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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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飯田は今日は土砂降りでも雨天強行の信濃先方衆 その③  

◆春雨じゃ、濡れてまいろう~雨降りのラストは飯田城アラカルト◆

だいたいね、ダイジェストなんて1週間ぐらいで記事にしなくちゃ意味ないのに、1ヶ月もかけてます・・・(笑)

「年度初めは忙しいんですよ!」と嘯いてみるが、ものぐさ太郎であることは間違いない・・・(汗)

今回ご案内するのは、今さらの飯田城・・・十数年ぶりかしら。当時はざっと見ただけなんで、結構見落としてる場所もあったよね。

飯田城2021 (19)
案内看板によると、赤い文字の場所が城に関する遺構らしい。

南信濃は相方の「ていぴす」様のテリトリーなので、主な見どころを彼に案内してもらった。

●本丸跡

長姫神社のある場所が本丸跡。松川川の斜面に古い石積跡がある。

飯田城の本丸石積跡
ここは案内図には載っていない本丸の石積の跡。

●二の丸跡

飯田城2021 (1)
この下に井戸(水の手)があったらしい。

●水の手坂・水の手御門

ここに立派な石垣があることを初めて知った次第(汗)

飯田城2021 (4)
「水の手坂」には御門の他にも立派な石垣が残る。

飯田城2021 (7)
水の手御門の石垣(南側)

飯田城2021 (6)
水の手御門の石垣(北側)

毛利・京極時代の飯田城は、ここが大手門だったが、慶長年間に小笠原秀政が城主になると城を積極的に改修して大手門を西側に変更し、ここは搦め手門となったようだ。廃藩置県により建物や門が撤去されてしまったが、かなりの気合を感じる(笑)

●櫻丸御門(通称:赤門)

飯田城で最も有名な遺構であろう。その昔はかなりなインパクトがあったのに、うっかり通り過ぎてしまった。

最初に見たときは、かなり傷んでいて、門も開けてあったが、今回は閉じていたのでびっくり!

飯田城2021 (16)
ええい、後ろの合同庁舎が邪魔だ!!

本丸が町から遠いので、櫻丸の政庁を置き執務を行ったという。

飯田城2021 (18)
趣のある佇まいが素敵ですw

●飯田城の紅梅

昭和二十八年、飯田動物園が開設の折りに江戸町飯田藩士邸より移植されたという。飯田城の城主堀氏は、寛文十二年(1672)初代親昌が下野国の烏山から移り、脇坂氏から代わって以来十二代親広まで続いて明治維新を迎えた。
この名木は藩士原某が、藩主から拝領したものと伝わる。(現地説明板より)

飯田城2021 (10)
雨の日の紅梅もおつなもんですよ。

●飯坂城(推定)

当初この地域を収めていた坂西氏が飯田城を築く前に本拠地として使用していたのではないかと伝わる。
飯田城から見ると西側で松川に突き出る尾根の先端に位置する。(現在のハローワークの東側)

現在は愛宕稲荷神社が勧進され、遺構は何もないが恐らく単郭の館城だったようだ。神社に建立された石碑に城址の記載がある。

飯田城2021 (11)
現在は神社となっている飯坂城の比定地。

飯田城2021 (8)
飯田城の水の手坂から見た飯坂城。

さて、シリーズでお送りしました「飯田方面土砂降り城巡り」はいかがでしたでしょうか?

二日目は、お約束通り雨も上がり、南信濃の山城を満喫してまいりました。

土砂降りの雨の中の城巡りもいい経験になりました・・・決して負け惜しみではありません・・(いや、悔しさが滲んでる・・笑)


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Posted on 2021/04/20 Tue. 22:08 [edit]

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飯田は今日は土砂降りでも雨天強行の信濃先方衆 その②  

◆晴れ男の記録更新を止めても見たかった南信濃の山城群とは◆

さて、ここで皆様に朗報(?)があります。

「大人の山遊び」が合言葉になった上田市行政チャンネルの山城動画「あなたも行ってみたくなる?! 上田地域の山城」第二弾の撮影が決まりました!

