らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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猿が城物見 (東筑摩郡生坂村下生坂)  

◆眠峠・雲根峠を監視する物見砦◆

山城巡りがだいぶ市民権を得たとはいえ、「趣味は山城あるいは中世城郭です」なんて言ってみても世間的にはまだまだ通用しない・・・(汗)

なので、こんなブログを書いているヤツは一見フツーの市民のように見えるが、実態は「???」であろうか・・・(笑)
この趣味が家族に理解を得られるケースは滅多にない。ヲタクに昇格することは無く、未だに奇人・変人の領域に留まる・・(汗)

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猿が城物見から見下ろした「城が原・こやしき」(拡大5倍)

そんな事を書くと、真面目に取り組む山城ツアラーを自称する諸氏からはお叱りを受けそうだが、実態とはそんなものである。
そして我々のような山城ブロガーが目指すのは「ハツモノ・レアモノ・キワモノ・ゲテモノ」。この表記もかなり反感を買うと思うが、SNSの世界とはそんなものだと自覚している。

「一番槍」 「初掲載」 「SNS初公開」 「ネット初披露」・・・・

どこかの政党の予算の仕分け作業ではないが、「二番じゃダメなの・・・?」  敢えて言おう、「ダメなのである」・・(笑)

猿が城物見見取図①

だいたい信濃の山城をとことんSNSでアップしている方は少ないので、敢えて書かずとも殆んどがハツモノ・レアモノとなる・・(笑)

今回ご案内するのは生坂村シリーズ「猿が城物見」。猿とか鬼とか名の付く城は人を寄せ付けないが、ここは車で近くまで行ける。

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下生坂地区から林道を北へ登ると途中に眠峠(ねむりとうげ)への登り口がある。「眠」とは「多くの曲がり坂」の意味だという。

【立地】

犀川の右岸、日岐大城に続く生坂さんちの北端に近い山の上に立地する。猿が城と呼ばれる範囲は広く、宮坂武男氏が特定したのは、周辺の各城が見通せる雲根峠の小山とその北80mの小山で、物見としては最も適しているという。我ら信濃先方衆ももちろん異論などない。

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雲根峠の北側80mのA地点。ここが物見の中心らしく頂部は削平されている(11×6)

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郭Aと雲根峠の小山Bの尾根の東側の沢状窪地。横堀と称する記録もあるようだが、自然地形の沢であろう。

【城主・城歴】

日岐丸山氏に関連する物見砦と推定され、尾根を通る眠峠や雲根集落の通路の雲根峠を抑え、犀川沿いの動向を探るための物見砦と推定されている。

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窪地は領民の逃げ込み場所としても最適な構造である。

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対岸の土塁状尾根との間の沢状窪地。(郭Aより見下ろしています)

【城跡】

物見砦へは林道を通るのだが、よく整備された林道なので小型乗用車であれば4WDでなくても通行は可能である。ただし、下生坂村から登る途中には害獣除けフェンスがあるので、開けて閉める作業が必要になる。尾根の先端を右に回り込むと道路脇から鉄塔の保安通路が見えるのでそこから鉄塔に向けて入り、鉄塔から西側が崩落した尾根を南に伝って登ると主郭Aに着く。

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物見からの景色はあまり良く見えないので、登り口となる北側の鉄塔から撮影しよう。

「生坂村村誌」によれば、城址には数基の旗塚が絵図に書かれているのだという。恐らくA~Bの間の尾根上に何基か置かれていたのであろう。
土塁状尾根との間に挟まれた窪地を横堀とするには無理がある。これだけの土木工事量が在地土豪に出来るとは思われない。

猿が城物見①
沢状窪地よりみた主郭A。

元々は有事の際に住民が逃げ込む場所だったような気がする。水の手は確認出来なかったが、この場所なら敵をやり過ごす為の緊急避難場所としては最適なような気もする。

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雲根峠の分岐であるBの堡塁。Aよりはかなり狭い(5×3)

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郭A周辺を調査するていぴす殿。

猿とか鬼とかいう名のつく城はかなり険しい場所にあり、人をなかなか寄せ付けない。今回ご案内した「猿が城物見」も、林道が無ければかなりの苦労を要したと思われる。

普段は峠の監視砦として部外者の侵入を見張り、有事の際には、日岐大城の北を守る支城としての任務があったのだろう。

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雲根集落から見上げた険しい尾根の裏側にこのような隠れ家スペースがあるとは思わなかった。

