8月15日)
お勧め度:★★☆☆☆
時間:登り口の虚空蔵堂より太郎山牛伏コースで約50分(牛伏城から30分)
見どころ;岩盤堀切、土塁など
注意:ひたすら歩くので登山靴は履きなれた靴で。
参考文献:「信濃の山城と館③上田・小県編」(宮坂武男著)、「小県郡史」


Ⓢは駐車場所(虚空蔵堂の登り口の道路脇に1台スペース有り、路駐)

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村上連珠砦群の制覇には、ある程度の経験とそれなりの体力、そして孤独に負けない精神力・・・修行僧のような心構えですね。
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Posted on 2019/09/08 Sun. 15:17 [edit]

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上田城の石垣の石切丁場 その②  

◆予定されている発掘調査が終了したら説明板を表示願う◆

昨日はお盆の最中だというのに、グンマー帝国の五覧田城➾金山城➾反町城➾上江田城➾安養寺明王院館➾館林城➾大胡城を見学してきた。さすがに高速代をケチって日帰り往復400kmは体力的にキツかったが、しっかり勉強させていただいたと思う(笑)

さて、今回はお約束の上田城石切丁場シリーズ第二弾。

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しかしながら、猛暑日の炎天下で石垣を見て歩くのは危険です!!(汗)

【太郎山表参道とは】

太郎山(1164.5m)は、上田市民の山としてトレッキングに訪れる方がシーズンを通して耐えることが無い。登山ルートも何コースかある。最近はスカイランニングのコースとして大会も開かれるが、虚空蔵山の村上連珠砦群もコースに含まれているので史跡破壊にならないか心配である。(長野市の葛山城も同様で、コースの為に一部遺構が改変されているのが判明している)

その話は後日に語るとして、石切丁場があるのは、通称「太郎山表参道」と呼ばれる登山道の途中である。山頂手前に太郎神社が鎮座するので、参道なのである。

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登り口からは距離の目安として「一丁石」から始まり、途中登山道脇に石祠で昇順が示され最後は神社の「二十三丁石」。

今回はせっかくなので石切丁場の調査ついでに太郎山の山頂まで登ったが、夏場に比高600mなど止めておけばよかった(笑)

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ご褒美の山頂からの景色。途中15人ぐらいとすれ違っただろうか。あたしの趣味は山登りじゃないので・・・(汗)

【中世の山城 花古屋城へのお誘い】

表参道の石切丁場への訪問の際は、村上連珠砦群の一つである花古屋城の見学も是非お勧めしたい。
丁石で言うと、「七丁石」から左へ入るとすぐ城跡で、北は鉄塔付近、南は東の尾根先まで。尾根先まで全て見ると戻るのが大変なので、中枢部と堀切ぐらいでも充分かと。

花古屋城はこちらの記事を参考にしてください➾花古屋城

七丁石
目印の七丁石。

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朽ち果てた登山道の標柱には「野城」とあるので、昔から城跡としては認識されていたようである。


【表参道十二丁石の石切場】 ※仮称

小生も何度か太郎山には登っていて表参道の石切場については知らなかったが、地元では上田城の石切場として古くから認識されていたようである。
規模は前回紹介した牛伏の石切場よりも大きく、かなり手が入っているのが素人目にもはっきり分かる。

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目印となる十二丁石の祠。

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登山道から東側に回り込むと遠目にも矢穴列が見える。

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近くによって撮影。作業は中断されたようだ。

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小高い丘全体から切り出したようだ。

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こちらは縦の矢穴列。

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こちらも中央の岩盤に矢穴列が残る。

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クレーター状の石切場。

やはり、疑問となるのは、ここからどういうルートで石材を搬出したのか?という事になる。材木運搬用の通路を下したのだろうか。それにしてもこの比高差は難航を極めた事は間違いないだろう。
今後実施されるであろう発掘作業で、そのあたりまで踏み込んでいただけるとありがたいのだが・・・(って結局は人任せかい・・)