この手の番組でYouTubeでの動画再生回数700回はとっても立派な視聴数なんだそうですよ。ひたすら皆様のおかげでございますw

前回は地元ケーブルテレビUCVのプロ仕様撮影でしたが、第二弾は予算が取れず、とっても手作り感満載になりそうです・・・(汗)
公開予定日が決まりましたら、またご案内差し上げたいと存じます(^.^)

では、前回飽きて中断した雨の山城巡り第二弾の続きをば・・・・


【龍江城山城】(たつえじょうやまじょう)

前回ご案内した兔城(とじょう)から約1km南の龍江ちくの丘陵部の先端に位置する。
桃井氏が居城とした兔城は、上の城(原城)の出城とされているが、未だに所在が不明であり、この場所も候補地とはなるが人里離れているし、以降も曖昧なため断定には至っていないという。

龍江城山城 (1)
土砂降りの中、堀形らしきものが確認できる

龍江城山城 (6)
西側のはしっかりとした堀切が確認できる。おそらく貫通していたものを耕作地化により中央部は埋められた可能性がある。

龍江城山城 (10)
主郭は残念ながら薮である。

龍江城山城 (11)
雨の中の主郭を踏査する「ていぴす」さん。槍が降ってきても止めないんでしょうね・・・(笑)

もはや怪しい人たちである・・・(汗)

竜西地区への眺望は良いらしいが(雨で見えない)、近くに集落もなく、古道からもだいぶ外れたこの場所になんで?

我々は降りしきる雨の中、竜東地区を離れ、天竜川を渡り竜西地区へと向かった。


【飯沼城・原ノ城】

止みそうもない雨天強行軍、市街地の城館へ繰り出すことにした。

しかし、山間部の山城と違い、いくら雨降りとはいえ「怪しい人たち×2乗」である。まして学校の敷地内を通過するのは日曜日以外は確実に通報を覚悟するところだったが、この日は日曜日であったので助かった・・・(汗)

飯沼城&原ノ城 (16)
飯沼城の主郭跡にはは現在飯沼諏訪神社が祀られている。

飯沼城&原ノ城 (4)
神社主殿の背後は、巨大な土塁が半周するように残っている。

飯沼城は史料、伝承等なくはっきりしたことはわからないが、城名からして飯沼氏の本城であろうと考えられている。
飯沼氏は応永七年(1400年)に勃発した大塔合戦の時の守護小笠原長秀の援軍の中にその名がみえるという。

現在の城跡は、中学校の敷地、宅地化、飯田線による改変で、本郭以外は現状を留めていないが、河岸段丘を利用した城館であったと推定されている。

また、飯沼城と原ノ城は400mの至近距離で隣接しており、途中になんの障害物もないことから、密接な関係があったと思われる。

飯沼城&原ノ城 (22)
原ノ城の主郭の土塁。

残念な事に原ノ城も見晴山と呼ばれる段丘の先端部以外は宅地や事業所の敷地として改変されてしまい往時の遺構がほとんど残っていない。

飯沼城&原ノ城 (21)
低い土塁が周回しているが、往時はもっと高かったと推定される。

飯沼城&原ノ城 (26)
見晴山と呼ばれるだけのことはある眺望。

飯沼城&原ノ城 (30)
この城の見どころである主郭先端の東から北にかけての横堀。戦国末期の改修であろうか?

