らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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和田東山城 (長野市若穂保科)  

◆耕作地とも城跡とも断定できない微妙な遺構◆

前号では、碓氷峠の陣城についてざっくり掲載してしまったが、「旧道が城内に取り込まれている」という事実の見落としを指摘され、ハッと我に返った。そう、城の西側の堀切と図で示した場所は実は旧道の址だったのか・・・(汗)

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現在の陣城の東側の中山道旧道。北条攻めに際しては突貫工事で軍道も整備されたであろうという想像力が欠けていた・・。

横川から刎石堀切まで歩いた経験がありながら、何故その事(道の幅)に気がつかなかったのだろうか。もっと子持山方面に下っていけば誤りに気付いたはずだった・・。
リベンジは晩秋に持ち越して、これから初夏になるのだが頭を冷やした方が良いのかもしれない(笑)

気を取り直して、今回ご案内するのは若穂保科地区最終回の「和田東山城」である。

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城の入口に鎮座する東山神社。今も地元に大切にされている神社である。鳥居前に駐車場があるので停めさせていただこう。

【立地】

保科上和田地区の東山神社の脇から100mほど道を上った所に和田東山城跡がある。ここは奇妙山系の山尾根の鞍部にあたり、傾斜のゆるい尾根が張り出していて、東麓を赤野田川が自然の堀となって流れている。その上部には古墳群がある。
東方1.5kmの山上には保科氏の霜台城があり、その中段には前の山砦があって、保科の谷を挟んで相対している。

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神社の脇の道を登る。

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途中墓地となっている三段ほどの段郭が確認出来る。防御というよりは耕作の跡か?

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三弾の段郭を最上部の郭から見下ろして見る。

【城主・城歴】

記録等がなく不明。地元では和田氏の築城との伝承があるという。

和田東山城見取図①
郭2の背後に堀切を穿つのがセオリーだと思うが、古墳群に向かう尾根には何の防御構造も確認出来なかった。

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郭3の先端から東の沢に下る唯一の堀切。

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おむすび型の郭3。郭2との段差が切岸で区画されている。

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郭2から見下ろした郭3。(21×23)

【城跡】

墓地の段郭を除くと、和田集落に突き出した尾根先に平坦な三つの郭が並ぶ縄張である。最高部の郭1の背後を堀切で遮断していれば、戦国期の砦と認識できるのだが、郭1と郭2があまりにも丁寧に削平されているので、後世の耕作地化による影響と考えられどこまでが城跡なのか非常に分かりづらい。

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郭2の先端には三角点(403.9m)

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郭2と郭1。切岸がハッキリしすぎているが、それはそれで美しいと思うが・・。

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郭1の周囲は美しい切岸が加工されている。後世のものかもしれないが、一見の価値はある。

城域の東側は斜面が比較的緩いのだが、赤野田川(あかんだかわ)が天然の堀切となっているのでそこそこの防御にはなっているように思われる。

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郭1から見た郭2との東側の接続部分。傾斜が緩いのがお分かりいただけるでしょうか。

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主郭の内部。

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西側から見た主郭の虎口。

要害城というよりは、保科の入口を監視した物見砦としての要素が強いような気がする。この程度の脆弱な防御では敵の来襲に対して持ちこたえるのでかなり厳しい。宮坂武男氏は尾根伝いの古墳群との関連を指摘しているが、尾根沿いの道は失われてしまい、背丈以上の藪に覆われている状況での確認は困難と思われ今回の調査は断念した。

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こんなちっぽけな砦でも、アングルによっては充分な見応えがある・・(笑)

≪和田東山城≫ (わだひがしやまじょう)

標高:410m 比高:30m
築城年代:不明
城主;不明
場所:長野市若穂保科
攻城日:2017年4月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、切岸
注意事項:特になし
駐車場:東山神社の鳥居前に3台程度の駐車スペースあり
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:霜台城、加増城、前山の砦、春山城など

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城址より霜台城を臨む。

霜台城2 (36)


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Posted on 2017/05/18 Thu. 23:04 [edit]

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霜台城2 (リテイク 長野市若穂保科)  

◆前後に物見砦を備え、石積みの郭と土の郭で構成された戦国末期の山城◆

霜台城を最初に訪れたのは2011年7月なので、かれこれ6年の月日が流れている。

拙いブログ記事で、信濃の山城マニアの皆様には「隠れた石積みと土の城が混在する名城なのでお勧めですよ!」とか言いつつ、面倒なので再訪しなかった。

先日、対岸の尾根上にある加増城を攻略した際に、加増城から霜台城が雑木林の間に見えたので、「では、久々に再調査も兼ねて登ってみますか・・・」といつもの思い付き・・・(笑)

霜台城2 (15)
前の山砦からしばらく登ると「弾正岩」と名付けられた巨岩に辿りつく。保科弾正忠正利の名を由来としていて十畳ほどの広さがある。

霜台城2 (13)
三日前に攻略した加増城がよく見える。あの高さは「今日も元気に狂ってる」と言われても仕方あるまい・・・(笑)

