らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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「信濃の国をめぐる城郭」シリーズを完結させたいという野望  

◆越後の国境を越えなかった宮坂武男氏の謎◆

亡き父の葬儀を終え、色々な手続きや四十九日の段どりが一段落した。分家の身上なので仏壇も無いしお墓も用意してないし「お気楽オヤジ、ええ加減にせい!」という状態・・(汗)

さりとて身内の死という経験は初めてなので何もかもが初体験で手探り状態だし死者に鞭打つ訳にもいかない・・・(汗)。
でもって、今は相続人の確定という作業に入っている。

父の出生地が兵庫県だという事はなんとなく聞いていたが、父の人生の半分は全く不明である。少しは会話でもして聞いておくべきだったと後悔しているが、戸籍謄本の改正原戸籍を調べると、小生の知らない彼の人生の履歴書の一部を垣間見る事が出来る。

兵庫県朝来郡山口村○○○番地(現在の兵庫県朝来市)

そう、天空の城の竹田城や生野銀山で有名な朝来市(あさごし)である。この続きはいずれまた何かの機会にご報告出来ればと思う。

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「えっ、ようやく買ったの?」 と思われそうだが、その通りである。

宮坂本シリーズのラストを飾るこの本の出版は2015年11月。甲斐も上野も中途半端で南進する事に躊躇していたのである。

「今年こそは飛騨の山城と城館巡りに行きたい・・・」 その思いが募り、とうとう購入したのであった・・・(笑)

この本に掲載されている346の城館で行った事のある城は「岩村城」と「設楽城」のたった二ヶ所だけである・・・(汗)

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岩村城の六段壁。

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設楽城の郭2に残る土塁。

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まあね、仏様になるm為に三途の川を渡り、四十九日までに凡そ730kmを歩いておる父の供養にでもなればとブログを再開してみました。

それにしても宮坂武男氏が越後に攻め入らなかったのは、武田信玄の版図を意識しての造作なんでしょうかねえ・・・。

何はともあれ、この本を購入してしまったからには、まだまだあの世には行けませんなあー・・・(笑)
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Posted on 2017/01/31 Tue. 22:39 [edit]

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「甲信越の名城を歩く 山梨編」 (2016年 吉川弘文館)  

◆武田家そして真田家研究者の第一人者である平山優氏と山梨の中世城郭の第一人者である山下孝司氏の共著◆

先日、上田市にある老舗の書店「平林堂書店」(へいりんどうしょてん)から「注文された書籍が届いておりますので、お越しください」との電話がかかってきた。

「さて、何の本だろう?」 定期購読など依頼した記憶などないので、本の名を確認したら合点がいった・・・(笑)

その本の名は、「甲信越の名城を歩く 山梨編」。(吉川弘文館 税込2,700円)

以前に、「甲信越の名城を歩く 新潟編」はここの専務が高校時代の同級生なので、ここを通して購入したのだった。

続編を定期注文していたとは、「さすが、転んでもただでは起きない商売人だけのことはある」・・・・(笑)

山梨① 001

残念ながら、仕事が多忙でパラパラとめくった程度であるが、真田氏・武田氏研究の第一人者である平山先生が推薦する甲斐(山梨県)の山城と城館であれば間違いはないと信用しておる次第・・・。

小生もまだまだ甲斐の山城探訪は序の口なので、この蔵書を片手に来年あたりは本格的に調査に訪れたいと思う。

皆様も是非、信玄時代の強固な山城、そして信長亡き後の天正壬午の乱で徳川VS北条の争奪戦が繰り広げられた山梨の峡北の臨戦態勢に置かれた山城を、この本片手に訪れていただきたいと、心から願う次第であります・・。

山梨② 001

◆甲府城◆ (舞鶴城)

浅野長政・幸長により築城された甲府城は、徳川方をけん制するために築かれた堅固な城である。

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甲府城の天主櫓跡。

【新府城】

詳細は小生のブログの「新府城2」を参照願います。
勝頼が命運を賭けて築城した城の末路は哀れでしたが、天正壬午の乱でその立地条件の凄さは徳川により立証されました。

新府城②(韮崎市) (91)
新府城の三日月堀。


【谷戸城】

国指定の史蹟跡。保存状態も良く隅から隅まで見て歩く事をお勧めするが、最低3時間は必要かと・・・(汗)
まあ、ここも事前学習が必要な方は、「谷戸城跡」をご参照ください。

谷戸城(北杜市) (25)
土塁の内側を廻る変則的な堀切も特徴かと・・・(汗)

【岩殿城】

甲州征伐で勝頼が進退極まった時に、小山田信茂の意見を入れて岩殿城へ落ち延びる策を採用し、小山田の裏切りに遭い天目山で非業の死を遂げたのはご存知の通りである。
が、岩殿城は武田氏直轄の城だったというのが近年の定説で、小山田の承諾など不要だったと思われ、入城できなかったのは小山田氏の領土が戦場となるのを避けた為と考えられている。

岩殿城 (65)
岩殿城の遠景。

ほんの数城のみ掲載しましたが、さあ、貴方もこの本を携えて、甲斐の国を訪れてみませんか?