≪猿が城物見≫ (さるがじょうものみ)

標高:830m 比高:330m(雲根集落より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:東筑摩郡生坂村下生坂区
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:林道脇から15分
見どころ:雲根峠、沢状窪地、土塁状尾根、鉄塔付近からの景色
注意事項:整備された林道だが、落石には注意し慎重に走行されたし
駐車場:鉄塔保安道の林道脇に数台駐車可能
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:宇留賀城、金戸山城、城が原・こやしき、城平物見など
Special Thanks to ていぴす殿



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雲根峠登り口の城が原・こやしき方面から見た猿が城物見。やはり「猿」の名が付くだけの峻険な地にある事がわかる。
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Posted on 2017/05/24 Wed. 22:54 [edit]

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城が原・こやしき (東筑摩郡生坂村下生坂)  

◆犀川沿い集落と雲根峠の沿道の監視で築かれた居館跡◆

先日の碓氷峠の陣城の記事は全国区の皆様にとって、かなり刺激的だったらしい・・・(笑)

グンマー県の教育委員会様が登録し忘れた城跡について、「再登録したほうがいいですよ」と、軽井沢町役場の職員が忠告した事が現実となり、今回の発表まで斎藤慎一先生の手助けも借りて足掛け三年の長旅だったらしい・・・(汗)

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それよりも熊野皇大神社のこまいぬの価値のが上かも知れない・・・(笑)

今回ご案内するのは、生坂村の領主であった日岐丸山氏と深く関りがあったであろうとされる「城が原・こやしき」。

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国道19号線から入ると上り坂に堀状の沢が見える。天然の防御構造である。

【立地】

国道19号線の東、犀川の第二河岸段丘上に城が原(城の原とも)・こやしきがある。雲根集落の白山神社の北の台地上で、ここから犀川右岸の道は、山清路の岩山で通れなくなるために後背の山越えの道、雲根峠を通って込路(こみじ)へ出るのが往古の道である。雲根はその峠道の起点となる。

城が原・こやしき見取図①
天然の沢を堀と見做した河岸段丘上の屋敷地であろうか。

【城主・城歴】

史料・伝承等不明。立地からみて、犀川べりの監視と、雲根峠の備えで、その監視・警備にあたった番士の居住したところではないかと考えられている。また、猿が城の直下にあたるために、その根小屋ではないかとの説もあるが、雲根集落そのものが、雲根峠の要地で、大岡、麻績、坂北、入山、丸山地区への交通と深く関り、戦略上も重要なところであったと思われる。

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推定居館跡から猿が城物見、雲根峠を臨む。

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犀川を挟んだ北側の対岸には城平物見が見える。

【館跡】

耕作地化と道路の開通により細部は失われたようで詳細は不明。明治六年の切り図には、こやしき、城の原、上ノ原、下原道上、墓地などが記されている。民家の裏手に西から入る幅30mの沢が自然の堀となり、それを利用して造られたと思われる。付近には、馬セバ、カマ田の地名がある。

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標柱のある場所が「城が原(こやしき)」と呼ばれているようだ。

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城が原から見た天然の沢。ここが堀の役割となり段丘上の居館の防御の要になっている。

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城が原の北側の郭。耕作地となり往時の面影は見ることが出来ない。

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城が原の中心部。猿が城物見を命令された番兵の掘立小屋があったのだろうか。

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辺境の地とはいえ、正面の小山を経由した雲根峠を目指して、猿が城に行けというのは酷な話でございます・・(汗)

≪城が原・こやしき≫ (じょうがはら・こやしき)

標高:500m 比高:15m(国道より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:東筑摩郡生坂村下生坂
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:国道19号線の道路脇から10分
見どころ:自然沢の堀、標柱
注意事項:農道は狭いので、国道19号線のパーキングエリアに車を止めて歩いていくこと。
駐車場:国道19号線北側にパーキングアリアあり。
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:宇留賀城、金戸山城、猿が城物見、城平物見など
Special Thanks to ていぴす殿



