らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0113

忌中  

先日、父が亡くなり喪に服しております。

忌中につき、2月22日までブログの更新は控えさせていただきます。

何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

by らんまる攻城戦記管理人

閻魔大王1
スポンサーサイト

Posted on 2017/01/13 Fri. 09:09 [edit]

CM: 6
TB: 0

0102

2017年の新春によせて  

◆山城探訪を始めてもうすぐ10年~小生の原点の城◆

新年あけましておめでとうございます。

毎年の事ながら、なかなか記事がアップ出来ずに「じれったい」思いをしておりますが、平にご容赦ください・・(笑)

実は小生、山城巡りをスタートしたのが2007年8月15日なので、今年で10年目となります。正確には数えた事がありませんが、今までに訪れた城は居館跡も含めて1,000を超えているものと思われます・・・。

全国を駆け巡る中世城郭の諸先輩方の足元には到底及ばないのですが、「千里の道も一歩より」と始めた山城探訪。

松尾城201612 (1)

20116年12月31日の大晦日ではあったが、ふと思い立って第一歩を記した松尾城を訪ねてみた。

松尾城201612 (4)
松尾城の登り口の日向畑遺跡周辺の石積み。10年前は崩れかけていたが、きれいに積みなおされている。

松尾城201612 (5)
登り口の日向畑遺跡は真田幸隆以前の真田氏の火葬骨を埋葬した墳墓跡らしい事が判明しているという。

では、ぼちぼち登城してみますか。

松尾城201612 (6)
最初に現れる秋葉社。まだまだ序の口ですw

松尾城201612 (8)
さらに高度を上げていくと強烈な岩場の連鎖。(岩尾根の左側にチャンと登山道があるのでご安心ください)

松尾城201612 (9)
尾根の両サイドはかなり傾斜がキツく、攻め上がるとしてもこの狭い尾根筋だけである。

さて、急斜面を息を切らして登っていくと、第一の城門(郭5)、その先に第二の城門(郭3)の石積みが威嚇してくる。圧巻の場面だ。

松尾城201612 (10)
郭5の石積み。中央に虎口が開いている。

松尾城201612 (13)
郭3の城門。侵入者を許さない威厳を持っているようだ。

松尾城201612 (14)
「馬場」と呼ばれる郭2。ここまでゆっくり登って約20分。

では、主郭と大堀切のご案内を。

松尾城201612 (15)
東側の段郭から見た主郭の石積み。社の設置で多少改変されているが往時の迫力そのままである。

松尾城201612 (16)
フォロワーさんが「屋代の鷲尾城に似ている」とおっしゃっていたが、同じころの同じドクトリンの技法には違いない。

松尾城201612 (18)
主郭の北側背後の石積み。平積みの石垣は100cm~150cmぐらいの高さで限界になる。

松尾城201612 (20)
周囲を総石積みで囲った主郭は圧巻である。

松尾城201612 (21)
主郭の内側から見た北側の石積み。背後の山に遠見番所がある。ここから片道60分程度で辿り着ける。

松尾城201612 (26)
主郭背後の上巾15mを誇る大堀切。長さ、深さ、角度とも申し分ない一級品である。

松尾城201612 (23)
東斜面を刻む大堀切。この先に水の手と搦め手道があり、麓の日向の居館に続いている。

松尾城201612 (27)
大堀切の対岸の北側からみた主郭背後。土留めの石積みが斜面を覆っていたようだ。

松尾城201612 (31)
北尾根は遠見番所へと続いている。最近、遠見番所巡りが流行っているようだが、充分な装備と体力で臨んで欲しい。

小生の山城のルーツは紛れもなくこの松尾城(松尾古城)である。

この時の大河ドラマ「風林火山」が好きな上司の命令で、なんとなく調査に出掛けたのが運命の出逢いとなったのである。

時々、慢心したり興味が持てなくなった時にここを訪れて当時の「想い」を振り返り、再びまだ見ぬ山城探訪への情熱と活力を戴くのである。

松尾城201612 (40)

