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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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超弩級戦艦 大和  

◆一生作るつもりのなかった戦艦大和の製作日記◆

長いお盆休みのとある日、「避暑を兼ねて映画でも見ようか・・」と思いつき、ミリタリーが好きそうな「アルキメデスの大戦」を鑑賞。

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Ⓒ2019「アルキメデスの大戦」製作委員会
Ⓒ三田紀房/講談社

映画の冒頭シーンは無謀な水上特攻「天一号作戦」で米軍機の猛攻を受けて被弾、転覆しながら爆沈する大和の最期がフルCGで再現された場面だった。

その他の見どころは三段甲板の赤城のチラ見せ、戦艦長門の艦長室の再現ぐらい。舘ひろしの山本五十六は役得だったかと。

大鑑巨砲時代の幻影を追いかける海軍の上層部連中の超弩級戦艦建造計画にストップをかけたまでは良かったが、結局は負け戦になった時に、国民が納得できるよう象徴である大和に沈んでもらう・・・その為に建造するという大義名分に心を動かされて協力する天才数学者という訳の分からない結末。 

娯楽映画として割り切るには、戦艦大和だけで約3,000名の方が戦死しているので、複雑な気持ちである。

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今回購入したプラモはFUJIMI製の大和「終焉型」で1/700。メーカー別で造り比べるのも面白いと思うが。


【戦後になって知られた戦艦大和の存在】

国民のほとんどが戦後生まれとなり、8月15日の終戦記念日は今年で74回目を数えている。

残念な事に、8月15日が終戦記念日だと答えられる人は少なくなっており、戦争の当事国である国民としては恥ずかしい限りというのが現状のようである。

映画の後半で明らかにされる大和の建造費用は137,802,000円で、当時の国家予算の4%に相当する桁外れの国民の血税を注ぎ込んでいる。

米英海軍の主力艦を上回る46センチの三連装の主砲9門を備える戦艦の建造は極秘に進められ、ましてその存在を国民が知る事など無かったし、その竣工は日米開戦の昭和16年12月8日から遅れる事8日目の12月16日であった。

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艦橋構造物を徹底して守る艤装は要塞そのもの。が、対空兵装を強化しても航空機の進化した攻撃には対抗出来なかった。

太平洋戦争では航空機による戦闘が勝敗を決し、艦隊決戦など幻影に過ぎず、連合艦隊の旗艦になろうが46センチ砲の活躍の場など来るはずも無かった。
明治維新から僅か60年で世界最大の戦艦を作った日本だったが、昭和20年4月7日に海上特攻という愚かな決断でその珠玉の宝と約3,000名の尊い命を犠牲にして坊ノ沖に沈めてしまった。

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主砲を装着すると、そのバランスの取れた美しさには改めて感動する。

戦前、戦中における日本国民が誇る戦艦は、世界の戦艦ビック7に数えられた連合艦隊の旗艦「長門」であった。

戦艦大和がその存在価値について日本人に広く認識されるようになったのは最近の事だという。

映画では、「連合艦隊」 「男たちのYAMATO」 「戦艦大和」 「宇宙戦艦ヤマト(劇場版)」  「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(派生作品)などがあり、そこから広く認識されるようになったらしい。

映画「トラ!トラ!トラ!」でミリタリーに目覚めた小生ではあったが、戦艦大和は「宇宙戦艦ヤマト」で知った・・・(笑)

「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は映画館で何度も見て泣いていた・・・沢田研二の主題歌は今でも十八番である・・(爆)

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英国海軍仕様の金剛型四姉妹の武骨さとは違い、最強の武装をさりげない造形美の一部分とする柔軟な仕様には恐れ入る。


【自分ルールでは生涯作る予定の無かった超弩級戦艦】

ガキの頃に少ない小遣いでかじったミリタリーのプラモ作りのルーツはドイツ軍の戦車がメインだったので、戦艦は何故か1/350のフルハルの米海軍ミズーリだけだった。しかもマブチモーターで水上走行可能仕様・・・(笑)