まあね、そんな事も考えながら上田城の石垣を見学すると、他の石垣の城の石の産出場所と運搬方法なんてのも物凄く気になってきます・・・(笑)
小生にはそんな根気も根性も気力も無いので、専門の方にお任せしましょう! (でたでた、しょせんは他人事・・・汗)

≪太郎山表参道十二丁石 石切丁場跡≫ (たろうやまおもてさんどうじゅうにちょうせき いしきりちょうばあと) ※仮称

標高:810m 比高257m(表参道登り口より) 
採石年代:不明
場所:上田市山口
探訪日:2019年7月27日
お勧め度:★★★☆☆ 
遺構までの所要時間:表参道登山口より20分
駐車場:表参道入口の道路脇に数台分の駐車スペースあり
参考文献:「信濃上田城」(和根崎 剛編 戎光祥出版)
見どころ:矢穴など
注意事項:特になし



配置図①
国土地理院地図を使ったアプリでの位置情報に加筆修正。

【おまけ 上田城石垣の矢穴跡】

周りの観光客から見たら、このクソ暑いのに石垣を端から端まで見てる変人に映ったと思います。

矢穴の跡を探してただけです・・・・やっぱそれも変人か・・・(汗)

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石垣でこんだけ使っているのだから、洪水で流されたらショックだろうな・・・「えっ、また山から切り出すの?」絶望感・・(笑)


Posted on 2019/08/16 Fri. 19:38 [edit]

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上田城の石垣の石切丁場 その①  

◆石切り場は産業遺構として将来に向けて保護されるべき貴重な資料の宝庫である◆

信濃国上田藩に在住の小生が、どんなに豊臣時代~江戸時代にかけての大坂城の研究を重ねて対外発信しても、一部の方から労いの言葉を受けても、共感や感動を与える事はほぼほぼ不可能であろう。

なので、「地元のヤツが熱く語る地元の城!!」というのが小生の基本的なマニュフェストポリシーである。

と、偉そうに小生が声高に叫んでも何の説得力も無い・・・(汗)

そもそも、城郭ヲタクマニアへの道の入口が近世城郭であったとしても、土の城ばかり見てきた身で、今さら石垣フェチ専門になれるか甚だ疑問ではある・・・(笑) 算木積み?何ですかそれ?積み木崩しは穂積ぺぺ?(爆笑)

日頃、「地元の城は、地元のヤツらが暑い熱い思いを込めて語るのが説得力があるのだ!!」なんて嘯いているが、仙石・松平氏の手になる上田城については、表面的な知識しか持ちえない愚かさに反省しきり。なので最近地元最強の輩(和根崎さん、偉そうにスミマセン・・・汗)が書いたこの本を読んで勉強してみた・・・(笑)

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この手の専門書は戎光祥出版さんの独壇場であろう。編者の上田市教育委員会の和根崎氏は影の上田城主と噂されている(笑)

和根崎さんには申し訳ないが、この本で一番興味を引いたのは「第二部 発掘調査の進展・成果」の「Ⅲ 石切丁場の分布調査」という森岡秀人氏の寄稿であった。
あたしゃ不勉強で申し訳ないが、知る人ぞ知る考古学のスペシャリストで、石垣のスペシャリストでもあるようです。

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上田城二の丸の北虎口の石垣。

私たちが近世城郭を訪れてます感動するのは、その威容を余すことなく誇る石垣であろう。

ところが、あまりにも「近世の城跡=石垣のある風景」が当たり前に浸透して見慣れてしまった結果、

「この巨石は元々何処にあったものなのだろう?」

「重機もクレーンもダンプも無い時代にどうやってここまで運んだのだろう?」

「石を切り出して加工する工程はどうやったのだろうか?」

という素朴な質問すら思い浮かばない哀しい無関心なその他大勢の人になりつつあるような気がするし、小生もその一人である。

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尼ケ淵と呼ばれる上田城の南側の崖渕の石積は、千曲川と太郎山の地下水による浸食を防ぐ護岸用の石垣だという。


