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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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心の師匠を案内して歩く信濃山城ツアー (番外編)  

◆「天白城跡 山城ウォーク」に飛び入り参加してみた◆

アオ師匠をご案内した翌日の11月24日に「山城を歩いて学ぶ会」主催の「天白城跡 山城ウォーク」が開催される事がtwitterで告知されていた。

お世話になっている上田市教育員会の和根崎氏の現地説明もあり、山家神社の押森宮司も参加されるとの事なので、真田神社守人会の桝山会長を通じて急遽参戦させていただくことになった。アオ師匠も天白城は未訪だったようなので、現地集合となる。

んーん、せっかくなのでtwitterで小生のフォロワーさんも集めようという訳でリツイート。
急な呼びかけにも関わらず結構集まっていただき感謝感激!

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下塚集落から見た天白城。

11月下旬にしては結構暖かくチョッと歩いただけでも汗ばむ。大人の山城遠足としては大勢集まりワイワイガヤガヤもまたいい。

途中、上田市教育委員会の和根崎氏の古代の集落や往還、古墳との関連などの説明もあり退屈しないのもいい。

今回参加する気になったのは、天白城の北側の水の手コースからの登城だったからという理由。
北赤井神社からの大手道ルートしか知らなかったので、こりゃ行くしかないと・・・(笑)

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こんなに大勢で参拝されるとは、山の神も思ってみなかったと思うが・・・。

北向きの急坂を登るとやがて山腹の途中に平場が現れ、「下塚山の神」が鎮座している。

山家神社の押森宮司の厳かな神事が執り行われ、静粛な雰囲気につつまれる。そうそう、この雰囲気と山城のマッチング最高!

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なかなかこういう鄙びた山の中での神事は滅多にみられません。貴重な体験です。

下塚山の神
地元の方々に大切に守らてきた山の神。これからも続いて欲しいと願いつつ。

山家神社の押森宮司によれば、ここは宮司の母親が昔から勧める「Power Spot」(和訳:パワースポット 霊験あらたか?)なのだそうです。

今回参加された皆さん、ラッキーでしたね! (和訳:幸運、または愛の国から幸福行きとも・・・もういい!)

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鳥居のすぐ下にいわゆる「水の手」があり、水が染み出ている。天白城の水の手として使われたのであろう。

さて、荒れた山道を切り開きながら天白城の城域へ。まあね、この人数で登ると遺構が変形しないか心配になる・・・(汗)

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北の斜面が伐木されたので、真田本城やその周辺が指呼の間によくわかる。

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北斜面に巨大な竪堀となって落ちる大堀切。

さて、前回来た時以上に城域の北側が伐採されていたので、今まで観察不可能だった城の北側の段郭と全周する石積みがキッチリ見られたのは、今回のツアーの最大の収穫でした。

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だいぶ崩落しているが、北側壁面の石積み。

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んーん、いいですねえ。

皆さん熱心に主郭で和根崎氏の天白城の説明を受けていたので、その間にじっくり観察。団体行動が苦手な方がウロウロしていたので、手招きしてポイントを見せてあげました。

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ここはまだしっかり遺構が残っていますね。

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しっかり削平された段郭。以前は藪に突入しても見えなかった。

ところが、いきなり名前を呼ばれて、小生のこの城に対する見方を説明せい!との仰せ。
聞けば、アオ師匠もお言葉を述べられたとか。

せっかくなので、「麓から見える、そしてその存在を誇示し魅せる山城論」なる持論を説明させていただいた・・・(汗)
なんかそんな説明で役にたったのかなあーと思いつつ・・・(笑)

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中央の弯曲している部分が竪堀跡。雑木林が刈り取られてようやく姿を見れました。

城跡から北赤井神社の奥宮(本宮)に下りました。

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奥宮でも押森宮司による神事が執り行われました。

もともとこの山は信仰の山として北赤井神社が置かれていたところへ、真田氏が砦を築いたものというのが伝承です。神を取り込むことにより民衆の支持を集め、敵を追い払うという願いもあったのでしょうか。

さて、楽しかった天伯城山城ウォークでしたが、真田氏歴史館に戻り、全員で労わり無事解散となりました。

さて、来年は何処でしょうかね?またみんなでワイワイガヤガヤと参加したいものです(^.^)

アオ師匠、藤兵衛さん、yukio会長、押森宮司様、太郎山山系の早川さん、宮原さん、フォロワーの皆さん、ありがとうございました!