大人買いが出来るこの歳になって制作した戦艦は、1/350のフルハル三笠、1/700の扶桑、1/700の榛名のみ。

戦艦榛名 (24)
1/700の戦艦榛名(Hasegawa製)。終焉時のダズル迷彩仕様を再現してみた。

個人的には潜水艦ヲタクなのだが、空母マニアを仮の姿として数多くプラモを作ってはいるものの、戦艦はあまり好きになれず生涯大和は作らないだろうと思っていた。

映画を見て触発された、というのもあるが、いったい艦船モデラーが恋い焦がれる戦艦大和は何なんだ?という疑問もあり「ならば製作してみるか」という単純な動機ではあった。

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46センチ三連装の1番2番の主砲と副砲、背後の艦橋のバランスは日本人の独特な美的センスとしか言いようがない。

だだっ広い駐車場に申し訳程度に対空砲を艤装した航空母艦とは違って、対艦・対空兵装てんこ盛りの艤装の戦艦建造は細かい作業の連続なので結構しんどい。おまけに、大和は船尾に零式水上観測機と零式三座偵察機の格納庫や大型クレーンも備えるのでそこは作ってても何か楽しかった・・(笑)

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零式三座偵察機の風防のスカイブルーはオモチャ感満載になったので、シルバーに塗り替えた・・・(汗)


【ウェザリングの功罪】

大和の船体側面及び甲板はエアスプレーによる塗装、船体上部の構造物及び主砲、船体後部のカタパルトや水上機は筆塗で結構時間をかけて行った。
プラモの世界でも経年劣化や現場での汚れや錆の状況をより現実的に表現する手法として「ウェザリング」という手法があり、特に地上戦を展開する戦車のジオラマでは現実と区別のつかない状況まで進化している。

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ウェザリング後の大和。ピカピカの1年生を経験豊富なベテランに仕上げる魔術なのだが、心情的には切ない。

プロのモデラーの皆さんの作品が掲載される「艦船模型スペシャル」を定期購読しているが、スペシャリストである彼らも「艦船プラモのウェザリング仕様」には様々な意見があるのも事実のようです。

さて、鑑賞にすら耐えられない処女作「戦艦大和」でしたが、世間の皆様に観て頂く事により、「次回はもっといい作品を作ろう!!」という活力に変えるという前向きな思考です・・・(爆)

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いくらなんでも汚し過ぎ・・・と思ったのですが、後の祭りでした・・・。

【戦艦大和 諸元】

公試排水量  69,100t
満載排水量  72,809t
全長       263m
全幅       38.9m
吃水       10.4m
主砲       46センチ×9門
速力       27.46ノット
出力       153,000馬力

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水上特攻として沖縄に向けて出撃し、故郷に残した家族の無事を願い、この国の行く末を案じて大和に乗り勇敢に敵と戦い、祖国に還る事の叶わなかった約三千名の大和の乗組員の皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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Posted on 2019/08/29 Thu. 21:56 [edit]

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航空母艦 千歳 (AOSHIMA製)  

◆千代田と共に水上機母艦から航空母艦に生まれ変わる◆

「あなたの心の登校班の班長になりたい・・・・」(何のこっちゃ・・・笑)

これ以上ブログを放置するとやっかいな広告宣伝がトップページを飾り、死亡フラグが立ちそうなので繋ぎで更新しておきますw

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千歳も千代田もマイナーな航空母艦であり、その前身は水上機母艦だったと知る人はかなりのマニアだけであったが、その存在を広く世に知らしめたのは、やはりブラウザゲーム「艦隊これくしょん」(通称:艦これ)の功績が大きい。

そしてこのプラモが世に出たのも、間違いなく「艦これ」のおかげであろう。

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製作途中の装甲空母「大鳳」との比較。高校三年生と中学一年生ぐらいの差はあろうか・・・(比較の表現に難あり・・笑)