≪松尾城≫ (まつおじょう 松尾古城)

標高:1033.7m 比高:211m
築城年代:不明
築城・居住者:真田氏
場所:上田市真田町横沢字日向
攻城日:207年8月15日、2012年4月8日、2016年12月31日 
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:20分
見どころ:郭、大堀切、石積の堡塁など
その他:いざゆかん、遠見番所へ・・(笑) 往復2時間孤独との戦いを楽しみましょう!!
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」「信州の古城」

松尾城201612 (1)

今年1年の皆さんのご多幸を草葉の陰からお祈りしております・・・(って、おい!縁起でもねえだろ!・・・笑)

Posted on 2017/01/02 Mon. 10:18 [edit]

CM: 10
TB: 0

1130

もうすぐ年内の信濃の山城は店じまいですよ!  

◆例年より早い冬将軍の奇襲攻撃にてんてこ舞いの日々◆

先週の11月24日の事前の長野県内の天気予報は、どこもかしこも「雪マーク」だった。

例年通りなら12月中旬くらいに夏タイヤ⇒冬タイヤに交換するのが慣例なのだが、「虫の知らせ」もあり、前日の23日の祝日に総員に登城命令を発令し一族郎党の車両の冬タイヤへの交換を終えた。

IMG_6788.jpg
オールシーズンタイヤといえども雪には無力です。昨年購入した油圧ジャッキは重宝してますw

小生の装甲車(笑)のタイヤは175/80R16というジムニー専用の特殊サイズなので、冬タイヤも夏タイヤもお値段が高い。
1台分のタイヤ購入価格で通常の軽自動車のタイヤ2台分が買える・・・(汗) なので財務省は「オカンムリ」な訳です・・(笑)

IMG_6789.jpg
ナットを締め過ぎないように適切なトルクで増し締めするのはプロの技です。

冬タイヤへの交換を終えた翌日の24日、天気予報が的中し11月の降雪としては記録的な降雪となった。
おかげで、普段は15分程度の通勤時間が90分となり閉口した。こんな日にノーマルタイヤで走る犯罪者には怒りの鉄槌を!(怒)

26日には武蔵国からの客人を案内して北信濃の山城を巡る予定でしたが、思わぬ降雪で滑落の危険もありやむを得ず中止の判断をするに至った。

信濃先方衆のスローガンは「安全は全てに優先する」  (どっかの土建屋さんも同じだったような・・・汗)

IMG_6792.jpg
富士見城周辺から見た25日(金)の小諸市内。晴天でも気温が低く雪は融ける気配など無かった。

週末は、先週の今原古城攻めでついにご臨終を迎えたゴム長(スパイクピン付き)を買い替えにホームセンターに行った。

普通の長靴よりはチョッと高めの3,000円程度なのだが、このゴム長は信濃の山城攻めには絶大な効果を発揮する優れた装備品だ。落葉の堆積する不整地や雨上がりのぬかった登山道、浅瀬の渡河、地面の見えない藪漕ぎなどにおいては登山靴を遥かに凌ぐ走破性があり、蛇や害虫から身体の膝下を守る高い防御力は登山靴のレインカバーの比ではない。

過酷な直登を日常茶飯事とする山城ツアラー必携の装備品としてお薦めしておきたい。

securedownload[1]
但し冬場の防寒装備はないので、厚手の靴下等による保温対策は忘れないで欲しい。

IMG_6796.jpg
ピン付きの底部。山林や不整地では無敵だが、鉄板路面やコンビニの床では滑るので転倒には充分注意して欲しい。


【未公開の長城】

せっかくゴム長を新調したので、懸案だった真田氏関連の長城塁壁の調査に出掛けた。

ここは宮坂武男氏の「信濃の山城と館」にも掲載されていない幻の山城だが、一部のマニアのみが認知している程度である。

小生も数年前に師匠のあおれんじゃあ様に教えて頂き、場所を特定しようと悪戦苦闘して遭難しそうになった苦い記憶がある。

小生が尊敬する「お城ジオラマ復元堂 城郭復元マイスター」の二宮博志氏が最近出版した本に偶然それを見つけたのである。

チョッと出掛けてみますか・・・(笑)