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猿が城物見より見下ろした「城がはら・こやしき」と対岸の城平物見。

Posted on 2017/05/21 Sun. 21:38 [edit]

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城平物見 (東筑摩郡生坂村東広津)  

◆宇留賀城の物見砦か?◆

小生のブログでは毎度お馴染みとなった信濃先方衆の同胞である「長野県の歴史を探し求めて」の管理人の「ていぴす」殿がブログの更新を停止して約1年経った。

彼曰く「山城や城館のブログって現地調査だけでなく、城歴など背景の下調べも結構大変なので疲れます・・」

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城平物見の主郭を調査する「ていぴす」殿。早くブログ再開しろよ!と願う声は多いようだ。

なるほどその通りで、小生も一時期は市町村誌を片っ端から借りて熟読してという作業が続き閉口したものである。
ていぴす殿の気持ちが分からない訳ではないが、小生のポンコツブログとは違って写真にもこだわりがあるし、城歴もかなり詳しいので、そのうち復活していただくことを心から願うばかりである・・・。

今回紹介するのは、信濃先方衆の槍働きで、何とか生坂村の山城と居館跡を全て制覇しマイスターとなるために奮戦した「ていぴす」殿のラスト2城のうちの「城平物見」(じょうっぴらものみ)の探訪記である。あたしゃまだまだその域には程遠い・・・(汗)

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ジムニーなら林道で城域に横付けなのでとっても助かりますw

【立地】

生坂村の犀川の左岸の東広津と売るがの両地区の間にある山の尾根上にある。その昔は会の広瀬橋から通学路の山道がこの尾根に入っていたという。広津と犀川沿いの集落を結ぶ重要な道の乗り越しに位置するので、犀川沿いの周辺の動向を監視するためにこの場所に物見が置かれたのであろうと推察する。

城平物見見取図①
尾根を何ヵ所か削っただけの物見である。ここで敵を迎え撃つ意図は無いようだ。

【城主・城歴】

この砦についての資料はなく伝承も不明だという。城平(じょうっぴら)の地名から砦があったのだろうと推定されるだけで詳しい事は分からない。ここの尾根上からは、宇留賀城、金戸山(かなとこやま)、雲根峠の猿が城物見、日岐大城などが見え、犀川流域もつぶさに観察が可能である。こうした立地条件から、金戸山とともに宇留賀城の物見だったのではないか?という推測が成り立つ。

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郭の西端には石祠がある。

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尾根の最高部の東端。段差を含めて約70mという広さだが、後世は道としての機能が優先されたようである。

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何となく続いている尾根の平坦地。

【城跡】

697.3mの三角点のある場所まで含めると概ね三段の平場が城域であろうと思われる。三角点の東側にも一段高いコブがあるが、地山のままで加工の跡は無い。雑木が無ければ遠くまで見渡せる。

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真北方面には宇留賀城。

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南には犀川沿いに屋敷群、遠く日岐城まで見渡せる。

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15mほど下がった場所にも平場。

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三角点のある場所も城域に含まれるのかもしれない。

在と土豪の境目を見張る砦としては、このようなもので充分であっただろう。
山道が生活道路だった往時は、ここまで登るのには訳もなく来れたと思われる。

≪城平物見≫ (じょうっぴらものみ)

標高:723m 比高:240m(犀川端より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:東筑摩郡生坂村広津
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:林道脇から5分
見どころ:尾根の削平
注意事項:軽自動車の四駆なら林道で横付け
駐車場:無し
参考文献:「信濃の山城と館②松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:宇留賀城、金戸山城、猿が城物見、城が原・こやしきなど
Special Thanks to ていぴす殿



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南の犀川沿いから見た遠景。

Posted on 2017/05/20 Sat. 08:10 [edit]

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和田東山城 (長野市若穂保科)  

◆耕作地とも城跡とも断定できない微妙な遺構◆

前号では、碓氷峠の陣城についてざっくり掲載してしまったが、「旧道が城内に取り込まれている」という事実の見落としを指摘され、ハッと我に返った。そう、城の西側の堀切と図で示した場所は実は旧道の址だったのか・・・(汗)

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現在の陣城の東側の中山道旧道。北条攻めに際しては突貫工事で軍道も整備されたであろうという想像力が欠けていた・・。