【上田城の石垣の石切場】 

地元で昔から認知されているのは、市民の山として親しまれている太郎山の表参道の途中脇にある石切り場で、その他には同じ太郎山の西側の虚空蔵沢の登山道「牛伏・白蛇コース」の登り口の虚空蔵堂裏手及びルート途中にある村上連珠砦の山城と伝わる牛伏城手前の石切場で、他に伝承としては虚空蔵沢の西側の眉見林の「指さしゴーロ」や和合沢(御廟の沢)、山口北方の岩(ほこの首)があるようだが、現地調査をしていないので、はっきりとしたことは分からないと森岡氏秀人氏は記している。

太郎山石切場
千曲川の常田大橋付近から見た太郎山の石切場の分布。


【虚空蔵堂及び牛伏城手前の石切丁場】

今回ご案内するのは、上田城の石垣の太郎山に現存する石切丁場二ヶ所のうちの一つ、西側に位置する「牛伏城石切漁場」(仮称)である。
場所は国道18号線上田バイパスの緑ヶ丘の交差点信号を北に入った虚空蔵堂裏手と、そこから太郎山登山道の「牛伏・白蛇」ルートの中世山城の牛伏城の手前100m付近にある。

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虚空蔵堂の参道。

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社殿の裏側の何気ない剥き出しの岩肌に、見事な矢穴列が・・・。

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前の写真を拡大。まさかここに石切場があったとは・・・灯台元暗しを実感した次第・・・(笑)

ここでの虚空蔵堂付近での採石は早い段階で産出量に限界をきたしたのであろうか。

真田信之の松代藩への配置換えに伴い、小諸藩より転封となり異例とも言える幕府の許可と莫大な資金援助を受けて上田城の近代城郭への再興に着手した仙石忠政(センゴクでお馴染みの仙石秀久の嫡男)であったが、その築城工程はかなり難航し、早い段階で資金も底をつき、彼の死と共に工事は中断された。

その後改修工事は再開される事も無く、忠政の跡を継いだ仙石政明と入れ替わる形で、出石藩主だった藤井松平の忠周が5万8000石で上田藩に入封となるが、明治維新まで度重なる水害による尼ヶ淵護岸用石垣の申請のみだったという。
しかし、その石垣補修は資金不足に加え、原材料や石工の確保が難しく相当な苦労の連続だったという。

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牛伏石切場(仮称)へは、虚空蔵堂から最近整備された「牛伏・白蛇」登山ルートを約20分ほど登る。迷うことは無い。

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牛伏城手前の石切場。クレーター状の凹地に剥き出しの岩盤が出現するので、それと分かる。

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岩肌には矢穴の跡がいくつか散見出来る。

この場所から100mほど登った場所に村上連珠砦の一つと伝わる牛伏城があるが、土塁の周回する単郭の周囲に数段の段郭、主郭の背後を太い一条の堀切で断ち切った戦国時代初期の砦と推定され、石切場の石を使用している形跡は見当たらない。

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昨年「太郎山山系を楽しくつくる会」の皆様により登山道と城跡の整備が実施された牛伏城。宮坂氏の縄張図も設置され有難い。

牛伏の石切丁場は、虚空蔵堂からさらに比高100m以上あり、少なくとも二ヶ所の採石場と数段の加工用の平場があり、砕石が散乱している。
問題は、このような高い場所から切り出された石材の搬出方法と経路であろうか。

周辺を探索してみると、南東の斜面に塹壕状の搬送路のような形状が麓に向けて続いている。従来の伐木材の運搬経路を利用すした事も考えられるが、垂直に近い斜面を落下させた荒っぽい運搬方法案外もありかと・・・。

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採石の跡を物語るクレーター状の凹み地。この写真が「土塁と直虎口」に見える方は治療が必要かと・・・(笑)