Posted on 2016/10/19 Wed. 22:15 [edit]

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「甲信越の名城を歩く 新潟編」(2016年 吉川弘文館)  

◆晩秋に計画している越後遠征の事前準備の必読書◆

明日は下調べと称して、二か月ぶりに信濃先方衆の「ていぴす殿」と合同で梓川の上流周辺を彷徨う予定となった。

世に名高い北アルプスの玄関口「上高地」の入口付近にあたるのだが、ここは戦国時代には武田の重臣である馬場信房が飛騨攻めの拠点を置いた場所で、砦もそこそこあるらしい。遭難防止の下調べはとても大事な事なのである・・・(笑)

今回ご案内するのは最近「吉川弘文館」より刊行された「甲信越の名城を歩く 新潟編」である。

甲信越の名城を歩く①

実は、越後の城は10ヶ所ほど巡っており、そのうち6ヶ所は何とかブログに掲載したのだが、その後が続かないのだ。

もちろん、信濃の山城が優先されるというポピュリズム(大衆迎合・・笑)が最大の阻害要因なのは百も承知である・・・(汗)

ようやく信濃の山城も南信濃を除いて一段落しそうなので、未開の越後へ遠征しようという魂胆なのである・・・(笑)

それにしてもこの本、全ページのほぼ2/3は鳴海忠夫氏の記述と縄張図で構成されている異例の書籍であった。

越後の中世城郭の研究に関しては「佐藤 春夫」「植木 宏」「花ヶ前 盛明」の諸先生方も著名であるが、今回は全く登場しない。

甲信越の名城を歩く②

新潟県内にある約1,160ヶ所の中世城郭から59ヶ所の名城を選出して掲載している。城跡へのアクセス方法はもちろん、城の生い立ちや特徴、縄張図も全城丁寧に記事が掲載されている。

鳴海忠夫氏の縄張図も実に分かり易く明瞭に描かれている。この図面なら城跡で大いに役立つであろう。

鳴海忠夫氏縄張図①

続編の「甲信越の名城を歩く 山梨編」では、今をトキメクNHK大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当する「平山 優」先生が編者となられているので、期待大である・・・(そんな事書くと、叱られそうですが・・・笑)

宮坂武男氏が描くことのなかった越後の中世城郭を、小生が見よう見まねで宮坂イズムを踏襲して描写していくのも楽しみに思えます。

箕冠城(上越市) (30)
箕冠城(みかぶりじょう)は上杉謙信の家臣の大熊備中守朝秀であった。

黒田城(上越市) (24)
発電所の水路沿いに30分以上ひたすら登るという異例の体験をした黒田城(上越)

さて、晩秋はこの書籍をお供に越後に進軍しますか・・・・(笑)



Posted on 2016/07/01 Fri. 22:32 [edit]

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「信濃をめぐる境目の山城と館 上野編」が発刊  

◆散財を強制する信玄の呪縛は続くのである◆

実は、宮坂武男氏の「図解山城探訪」は第三集までは自費出版で、第四集からは長野日報社により製本化されるも非売品であった。このままでは宮坂氏がライフワークとして踏査してきた信濃の山城の研究成果が廃れると危惧した中世歴史研究家の平山氏と竹井氏の尽力により、2013年に戎光祥出版様より「信濃の山城と館」(全8巻)が復刻版として部数限定で刊行された。

そして「図解山城探訪」の全巻を知る我々の期待を裏切ることなく2015年には同じく戎光祥出版様より、山梨編が「甲斐の山城と館」として上下2巻として発刊された。

上野編①
表紙は富岡市の神成城の鳥瞰図。

そう、宮坂教の狂信徒ならご存知だと思うが、宮坂氏の「図解山城探訪」の付属編には「上野編」 「飛騨編」 「奥三河編」の三部作が存在するのだ。

「まさか、戎光祥出版がいくらなんでも、収支の読めない付属編の三部作を製本化することは無いかもしれない・・・」

いやー、期待を見事裏切って頂いた戎光祥出版様には感謝感激雨あられでしょうか・・・(笑)

拍手喝采ですw

上野編②
上段の縄張図は鷹留城(高崎市)、下段は岩櫃城(東吾妻町)

両手にも満たない上野国の山城訪問数なので、この本の到着以降は毎晩遠征の夢ばかり・・・・ヤバイ・・・(笑)

後閑城(20414) (59)
後閑城。1年前に訪問しているが未だ記事として掲載出来ない・・(汗)

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岩櫃城は2回程訪問しているが、真面目に調査していないので、再訪は必須であろう・・・。

このあと恐らく「飛騨編」と「奥三河編」が刊行されるのであろう。

片っ端から巡るのは全く苦にならないが、ブログに掲載するのはかなり躊躇し記憶も断片的になると思われる。

まあ、いつもの言い訳には違いない・・・(爆)