横川から刎石堀切まで歩いた経験がありながら、何故その事(道の幅)に気がつかなかったのだろうか。もっと子持山方面に下っていけば誤りに気付いたはずだった・・。
リベンジは晩秋に持ち越して、これから初夏になるのだが頭を冷やした方が良いのかもしれない(笑)

気を取り直して、今回ご案内するのは若穂保科地区最終回の「和田東山城」である。

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城の入口に鎮座する東山神社。今も地元に大切にされている神社である。鳥居前に駐車場があるので停めさせていただこう。

【立地】

保科上和田地区の東山神社の脇から100mほど道を上った所に和田東山城跡がある。ここは奇妙山系の山尾根の鞍部にあたり、傾斜のゆるい尾根が張り出していて、東麓を赤野田川が自然の堀となって流れている。その上部には古墳群がある。
東方1.5kmの山上には保科氏の霜台城があり、その中段には前の山砦があって、保科の谷を挟んで相対している。

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神社の脇の道を登る。

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途中墓地となっている三段ほどの段郭が確認出来る。防御というよりは耕作の跡か?

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三弾の段郭を最上部の郭から見下ろして見る。

【城主・城歴】

記録等がなく不明。地元では和田氏の築城との伝承があるという。

和田東山城見取図①
郭2の背後に堀切を穿つのがセオリーだと思うが、古墳群に向かう尾根には何の防御構造も確認出来なかった。

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郭3の先端から東の沢に下る唯一の堀切。

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おむすび型の郭3。郭2との段差が切岸で区画されている。

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郭2から見下ろした郭3。(21×23)

【城跡】

墓地の段郭を除くと、和田集落に突き出した尾根先に平坦な三つの郭が並ぶ縄張である。最高部の郭1の背後を堀切で遮断していれば、戦国期の砦と認識できるのだが、郭1と郭2があまりにも丁寧に削平されているので、後世の耕作地化による影響と考えられどこまでが城跡なのか非常に分かりづらい。

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郭2の先端には三角点(403.9m)

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郭2と郭1。切岸がハッキリしすぎているが、それはそれで美しいと思うが・・。

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郭1の周囲は美しい切岸が加工されている。後世のものかもしれないが、一見の価値はある。

城域の東側は斜面が比較的緩いのだが、赤野田川(あかんだかわ)が天然の堀切となっているのでそこそこの防御にはなっているように思われる。

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郭1から見た郭2との東側の接続部分。傾斜が緩いのがお分かりいただけるでしょうか。

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主郭の内部。

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西側から見た主郭の虎口。

要害城というよりは、保科の入口を監視した物見砦としての要素が強いような気がする。この程度の脆弱な防御では敵の来襲に対して持ちこたえるのでかなり厳しい。宮坂武男氏は尾根伝いの古墳群との関連を指摘しているが、尾根沿いの道は失われてしまい、背丈以上の藪に覆われている状況での確認は困難と思われ今回の調査は断念した。

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こんなちっぽけな砦でも、アングルによっては充分な見応えがある・・(笑)

≪和田東山城≫ (わだひがしやまじょう)

標高:410m 比高:30m
築城年代:不明
城主;不明
場所:長野市若穂保科
攻城日:2017年4月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、切岸
注意事項:特になし
駐車場:東山神社の鳥居前に3台程度の駐車スペースあり
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:霜台城、加増城、前山の砦、春山城など

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城址より霜台城を臨む。

霜台城2 (36)


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Posted on 2017/05/18 Thu. 23:04 [edit]

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霜台城2 (リテイク 長野市若穂保科)  

◆前後に物見砦を備え、石積みの郭と土の郭で構成された戦国末期の山城◆

霜台城を最初に訪れたのは2011年7月なので、かれこれ6年の月日が流れている。

拙いブログ記事で、信濃の山城マニアの皆様には「隠れた石積みと土の城が混在する名城なのでお勧めですよ!」とか言いつつ、面倒なので再訪しなかった。

先日、対岸の尾根上にある加増城を攻略した際に、加増城から霜台城が雑木林の間に見えたので、「では、久々に再調査も兼ねて登ってみますか・・・」といつもの思い付き・・・(笑)