なけなしのお小遣いを削って最初に選んだのは「千代田」ではなく「千歳」にしたのは、やはりその迷彩模様が決め手だった。

格納庫仕様

艦船プラモの主流はエッチングパーツを使い詳細を表現するのがセオリーだったようだが、それだと一隻あたりの製作費は高額化してしまう。小生も制作を中断している大鳳は、実に本体+エッチングパーツ+甲板シール合計で8,000円近くかけている。
フルハル(喫水線の下のスクリューまで含めた船全体も模型)1/350モデルが買える値段である・・・(汗)

が、最近の傾向は、船体の塗装に色を重ねてなど)その軍艦の出生地の海軍工廠(佐世保、舞鶴、呉、横須賀など)の独自のカラーを出すのが流行りになりつつあるという。それはそれで、どういう判断基準になるのか難しい問題ではあるが・・・(笑)

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昨年12月に購入した拡大ルーペ付きのスタンドライト。老眼の我が身には島左近以上に強力な助っ人である。

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まあね、甲板のデカールはチョッと派手過ぎだよね。もうちょっと地味な色使いにしないと・・・

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空母大好きのプラモ提督が陥る艦載機製造の苦難。空母と艦載機は必ずセットですw

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せっかくの格納庫仕様なので、エレベーターを下降させて艦載機を甲板に休憩させてみた。

先日、海中深く眠る戦艦比叡が発見された時に、艦これマニアが比叡の擬人化された美少女のイラストを貼りつけて多数tweetした事に対して非難のコメントが数多く寄せられた。小生ももちろん、イラスト付きで比叡の発見に黙祷を捧げtweetした一人である。

非難のコメントを発信する人々に問いたい。何が問題なのか???

入口はどうであれ、太平洋戦争の史実すら消えゆく中で、で戦艦比叡を知っている(忘れない)事だけでもすごい事である。その事が国を思い家族の行く末を案じて戦いそして死んでいった先祖様に対しての最大の供養なのだという事を・・・。

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【艦歴】

昭和9年度第二次海軍備補充計画で建造された水上機母艦でしたが、昭和15年には甲標的母艦として改造される予定でした。しかし、さらにミッドウェー海戦の敗北により、主力空母を失った結果、昭和17年佐世保海軍工廠で航空母艦として改造されました。
初陣となるマリアナ沖海戦では、第三航空戦隊に配属され、零式艦上戦闘機に250kg爆弾を装備し爆撃機として用いました。翌年の「捷」一号作戦に参加、エンガノ岬沖海戦で米航空機の攻撃により沈没しました。

基準排水量:11,190トン
全長:192.5m
最大幅:20.8m
出力:57,160馬力
速力;28.9ノット
武装:40口径89式12.7cm連装高角砲4基 96式25mm3連装機銃10基
搭載機:零式艦上攻撃機 21機  97式艦上攻撃 9基

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ダイソーの300円ホビーケース。これってビンボー提督には、ありがたいですよね、ネ!!(笑)




Posted on 2019/03/14 Thu. 22:03 [edit]

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航空母艦 祥鳳 (Hasegawa製)  

◆日本が喪失した最初の空母をサクッと作ってみた◆

プラモデルを作った方はある程度経験があると思うが、丁寧にとか、綺麗にとか、現物に近づけようとか思いながら製作していると、ついつい根気を詰めてしまい途中でストップしおて放置プレイになる。それどころか、購入したまま箱も開けずに放置(通称:箱積み)して、模型ショップ顔負けの在庫状態・・・なんて方もチラホラ(笑)

そういったお悩み対策として、「プラモの箱を開けて目に見える場所に置けば、その気になる」という説もあるが、完成するまでの道のりの遠さに自ら閉口し引き籠っている。ならば、多少手抜きしても見映えの良さで時間短縮すれば、生産性が上がるような気もする。