≪天白城≫ (てんぱくじょう)

標高:963m 比高:140m
築城年代:不明
築城・居住者:真田氏
場所:上田市真田町本原赤井
攻城日:2019年11月24日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:20分
見どころ:大堀切、土塁、石積み、段郭
その他:北側水の手からの登城は神社から不明瞭になるので注意。


Ⓢは水の手方面からの登り口。途中の獣フェンスは開けたら必ず閉めて。Ⓖは駐車場。チョッと遠いけど付近への路駐は厳禁。

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下山したら女性のフォロワーさんに「石積み見たかったのに・・」と言われてしまい反省しきり。また挽回のチャンスくださいネ!




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Posted on 2019/12/02 Mon. 15:49 [edit]

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心の師匠をご案内して歩く信濃山城ツアー (後編)  

◆我々中世城郭ファンを魅了して止まない中信濃を代表する山城たち (続き)◆

「らんまるさん、僕はね、この趣味におけるマチュアのトップを目指して行こうと思っているんだ・・」

初対面でアオ師匠を信濃の山城にご案内した時に、そんな言葉を聞いた。

当時も今も色々な中世城郭に関する様々な研究会や同好会が存在する。中には、ある種の独自の権威を持ち排他的な性格を持つ集合体も存在する。どこかのスポーツ団体の組織にありがちな上層部への権力集中とか、会長の絶対権威とか・・(笑)

「この人なら、出来るんだろうなきっと。 おれもそれに続こう!」 (←初心者が何を言うか・・笑)

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アオ師匠の自費出版の冊子。縄張図とか鳥瞰図が描けて時代考証が考察できないとかなり厳しいが、師匠はなんなくクリアーかと。

さてさて、我らが次に向かったのは筑北村の「安坂城」(あさかじょう)


【安坂城】 (あさかじょう)

この城の詳細は古い記事で恐縮ですが⇒安坂城を参照願います。

小生が初めてこの城を訪問したのは2011年。

こんな辺鄙な土地の名もなき山の頂きとその周囲にこれほどの見事な遺構が残る事に戦慄を覚えた。

「やるか、やられるか・・・」 ここは紛れもなく戦国時代に中信濃の火種となった場所であり最大の緊張を強いられた場所でもある。

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安坂神社から息を切らして尾根を登ると、最初に現れるのは古墳の石室を破壊して削平された郭。

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「岩盤堀切を愛でる会」推奨の岩盤堀切(笑)

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主郭を全周する石積み。此のドクトリンは麻績古城と共通しているのが分かる。

この城、北向きの防御の指向性から考えると、麻績城に対して築かれた青柳城の支城という位置付けであろうか。
搦め手は四阿山経由で青柳城に逃げられるし、逆に青柳城からの援軍は人知れず尾根伝いに派遣できる。

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本郭に建つ重厚な石碑。周囲の石積は古墳の石室を破壊し転用したもので、巨大な天井石も防御用の衝立として使われた。

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主郭の大堀切側の切岸にも石積みが確認出来る。

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身の毛もよだつ主郭背後の大堀切の堀底。しっかりと竪堀として両サイドに落ちている。

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主郭を周回する南側の石積。

主郭背後は四連続の大堀切で断ち切られていて、臨戦態勢である。
長野県町村誌には、「小笠原貞慶家臣の安藤某の城」と伝わるが、詳細は不明である。

麻績城の攻防戦における小笠原貞慶の拠点の一つであったと思われるが、麻績城落城時にはこの城においても双方の争奪戦が繰り広げられたと思われるが、どうであろうか。

「アオ師匠曰く、殺気と緊迫感を感じる・・・」

≪安坂城≫ (あさかじょう 城山) 

標高:856.0m 比高215.0m(安坂神社より)
築城年代:不明
築城・居住者:安藤氏?
場所:東筑摩郡筑北村安坂
攻城日:2011年12月18日 再訪:2019年11月23日
見どころ:石積み、大堀切跡、古墳を利用した曲輪など
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:30分