霜台城2 (15)
前の山砦からしばらく登ると「弾正岩」と名付けられた巨岩に辿りつく。保科弾正忠正利の名を由来としていて十畳ほどの広さがある。

霜台城2 (13)
三日前に攻略した加増城がよく見える。あの高さは「今日も元気に狂ってる」と言われても仕方あるまい・・・(笑)

【立地】

保科川の右岸、太郎山(996.9m)の南側の支脈上に霜台城がある。麓の須釜集落から比高300mを登った山嶺の尾根を利用して築城されている。現在はトレッキングコースがキチンと整備されているので、長野市若穂隣保館(公民館)に車を駐車して保科川を渡った対岸の登り口に標柱があるので、迷うことは無い。(平日は公民館の事務室に声を掛けて駐車の許可を貰う事)

霜台城見取図①
郭8の物見台は宮坂氏の縄張図には無いので今回追加しています。

「比高300m」と表示すると、信濃ではかなり険しい山城に属するが、霜台城は登山道が斜面全体を緩く這うようにジグザグに斜行しているのでさほどのキツさを感じる事も無く、ゆっくり50分程度で到着する。

霜台城2 (54)
登山道は城域の郭6の一段下の段郭に通じている。

霜台城2 (161)
段郭は南側の斜面に向かって数段連なっている。耕作地の跡ではなく従来の遺構であろう。

霜台城2 (60)
郭6から見上げた郭5。石積みの見える瞬間が至福の時に変わるのである。

【城主・城歴】

保科氏の居城と伝えられるが詳細は不明。城の名は、保科氏が代々弾正(霜台)と名乗ったことか、または、近くの春山城は信濃守護上杉朝房(霜台)からとったものと考えられる。

霜台城2 (66)
郭4と郭5は完全に石積み仕様であり、周囲を厳重に石積みが周回している。

霜台城2 (67)
郭5の全面の石積み。背後は郭4との繋ぎであるが、堅固な石積みである。

【城跡】

郭3・4・5は周囲を堅固な割石の石積みで囲んでいる。7年前に訪問した時はロクな予備知識も無かったので、単純に割石を積み重ねて、風化による崩落などと勘違いしていたが、今回の再訪問と調査で、この石積みは明らかに「積石塚古墳」(つみいしづかこふん)に使用されていた割石の転用であることが判明した。

霜台城2 (68)
松代町周辺の山城は、古墳を利用または破壊してその石を積み上げて防御に利用している城がほとんどである。

霜台城2 (19)
郭4と郭5の東斜面は夥しい量の石積みが斜面を覆うように崩落し散乱している。

霜台城2 (21)
郭4の東斜面には一部原形を留めている石積みがあるので、往時の景観は凄かったに違いない・・・。

●積石塚古墳とは?

積石塚とは、石を積んで墳丘を造っている墓で、主に古墳時代の墳墓の形式の一つとして定着している。(5世紀~6世紀)一部の地域に顕著にみられ、特に長野県の大室古墳群(長野市松代町)は日本最大の積石塚古墳群として有名で、そのほとんどが積石塚であり横穴式石室を備えている。

以下の写真は昨年7月に調査で訪問した時の大室古墳群の積石塚古墳である。霜台城のある保科地区も大室古墳群に関連する古墳が多く点在する。

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大室古墳群の241号墳。

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大室古墳群の242号墳。中央の窪みが陥没した石室の跡。

●古墳の積石を転用し石積みの郭を増設したのか?

縄張図の郭3と郭4の間には大量の積石が残っている。ここに規模の大きな積石塚古墳があったことは、横穴式石室の残存遺構が残る事から推定される。また郭4と郭5の間にも古墳があり窪地は石室の跡であろうか。
どの程度の高さまで積んであったかは不明だが、石の形状が平石では無いので、それほど高くは積めなかったと思われる。

霜台城2 (23)
郭3と郭4の間に残る石室の跡。戦時中となれば死者の祟りなど恐れている場合じゃないか・・(笑)

