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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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飯田城 秋葉山砦 (北安曇郡白馬村神城)  

◆飯田城の物見砦か?◆

「夫婦円満の秘訣は会話である・・・」とか、その昔は会社の部下の結婚披露宴で偉そうに述べた事もあったが、夫婦生活も長距離走になってくると、地雷原を手探りで進む歩兵のようである・・・(笑)

相手に対する受け答えを一歩でも間違えようものなら、地雷が爆発し心身の健康状態を回復するのには途方もない時間と精神力、忍耐力が必要になる・・・(汗)

男女平等はとうに昔話であり、女尊男卑・・「堪えろ男子!!」(笑) なので「明日、私は旅に出ます」(←あすざ2号かい!!・・笑)。 城巡りの趣味を常人に理解していただくにはまだまだ時間がかかるらしい・・・。

そんな自分の家の話はともかくとして、今回ご案内するのは、白馬村の飯田城の東の砦と伝わる秋葉山砦。

秋葉山砦遠景 (4)
相方のていぴすさんにお借りした秋葉山砦の遠景。おお、ここには何かありそうだ・・という立地ですよね。

【立地】

白馬村の神城地区、飯田集落の南西の月夜棚へ続く山尾根の先端部に位置する。(月夜棚は未踏査)
背後の尾根を登り詰め、北へ下ると飯田城になり、南に向かえば月夜棚になる。尾根の先端には秋葉社と三峰社がある。この山は神城地区に岬のように張り出した尾根のために、高度はそれほど高くないが視野は広い。一夜城、三日市場城、迎場城など直視でき足下の千国街道は手に取るように見渡せる。登路は大糸線脇の南斜面の農道から続く秋葉社への参道を登る。

白馬周辺諸城配置図
白馬村の神城地区における山城の配置は、越後から小谷村を経由して白馬に侵入する敵を迎撃する袋小路のような様相である。

さて、今回の記事は前回の沢度城に引き続き、相模国から小太三郎様をご案内してのアテンドツアーですw
個人情報の取扱いに関しては慎重を期しておりますが、万が一でも「バレちまったら、しょうがねえなー」という心意気で臨んでおります・・・(それって、大丈夫・・・汗)

飯田城&秋葉山砦 (1)
大糸線脇の斜面の参道をつづら折りに15分ほど登ると尾根先の三峯社、秋葉社を祀る鳥居がお出迎え。

【城主・城歴】

この山についての伝承や史料等はなく不明。「白馬村誌」では、「飯田城秋葉山砦」としていて「この山城は月夜沢城(飯田城)の出城であり、あまり眺望の良くない月夜沢城の物見の場所と言ってよいだろう」と述べている。

飯田城秋葉山砦見取図①
この砦、三峯社や秋葉社の勧進された尾根先が重要だと思われるのだが、主郭は堀切㋑と二重堀切㋒㋓の間の郭である。

飯田城&秋葉山砦 (2)
尾根先の郭の一段下の帯郭。神社の勧進された場所は改変されたのであろうか?

飯田城&秋葉山砦 (3)
尾根先端の郭に勧進された三峯社と秋葉社。烽火台や物見としては申し分ない場所である。

飯田城&秋葉山砦 (4)
右が秋葉社。左が三峯社。城跡に火の神を司る秋葉社が勧進されるのは各地に見られる。


【城跡】

尾根の先端部に秋葉社と三峯社が勧進されているが、社殿造営の際に改変されたようで、遺構ははっきりと確認出来ない。尾根を進むと最初に堀切㋐(上巾6m)が現れ、ここから城内になるようである。三分割された小さな郭の先には堀切㋑(上巾4m)が尾根を遮断し、その先がこの砦の中枢部と考えられている。理由としては、この部分の背後は二重の堀切で遮断され、その後背には何もないのである。