Ⓢは駐車場所(道路脇に路駐)。Ⓖは獣フェンス。開けたら閉めよう。レ点は主郭。途中で道が消えるが尾根伝いに行けば大丈夫。


【黒丸城】 (くろまるじょう)

この城の詳細は⇒黒丸城2リテイクをご参照ください。

小生がリテイク記事を取材した時は、城址で松林の松くい虫の駆除対策が実施されていたこともあり、かなり鮮明な城跡の細部まで見る事が出来たが、あれから5年の月日の経過は藪化するに充分な年月でもあった・・・。

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郭2と本郭の接続部分の壁ともいうべき切岸は今も健在。

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十数年前、この説明板が見たくて無謀な突撃を繰り返して玉砕した日々・・(笑)

小生の山城探訪のルーツは確かに「松尾古城」なのだが、その後知った宮坂武男氏も絶賛する青木村の「黒丸城を見たい・・・」

当時はスマホなんてモチロンないので、頼るのは国土地理院の地図コピーと地元民への聞き込みのみ・・・(笑)

二度目の玉砕のあと、とぼとぼと林道を還りながらふとカーブミラーの奥に何か見えた。それこそが、黒丸城の搦め手の四連の堀切だったのだ。

神様がしょうーもないヤツだからそのしつこさに負けて教えてくれた・・と今でも信じている。

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主郭背後の大堀切。

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背後の山は「子檀嶺岳」(こまゆみだけ)。この山頂も山城である。

いかんせん城跡は荒れ放題で藪が酷くてL字堀や竪堀も満足に見られる状態では無かったが、百戦錬磨のアオ師匠はこの城の立地条件の重要性に気が付いていた。さすがである。

≪黒丸城≫ (くろまるじょう 朝倉但馬守城・城山)

標高:735m 比高170m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小県郡青木村当郷
攻城日:2015年2月11日
お勧め度:★★★★★ (満点) 宮坂武男先生も大絶賛!
城跡までの所要時間:20分
駐車場:当郷公民館の駐車場借用。

≪黒丸城≫ (くろまるじょう 朝倉但馬守城・城山)

標高:735m 比高170m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小県郡青木村当郷
攻城日:2015年2月11日 再々訪問:2019年11月23日
お勧め度:★★★★★ (満点) 宮坂武男先生も大絶賛!
城跡までの所要時間:20分
駐車場:当郷公民館の駐車場借用。


Ⓢは当郷公民館。ここに止めさせてもらおう。Ⓖは尾根先への入口。レ点は黒丸城の本郭。

Posted on 2019/11/30 Sat. 20:34 [edit]

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心の師匠をご案内して歩く信濃の山城ツアー (前編)  

◆我々中世城郭ファンを魅了して止まない中信濃を代表する山城たち◆

小生が信濃の山城専門のブログを始めたものの、鳴かず飛ばずでどうしようもなく止めようかと考えていた時にコメントくれたお二人のうちの一人が「あおれんじゃあ」様でした。(もう一人は城郭専門の有名サイト「城と古戦場」のマサハレ様です)

山城攻略サイトとしてヲタクに当時人気の高かった「房総戦隊ヤブレンジャー」の一員として小生のような駆け出し者からすれば雲の上のような方でしたが、小生の拙いブログに気さくにコメントを入れて頂き今でも天にも昇る気持ちだったのを覚えています・・(笑)

茨城の城郭
あおれんじゃあ様が著者に名を連ねる「茨城の城郭」シリーズ。ウモさんとか余湖さんも共同著者として名がある。

なのでブログ「らんまる攻城戦記」が10年もの間継続して皆様にお披露目出来ているのはアオさんとマサハレ様のおかげだと・・。

アオ師匠の出身地は長野県長野市ですが、現在は常陸国にお住まいなので、時折実家に帰省される際に信濃の山城のアテンドの依頼が時々あります。

今回のアテンド先は麻績村と青木村周辺というご希望がありましたので、小生のチョイスで以下をご案内させていただきました。

ダイジェストで紹介させていただきます。あと、登り口情報とかも・・・。


【麻績古城】 (おみふるじょう 別名:虚空蔵山城 )