このあたりは、当初坂西氏の所領であったが、知久氏の台頭によりその配下の黒田氏の所領となり、その後知久氏が武田氏に滅ぼされると、座光寺氏の所領へ。さらに武田滅亡後は、松岡氏の領地と、目まぐるしく変遷している。

さてはて、今夜も飽きてしまったので、続きは③へ・・・。 (まだ続けるんかい・・・・笑)

Posted on 2021/04/12 Mon. 21:46 [edit]

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飯田は今日は土砂降りでも雨天強行の信濃先方衆 その①  

◆晴れ男の記録更新を止めても見たかった南信濃の山城群とは◆

♪雨あめ もっと降れ わたしのいい城連れてこい 雨あめフレフレ もっと降れ・・・♪・・・(笑)

土砂降りの雨の中を城巡りなど、狂気の沙汰かと思うかもしれないが、「春雨じゃ、濡れて参ろう」・・・この心意気である(笑)

我ら信濃先方衆、ホントは南信濃の大河内八重城を攻略するべく共同戦線までは合意したものの、お互い現役の勤め人ゆえに、なかなかスケジュールが合わず、3月21日&22日で決行とした。同じ長野県とはいえ、上田市から飯田市までは片道200km。日帰りでは無理な距離なので、一泊二日でビジネスホテルを予約しての城攻めである。

今さら、雨が降ろうが槍が降ろうが、決行するしかなかった・・・この事である・・・(汗)

まあね、最近の天気予報が外れるはずも無く、初日は予想通りの土砂降りの雨さ!!(笑)

【神之峰城】

諏訪氏の分流である知久氏が天竜川の東一帯の竜東地域に勢力を伸ばし、更に竜西の一部まで取り込み知久平に居館を置いていたが、戦国期に入りここ神之峰に築城し本拠地を移したという。
天文二十三年、伊那に侵入した武田信玄に最後まで抵抗するが落城し没落。武田氏滅亡後の天正壬午の乱で徳川方に付き家名再興を果たし旧領回復するも、天正十三年に改易される。

神之峰城 (1)
神之峰城は城の中枢部まで車で登れる。

「信濃の山城は800以上探訪しました!」みたいな偉そうなことを平気でYouTubeで言っているが、南信濃の山城を語るには必ず押さえるべき知久氏の「神之峰城」(かんのみねじょう)が未訪なのは隠していた・・(汗)

神之峰城 (3)
写真だと雨降りに見えないのが不思議だ・・・

神之峰城 (20)
主郭はNHKのテレビ塔が建つ

神之峰城 (13)
遠く上伊那まで見渡せるという郭2からの眺望・・・残念ながら心の目でみるしか無かった・・・(涙)

詳細はそのうち・・・(笑)


【知久平城】

知久氏が神之峰城に移る前に本拠地として居館が置かれていた。知久氏が神之峰に居城を移すと、出城として機能していたようである。
天上壬午の乱で徳川方として復帰を果たした知久氏であったが、下伊那の大半が徳川の勢力圏となると、徳川に尽力した下伊那の松岡氏、下条氏は利用価値が無くなり滅ぼされてしまった。家康は奥三河田峯城の菅沼一族である菅沼小大膳を伊那の郡司に任命。菅沼小大膳定利は知久平の居館を大規模改修して築城を始めた。神之峰城の知久氏の当主はまだ幼少で、後見人が知久平城で菅沼氏によって暗殺されると、危険を察した知久一族は大久保忠世を頼り浜松へ落ち延びた。
其の後、菅沼氏も飯田城へ移り知久平城は天正17年~18年にかけて破却されたという。

知久平城 (14)
案内板はあるものの、標柱も説明板も無い主郭。

知久平城 (18)
何故か出丸には標柱がある。

知久平城 (19)
城らしい雰囲気が残る出丸。

降りしきる雨の中、傘をさしてRainジャケットと長靴を履いたオジさん二人・・・いかにも怪しい(笑)

戦国時代の下伊那の諸豪族が辿った運命は悲哀というしかない。結局戦国時代を生き延びたのは、高遠の保科氏、松尾小笠原氏だけである。(知久氏は、その後家康に認められて阿島原籏本として復帰したが)


【兔城】(とじょう)

知久氏の配下だった桃井氏の居城と伝わる。城の東側に廃棄物処分場が作られ削られてはいるが公園として整備され旧態を良く留めている。武田軍により神之峰城が落とされると、この兔城も落城し以後は使われることは無かったという。