Posted on 2015/07/10 Fri. 22:10 [edit]

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武田信玄終焉地考 (一之瀬義法著 1987年教育書籍)  

◆巨星は何処で墜ちたのか・・タブー視されてきたその核心に迫る解説書◆

戦国の城とか中世史の好きな方の中には、武田信玄公フリークや熱狂的な信者がいらっしゃる。

それは大変結構な事であり、今後の中世城郭ファンの獲得にも心強い援軍であろう・・。

が、誰もが知っている戦国武将の武田信玄が「ご臨終」となった場所を知る人は少ないし、知っていても信州の駒場(阿智村)というのが定説になっている。

カピパラ033
ちなみに今日のBランチは笹の葉でございますw (じゃあ、Aランチは?・・笑)

「今さら信玄公の亡くなった場所を特定したからって歴史が変わる訳じゃあるまいし、どうでもいいじゃん・・・」

なるほど、その通りかもしれません。古傷に触れても過去が変わる訳などありません・・・(汗)

この話題、ある意味で武田ファンにはタブーだったと思うんです。専門家だって取り上げることすらしなかった。

今回ご案内するのは、その謎に挑んだ書籍である。

武田信玄終焉地考の扉

昭和62年の発刊なので既に絶版なのだが、中古はあるようだ。小生は図書館で幸いにも発見する事が出来た。

【おさらい~西上の軍と信玄公の最期】

元亀三年十月(1572)、先に東美濃へ秋山信友を侵入させ織田と徳川を遮断し、自ら西上の軍をおこした武田信玄は二万二千の兵を率いて躑躅ヶ崎~諏訪~伊那谷~秋葉街道と進み青崩峠(あおくずれとうげ 1085m)を越えて遠州に入り、徳川方の諸城を落城させる。

十二月に徳川家康と三方ヶ原で合戦に及び完膚なまでに叩いて勝利すると、そのまま浜名湖畔の刑部村で駐屯し越年する。
開けて元亀四年(1573 天正元年)の正月十一日より三河の野田城に攻めかかるが、一ヶ月を要してしまう。(詳細は野田城の記事を参照)

五十三才で病気を抱えていた信玄にとって、長期間の遠征軍の指揮は過酷であり、野田城攻めの最中に容体が悪化し本部隊は長篠城まで引き返した。(野田城は二月十日に開城)

その後鳳来寺付近で療養し一度は回復に向かうものの再び悪化したために、躑躅ヶ崎(甲府)に帰る事になった。

信玄帰路図
信玄の帰路(武田信玄終焉の地考よりP13の地図を引用)

鳳来寺から愛知県北設楽郡設楽町(田口)・津具村を経て、長野県下伊那郡根羽村・平谷村・浪合村の、いわゆる三州街道の宿場を北上し、駒場(こまんば)・飯田へと戻る道中となった。
しかし彼の西上の夢は叶うことなく、元亀四年四月十二日、五十三才の生涯を閉じた。

武田信玄終焉地考の目次
本の目次。この部分だけ見ても興味をそそられるのである。

【諸文献からみた終焉地は何処か】

著者である一之瀬義法氏は日本史や中世史の専門家ではないが、敢えてアマチュアとして専門家以上の調査と信州伊那の教員としての地の利を生かし、コツコツと足を使い地元の古老などへも聞き取り調査を実施している。
凄いの一言である。
そして最終的に導き出した結論(もちろん氏としての推定ではあるが)も充分に裏付けがありなるほどと納得できるものであった。

ちなみに、諸文献に記されている信玄の終焉地としては

●駒場説
 「当代記」「御宿監物の長状」

●波合説(浪合)
 「徳川実記」

●平谷・波合説
 「三河物語」「三河後風土記茎葉集」

●根羽説
 「甲陽軍鑑」「熊谷家伝記」

●田口説
 「野田城記」「野田実録」
 
となっておりいずれも決定的な決め手を欠いている。その要因としては「三年間死を隠せ」という遺言によるところも大きいと一之瀬氏は見ている。

駒場城(阿智村) (1)
駒場城から見た長岳寺と飯田方面。駒場説はこの長岳寺で信玄が荼毘に附されたと伝わる。

残念ながら小生は何れの地も通過しただけである・・・(汗)

もっとこの本を早くに知っていれば、また行かなくても済んだのに・・・(笑)

というわけで、南信濃の諸城攻略の説には、終焉地巡りを観光敢行する予定であり、楽しみが増えた。

駒場城も近々掲載したいと思いつつ、既に半年が過ぎた・・・・・(ギョ!)

駒場城(阿智村) (99)
長岳寺方面から見た駒場城(こまんばじょう)。車で行けちゃうけど、3ナンバーは止めときましょうネ(死にそうだった・・)

「武田信玄終焉地考」・・・・・ページ数は少ないが、気の遠くなるような調査に基づく核心に迫る渾身の傑作であろう。

Posted on 2014/08/08 Fri. 22:32 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

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