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石切場の南の斜面側に展開する段郭。

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散乱する石はここが加工を兼ねた作業所だった可能性を否定していない。


≪牛伏石切丁場跡≫ (うしふせいしきりちょうばあと) ※仮称

標高:650m 比高150m(R18上田バイパス交差点より) 
採石年代:不明
場所:上田市常盤城
探訪日:2019年7月21日
お勧め度:★★★☆☆ 
遺構までの所要時間:虚空蔵堂より20分
駐車場:無し(虚空蔵堂の登り口の道路脇に1台駐車スペースあり)
参考文献:「信濃上田城」(和根崎 剛編 戎光祥出版)
見どころ:矢穴など
注意事項:特になし


Ⓢは虚空蔵堂の位置。

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国土地理院地図を使ったアプリでの位置情報に加筆修正。

次回は、「太郎山表参道 十二丁石 石切丁場」(※仮称)についてのレポートになる予定です。

Posted on 2019/08/13 Tue. 20:34 [edit]

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二場城2 (リテイク 小県郡青木村当郷)  

◆信濃先方衆、青木村にて今シーズンの山城納め その4◆

青木村の今シーズンの最終は当郷地区にある「二場城(ふたばじょう)」。相方のていぴす殿のリクエストに応じたのですが、小生もこの城を訪問するのは実に9年ぶり・・・。

当時の曖昧な記憶では、雑木林に覆われた曖昧な遺構しかなかったように思えたのだが、今回は「スッキリ」(笑)
初回訪問の記事はこちらを参照➾ 二場城

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一瞬見上げた二場城のその光景に我が目を疑い、すわ、「史跡破壊か!」と思ったが、里山再生事業で史跡部分は問題なかったので一安心。

【立地】

上田市室賀と小県郡青木村の境に位置する飯縄山(いいずなやま 932.4m)の南麓の支尾根624mの先端に築かれた砦で、麓には見返りの三重塔で有名な大法寺、砦から北へ600mにはこの砦の本城とされる黒丸城がある。
古来、東山道の浦野駅があった場所の近くにあり、室賀峠、青木峠、保福寺峠からの往来を見張るには格好の場所に位置する。

二場城見取図①
ざっくりこんな感じの砦。

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郭3。伐木によりその全貌がお出まし。前方には土留めの石積が確認出来た。

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堀切㋐の東側に接続する腰郭。以前は藪に埋もれていた石祠が日の目を見ている・・・。

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その上の郭2と主郭の接続部分には石積みが見られる。


【城主・城歴】

小県郡史には二場城址として「二場城は浦里村当郷字日向の山の頂にあり。本郭は東西の幅、南邊にて十七間、北邊にて五間、南北十八間三尺あり。西南の方凡七尺低下して長二十七間、幅四間三尺の腰郭を南より西へ巡らす。更に南下して長九間、幅三間の腰郭あり。東南㋑下りて長十四間、幅三間の腰郭あり。北の方に堀切三箇所あり。所傳なし。」とある。

長野県町村誌にも黒丸城の麓にある砦として記載があるが、「何人の城址か詳ならず」としている。

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主郭と郭2。切岸はしっかり造作されている。

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主郭の切岸には土留めの石積が確認出来る。かなりアバウトな積み方なので戦国初期のものであろうか。

【城跡】

主郭は茄子のような形で東側に長さ15m、高さ1m弱の土塁がある。主郭背後の北側の尾根は二条の堀切㋑と㋒で遮断されているが、上巾はいずれも4~5m程度で脆弱である。
主郭の南側は三段の腰郭があり、削平はしっかりしている。西尾根を堀切㋐で遮断しているが、かなり曖昧な作りである。

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主郭の東に残る土塁痕

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南側から見た主郭(39×26)

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主郭から見た郭2とていぴす殿と南側の山々。東山道の監視には絶好の立地条件である。