兔城 (11)
主郭の背後の段付きの巨大な箱掘

兔城 (18)
公園化された主郭。訪れる人も遊ぶ子供も絶えたのであろう。古城の佇まいとはこういうものであろう。

兔城 (21)
主郭の背後の巨大な土塁は高さ3m以上で上部がしっかり叩かれて補強されている。見どころの一つだ。

蓮郭式の単純な縄張だが、造りはなかなかに堅固で少数でも守り易い城である。

今日は飽きたので、この辺で。続きは②へ。

Posted on 2021/04/05 Mon. 21:15 [edit]

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山城探訪に手ごろな新兵器登場か?  

◆重たい巻尺とサヨナラ出来そうな予感◆

先日、スマホをiPhone12に機種変更したのですが、計測機能が付いている事に気が付いた。(おーい、今頃かい・・・笑)
※iOS12以上のスペックがあればiPhone12以前の機種でもOKらしい

計測アプリ①

「はて、機械音痴の根っからの昭和時代の原始人にこのような最先端の道具が使えるのだろうか?」

まあね、「習うより慣れろ!」とは良く言ったもので、なんとか使えるようになった。
(ポケモンGOでお馴染みになったARという技術らしいが、小生には仕組みすら理解できない・・・汗)


計測アプリ (1)
なんか、面積も計算出来るらしい。シャッターボタンで画像も撮影出来るのがイイね。


そういえば、以前にテレビでこの計測機能を使って身長を図ったりビルの窓枠の測定もやっていたのを思い出した。

「山城の現地の計測に使えたら面白いだろうなあ、あの重たい巻尺要らなくなるよね。現地でチョッと試してみようか」

少しでも楽したいし、山城へは出来るだけ軽装備で身体に負担を掛けたくない・・・この事であった・・・(笑)

それに、小生のお知り合いの城友さんの何人かは土木用の最先端の光学計測器を持っていて、堀の深さや土塁の高さなんかを簡単に表示させていた。でも、結構お値段も良くて、買えそうもない。「よし、これで少しは対抗できるのか?」

【実験その1.鷲尾城】 千曲市倉科

なんでこの山城かって?15分くらいで登れるし、石積みの垂直も計測してみたいし一通りパーツ揃ってますもの。

計測アプリ (21)
まずは正面主郭虎口の左側の石積みから。(垂直の計測試験)

計測アプリ (11)
おお、なかなかいいねえ。小生の身長よりも高い石積みなので、数値としては正確だよね。

土木用の光学計測器と違って、難点は測定物に近づかないとダメって事かなあ。

なので、平面を測定するには起点から終点まで歩かないといけない・・巻尺を引っ張ったり、巻いたりする作業が省略されたと考えればいいのかなあ・・・(汗)

お次は主郭の計測。

計測アプリ (8)

計測アプリ (3)
背後の土塁から虎口までの距離は36.35mの表示。

あくまでも起点から終点までの長さの計測なので、堀切を計測しても垂直の深さではなく堀底までの斜面の長さである。

計測アプリ (5)
主郭背後の堀切の堀底までの計測値。ほぼ垂直に近いので数値としては悪くない。

計測アプリ ②
郭2の背後の三重堀切。数値が写真に入ると具体的に想像できるメリットはあるよネ。


【実験その2.塩崎城】 長野市篠ノ井塩崎

ではチョーシこいたついでに、久しぶりの塩崎城へ行って遊んでみた(笑)

この山城もすべてのパーツが揃っていてお手軽に訪問出来る北信濃お薦めの山城である。

計測アプリ (28)
麓にある長国寺の駐車場をお借りして寺の裏山へ初心者でも約30分で登れますよ。

まずは主郭と郭2の間にある石積みから。(この山城独自の特殊な防御施設。これ見るだけでも価値があります)

計測アプリ (29)
おそらく石積みの上には狭間付きの板塀があり、攻城兵を狙撃したんでしょうね。迫力あります!