今回ご紹介するのは、「製作の時間短縮」にチャレンジした空母祥鳳(しょうほう)。

空母祥鳳 (1)
ベースキットは瑞鳳と同じ。デカールも選べる。

前回の空母瑞鳳を制作した時よりは技術的にも工具的にも若干進歩しているので、仮組みから下地塗装まではイッキに進む。

空母祥鳳 (3)
今回、下地塗装はオキサイドレッドのサーフェイサーでチャレンジしてみた。

空母祥鳳 (5)
調色して軍艦色をエアーガンで吹き付けるよりは、軍艦色のラッカースプレイを買って作業するのが楽だし安上がりだと最近気づいた(笑)

空母祥鳳 (6)
飛行甲板の塗装も「タン」のラッカースプレイで均一な仕上りに。

祥鳳だけでなく、珊瑚海海戦当時の翔鶴や瑞鶴も飛行甲板の前部と後部の対空防御兵器は極めて貧弱で、前方や後方から敵機に攻撃されたらひとたまりもない。

案の定、祥鳳は米軍の空襲により恰好の標的となり、無数の爆弾と魚雷攻撃を受け瞬く間に轟沈したという。

空母祥鳳 (8)
航空甲板の白線及び艦尾の紅白のデカールは非常にありがたい・・が、丁寧に作業しないと仕上がりを左右するので気を付けよう。

甲板両サイドの可倒式の5本のアンテナ(支柱)は作業中に破損するリスクがあるので、最後に接着するのが賢明であろう。
小生も誤って二本破損してしまった・・・(汗)

ここまで約2時間の作業。塗装の乾燥時間も含めれば上々であろうか・・・。艦載機はほぼ同等の時間がかかるとは覚悟していた。

空母祥鳳 (11)
附属のプアな艦載機もチョッと手を加えればそれなりの見映えになる。

【艦歴】

日本海軍では、いざ戦時となった時に短期間で空母に改修して戦力を補強できるようにするための、高速給油艦「剣埼」(つるぎざき 1番艦)と「高崎」(同型艦)の建造を計画した。「剣埼」は建造途中で潜水母艦として完成させることになり、昭和14年1月、横須賀工廠で竣工しました。同じく潜水母艦として計画されていた「高崎」が航空母艦「瑞鳳」として完成したため、「剣埼」も航空母艦に改修され、昭和16年12月、「祥鳳」と改名、翌年1月26日第一航空艦隊第四航空戦隊に編入された。

昭和十七年5月7日、海戦史上初の空母対空母の決戦となった珊瑚海海戦で米軍機動部隊の空母機による空襲により、4ヶ月あまりの短い艦命を終えるとともに日本空母の喪失第一号となった。

空母祥鳳 (13)
何かとマリアナ海戦まで活躍した瑞鳳と比較されてしまうが、結果として米軍の機動攻撃部隊の攻撃(魚雷7本、爆弾12発)を一手に引き受けて、瑞鶴や翔鶴を始めとするMO機動部隊の損傷を最低限に抑えた武功艦である事には違いない。

空母祥鳳 (14)
附属品とは思えない零戦21型と九七艦爆。

空母祥鳳 (18)
迷彩模様の九七艦爆。

【空母祥鳳 主要項目】 (建造時)

基準排水量:11,200t  全長:185m 幅(水線最大幅):18m 飛行甲板(長さ×幅):180×23m 吃水:6.64m
旗艦出力:52,000hp 武装:40口径12.7cm高角砲(連装×4) 
搭載機:艦上戦闘機(常用21機)、艦上攻撃機(常用6機/補用3機)
速力:28.0ノット
完成:1941年

空母祥鳳 (16)
総製作時間:推定4時間。

さっさと作るか、購入した金額に見合うように真剣に作るかは個人の自由だが、部屋に箱積みするぐらいならサッサと作るのが得策だと思うのだが・・・・(笑)


Posted on 2019/01/16 Wed. 22:00 [edit]