【立地】

保科川の右岸、太郎山(996.9m)の南側の支脈上に霜台城がある。麓の須釜集落から比高300mを登った山嶺の尾根を利用して築城されている。現在はトレッキングコースがキチンと整備されているので、長野市若穂隣保館(公民館)に車を駐車して保科川を渡った対岸の登り口に標柱があるので、迷うことは無い。(平日は公民館の事務室に声を掛けて駐車の許可を貰う事)

霜台城見取図①
郭8の物見台は宮坂氏の縄張図には無いので今回追加しています。

「比高300m」と表示すると、信濃ではかなり険しい山城に属するが、霜台城は登山道が斜面全体を緩く這うようにジグザグに斜行しているのでさほどのキツさを感じる事も無く、ゆっくり50分程度で到着する。

霜台城2 (54)
登山道は城域の郭6の一段下の段郭に通じている。

霜台城2 (161)
段郭は南側の斜面に向かって数段連なっている。耕作地の跡ではなく従来の遺構であろう。

霜台城2 (60)
郭6から見上げた郭5。石積みの見える瞬間が至福の時に変わるのである。

【城主・城歴】

保科氏の居城と伝えられるが詳細は不明。城の名は、保科氏が代々弾正(霜台)と名乗ったことか、または、近くの春山城は信濃守護上杉朝房(霜台)からとったものと考えられる。

霜台城2 (66)
郭4と郭5は完全に石積み仕様であり、周囲を厳重に石積みが周回している。

霜台城2 (67)
郭5の全面の石積み。背後は郭4との繋ぎであるが、堅固な石積みである。

【城跡】

郭3・4・5は周囲を堅固な割石の石積みで囲んでいる。7年前に訪問した時はロクな予備知識も無かったので、単純に割石を積み重ねて、風化による崩落などと勘違いしていたが、今回の再訪問と調査で、この石積みは明らかに「積石塚古墳」(つみいしづかこふん)に使用されていた割石の転用であることが判明した。

霜台城2 (68)
松代町周辺の山城は、古墳を利用または破壊してその石を積み上げて防御に利用している城がほとんどである。

霜台城2 (19)
郭4と郭5の東斜面は夥しい量の石積みが斜面を覆うように崩落し散乱している。

霜台城2 (21)
郭4の東斜面には一部原形を留めている石積みがあるので、往時の景観は凄かったに違いない・・・。

●積石塚古墳とは?

積石塚とは、石を積んで墳丘を造っている墓で、主に古墳時代の墳墓の形式の一つとして定着している。(5世紀~6世紀)一部の地域に顕著にみられ、特に長野県の大室古墳群(長野市松代町)は日本最大の積石塚古墳群として有名で、そのほとんどが積石塚であり横穴式石室を備えている。

以下の写真は昨年7月に調査で訪問した時の大室古墳群の積石塚古墳である。霜台城のある保科地区も大室古墳群に関連する古墳が多く点在する。

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大室古墳群の241号墳。

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大室古墳群の242号墳。中央の窪みが陥没した石室の跡。

●古墳の積石を転用し石積みの郭を増設したのか?

縄張図の郭3と郭4の間には大量の積石が残っている。ここに規模の大きな積石塚古墳があったことは、横穴式石室の残存遺構が残る事から推定される。また郭4と郭5の間にも古墳があり窪地は石室の跡であろうか。
どの程度の高さまで積んであったかは不明だが、石の形状が平石では無いので、それほど高くは積めなかったと思われる。

霜台城2 (23)
郭3と郭4の間に残る石室の跡。戦時中となれば死者の祟りなど恐れている場合じゃないか・・(笑)

霜台城2 (24)
古墳も完全に解体せずにある程度残す事で防御効果を狙ったものとみえる。

千曲市~長野市松代町にかけては多くの古墳が集中している。山城も古墳に被るように築城された為に、縄張に古墳を取り込んだり、古墳を解体して石材を防御や土塁の土留めに転用している例が多く見られる。信濃の山城は独自の石積み技術を特徴としているが、それは岩盤が固い地盤を掘るよりも、古墳を壊して廃材を利用するのが手っ取り早いという作業の集大成であろう。

霜台城2 (18)
霜台城の石積みの原材料となった積石塚の石は、高く積めない欠点があったようだ。

霜台城2 (80)
郭3には新設された標柱が立つ。ようやく城跡として認知されてきたかと思うと感慨深い。

●土の城としての原型

霜台城は元々は土の城であったのだ・・・ということが、主郭を挟むように穿った堀切㋐、堀切㋑、堀切㋒を観察することによってわかる。

霜台城2 (85)
堀切㋐側から見下ろした郭3。

霜台城2 (90)
郭3と郭2を遮断する堀切㋐(上巾6m)