飯田城&秋葉山砦 (5)
尾根の先端は電波塔も置かれ城内最大の面積であるが、遺構は確認出来ない。

飯田城&秋葉山砦 (6)
先端の郭と中枢部を遮断する堀切㋐。

神社の勧進されている郭の全長が約70m程ある。恐らくここには堀切があったと思われるのだが、神社の勧進の際に改変され消滅されたと思うが、どうであろうか?あくまでも私的な意見に過ぎないが・・・(汗)

飯田城&秋葉山砦 (7)
堀切㋐の断面。

飯田城&秋葉山砦 (9)
堀切㋐と㋑の間の郭群。狭いし短い正直言って遺構が良くわからない・・・(汗)

飯田城&秋葉山砦 (10)
堀切㋑(上巾4m)。

城の主要部はこの尾根の最高所で33×5の細尾根である。何故この場所なのか築城者の意図が全く読めない。本来であれば、尾根の先端部を主郭として尾根伝いに郭と堀切を重ねるのがオーソドックスな手法であるので、この尾根に神社が勧進された当初の状況を確認するしか無かろう。

飯田城&秋葉山砦 (13)
なんと、主郭の写真はこれしかない・・・(汗)

飯田城&秋葉山砦 (14)
主郭背後の二重堀切を調査する「ていぴす」さんと「小太三郎」さん。

飯田城&秋葉山砦 (15)
堀切㋒の断面(上巾5m)

飯田城&秋葉山砦 (18)
堀底㋓の断面。

さて、如何でしたでしょうか?

飯田城は技巧に優れた縄張を持つ山城なのですが、立地条件において見通しがあまり良く無くて出城を持つ必要性は現地を踏査したした方なら感じたかと思います。実際にも尾根続きなので、非常時には、ここに兵を入れて飯田城との連絡を行う手段を講じていたのだと思われます。
ちなみに、飯田城へのルートは、多少時間がかかりますが、この秋葉山砦からのルートがお薦めです。飯田城からは大手を下り犬川の渡河という選択肢もありますが、時期によっては増水により渡河が完全に無理な時期があります。来た道を戻る事をお勧めします。

≪飯田城 秋葉山砦≫ (いいだじょう あきばやまとりで)

標高:872m 比高:130m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:白馬村神城飯田
攻城日:2018年4月30日
お勧め度:★★★☆☆
難易度:B(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け) ※飯田城はS)
城跡までの所要時間:麓から15分
駐車場:無し(軽自動車なら大糸線を越えて脇道の終点に駐車可)
見どころ:堀切、土塁
注意事項:この砦のみなら特に無し。経由して飯田城へ向かうならそれなりの装備と体力、経験は必要。ランクはSSに格上げ。
参考文献:「信濃の山城と館⑦安曇・木曽編」(宮坂武男著 戎光祥出版)
付近の城址:飯田城、三日市場城・佐野城・茨山城、沢度城、一夜山城など
SpecialThanks:小太三郎さん、ていぴすさん


【おまけショット】

我々、信濃先方衆は飯田城は二度目なのだが、秋葉山砦からのトライは初である。
今回も、大手口から下って犬川を渡航するのか、秋葉山砦から来た道を戻るのか厳しい判断を余儀なくされた。
結果として、犬川が増水して渡航できないリスクを考えた場合に戻る体力が無いと洒落にならないという結論に落ち着いた。(無論、われわれのみなら寒中水泳宜しく大手にくだったであろう)

飯田城&秋葉山砦 (28)


img20201204204319462.png
YAHOO地図が更新されたが地形図もなく使いづらいので、今回よりリニューアルされた国土地理院の地図にお世話になりました。飯田城へのルートは高低差に加えて豪雪地特有の逆茂木のような鋭い灌木の林が行く手を遮るので経験者限定かと。

秋葉山砦遠景 (1)
飯田城秋葉山砦遠景。(この写真もていぴす殿にご提供いただきました)

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Posted on 2020/12/02 Wed. 22:32 [edit]

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沢渡城 (北安曇郡白馬村沢渡)  