過去記事は⇒麻績古城を参照。

戦国時代における中信濃のスクランブル交差点に位置する青柳城と麻績城は、古くは甲越紛争における武田信玄VS上杉謙信、天正壬午の乱では小笠原貞慶VS上杉景勝の壮絶な争奪戦の舞台になっている。

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主郭入口の虎口は石積みで導入経路も含めてしっかりと普請されています。

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主郭を全周する石積み。

特に貞慶VS景勝の仁義なき戦いは、ここ麻績城と仁科口(大町市と小川村の境)に位置する千見城で死闘が繰り広げられ、秀吉の大名や国人同士の私戦を禁じた惣無事令(関白による停戦命令)すら無視して、直接秀吉が仲介に乗り出してようやく停戦となる有り様であったという。

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本郭背後の巨大な土塁と周辺を調査するアオ師匠の雄姿。

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主郭背後の落差15mもある巨大な堀切。残念ながらカメラでは全体を写せない・・・(汗)

現在の麻績古城(虚空蔵山城)は、戦国末期まで小笠原と上杉の双方が争奪戦を繰り広げながら改修した最終形であろう事は想像に難くない。

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郭2の北側のW底に加工された二条目の巨大な堀切。この世のものとは思えない落差12m。感動を新たにする。

駐車場から僅か15分で城域というお手軽さでありながら、その遺構は見る者を圧倒し、戦国末期の山城の最終形の凄さが否応なしに伝わる。

アオ師匠曰く「コスパも最強、遺構も最強で言う事なし」


Ⓢは観月苑の駐車場。ここに車を止めさせていただく。あとは沢を10分登れば尾根の堀切でそこから城跡。


【麻績新城】 (おみしんじょう 麻績城)

過去記事は⇒麻績城を参照。

前項で紹介した麻績古城を補完するように背後の山上の尾根に築城されたのが麻績新城だと伝わる。
古城が落城したときの逃げ込み城というよりは、伏兵を置いていざというときの援軍の駐屯地という性格のようだが、どうであろう。

麓から見ると険しい痩せ尾根で駐留する人数も少ないように思えるが、実際にはかなりの兵隊が収容できる削平地が造成されている。

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今回は時間短縮のため、搦め手筋の北山口から登城。この道は初トライだったが、正面大手道よりイージーでお薦めである。

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鞍部へ上がる部分にも道標があるので迷うことは無い。

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鞍部の絵図は傾き、説明板は倒れていたので起こした。

鞍部から城域に入るには険しい痩せ尾根を登るので注意が必要である。

見張り台が置かれたと思われる痩せ尾根の最高点を過ぎると、尾根が太く削平され、堀切が現れる。

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堀切とアオ師匠。

こんな高い場所に堀切を穿つとは、よほど鞍部からの敵に備えたのであろう。

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広い主郭の新しい標柱には驚いた・・・やるな麻績村教育委員会・・・(笑) 背後には尾根続きの「ノロシ山」が見える。

周囲を岩場と急崖に囲まれた麓に位置する麻績古城(虚空蔵山城)が、そう簡単に落城するとは思えず。麻績城を巡る攻防戦は、背後に位置するこの麻績新城の争奪戦だったかもしれない。ここを先に落とせば、麻績古城は時間の問題であろう。

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麻績新城の主郭の西側は段郭が数段に渡って綺麗に残っている。かなり改修されたとみるべきであろう。

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とっても目立つ山だよね。

アオ師匠曰く「こんな痩せ尾根の先に、こんな広い主郭が造成されているとは誰も思わないだろう」・・・全くその通りである。

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城跡からの景色を撮り忘れたので、7年前の画像でご勘弁ください(笑) そう、ここが中信濃のスクランブル交差点さ!!

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山城の素晴らしさはそのロケーションにもある。


Ⓢは搦め手の北山口の登り口。道路脇の空き地に止めたら近所の方に怒られたので、登り口の手前の公園駐車場に駐車して歩くのが良いかと。レ点は鞍部。ここまで15分ぐらいだが登山道は快適。ここから西側の尾根全体が城域です。

同じ城への再訪問を嫌う諸氏もいるようですが、小生は何度同じ山城を訪問してもその都度違う発見があるので、いつもワクワクして出掛けます・・(笑)

それと、山城探訪を始めたあの頃の初心に戻れるような気がしてます・・・・ 皆さんはどうですか?

