らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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岩邑城⑤  

◆記憶に残る怨霊の仕打ちとは・・◆

霊感は強い訳ではない。

その昔、小生の自宅に居候していた妹は「天井を通過する武者行列」「化粧台で髪を梳かす老婆」に毎晩うなされていたらしい。
※小生の自宅は上田原合戦の激戦地跡にある。

除霊で有名な市内のお寺でお祓いをしてもらい、その後は現れる事は無くなったという(汗)

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岩村藩鉄砲鍛冶だった加納家。



美濃岩村から帰った翌日は仕事だったので、いつもの通り出張報告書をまとめた。

帰り際にデジカメで撮影した岩村城のフォトを確認する。

「??、何かおかしなものが写り込んでいる・・・」

藤坂の説明板を写した写真なのだが、それは明らかに人骨が燃えている火の玉だった。

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加納家の屋根には、珍しい狛犬の魔除が鎮座している。



「ヤバいもの見てしまった…、今日は早く帰ろう…」

私の勤務する会社のオフィスは3階建のテナントビルの1階にある。私の仕事部屋は当時専用の個室だった。

帰宅後、無人オフィスの丑三つ時に悲劇が起きた。

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一時間に一本しか通らない明智鉄道。



明け方部下からの携帯電話で叩き起こされる。

「警備会社から連絡があり、事務所が大変な事になっています!!」

「??」

急ぎ会社へ向かう。

真冬だというのに、事務所の玄関は水浸し。かなりの量の水が流れている。

聞けば、二階の空き部屋の水道管が凍結して破裂したのだという。

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岩村の城下町では消火栓も景観保護に準じている。



嫌な予感がした。私の仕事部屋は最悪だった。

天井から大量の水が降り注ぎ、ノートPCはおろか、周辺の書類は尽く水没していた。

例の写真のSDカードはノートPCに刺さったままだ。

「これが岩村城落城の呪いか・・・・」戦慄をおぼえた。


その日は全く仕事にならなかった。

復旧に約一ヶ月を要したのである。

偶然かもしれない。でもあの日に岩村城を訪れたのは自分一人だけで、確かに何故か異様な雰囲気だったのだ。

奇跡的にノートPCもSDカードも復帰した。

岩村城の記録はCDに移し替えて封印することにした。

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ふつうだったら、これに懲りて城跡巡りなど止めるのでしょう。

「自分の故郷の城跡を調べて見よ」

かなり過激な霊の警告だったのかもしれない(笑)

それ以降、取り憑かれたように信州の城を巡っております。

岩村町は今でも大好きな城下町です。

定年後は、第二の住処として移住しようと思っています。

でもね、チャンと信州の城跡を調べないと、再び悪霊に襲われそうですわ・・・・(爆)

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岩村駅から臨む岩村城。

≪岩村城≫ (いわむらじょう 霧ヶ城)

標高:713.0m 比高168m
築城年代:鎌倉時代
築城・居住者:遠山氏
場所:恵那市岩村町城山
攻城日:2008年1月22日 
お勧め度:★★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:岩村駅より徒歩40分
見どころ:全部








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Posted on 2012/02/07 Tue. 21:08 [edit]

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岩邑城④  

◆織田家の血統に飲みこまれた秋山虎繁の悲劇◆

美濃遠山氏の最後当主である景任(かげとう)は、武田信玄と織田信長の勢力の狭間で揺れ動いていた。

信長は、自分の叔母であるおつやの方を景任と縁組させて一族に組み入れることで、信玄の美濃侵入に備えた。

元亀元年(1570)には武田軍の猛攻を受けるも信長の支援を受けこれを退ける。
翌年、遠山景任が病没すると後継ぎに信長の五男で当時六歳の「坊丸」(のちの勝長)を養子として迎え入れ、おつやの方は後見人として遠山家を仕切ったという。

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本丸と二の丸の間にある埋門(うづみもん)。敵の侵入時には門櫓の上から石や土砂を落として通行不能にする。

翌年、信玄の西上作戦において秋山虎繁(信友)は岩村城の攻略を命じられ攻撃するが、堅城の岩村城を落とす事が出来ないでいた。

信長は浅井長政の裏切りに遭い四面楚歌の状態であったが、何とか後詰めに出した織田信広・河尻秀隆が秋山軍に敗れるとそれ以上兵を割く余裕はなかった。

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出丸から見る本丸の石垣。


兵糧も尽き、援軍の敗退で孤立無援となった籠城軍の士気は落ちざるを得ない。

遠山軍と秋山軍の和議交渉の過程で、秋山虎繁はおつやの方に惚れてしまったのであろう。

云うまでもなく、織田の家系は美男美女であり、叔母といえども信長よりも年下だった未亡人に虎繁は夢中になったのかもしれない。

無血開城の条件は「夫婦になること。御坊は甲府に送るが、成人したら遠山家の当主として迎える。それまでは小生とともにこの城を守る事」だったらしい。

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出丸の売店。蘭丸が岩村城の城主だったという間違った解釈があるらしい(笑)