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駆逐艦 島風  

◆唯一無二そして孤高の最速駆逐艦◆

主に空母か潜水艦のプラモしか作らない小生が、「駆逐艦が面白いことになってきた」などという某プラモ雑誌の特集記事に触発されて購入したのが、この「島風」である。

島風 (10)
ブラウザゲーム「艦これ」の人気艦ということもあり、45年ぶりにリニューアルされたTAMIYA製の島風。

1/700の艦船プラモの製作に関しては、根が真面目なので(←嘘つけ!)、チマチマと塗装と組立を繰り返しながらやるのがいつもなのだが、今回のような駆逐艦に関しては、ある程度先にパーツの組立と取付を完了して下地塗装を行いその上から重ね塗りして部分的に塗装していくというプロの技術を真似てみた。これが意外とすんなり身についたのにはビックリ・・・(笑)

島風 (1)
最初に砲塔や魚雷発射管を除いた大きなパーツを素組みしておく。

【艦歴】 ※TAMIYA製島風の組立説明書に書いてある艦歴について引用しています

太平洋戦争の真っただ中と言える1943年5月10日に舞鶴海軍工廠で竣工した日本海軍の駆逐艦が島風です。2000トンを越える艦船としては画期的と言える40.9ノットという強力な記録を達成しただけでなく、五連装酸素魚雷発射管を三基装備した強力な武装をもった、最新鋭の艦隊型駆逐艦として誕生したのです。

日本の駆逐艦の速力は大正初期に設計された峯風型で39ノットに達し、その4番艦として完成した初代の島風は40.7ノットという高速を記録していました。
さらに、駆逐艦の革命と言われた特型駆逐艦吹雪も、攻撃力や凌波性を飛躍的に向上させるとともに、38ノットという高速を発揮したのです。
ところが、軍縮条約の制約や、友鶴事件と第四艦隊事件の影響などにより、その後の初春型や白露型は性能向上にブレーキがかけられます。二つの事件の経験を取り入れて設計された朝潮型は船体の強度と復原性は向上したものの、速力と航続力は十分とは言えなかったのです。

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ブラックサーフェイサーで全体を下地塗装。

続く陽炎型と夕雲型では航続力を伸ばし、両型は速力が35ノットという点を除けば理想的な駆逐艦となりました。しかし、第一次世界大戦後のアメリカ戦艦の速力向上は目覚ましく、アイオワ級では30ノットを越えることが予想されたのです。駆逐艦は大型艦に肉薄し、搭載した魚雷でこれを沈めることが主任務だったため、魚雷を当てやすい位置に辿り着くために目標となる艦船より速いスピードが求められました。日本海軍ではおよそ10ノット以上のスピード差が必要と考えられていたため、35ノットではこれらの高速戦艦を襲うには速力が不足しているのは明らかでした。

1939年、軍令部は40ノットの高速駆逐艦の建造を要求し、第四次軍備補充計画(通称④計画)に基本計画番号F52と呼ばれる高速駆逐艦の試作艦の建造が盛り込まれました。この試作艦が、1920年に40.7ノットという高速を記録した初代の島風の名を引き継ぐことになったのです。なお、当時、初代の島風は健在で活躍を続けていましたが、二代目の建造に先立って、1940年4月に哨戒艇となり、第一号哨戒艇と改称されています。

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最近発売になった「舞鶴海軍工廠グレー」(TAMIYAカラー製)で塗装。リノリウムは専用ステッカーなので有難い。

高速駆逐艦として誕生した二代目島風。その速力を生み出す最大の鍵は軽くて強力な機関です。このためには、高温高圧缶(ボイラー)を使用することが理想的ですが、このような機関を実用化するためには構造、材料、信頼性などの難問をクリアーし、さらに政策には極めて高い精度が必要です。日本海軍は陽炎型で30kg/㎠、350度の高温高圧缶を採用し、9番艦の天津風には試験的に40kg/㎠、400度という缶を搭載。成功を収めていたので、島風にもこの40kg/㎠、400度の缶が採用される事になったのです。

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駆逐艦や軽巡のリノリウム甲板と抑えの金具の塗装はかなり厄介なので、ステッカー仕様は助かるが、慎重に作業したい。