装備とか、心構えとか、経験とか・・・そんなことより「どうしてもあの山城に巡り合いたい」 その一心で出陣したんです(笑)

忘れちゃいけませんね、大事な原点。どんなに経験を積んでも初心者と同じ心のままで山城を楽しめないなら退場ですね。

後編に続く・・・・






Posted on 2019/11/27 Wed. 22:21 [edit]

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山城マニアの皆さん、長野に来て元気を分けて欲しい!  

◆長野県に来てもらえるだけで被災地は元気になれる◆

この度は台風19号の被害に遭われた地域の皆様に心より哀悼とお見舞いを申し上げます。

小生の住むウサギ小屋も上田市の千曲川左岸にあり、堤防が決壊すれば水没間違いなしの状況でしたが、何とか持ちこたえて、一昨日にようやく避難勧告が解除されました。

が、報道でご存知の通り、13日には上田電鉄別所線の千曲川左岸に架かる橋が崩落してしまい、その衝撃は計り知れません。

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10月13日の別所線の鉄橋崩落現場。

残念ながら、長野市穂保地区は、長沼城の辺りの千曲川の堤防が決壊し我が目を疑いたくなるような惨状が繰り返し報道され、住民の皆さまの察するに余りある悲しみと絶望感に心を痛めております。

千曲川流域の千曲市屋代周辺や長野市の松代城の城下町とその付近、飯山市の飯山城の城下町と役場も千曲川の越水による水害で多くの市民が避難所生活を強いられる現状に無力さを感じております。

台風直撃前から計画されていたイベントも次々と中止になり、自粛ムードが蔓延・・・これでいいのだろうか?

台風直撃から一週間が過ぎ、生活再建(復興)へ向け被災地の皆さんが力強く活動する姿を見て思ったのは、「無事だった我々はそれぞれが出来る範囲で復興に協力していけばよいのではないだろうか・・」このことであった。

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10月13日の16:30ぐらい、ようやく濁流の引いてきた千曲川と村上連珠砦。

こんな時だからこそ、皆さんには長野県にお越しいただき、その元気を分けていただくことが寄り添う力になると思います。

長野だけでなく、今回被災した群馬、栃木、茨城、埼玉、神奈川、福島、千葉、山梨、新潟・・その元気を分けてくださいね。

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10月13日の夕方。長野県の東と北の川は大小関わらず全て千曲川に注ぐという事実を忘れてはいけない。

長野県の山城を愛してやまない中世城郭マニアの皆さん、これから信濃の山城シーズンに突入です。

降雪前の二ヶ月は、落葉した美しい信州の山城を堪能出来る限られたシーズンです。
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

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村上連珠砦のケムリノ城から見た上田市の左岸。もし堤防が決壊していたらほとんどが水没していたであろう。(10/20撮影)

実は昨日、全国山城サミットの上田・坂城プレ大会の講師として参加れされる萩原さちこさんが、前日に虚空蔵山系の村上連珠砦の一つである「ケムリノ城」と「燕城(つばくらじょう)」を探訪されるので、アテンド役を仰せつかり下見に行ってきた次第。

小生の所属する「太郎山山系を楽しくつくる会」の会員の皆様が先日廃れていた登山道を整備してくださいましたので、両城とも上塩尻地区から安全に探訪できるようになりました。有難い事です。(8年前の小生は危険な直登しか方法はありませんでした・・・汗)

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ケムリノ城の見事な石積みは健在。(10/20撮影)

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燕城からケムリノ城に向かう急坂にはしっかりとしたロープが新調され、これなら体重かけても大丈夫!!

今までは、ケムリノ城へは菖蒲平の尾根のNo24の鉄塔からNo25の鉄塔を目指してトラバースするコースしかなく、ケムリの城から比高差150m近い燕城へ下ると戻るには相当な体力消耗なので、そのまま麓に下りるというのがセオリーだったが、今回登山道が整備されたので、燕城とケムリノ城はセットで下からの訪問が可能になった。これは凄い事である。


Ⓢは上塩尻からの登り口。ピンクテープに沿って登れば燕城に到達する。レ点は燕城。Ⓖはケムリノ城。燕城から尾根沿いに登れば15分ほどで行けるが、急坂なので注意が必要。

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燕城の主郭手前の二重堀切。

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登り口手前から仰ぎ見た燕城とその奥のケムリノ城の鉄塔。

そんなブログ管理者の素顔を知りたい方は11月2日開催の、全国山城上田・坂城大会プレ大会に予約お願いします・・(って結局のところ番宣か・・・笑)

まあ、小生出演のプレ大会はどうでも、長野県の山城に是非お越しください!長野県に元気を注入お願いします!!