IMG_6798.jpg
林道脇から撮影した長城の塁壁と櫓台。存在感がハンパない。

IMG_6811.jpg
この林道の奥に長城に通じるかつての古道があるという。

林道を辿るのは四駆のジムニーなので問題ないが、この積雪と身の丈ほどもある熊笹藪では恐らく城の踏査は無理であろう。

「春まで待つのか?・・・・・・」  とりあえずこの日は撤収。

IMG_6808.jpg
結構な長さの土塁が続いているので、古道を封鎖する砦であったことが確認出来る。

この長城は、天正壬午の乱に際して、真田と上杉に軍事的緊張が走った際に、真田に関わる者が往還道沿いに新たに構築或いは元々あった物見砦を強固に改修したものだと推定されている。

そう、真田昌幸も北条氏の御坂城と同じ発想で峠を守る長城を築城していたのである。さすがパパ幸、凄いゾ!!。

IMG_6803.jpg
さすがにこの積雪と熊笹を突入する勇気はありません・・・(汗)

雪が消えるのであれば年内になんとか第一回目の調査をしてみたいと密かに思うておりまする。

クーさんも隠れていそうな場所なので、チョッと心配・・・・・(笑)

またそのうちにレポートでも。

Posted on 2016/11/30 Wed. 21:26 [edit]

CM: 4
TB: 0

1116

中信濃のラスボス「仁熊城」(東筑摩郡筑北村)に挑む  

◆四年越しのリベンジマッチ◆

2012年12月9日、仁熊城(長野県東筑摩郡筑北村)の攻略を目指した我ら信濃先方衆は、絶壁の岩壁に行き場を失い、迫りくる雪雲に身の危険を感じて撤退という苦渋の選択に甘んじた。

「ここで無理するより、いずれまた再起を計ろう・・・」

猿ごや (1)
2012年12月9日撮影。登り口の「笹ノ平」から仁熊城の大手口。

あれから四年の月日が流れた。いつか再攻略しようと思いつつ、巨大な岩壁の連続する城までのルートに確信が持てずにいた。
しかもこの城、厄介なことに麓からは全く見えない「隠れ城」なのである。宮坂武男氏以外に行った方はネット上誰もいないのだ。

「このままでは終われない・・・」

2016年11月13日、各個撃破を信念とする信濃先方衆のリベンジマッチを敢行する。

仁熊城(筑北村) (4)
行く手を阻む岩壁の連続。

【まさか1時間30分の激闘になるとは・・・】

今回は東の尾根または西の尾根伝いのルートも考えてみたが、国土地理院の地図でも途中の岩場が読めないので、鉄塔の保安道経由で再度正面突破と決定し攻城開始。

仁熊城(筑北村) (3)
この狭い岩と岩の間をよじ登るのだが、その先がどうなっているのかは登ってみなければ判断出来ないという過酷さである。

山城探訪に命を賭してはいけない・・というのが持論であるが、今回ばかりは正直「ヤバイ・・・」の連続であった。

「どの獣道(けものみち)が正解なのか?」  岩壁に突き当たってはトラバースを繰り返し、隙間を這うように登る。

水気を含んだ滑りやすい斜面を登りながら頭の中を去来したのは、「生きて帰れるのかしら・・・」 このことであった・・・(汗)

仁熊城(筑北村) (102)
途中の岩場から、見納めになるかもしれない雲海の絶景に心がしばし和む・・(笑)

悪戦苦闘して、我々は何とか第一関門である尾根北側の鞍部に辿り着いた。

休憩がてらに849.6mの三角点に登った「ていぴす」殿が、「仁熊城の標柱ありましたよ!!」と」叫ぶのである。

仁熊城(筑北村) (104)
三角点=山城跡という発想は安易だが、中世城郭専門研究員など不在の村の教育委員会としては自然な発想であろう。

仁熊城(筑北村) (1)
標柱のある場所のログ。仁熊城まではあと二つピークを越える必要があった。

来年あたり、筑北村の教育委員会に「仁熊城跡」の場所に関して異議申し立てを行おうと思うが、余計なお世話と一蹴されるかもしれない・・・現地調査で村の職員に遭難などされたら村としても責任の所在は免れないのであろう・・・・(笑)