霜台城2 (24)
古墳も完全に解体せずにある程度残す事で防御効果を狙ったものとみえる。

千曲市~長野市松代町にかけては多くの古墳が集中している。山城も古墳に被るように築城された為に、縄張に古墳を取り込んだり、古墳を解体して石材を防御や土塁の土留めに転用している例が多く見られる。信濃の山城は独自の石積み技術を特徴としているが、それは岩盤が固い地盤を掘るよりも、古墳を壊して廃材を利用するのが手っ取り早いという作業の集大成であろう。

霜台城2 (18)
霜台城の石積みの原材料となった積石塚の石は、高く積めない欠点があったようだ。

霜台城2 (80)
郭3には新設された標柱が立つ。ようやく城跡として認知されてきたかと思うと感慨深い。

●土の城としての原型

霜台城は元々は土の城であったのだ・・・ということが、主郭を挟むように穿った堀切㋐、堀切㋑、堀切㋒を観察することによってわかる。

霜台城2 (85)
堀切㋐側から見下ろした郭3。

霜台城2 (90)
郭3と郭2を遮断する堀切㋐(上巾6m)

霜台城2 (94)
郭2。西側が一段低い変則的な郭だ。

霜台城2 (93)
主郭と郭2を隔てる堀切㋑。かなり埋まっている。

霜台城2 (27)
変則的な形の主郭(25×23)。石積みの補強は西側の縁の土留めだけ。

霜台城2 (26)
主郭と郭7の間の土手付き堀切㋒。最も幅が広く(上巾7m)長大である。

霜台城2 (96)
郭7は41×18の平場。

霜台城2 (29)
郭7の北端の堀切㋔。上巾7mで尾根を遮断する。

元々は郭1・2・3・7で形成された在地土豪の土の城に石積みの郭4・5・6を増設しドッキングさせ、大笹街道側の東尾根の斜面を石積み補強し見せる城を意識したものと思われる。
土の城に石積み郭を増設または補強する縄張手法は、千曲市森にある鷲尾城が非常によく似ている。

【北尾根の物見台】

ブログに相互リンクをさせていただいている春の夜の夢の管理人アテンザ様によれば、霜台城の北尾根には物見台があるといい、実際にその場所について考察されていた。小生の再訪の目的の一つでもあったので、太郎山に続く尾根を辿ってみた。

霜台城2 (107)
郭7から尾根を北へ登る。

霜台城2 (34)
すると人工的に削平した小さな平場と背後の岩場が現れる。

霜台城2 (31)
背後の岩盤堀切から物見砦を撮影。

宮坂武男氏はこの物見について記載していない。自然地形と見たのかもしれない。が、小生もアテンザ様の指摘する通り、背後を深く断ち切った物見砦であると思っている。
尾根を登った先には春山城が控えているので、尾根伝いに備えたものであろう。

霜台城2 (33)
トレッキングコースマップには「クマ太郎岩」とあり、その周辺である。

霜台城2 (35)
ここからは善光寺平、そして遠くに北信五岳を臨む素晴らしいロケーションである。

霜台城2 (126)
物見砦背後の岩盤堀切。

オーソドックスな山城に最先端の石積み仕様を融合させた貴重な霜台城。
当初は在地土豪の物見程度の山城が、甲越紛争時にその戦略的を見出され大勢力によって大掛かりな改修を受けて現在の最終形になったとみるが、どうであろうか。

比高300mだが、登山道も整備されているのでゆっくり景色を楽しみながら1時間も歩けば十分に堪能できる山城です。
是非、その目でこの素晴らしい遺構を見て頂きたいと思います。


≪霜台城≫ (そうだいじょう 城の峯) 

標高:720m 比高:300m 
築城年代:不明
築城・居住者:保科氏など
場所:長野市若穂保科須釜
再訪問日:2017年4月19日
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要時間:50分
駐車場:若穂隣保館
見どころ:弾正岩、積石塚古墳を利用した石積み、土手付き大堀切、物見砦、クマ太郎岩など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版) 
注意事項:石積みは脆くなっているので乗らない・足を掛けない・崩さない。
付近の城跡:保科前の砦・加増城・古城山城・和田東山城など

霜台城2 (70)
積石塚古墳を転用した証拠はいたるところで確認出来る。

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北西の若穂牛島の領家交差点付近から撮影した霜台城と背後の物見砦。

Posted on 2017/05/12 Fri. 20:12 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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