Posted on 2019/10/21 Mon. 22:15 [edit]

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志賀城跡(佐久市志賀)の西尾根遺構損壊事件  

◆地権者の無届作業による埋蔵文化財包蔵地の志賀城跡損壊事件◆

小生は読者の皆様がご存知の通り、twitterのアカウントを持ち、城郭探訪の際にはタイムリーに記事を発信しております。

4月14日(日)に、たまたまフォロワーの方のtweet記事を見て、愕然として我が目を疑うような写真に遭遇しました・・・(汗)

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ああ、ここは紛れもなく佐久市志賀にある雲興寺裏山にある志賀城の西尾根の最終堀切と附属する段郭の場所に違いない・・・。

記事を掲載したフォロワーさんに確認すると、どうやら北側の林道から作業道を開けているらしい。

なんでここに重機が入って作業道を開けなくちゃいけないの???伐木とか必要なの?・・

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現状についてtwitterを発信し、多くの仲間に事実を知ってもらい拡散していただいた。

すぐに数年前の白馬村の三日市場城の城址破壊事件を思い出した。

これ以上破壊をすすめさせては絶対にいけない・・・。時間との戦いだった・・・。

地権者が自分の所有地をどうしようが自由かもしれないが、ここは地元はおろか、全国区にその名の知れた志賀城址なのである。

その日のうちに、信濃先方衆の相方の「ていぴす」殿に連絡を取り、明日現地を訪問し損傷個所の確認をすることになった。
幸いな事に、地元佐久市のtwitterのフォロワーさんに今回の経緯と作業者について情報を提供してもらうことが出来た。

情報提供者には、佐久市の教育委員会に問い合わせするように依頼した。

「アマチュア城郭探訪家の我々に何が出来るのか?」

ダメもとで、長野県の教育委員会と佐久市の教育委員会に直訴することしか思い浮かばなかった・・・。

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志賀城の北側の林道から作業道の開けられた場所を捜索していた我ら信濃先方衆は、全くの偶然で地権者に話を聞く事が出来たが、市役所通報への相手からの報復措置も十分あり得るので詳細は伏せておく。

その後、直ちに佐久市の埋蔵文化財事務所に出向き、具体的な場所と縄張図を示して志賀城西峯損壊の件を通報し、保全を求めた。担当者は直ちに作業停止命令を出すと約束してくれた。

が、その通報の過程で、担当者からまさかの笠原城や高棚城と場所を勘違いしていないか?の言及となる。

申し訳ないが、我ら笠原城も高棚城も現地訪問しているし、志賀城と間違えるはずはない事を伝えた。担当者は沈黙した・・。

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その後、フォロワーの皆さんには多大な共感と拡散をいただき、その事が佐久市長の柳田氏にも伝わる事となり、柳田市長よりも直接返信をいただきました。

柳田市長のスピード感溢れる素早い対応、さすが・・・・。SNSの何ぞやを心得ていらっしゃる・・・・。

本日、市長より、経過について再度ご報告を賜りました。

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宮坂武男氏の鳥瞰図を載せるとは、なかなかツボを心得ていますネ(笑)

この市長なら、間違いなく処理してただけると安心しました。

小生を応援していただいた皆さん、ありがとうございます!!

地元の山城は、地元のヤツらが守らにゃ、誰が面倒みるのさ!! 我ら信濃衆の行動力も地元愛あっての胆力でございますw

志賀城(佐久市) (1)
笠原一族の菩提寺である雲興寺とその背後の志賀城。

小生のブログ記事を印刷して、志賀城の登城者に配布してくださる雲興寺様にも、ささやかな恩返しが出来るといいのですが・・。



Posted on 2019/04/17 Wed. 22:47 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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