さらに、出力は天津風の52,000馬力に対して島風は75,000馬力を発揮。戦艦大和の1/25の排水量の船体に、大和の半分にも及ぶ大出力の機関を搭載していたと言えばその高速性も頷けるでしょう。
また、魚雷発射管3基と大型機関を搭載したため夕雲型に比べて全長が約10m伸び、艦首の形状は甲型駆逐艦までのダブル・カーブ型から艦首先端を前に突き出した凌波性に優れるクリッパー型に変更されています。

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未塗装の兵装を仮組みしてみるました。

主砲は陽炎型と同様の高角砲兼用の12.7cm連装砲3基(計6門)うを搭載。そして、魚雷兵装は軍令部の要求では、次発分をなくす代わりに7連装という空前の大型発射装置を2基搭載し、14門14発とすることになっていましたが、連7連装発射管は動力が故障した時、人力で旋回させることが不可能なため、5連装発射管3基(計15門、15発)を搭載。陽炎型などの4連装2基(次発装填装置付き、計16発)に比べると1発少ないものの実質的には攻撃力は同等、しかも発射される61cm酸素魚雷は外国艦に搭載された魚雷に比べて圧倒的に強力でした。

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島風のみ採用された5連装酸素魚雷×3門。従来型の艦隊決戦ならば高速艇から繰り出される酸素魚雷は間違いなく必殺技である。

島風はまず、全力テストで軸馬力75,850馬力、排水量2921トンで40.37ノットを記録した後、105パーセントの過負荷全力テストで79,240馬力、2894トンで40.9ノット(時速換算で約75km/h)を記録しました。
初陣は1943年7月のキスカ島撤退作戦で、その後、南方へ転戦。そして、1944年10月のレイテ沖海戦ではその高速性を生かして奮戦し、最後の戦闘行動は「多」号作戦と呼ばれたレイテ島のオルモックへの兵員物資輸送作戦でした。
同年11月8日、第二水雷」戦隊旗艦として、浜波、長波、若月および5隻の輸送船と共にマニラ湾を出撃。11日午前10時、オルモック湾に到着したとき、350機というアメリカ軍艦載機の猛攻を受け、3時間にわたって激闘を繰り広げたものの船団は全滅、長波、若月も沈没し、満身に痛手を負った島風も、この日の午後5時10分、大爆発を起こし波間に消えていったのです。

島風 (7)
毎度の事ながら、空中線(アンテナ線)は納得できない仕上がり・・・(汗)。ミシン糸が使えそうなので今後は試してみたい。

海戦の主力が空母と航空機に取って変わった時代の流れと、戦況の悪化により高温高圧缶を量産することができず同型艦が建造されることは無かった島風型駆逐艦。
それでも、島風は短い生涯の間にその性能を遺憾なく発揮し、最速・最強を誇った艦隊型駆逐艦の傑作といえるでしょう。

島風 (8)
完成した島風。地上を駆ける最速のF-1マシンは美しいのと同様に海を最速で駆ける駆逐艦もそのフォルムは美しいのである。といっても最近のF-1マシンはどう見ても酷いフォルムなのだが・・(汗)


【駆逐艦島風の主要データ】

基準排水量:2,567トン
全長:129.5m 全幅:11.2m
馬力:75,000馬力
速力:計画39.0ノット 公式:40.9ノット
魚雷発射管:61cm五連装魚雷発射管3基
主砲:12.7cm連装砲3基
爆雷投下軌道2組
レーダー:22号電探1基、13号電探1基
竣工年月日:昭和18年5月10日 舞鶴海軍工廠。

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12.7cm連装砲と5連装魚雷発射管が下地塗装なしで本体に組み込んだのでチョッと違和感のある仕上がり・・・(汗)

Posted on 2018/11/06 Tue. 21:35 [edit]

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航空母艦 隼鷹 (TAMIYA製)  

◆武運に恵まれ終戦まで活躍した数少ない改装空母◆

相変わらず艦船プラモ作りに没頭する日々が続いている・・・。

「そろそろ山城へ行こうよ!!」という心の声も聞こえたような聞こえないような・・・聞こえないふりしてるだけか・・・(笑)