◆対岸の三日市場城とセットで機能した山城か◆

そんな事を書くとマツダのメーカーの方に叱られるかもしれないが、毎晩のアルコールの消費量は初代RX-7並みの燃費の悪さ良さに匹敵する・・・(笑) 最近、健康診断の肝臓の数値データに「要観察」とあり、今月から強制的に休刊日を連続二日間設定する・・ついでに炭水化物ダイエットも併せて実施・・・地獄である・・・(汗)

冗談抜きに、小生は高校生時代に発売となった初代RX-7に憧れて当時としては珍しい有料のカタログを購入して、ベッドの天井にバラして貼り付けるほどの熱心なコアファンでした。実際にオーナーになったのは数年後の事でしたが、燃料メーターが目視でも減っていくというのは初体験でしたね(笑)

初代RX-7
発売当初のRX-7。その後、小生が乗ったのはマイナーチェンジ後のタルガトップ(天井ルーフ脱着式)で、廃車になっていた車を蘇らせました。なんとリッター3kmというバブりーマシン。今持っていれば数百万円だろうなあー。

まあ、小生の車道楽(ってか、その趣味故の貧乏青春時代)の話はおいおいとお披露目しましょうか・・・(えっ、どうでもいい?・・笑)

今回ご案内するのは、WEBではあまり公開されることの無い白馬村にある沢渡城。(さわどじょう)

沢度城①
沢度城は、白馬村沢度集落の西の貞麟寺の北尾根に位置する。

信濃先方衆の今回のツアーは、相模国より小太三郎様をお迎えしての白馬方面の山城弾丸ツアー。このような遠き場所に日帰りで遠征する小太三郎様の熱意には、ひたすら脱帽でございますw

沢度城②
特に登山道は無いので、尾根の先端の麓にある神社から適当に直登するしかない。(南に林道があるが比高はそれほどでもないので直登がお薦め)

【立地】

白馬村の神城地区の沢度集落の西で、貞麟寺の北の山尾根の中段に立地している。城域は標高900m~990m位の間にあり、上から下までの段差が90m位ある。南方1.5kmには最近白馬村のラスボスとして命名された(?)佐野城があり、対岸の東には無知な地権者により最近半分破壊されてしまった三日市場城があり、佐野坂口の防衛拠点となっている。

沢度 (2)
尾根通しに登っていると突如現れる堀切㋐(上巾9m)。素敵すぎて言葉にならない・・・(笑)


沢度城見取図①
沢度城の見取図。高低差のある城域の前後を堀切で断ち切っているが、佐野城と似ているが、放射状の竪堀が無い。


沢度 (4)
堀切㋑。上巾は5m程度だが、斜面に穿った堀切は想像以上に鋭い。


【城主・城歴】

詳細は不明だが、仁科氏の分流でその被官であった沢渡氏の城と伝わる。武田の侵略により仁科氏が没落すると武田に降り、武田氏滅亡した天正十年には小笠原貞慶は沢渡氏の当主であった沢度盛忠に当地を安堵している。この地域は天正壬午の乱が勃発すると、上杉景勝と小笠原貞慶の領土紛争地となり、貞慶は沢渡氏に命じてこの地の防衛を強化させたという。佐野城と沢渡城、そして三日市場城はこの時に大規模な改修が施されたのかもしれない。

沢度 (7)
斜面には数段の段郭が確認出来る。

沢度 (8)
段郭を重ねる手法はオーソドックスで元々あったものであろう。最終の改修で堀切を後付けしたように思うがどうであろうか。

沢度 (16)
郭3(10×21)

沢度 (15)
郭3の南には虎口がある。


【城跡】

尾根を利用して築城されているが、弛みの少ない急こう配を強引に刻んでいる。隣接する堀切主体の佐野城と比較すると、元々段郭主体の防衛構造を持つ比較的古いタイプのオーソドックスな山城である。近隣諸国との領土争いで緊張感が高まると同時に城域の前後を堅固な堀切で遮断し、防備を強化したものと推定される。
大手道は尾根沿い、あるいは林道の通る南側の沢から郭3の虎口に通じていたのかもしれない。肝心な水の手も見当たらず、天水溜めも分からない。越後方面への備えとして三日市場城とともに改修され、その後放置されたものと推定される。