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主郭背後の堀切㋑。

全体的に単純な物見砦の域を出ない作りで、堀切も浅く加工度も低い。黒丸城の砦として機能したと思われるが、戦国末期には捨て置かれたように思える。

9年前は笹薮に覆われて細部の観察は出来なかったが、今回尾根先全体を伐木し笹薮も完全に刈り払われた事で、貴重な遺構を目の当たりにすることが出来てラッキーだった。


≪二場城≫ (ふたばじょう 朝倉但馬守城)

標高:622m 比高80m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小県郡青木村当郷
攻城日:2019年4月28日(初回訪問:2010年)
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:15分
駐車場:無し
見どころ:堀切、石積み、切岸など
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 「小県郡史」
その他:現在伐尾根全体を伐木作業中なので、作業の無い日曜日のみ入山可能。植林もしているので、見学時に新たに植えた苗木を踏まないように注意が必要。

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毎度の事ながら、城址に重機が入っているとゾッとします・・・(汗)


Sは路駐場所(バス停近く)。集落内は狭いので駐車しない事。

Posted on 2019/05/10 Fri. 23:04 [edit]

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城山 (小県郡青木村奈良本)  

◆信濃先方衆、青木村にて今シーズンの山城納め その3◆

前回紹介した「乗城」と「石川陣跡」そして、今回ご案内する「城山」の城址は、信濃先方衆の相方である「ていぴす殿」が「青木村誌」から得た情報を元に探訪している。

小生の地元バイブルである「小県郡史」には全く掲載の無い城跡なので、宮坂武男氏も未訪問に終わったのであろうか?

いずれにせよ「地元の城は、地元のヤツがキチンと調べて、世間に公表しなければならない」・・・この事である・・・(笑)

滝仙寺館(青木村) (5)
城山は麓の真田家家臣「池田出雲守定信」の居館である瀧仙寺館の要害と伝わる。(写真は2015年4月の改修工事中の瀧仙寺)


【立地】

小県郡青木村と松本市横川の境に聳える御鷹山(1623m)から派生した支脈の917mの尾根先にあり、滝川ダムの北東に位置する。城山麓には池田出雲守定信を中興の祖とする瀧仙寺がある。寺院が建立される前は在地土豪の居館がおかれ、池田氏の代になり改修が続けられたという。

城跡の背後まで林道が入っているが、途中からかなりの悪路になるので、オフロードのジムニークラスでも厳しい。滝川ダムへの道との分岐で無理せず車を捨てて徒歩で行くのがお勧めだが、松茸山なので7月~11月は無用のトラブルを未然に防ぐためにも入山しない事。

城山跡縄張図(青木村) - コピー1
久々に巻き尺で測定しつつ自力作製した縄張図。下には断面図を参考に付け足しておいた。

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郭2から見た主郭と堀切㋐。

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主郭から見下ろすとこんな感じ。

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切岸の角度と堀切の大きさが知りたい方の為に「ていぴす殿」に登場願おう・・(笑)

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堀切㋐の東斜面側には竪土塁を挟んで竪堀㋔を追加普請している。

【城主・城歴】

「青木村の史跡と文化財」には「城山は山城で池田氏の居城跡と伝えられている。築城年代は不詳。」と記している。地元では烽火台であるとの伝承もあり、青木村では平成三年四月に本郭を調査したというが、残念ながら炭やその他の遺物等も見当たらず狼煙台としての使用を裏付ける証拠は見つからなかったという。

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楕円形の主郭は背後の堀切側を削り残してU字型土塁としている。この辺の山城で良くみられる手法である。

良くわからないという方は、上の写真といたずら書きをしてみた下の写真を比較するとご理解いただけるかもしれない・・(汗)

城山主郭①

実は、こういうアグレッシブな補助線を書き加える手法は城マニアの皆さまから見れば元来ご法度なのだろうが、写真をただ掲載してあるよそ様のブログやHPを拝見してもさっぱり分からなかった(失礼・・)事に疑問を持ち、編み出した手法である。