さて、ここの標柱から本当の城跡まではさらに山を二つ越えるので30分以上かかった。そして念願の仁熊城に到着。

仁熊城(筑北村) (17)
小山を削り土塁を残した主郭。前後に数段の郭を繋げているが、堀切などない。必要もないのだろう。

圧巻なのはこの主郭の南側の沢沿いに展開する居住空間で、6~7段の大きな削平地が階段状に連なっている場所だ。

仁熊城(筑北村) (49)
城の中心部と接続する鞍部から南の沢沿いに居住空間が・・・

仁熊城(筑北村) (50)
居住空間を調査する「ていぴす」殿。大きさがおわかりいただけるでしょうか。

さて、あまり書いてしまうのもどうかと思うので、続きはまたいつか・・・(笑)

仁熊城(筑北村) (2)
仁熊城の位置はここ。麓からは見えない「隠れ城」だ。

仁熊城(筑北村) (116)
仁熊城の南側の堡塁からは東方面に大城・京ヶ倉(生坂村)が見える。ここが青柳氏の境目の城でもあった。

中信濃のラスボスをなんとか攻略したものの、退却に際して道をロスしてしまい、二人してあやうく遭難する寸前であった・・(汗)

久々に「命の危機」を感じた。

山城探訪は命がけより「安全第一」ですよ・・(笑)

詳細のレポートはお約束出来ませんが、またいつか・・・・(爆)

仁熊城(筑北村) (121)
無事に生還出来た後の昼飯は美味かった・・・(仁熊城の大手方面。麓から城は見えない)

Special Thanks:ていぴす殿

Posted on 2016/11/16 Wed. 07:59 [edit]

CM: 6
TB: 0

1011

上野国をなんとなく放浪してみた  

◆寝ても覚めても気になる名胡桃城を訪ねて発作が・・・・◆

せっかくの三連休だったが、天候不良を言い訳にして「インドア派」として籠る予定が、「気にならないのか・・改変された(?)名胡桃城、行ってみようよ」・・(笑)

なので初日は強引な言い訳ついでに上野国へ進軍と相成った次第・・。目的は「名胡桃城」、そしてこの城を見ずしてグンマーの城を語るなと言われる「白井城」、それだけの予定である。


【八幡城】 (群馬県吾妻郡中之条町)

「八幡城?何それ?」 城址の看板を偶然に見てしまったので、引き込まれるようにハンドルを切り林道を走る・・・(笑)

八幡城(中之条町) (12)
笹薮が酷くて全体の縄張りは確認できなかったが、本郭には東屋と標柱、石碑が残る。

勝頼の命を受けた真田昌幸が尻高氏を攻め奪取。武田氏滅亡後、北条氏が白井城の長尾氏と共に攻めかかるも、岩櫃城代の信幸が撃退したという。
名胡桃城と同様に実戦を経験しながら、「真田丸には便乗しない」という姿勢には共感が持てる。

八幡城(中之条町) (11)
八幡城の遠景。

【中山城】 (群馬県高山村)

この城が、真田昌幸が領有する岩櫃城と沼田城を分断するための楔(くさび)として、北条方が新築した巨大なベースキャンプだと知ったのは、家に帰ってからである・・・(笑)

例の如く誘導看板に導かれての訪問なので、事前学習など全くせずに突撃・・・(汗)

DSCF1910.jpg
主郭に入る道。真田丸に便乗しようと、チョッとやり過ぎの感じは否めない。

IMG_6446.jpg
最近建てられた新しい表札・・・(笑)

IMG_6449.jpg
この巨大な堀切のドライヴ感が大名系城郭であることを物語る。


【名胡桃城】 (群馬県利根郡みなかみ町)