武田軍の伊那・飯田侵略における司令官として武勲をたてた秋山も織田一族の妖艶な色気には無条件降伏だった。

事の顛末を知った信長は、血管が切れるほど激怒したらしい・・(そりゃーそうでしょうねぇー)

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お別れ記念に横からみた六段壁。

残念ながら、復讐の鬼と化した信長は三年後に岩村城を攻め落とす。

この一族、美男美女の系列だけあって、プライドは富士山やヒマラヤ山脈以上に高いのだ・・・・(笑)

甲斐の田舎侍の火遊びの代償は「逆さ磔」

悲惨な最期でしたが、三年間の新婚生活は充実していたのだと願って止まない。

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凄惨な落城悲話に郷愁をおぼえつつ、寒さに凍えた体を温めるために城下町で「味噌煮込み定食」を注文する。

「美味い・・・・」

五臓六腑に沁み渡る。

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駅舎のオバちゃんに預けた荷物を受け取り、再び明智鉄道に乗る。

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電車は美術館だった。この国を背負う子供たちの展覧会の会場でした。

かくして、美濃岩邑城の旅は無事終わったように見えたのだが、悲劇の舞台は信州上田に移るのであります(汗)

(って、まだ続くんかい!!)



Posted on 2012/02/06 Mon. 22:23 [edit]

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岩邑城③  

◆難攻不落の要塞◆

ポルターガイスト現象はひとまず収束したらしい・・・(笑)

岩村城は美濃遠山氏の祖である景朝の築城であるという。景朝の父の加藤景廉(かとうかげかど)は鎌倉幕府の御家人で、源頼朝の側近として伊豆の挙兵から苦楽を共にし幾多の戦いにおいて功を挙げ、美濃遠山荘の荘園を与えられたと云う。

景朝が岩村に居館を構え遠山氏を名乗り、その勢力は美濃において土岐氏と並ぶ勢いだったらしい。
しかし、その後の遠山氏の経歴は建武四年(1337)の金ヶ崎城の戦いから消えてしまい、宗家は断絶となった。

戦国時代の遠山氏は鎌倉時代の遠山宗家ではなく、土着した勢力を持った別の豪族ではないかと云われている。

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御殿跡の復元図。これから掲載する写真の参考にして頂けるとありがたい。


現在の縄張は、織田軍に接収された後に岩村5万石を与えられた河尻秀隆によって改修され、次の城主である団忠正が本能寺の変で横死すると、川中島より逃げてきた森長可がこの城を接収し、忠政が松代へ移封されるまで近代城郭への改修が続けられたという。

お判りだろうか?

岩村城の落城に関わった者は全て非業の死を遂げている。

織田信長、秀忠、河尻秀隆、団忠正、森長可…。(特に森長可は川中島四郡の松代城主時代も圧政を行い芋川の乱では数千に及ぶ大量虐殺、そして信州から逃げる際に人質を楯として連れて行き役目が終わると全員殺戮した。彼は地獄へ行くべきだったのだ)

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この先を左に折れると一の門。二階建ての櫓門があった。

中世時代の山城の遺構は、本丸の南に一部見る事が出来るが、ほとんどが改変されてしまっている。

織田信長にとって忌まわしいこの城は破却され新しく作り直される運命だったようだ。

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大手門。往時には畳橋と呼ばれた木製の橋が石垣と石垣に渡っていた。有事には切って落とすのだという。


たかだか5万石程度の小藩で、しかもこんな山の上に大量の石垣を築くとは相当な土木工事。
森氏統治時代に家臣の各務元正が18年かけて完成させたという。

動員させられた住民もさぞかし難儀した事でしょうね。

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大手門には三層の望楼があった。城下町からもその威容は見れたという。

渦巻き型の迷路に迷い込んだような錯覚に陥る。

石垣が無くても土塁でも充分な要害城だ(笑)

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大手門から八幡曲輪への通路。左右は武者返しのついたまさしく石垣の壁だ。


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三の丸から二の丸の多聞櫓のあった菱形の石垣を見上げる。今ならグッドデザイン賞が貰えるかも。

この城の圧巻は何と言っても「六段壁」と呼ばれる東曲輪入口の高石垣だろう。

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城の南側の搦め手に位置する東曲輪を強化した意図が分かる。

岩村城の観光ポスターには必ず登場する。お尻防禦の最終兵器が「顔」になってしまったという訳だ(爆)

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東曲輪と本丸の石垣。さすが霧ヶ城というだけあって、ガスってます。

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石垣フェチのらんまるも溜息の本丸入口城門櫓の石垣。

そして本丸へ。

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面白い立て札を見つけた。

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天正三年(1575)11月、織田信長は嫡男信忠に岩村城攻めを命じる。2万の軍勢を率いて攻めるが、武田軍の城将秋山虎繁(信友)は5ヶ月間持ちこたえる。
武田勝頼は、木曽義昌に岩村城支援を命じるが、彼は財政困難を理由に命令に従わない。