「小学三年生でも分かる山城ブログ」・・・って言い過ぎか・・・(笑)

この趣味に限らず、誰でも初心者からスタートして経験を積みレベル上げしていく。ある程度のレベルになったとしても、入門してくる初心者を思いやる心を忘れてはいけないと思うのです。(ローマは一日にして成らず・・・何のこっちゃ・・笑)

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主郭の南側の切岸には石積みが残る。かなり崩落したようだが、平土留めようの平石が確認出来る。

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かつては本郭の周囲を囲むように平積みの石積みが残っていたという。

青木村誌では続いて「築城についての記などが記録皆無の為、池田氏の居城との伝承も明らかではないが、本郭からの眺望がすこぶる良い事、また構築の全容からみて、郭が小規模であることからして、山麓に居を構えたであろう土豪の、見張りの砦あるいは烽火台などとしても考えられる山城である。」と記載している。


【城跡】

当初、青木村誌の縄張図を見た時に、「単郭に段郭を重ねた程度の簡易な物見砦」ぐらいに考えていたが、現地踏査するとかなりしっかり手の加えられた山城であり驚いた次第である。

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主郭背後の二重堀切を主郭より見下ろす。

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いわゆる「W型」と呼ばれる堀底を持つ二重堀切。北側は集合掘りとして竪堀となり北側斜面を遮断している。

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二重堀切から見上げた主郭の切岸。

城山跡縄張図(青木村) - コピー1
再度縄張図を掲載します。

主郭は楕円形で背後は削り残したまま。土塁で囲む意図は無く、背後の二重堀切との切岸の高さを稼ぐためであろう。主郭の前後を堀切で遮断し、東側の堀切の先には削平が不完全な郭2(19×15)を置いて切岸加工している。また、傾斜の緩い南斜面側には数段の段郭を置き攻城兵を頭上から攻撃できる空間を造作している。
搦手には二重堀切を設営し、尾根の林道手前に上巾10mの堀切で遮断している。

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二重堀切の堀切㋒はかなり埋没している。

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郭5(8×4)

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郭3(20×10) しっかり削平されている。

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郭4(14×4) 真面目に測量するってのも久しぶりでした(笑)

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郭3から見た堀切㋐への切岸。

当初は物見台程度の平場が、武田軍の占領下において境目の山城として改修されたものであろうと推察される。黒丸城ほどの戦国末期の技巧性は無いが、西城や東城と同様の時期の改修が考えられる。

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二重堀切の先の郭6。削平は曖昧だ。

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搦手の堀切㋓。自然地形のように見えるが、東斜面の遮断の為に加工されたとみてもよさそうである。

以上見てきたように、青木村誌のいう小規模な烽火台跡ではなく、地元の豪族が境目の危急を知らせる砦として大勢力が改修を命じて詰めさせた砦と考えるのが妥当な気がする。

武田氏時代には青木峠や保福寺峠などの主要街道の見張砦として使われ、信玄亡き後の第二次上田合戦の際には、保福寺峠からの侵入に備えて真田の守備兵が入ったものと想定するがどうであろうか。

古城(青木村沓掛) (5)
対岸の沓掛温泉にある古城の登り口から見た城山。


≪城山≫ (じょうやま)

標高:917m 比高:217m(滝川ダムとの林道分岐点より)
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:小県郡青木村奈良本
攻城日:2019年4月28日、2019年5月3日(再踏査、縄張図作成)
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:30分
見どころ:二重堀切、切岸、郭など
付近の城跡:平城、古城、瀧仙寺館など
注意事項:止め山にて7月~11月末までは原則不可
参考書籍:「青木村誌」
SpecialThanks:ていぴす殿


※Sは路駐可能な箇所。四駆でもスタックしそうな轍の酷い荒れた林道なので、歩いて行きましょう。

Posted on 2019/05/06 Mon. 22:06 [edit]

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