今回紹介するのは、商船からの改装空母ながら蒼龍クラスの高い能力を持ち終戦まで活躍した航空母艦「隼鷹」(じゅんよう)。

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特徴的な艦橋一体型の煙突を持つ空母は、隼鷹、大鳳、信濃の三隻だけで、隼鷹はその試作であった。

【艦歴】 ※TAMIYAウォーターラインシリーズNO.212航空母艦隼鷹の説明文引用。

始めから軍艦として作られた正規空母に比べれば、防御力はほとんどないと言っても良い商船を改造した航空母艦にもかかわらず、昭和17年5月に完成して以来、北はアリューシャン列島から南はソロモンまで、太平洋の各地を転戦し、いくたびもの損傷にもめげず、終戦まで活躍した航空母艦隼鷹は、武運にも恵まれた数少ない軍艦の一隻だった。

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タミヤ製は甲板の白線や紅白の標識はステッカーなどないのでマスキングテープを駆使する羽目になる。結構面倒だ・・(汗)

隼鷹は元の名を橿原丸(かしわらまる)といい、日本郵船が北米航路用に計画した大型高速客船から改造されました。今日のように旅客機が発達していない戦前は、海外旅行と言えば船と決まっており、太平洋でも、大西洋でも、各国が競って豪華客船を就航させていたのです。
当時、海国日本の象徴の一つと言われていた日本最大の海運会社日本郵船は、昭和15年の東京オリンピック開催に合わせ、昭和12年、いわゆるオリンピックボートとして新田丸、八幡丸、春日丸などの豪華客船の建造を計画したのです。
この中でも、特にサンフランシスコ航路に予定されていた橿原丸と出雲丸の2隻は、総トン数27,700トン、速力24ノットで、大西洋航路で活躍していたイギリス、フランスなどの海の女王たちにもひけをとらない豪華客船であり、完成のあかつきには太平洋の女王として君臨するものと期待を集めていたのでした。

橿丸①
※TAMIYAウォーターラインシリーズNO.212航空母艦隼鷹の説明文掲載の図を転載しています。

ところで、かねてから日本海軍は大型高速商船を戦時には特設航空母艦に改造して使用するする事を考え、浅間丸、龍田丸、秩父丸(後の鎌倉丸)などの建造にあたって政府を通じて多額の補助金を出していました。しかし、これらの客船では空母に改造した場合、大きさでも速力でも十分とは言えない為、昭和8年頃より、正規空母に近い能力を持つ特設空母ができるような超大型艦の建造を希望していたのです。
このため、橿原丸、出雲丸(のちの空母飛鷹)の建造について費用の6割を政府が援助し、そのかわりに戦時には空母に改装することで昭和13年の議会で予算が成立、早速、設計が開始されました。

この設計にあたって海軍が出した主な要求は次のようなものでした。
全長210m以上、幅25m以上、速力は公試運転、半載状態で24ノット、馬力は全力60,000馬力、正常48,000馬力、必要に応じて3ヶ月以内で空母に改装出来る事。などで、全ての面で空母に改装される事を前提として設計が進められたのです。

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船窓をドリルで加工しウェザリングで錆を表現する。

日本郵船は自社の大型客船に神社の名を付けるのを例としていました。出雲丸は出雲大社から、橿原丸は神武天皇とその皇后をまつり、神話にある建国創業の地と伝えられている橿原宮(現在の奈良県橿原市)の旧跡に設けられた樫原神宮から名前をとったものです。

こうして樫原丸の建造は昭和14年3月から三菱長崎造船所で始められました。しかし、その直後から国際情勢は悪化しはじめ、昭和15年に入ると緊張の度は一段と高まってきたため、昭和15年10月、建造中の橿原丸などを特設空母に改装することが決定されたのです。
そして翌16年1月21日、正式に海軍で買収し、6月26日、第102号艦の名で進水しました。昭和17年7月5日、太平洋の女王となるはずであった橿原丸は、その名も改め、いかめしい日本海軍の航空母艦隼鷹として完成したのです。