計測アプリ (13)
計測値は1.89m。小生の身長よりちょっと高い程度なので、あってるみたいです。

計測アプリ (46)
全体はこんな感じ(上の削平地が主郭)。作りかけで放置されたような感じもするし・・・。その目で確かめてね。

実は郭4にも似たような石積みの突き出しがあります。

続いて主郭を計ってみました。

計測アプリ (15)
縦21.83m。それより背後の土塁が気になるかしら?

計測アプリ (14)
横は26mだって。

この山城、見どころが沢山あるので真面目にリテイク記事を書かねば、と思っていますが、いつになるやら・・・(汗)

せっかくなので、西の尾根を叩き切って集合掘りとなる絶望的な落差を誇る三重の連続堀切の写真をあげておきます。

計測アプリ (34)

計測アプリ (36)

計測アプリ (37)

【結論】

重たい巻尺持って歩くよりもはるかに便利な機能でした。なので、今後は山城ライフで活躍してくれると思います。

そうはいってもスマホなので、落としたりすると大変!なので、小生は三脚付きの自撮り棒(これが便利なんです)にしっかり固定して「万が一」に備えましたよ(笑)

なんで他の人は使わないのかなあー。えっ、7万円はする光学測定器みんな持ってるの??凄いなあー(汗)

せっかくなので、今回訪問した山城の場所を掲載しておきます。
※お手軽といっても、トレッキングの支度で。特に靴はしっかりした靴でお願いします。

鷲尾城地図1①
鷲尾城は急坂を登るのでゆっくりで20分くらいかなあ。倉科将軍塚古墳の背後の二条の堀切も見てね。中級者は北西尾根の段郭と土塁に囲まれた郭をちゃんと調べてネ。


塩崎城地図①
塩崎城は長谷寺から案内板があるので迷う事はないが、鉄塔からの道が部分的に岩場になっているので足元注意。ゆっくりで30分くらい。主郭と郭2の北側の登り石塁は必見。その先の北斜面に横堀と竪堀も必見。城域背後の三重の堀切は集合掘。見どころ満載です!!

Posted on 2021/03/04 Thu. 21:11 [edit]

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2020年の年末に寄せて  

◆今年も「らんまる攻城戦記」をご覧いただきありがとうございました!◆

コロナ禍に明け暮れた2020年も既に年の瀬。皆様にとってはどんな1年間でしたでしょうか?

春先の山城巡りは緊急事態宣言の発令で棒に振り、「全国山城サミット 上田・坂城大会」は長野県在住者限定の現地アテンドツアーになってしまいましたが、春風亭昇太師匠のビデオ撮りに参加させていただいたり、動画配信された基調講演会では撮影時に長野県の山城研究田一人者である河西さん、竹原さん、遠藤さん、尾見さんの本番を信濃先方衆が目の前で拝聴させていただいたりと良い経験を積まさせていただいた1年だったと思います。

もちろん、現地現地アテンドツアーでは大勢の皆さんにご参加いただき、信濃の山城の魅力を知って貰えたことは、大きな宝物となりました。ありがとうございました!!

動画配信③
和合城の大堀切での昇太師匠と萩原さち子さん。肖像権の関係でここまでかな・・

動画配信①
4名の先生のトークセッションの撮影準備。写真載せちゃって大丈夫かしら・・

現地ツアー①
現地アテンドツアーでは虚空蔵山城をご案内しました。登るペース早すぎで叱られちゃいました・・・ゴメンナサイ・・(笑)

来年は「アフターサミット上田・坂城大会」を予定していますので、詳細はまた都度告知させていただきます。お楽しみに!

さて、次回の新春第一弾は「宮坂本に載らない山城その2」を予定していますが、いったいいつになるやら・・・・(汗)

年末大出血サービスで、先に見取図だけでも公開しておきましょうか・・・(笑)

母袋城見取図①

では皆様、良きお正月をお迎えください!

Posted on 2020/12/31 Thu. 09:44 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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