今回の訪問目的地で、実に8年ぶりの再訪である。
大きくリニューアルされたと聞き及び、恐る恐る来てみたが、余計な心配だったようだ。

沼田城・名胡桃城 026
2008年6月訪問時の二の丸、三の丸。

IMG_6453.jpg
現在の三の丸から二の丸。橋が付いて土塁が復元されて二の丸は見通せない。

IMG_6455.jpg
二の丸内部。チョッとやり過ぎの感じはあるが、建物址も表示されて臨場感が上手く表現できていると思うが。

IMG_6454.jpg
三の丸は三日月堀を埋めて拡張工事された郭だったとは知らなかった・・・(汗)

実は今回の改修に関しては賛否両論があり、明らかに「やり過ぎだろう!(怒)」という声も多数聞かれるが、ここは当時の大多数であった土の城がどういうものだったかを分かり易く再現したという事にした好感が持てる改修例として、良しとしましょうよ・・(笑)


【天神城】 (群馬県利根郡川場村)

この城(といっても隠居後の別荘)の存在を知ったのは、池波正太郎の「幻の城」という歴史小説である。

DSCF2011.jpg
隠居所であるが、河岸段丘上の要塞の地である。(河川にかなり削られたようで、往時はもっと広かったと伝わる)

沼田氏の中興の祖である沼田万鬼斎顕泰(ばんきさいあきやす)は、嫡男の朝憲(とものり)に所領と居城である沼田城を継がせて自らは川場に隠居所としての天神城を普請し愛妾と共に移り住んだ。が、しかし、愛妾との間に生まれた七男の景義に家督を継がせたいとの思いが募り、朝憲を天神城に招きこれを謀殺し沼田城の乗っ取りを計画するが、朝憲の奥方が実家である小田原の北条家に内部告発し、北条軍が沼田城の軍勢と共に天神城を攻めてこれを落とした。(川場合戦)
万鬼斎は妾と景義を連れ会津の葦名氏を頼り落ち延びるが、妾は途中で凍死したという。

DSCF2013.jpg
天神城の主要部。

小生のお城仲間である「武蔵の五遁」さんが、先日この城について記事を書かれていたので、ついでに寄ってみた次第。
真田丸との相乗効果を狙った史跡整備のようだが、チョッと無理があるように思いました・・・(汗)


【白井城】 (しろいじょう 群馬県渋川市)

白井長尾家の本拠地。関東管領上杉家に関する知識は脆弱なので、とりあえず見に来た次第・・(汗)
河岸段丘を利用したデカイ城で、1600年代に廃城になったのにその遺構が今日まで残っているのは奇跡に近い。現在残る城の遺構は戦国時代が終焉し2万石の藩主の城として改修されたものらしいが、関東の土の城の代表格には違いないと思われる。

DSCF2027.jpg
本丸の枡形門。

DSCF2033.jpg
みんな大好き「三日月堀」。といっても形を指したもので、武田流ではない。

DSCF2043.jpg
巨大な堀切は北条さんの改修を基本とした遺構なんだろうと思う。

DSCF2097.jpg
本丸を囲む土塁。

城の遺構は近世城郭時代のものとされるが、石垣の枡形門を除けば、ほぼ北条時代の遺構が残ったのだと思うがどうであろあうか?。三日月堀の名に武田流の築城技術も指摘されるが、馬出が本郭と同じだなんてあり得ない。
キチンと遺構にトレンチを入れて城跡をキチンと調査していただきたいものである。

【エイト デイズ ア ウィーク】 (おまけ)

往復250kmのグンマーの城郭探訪の後のご褒美は、ビートルズのライブドキュメンタリー映画である「Eight Days a Week」をトーホーシネマズで鑑賞。

それはそれで小生にとって、かけがいの無いひと時であった・・・・。

チケット①

一週間が8日間あっても足りないという城巡りの日々を過ごしてみたいものである・・・・・・(笑)

Posted on 2016/10/11 Tue. 21:45 [edit]

CM: 2
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

▲Page top