沢度 (20)
郭3の北側の堀切㋒。垂直に近い切岸で敵を寄せ付けない。

沢度 (28)
沢度城で最も広い郭2(13×23)。掘立小屋があったとしても収容できる兵数は限られている。

沢度 (34)
主郭(15×13)で斥候を実演してくれた小太三郎氏。望楼を建てなくとも木が一本あればそれで十分だという証明ですね・・(笑)

佐野城の標高1200mよりは230mも低い位置にある沢渡城。明らかに分かるのは、ここは逃げ込み城ではなくて、敵を迎え撃つための城であり主郭背後の三重の堀切が不退転の決意を物語っている。立地から考えられるのは、そのコンセプトが三日市場城の後詰めの城という事だということであろうか。(あくまでも小生の想像の域であるが・・・)

沢度 (36)
主郭背後の二重堀切手前の高土塁。

沢度 (39)
主郭背後の二重堀切㋓(堀底の土塁は掻き上げであろう)

沢度 (43)
南側に竪堀となって落ちる堀切㋓。

沢度 (50)
城域最終の堀切㋔(上巾7m)。

白馬村を代表する山城といえば三日市場城があまりにも有名なのだが、最近は我らの地味な宣伝により佐野城なども知られるようになった。今回ご紹介した沢渡城は、難易度は佐野城よりも低いので、ある程度の山城ツアラーの皆さんならご満足いただける山城の一つだと思います。
それにしても、逆茂木のような灌木の藪漕ぎは覚悟しないといけません・・・(笑)

沢度 (51)
上巾18mの保二重堀切㋓。もう笑うしかない・・・(笑)

さて、追加のオマケショットは、南に位置する佐野城から見た沢渡城。↓↓↓

佐野城(白馬村) (77)
佐野城は物好きしか行きません。こんな写真撮って喜んでるヤツの気が知れない・・・(あっ、オレか・・・笑)


≪沢度城≫ (さわどじょう、さわんどじょう)

標高:970m 比高:210m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:白馬村神城沢渡
攻城日:2018年4月30日
お勧め度:★★★☆☆
難易度:A(SS・S・A・B・C・Dの6段階のランク分け)
城跡までの所要時間:麓の神社より30分
駐車場:無し(適当に路駐)
見どころ:堀切、土塁、切岸、段郭、虎口など
注意事項:特に無いが、道に迷ったら南の林道に下る事。
参考文献:「信濃の山城と館⑦安曇・木曽編」(宮坂武男著 戎光祥出版)
付近の城址:三日市場城・佐野城・茨山城など
SpecialThanks:小太三郎さん、ていぴすさん


レ点は城跡。Ⓢは登り口付近。Ⓖは幻の佐野城(単独訪問はお勧めしません)

沢度 (57)


Posted on 2020/11/28 Sat. 22:54 [edit]

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堀金氏館 (安曇野市堀金烏川)  

◆戦国期に活躍した仁科一族堀金氏の居館◆

この度の北海道における震災被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。

一昔前なら「百年に一度の災害」とか「異常気象」とかで片づけた事象が、これからは当たり前の事になるのでしょうか・・・(汗)

今回ご案内するのは、「しつこいぞ!!」と叱られても止める気の無い城館巡りの「堀金氏館」でございますw

DSCF5085.jpg
堀金屋敷の正面虎口の近くにある双体道祖神の前に車を駐車して探索開始です。


【立地】

角蔵山(1163.6m)の東側に広がる烏川扇状地形の上堀地区の千国街道沿いに位置し、戦時の城とされた岩原城からは南東約3.6kmである。

堀金氏館見取図①

ここは昨年、ブロ友の久太郎さんが管理人の 「久太郎の戦国城巡り」に掲載があり、「地元民が知らずしてどうする」と重い腰を上げて出掛けた次第です・・・(笑)