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後部の格納庫は結構作り込んでいるのだが、甲板を被せてしまうと見えない・・(汗)

航空母艦としての隼鷹は、公式排水量27,500トン、日本のそれまでに建造された空母の中では翔鶴級につぐ巨艦で、中型の蒼龍を上回る大型艦となったのでした。速力は正規空母と比べれば25.5ノットと低いものでしたが、他の改装空母よりははるかに高く、格納庫は上下二段式で搭載機数も常用48機、補用5機の計53機で蒼龍級に次ぎ、改装空母の中では最も多数の搭載機数を誇っていました。
飛行甲板の大きさも長さが蒼龍級よりも少し短い程度で幅は逆に飛鷹の方が広いものでした。武装も田の改造空母より強力で、蒼龍級と同様に12.7cm高角砲12門、25mm3連装機銃8機を搭載していました。この対空兵装は後に更に強化され、25mm3連装機銃が15基、2連装2基、単装27機に増やされ、12cm28連装ロケット砲6基も増設されたのです。
総合的に見た場合、速力がやや低い点、そして商船からの改造空母としての宿命的な防御力の弱さを除けば、ほぼ中型の蒼龍級に匹敵する能力を隼鷹は持ち、実際、改装空母でありながら正規空母に近い近い戦闘力を発揮し、日本海軍機動部隊の中堅として活躍したのです。

隼鷹①
日本の航空母艦における煙突と一体型の艦橋は隼鷹が最初であった。 ※TAMIYAウォーターラインシリーズNO.212航空母艦隼鷹の説明文掲載の写真を転載しています。

なお、隼鷹の艦橋は煙突と一体になっており、煙突が外側へ28度の傾斜を持っているのが特色となっている。この煙突は大鳳に利用する予定で実験中だった案をそのまま利用した物で、これを採用したのは日本の空母では隼鷹が最初でした。

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隼鷹は初陣は昭和17年6月のM1作戦でミッドウェー攻撃に呼応して3日と5日にダッチハーバーを攻撃、その後、第2航空戦隊に編入されて10月上旬にソロモン方面へ進出、ガタルカナル島攻撃、南太平洋海戦(10月24日)、第三次ソロモン海戦、(11月9日)、ガタルカナル撤収作戦などに参加。ラバウルへ派遣されて「い号作戦」に参加。そして6月、再度トラック島へ進出、飛行隊は11月上旬ブインへ派遣され、搭載機の無くなった隼鷹は8月から10月の間、シンガポールやトラック島への輸送にあたっていましたが、11月5日、沖の島付近で敵潜水艦の魚雷により損傷、利根に曳航され呉に帰還しました。

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翌19年2月に修理を終えた隼鷹は、6月19日、20日のマリアナ沖海戦に参加。第二航空戦隊旗艦として活躍した隼鷹は煙突付近に2発の命中弾を受けて修理のために日本へ帰還、修復後、ブルネイ方面への輸送任務にあたっていましたが、12月9日、潜水艦の魚雷を受け船体を損傷し、佐世保へ帰ったのです。
そして翌20年3月に修理を終えたのですが、搭載する飛行機も無く再び出撃することもないまま終戦を迎えたのです。

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【航空母艦隼鷹の主要目】

排水量:27,500トン
水線長:215.30m
最大幅:26.70m
最大速力:25.5ノット
搭載機数:常用48機、補用5機
飛行甲板:長さ210.3m 幅27.3m
完成年月日:昭和17年5月3日
工廠:三菱長崎造船所

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どんだけ空母が好きなの?とよく聞かれますが、その生い立ちと波乱万丈の生涯故の判官びいきかと・・・(笑)


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せっかくなので、最近完成した蒼龍と比較してみた。その威容は正規空母を凌駕する逞しさである。

Posted on 2018/10/16 Tue. 23:14 [edit]

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