後詰めの期待出来ない籠城も限界に達した秋山虎繁は、織田軍の和議条件として提示された「城兵の命の保証・撤退完了まで攻撃しない条件での城明け渡し」の要求を受け入れ開城する。

開城後すぐに信長の命令により和議は破棄され、秋山夫妻は捕えられ長良川湖畔で逆さ磔で処刑される。城兵は帰路途中の者も含めて皆殺しにされた。

まったくひどいものである。

その後の天正十年(1582)2月3日、木曽義昌の謀反に端を発して織田信長による武田征伐が始まる。

武田勝頼が自刃した3月11日、本隊を率いた信長は岩村城でゆるりとしていて、武田滅亡の知らせを受けたらしい。

6月2日に本能寺の変があったのだから、確かに80日前であろう。

それはさておき、せっかくなので中世山城時代の遺構の一部をご紹介しましょう。

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とは言っても4年前の当時は、この説明板見てもチンプンカンプン・・・・(笑)

惜しい事をした・・・・(爆)

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南曲輪と呼ばれた中世山城遺構の一部が本丸の脇の南端にひっそりと残る。


まあ、それはそれとして次回へ続かせますか・・・・・(汗)

Posted on 2012/02/05 Sun. 19:18 [edit]

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岩邑城②  

◆武田・織田に挟まれた美濃遠山氏の悲哀を今も伝える城下町◆

JR中央本線の恵那駅を降りて明智鉄道に乗り換える。

この日は生憎の雨模様だ。「こりゃー岩村城は雪になるかも…」

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この電車、どことなく別所線に似ている。

途中5ヶ所の駅を過ぎて約20分で岩村駅に到着する。

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テッちゃんではないのだが、この駅舎にはどことなく郷愁をおぼえる。

デカいスーツケースを抱えたまま城巡りなど出来ないので、コインロッカーを探すが、あるわけない(笑)

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駅舎の案内所の女性が出てきてくれた。

「お客さん、観光ですか?事務所で荷物預かりますよ、お帰りの時にまた声かけて下さいネ」

さすが、人情味溢れる岩村町である。

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昭和にタイムスリップしたような小雨の降りしきる鄙びた城下町を抜けて城跡へ向かう。

聞けばこの街並みは、国の歴史的建造物保存区域に指定され、景観を損なわないよう住民が努力しているのだという。頭の下がる思いだ。

緩やかな坂道を20分登ると藩主邸跡に着く。

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関ヶ原後、岩村藩2万石の藩主となった松平家乗は、岩村城本郭から政務場所を大手口にあたるこの地に移し、城門と太鼓櫓を建てて防禦を強化し東西三十三間、南北三十六間の広大な屋敷を作った。

残念ながら明治十四年に失火により御殿は全焼。城門と太鼓櫓は近年復元された。

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屋敷跡の裏手が岩村城の大手口になる。

「藤坂の険」と呼ばれ、平時は何の変哲も無い城に通じる大手の坂道なのだが、戦時はこの場所に門と柵を作り、急坂の途中に何ヶ所も陣地を巡らせたという。

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藤坂の険。櫓門を建てて左右に伏兵を置き挟撃すれば攻城兵も怯んだであろう。


実は、この2枚の写真の間にもう1枚写真がある。

恐ろしく怨念の強い写真であり、お見せ出来ない…(汗)

今も写真をPC画面に映しただけで、部屋にあるクローゼットが突然倒れてきた。

除霊しないとヤバそうなので、本日はここまでとする。

続きは果たして掲載出来るのであろうか……(笑 ってそんな場合じゃないような気も)

Posted on 2012/02/04 Sat. 11:15 [edit]

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岩邑城① (岐阜県恵那市岩村町)  

◆恋焦がれて止む事のない美濃を代表する山城◆

日本100名城など本気で巡ろうなどとは片腹痛い…(笑)

1000を超す信州の山城制覇などという妄想に取り憑かれているが、「あなたのNo.1の城は?」と問われると
「美濃岩邑城」が今でもダントツなのだ。

忘れもしない2008年1月23日、寝ても覚めてもこの城に行きたかった夢が実現する。

大阪への出張の帰りに攻め込んだのだ(笑)

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みぞれ交じりの寒い日で、こんな日に攻め込むおバカもいないのだが、千載一遇のチャンスはそうそう無いものだ。

別名「霧ヶ城」と呼ばれる岩村城は、鎌倉時代から明治維新に至るまでの約800年間を現役として使用された貴重な山城である。

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標高700mにあり、石垣フェチも山城フェチも満足する城跡なんぞ、そう滅多にあるものではない(爆)

しかし、織田信長による凄惨な攻撃による落城履歴のある岩村城は、らんまるにも災いをもたらしたのである…。


以下次号へ続く。

Posted on 2012/02/02 Thu. 22:18 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

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