【城主・城歴】

仁科一族の堀金氏の初見は「高白斎記」の天文二十年に記載があり、武田氏の平瀬城攻めの際に、堀金氏は出仕し臣従している。以後、天文二十一年の小岩嶽城攻め、弘治三年の小谷平倉城攻めに参加、その戦功により千国六ヵ村の地頭に任じられている。
二代目の堀金安芸守政氏は永禄四年の川中島の戦いで戦死し、三代目の平大夫盛広は永禄十年(1567)の生島足島神社の起請文に「仁科御親類被官」にその名が見える。その後、渋田見氏と縁組したが、信玄より不届きとされて地頭職を失い、その後武田領内を追われ越中国に逃れて没落したという。

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屋敷の南入口は「大庭」と言い上堀郷倉と山車蔵の址が残る。

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北側より見た堀金氏館。道路沿いなので、うっかり通り過ぎてから気づく。

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居館の北側には僅かに土塁痕が続き、その内側を堀が巡っていたと推測される。

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館の北東は鬼門にあたるので、「隅欠け」として市神の牛頭大王を祀る堀金社が安置されている(ピンボケご容赦!)


【館跡】 ※館跡地には現在も居住されている方がいるので敷地内への無断侵入は不可。

一辺が約80mほどの方形居館で、北東及び南の三辺に土塁が残り、その内部に堀跡が残る。屋敷の北東は隅欠けにして市神が祀られている。屋敷の虎口は南側で入口から外は「大庭」と呼び村の広場になっていた。道路を挟んだ反対側には土塁で囲った構えがあり、屋敷地の址の遺構と考えられている。
比較的遺構は良く残っている。

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堀金氏館入口。土塁と堀形が比較的良い状態で残っている。

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東側の土塁の雑木林の中に朽ちた標柱を発見。22年の歳月の重みを感じる・・・(気のせいか・・・)

IMG_1892.jpg
館の東側の道路を挟んだ反対側に残る土塁跡(構え)。この場所に堀金氏に関わる家臣の屋敷があったのであろうか?

肝心の岩原城について、このブログで記事にしていないことに気が付く。そのうち書かないと、記憶が薄れていく・・・(汗)


≪穂高氏館≫ (ほりかねしやかた)

標高:573m
築城時期:不明
築城・居住者:仁科系堀金氏
場所:安曇野市堀金烏川上堀
攻城日:2017年6月18日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し 
見どころ:土塁・堀跡など
付近の城跡:矢原北村堀ノ内、矢原東村の堀ノ内、岩原城
注意事項:無断侵入禁止。住民のプライバシーには充分注意
参考書籍:「信濃の山城と館⑦ 安曇・木曽編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)







Posted on 2018/09/09 Sun. 14:41 [edit]

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穂高氏館 (安曇野市穂高)  

◆地名と土塁の一部のみ残る居館◆

この度の台風21号の被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

「明日は我が身・・・」もはや数十年に一度の異常気象ではなく、これからは毎年「生命の危険」に備えるべきでしょうね。

「自分だけは大丈夫」とかは通用しない自然災害なんだと肝に銘じて、逃げる事も選択肢の一つになりました。

今回ご案内するのは、「穂高氏館」(堀屋敷)。写真3枚で完結する記事はもちろん、「テ・ヌ・キ」です、ハイ!(笑)

DSCF5082.jpg
通称「堀屋敷」と呼ばれる穂高氏館全景。(西側より撮影)

【立地】

穂高駅の南側で穂高神社の南西部に位置する。穂高神社との深い関係性が読み取れる。


【城主・城歴】

穂高氏には細萱系穂高氏と仁科系穂高氏の二系統があったようである。

この堀屋敷は仁科系穂高氏の居館と伝わる。天文二十二年に武田の支配下になると、武田氏は仁科盛国の二男を穂高に入れて統治を命じた。初代は武田軍に従い白馬小谷方面の制圧作戦に転戦するが平倉城の飯森盛春攻めにて戦死。
武田氏滅亡後、後継ぎの穂高内佐(盛員)は日岐丹波守(盛武)とともに、小笠原貞慶に抵抗するも、後に配下となり700石を拝領したという。

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居館の南側の堀跡(推定)


【館跡】

現在は個人の宅地となっており、鳴庵西部に土塁の址が一部残るのみで、その他は改変により明確な遺構は確認出来ない。
広さは70×80の方形居館で東と南には水路がある。大手は穂高神社側の西側かもしれない。
唯一残る土塁には稲荷社が祀られているという。

DSCF5080.jpg
居館の遺構の土塁の一部。イチイの巨木が生い茂る。


≪穂高氏館≫ (ほたかしやかた)

標高:548m 比高:-m
築城時期:不明
築城・居住者:仁科系穂高氏
場所:安曇野市穂高本郷
攻城日:2017年6月18日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し (穂高神社借用)
見どころ:土塁の一部 ※標柱などもありません
付近の城跡:等々力城、主水城、等々力氏館など
注意事項:無断侵入禁止。住民のプライバシーには充分注意
参考書籍:「信濃の山城と館⑦ 安曇・木曽編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)

※今回プライバシーに配慮して場所の地図は掲載しませんが悪しからず。

Posted on 2018/09/05 Wed. 21:34 [edit]

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等々力氏館 (安曇野市穂高等々力)  

◆等々力城に移転する前の居館跡か?◆

安曇野市の穂高周辺の山城は小岩岳城とか、岩原城ぐらいで、あとは豪族の居館が平地にかなり多く点在している。

各個撃破するもの面倒だし、平地の居館はプライベート空間が多いので下手にカメラを構えると通報されるリスクを伴う。

それでも、せっかく訪問したからには写真の1枚でも掲載しないと苦労が報われませんよね・・・(笑)

今回ご案内するのは前回ご案内した等々力城の移転前の居館と考えられる等々力館(とどりきやかた)である。

DSCF5053.jpg
等々力館近くにある東光寺の吉祥門にある巨大な下駄。仁王様にお参りして願掛けして下駄をに乗ると願いが叶うという。

♪あいつのGET A NOTEの音がしたんだ~、あいつのGET A NOTEの音がしたんだ・・・♪

アニメ ゲゲゲの鬼太郎のエンディングに似合いそうな巨大な下駄のレプリカです。

DSCF5055.jpg
古木の栗の木が目印の居館跡。

【立地】

安曇野市の穂高等々力地区の東光寺の南100mの位置に等々力氏館と言われる俗称「内堀」がある。西北300mが等々力城である。
ここは旧千国街道に接していて、平坦地で、南北に長い町並みがあり、そのほぼ中央にあたる。道の南北の端には鉤の手があり、北端には東光寺、南端には「関口」の地名が残る。

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館の中心部。

【館主・館歴】

※等々力氏については前回記事の等々力城を参照願います。

【館跡】

内堀という屋敷跡は50×45ほどで、北西隅に栗の木があり、屋敷を囲む池(堀跡か?)ではスケートをやったという。内堀の北側が「蔵屋敷(倉屋敷)」と言われていたらしく、その辺まで含めて居館跡だったと推測されている。

DSCF5057.jpg
内堀西側の堀の痕跡。

≪等々力氏館≫ (とどりきしやかた)

標高:533m 比高:-m
築城時期:不明
築城・居住者:等々力氏
場所:安曇野市穂高等々力
攻城日:2017年6月18日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:東光寺の駐車場借用
見どころ:特になし ※標柱などもありません
付近の城跡:等々力城、主水城、穂高氏館など
注意事項:プライバシーに注意
参考書籍:「信濃の山城と館⑦ 安曇・木曽編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)



DSCF5052.jpg
この下駄で明日の天気占いは、ゲゲゲの鬼太郎でも骨折すると思います・・・(笑)  mee to・・・・

Posted on 2018/09/03 Mon. 21:34 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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