霜台城2 (94)
郭2。西側が一段低い変則的な郭だ。

霜台城2 (93)
主郭と郭2を隔てる堀切㋑。かなり埋まっている。

霜台城2 (27)
変則的な形の主郭(25×23)。石積みの補強は西側の縁の土留めだけ。

霜台城2 (26)
主郭と郭7の間の土手付き堀切㋒。最も幅が広く(上巾7m)長大である。

霜台城2 (96)
郭7は41×18の平場。

霜台城2 (29)
郭7の北端の堀切㋔。上巾7mで尾根を遮断する。

元々は郭1・2・3・7で形成された在地土豪の土の城に石積みの郭4・5・6を増設しドッキングさせ、大笹街道側の東尾根の斜面を石積み補強し見せる城を意識したものと思われる。
土の城に石積み郭を増設または補強する縄張手法は、千曲市森にある鷲尾城が非常によく似ている。

【北尾根の物見台】

ブログに相互リンクをさせていただいている春の夜の夢の管理人アテンザ様によれば、霜台城の北尾根には物見台があるといい、実際にその場所について考察されていた。小生の再訪の目的の一つでもあったので、太郎山に続く尾根を辿ってみた。

霜台城2 (107)
郭7から尾根を北へ登る。

霜台城2 (34)
すると人工的に削平した小さな平場と背後の岩場が現れる。

霜台城2 (31)
背後の岩盤堀切から物見砦を撮影。

宮坂武男氏はこの物見について記載していない。自然地形と見たのかもしれない。が、小生もアテンザ様の指摘する通り、背後を深く断ち切った物見砦であると思っている。
尾根を登った先には春山城が控えているので、尾根伝いに備えたものであろう。

霜台城2 (33)
トレッキングコースマップには「クマ太郎岩」とあり、その周辺である。

霜台城2 (35)
ここからは善光寺平、そして遠くに北信五岳を臨む素晴らしいロケーションである。

霜台城2 (126)
物見砦背後の岩盤堀切。

オーソドックスな山城に最先端の石積み仕様を融合させた貴重な霜台城。
当初は在地土豪の物見程度の山城が、甲越紛争時にその戦略的を見出され大勢力によって大掛かりな改修を受けて現在の最終形になったとみるが、どうであろうか。

比高300mだが、登山道も整備されているのでゆっくり景色を楽しみながら1時間も歩けば十分に堪能できる山城です。
是非、その目でこの素晴らしい遺構を見て頂きたいと思います。


≪霜台城≫ (そうだいじょう 城の峯) 

標高:720m 比高:300m 
築城年代:不明
築城・居住者:保科氏など
場所:長野市若穂保科須釜
再訪問日:2017年4月19日
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要時間:50分
駐車場:若穂隣保館
見どころ:弾正岩、積石塚古墳を利用した石積み、土手付き大堀切、物見砦、クマ太郎岩など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版) 
注意事項:石積みは脆くなっているので乗らない・足を掛けない・崩さない。
付近の城跡:保科前の砦・加増城・古城山城・和田東山城など

霜台城2 (70)
積石塚古墳を転用した証拠はいたるところで確認出来る。

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北西の若穂牛島の領家交差点付近から撮影した霜台城と背後の物見砦。

Posted on 2017/05/12 Fri. 20:12 [edit]

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保科前の山砦 (長野市若穂保科)  

◆霜台城の大手を守る物見砦◆

毎年の事ながら、GWが終わると山城探訪のトップシーズンも終わりを告げるのである。

そんな事にはお構いなしに年がら年中城跡探索を敢行する山城ツアラーもいらっしゃるようですが、小生は一休みでございますw

今回ご案内するのは、6年前に記載した霜台城をリテイクする為の再調査で立ち寄った「保科前の山砦」。前回は素通りしてしまったので、今回は新しい記事として掲載させていただこうと思う。

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登り口の須釜集落から撮影した前の山砦と霜台城。

【立地】

保科川の右岸、霜台城のある山の南西に張り出した尾根の中段に前の山砦がある。現在はトレッキングコースとして保科地区から前山砦~弾正岩~霜台城~クマ太郎岩~太郎山のルートが整備されている。(6年前は標柱など無かったが・・)
麓からの比高は105mの南へ向いた尾根の先端の弛みであるが、霜台城はここから弾正岩を経由し200mの比高を登る。長野市誌では「前山城」と言っているが、小出では前の山と言っているので、この名から「保科前の山砦」と宮坂武男氏が命名している。

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6年前はこのような看板も無かったが、今ではトレッキングコースとして整備されている。

【城主・城歴】

保科氏の出城の一つと考えられている。一説には、小井底五郎左衛門尉(こいていごろうさいもんのじょう)が伊那郡小井弖荘(こいでしょう 現在の伊那市小出)から移住し、小出砦に拠って村上氏に仕え、地名をもって小出姓を名乗ったという。その子小出大隈守は、元禄の初めに仙仁城(現在の須坂市)に移るという。

保科前の山砦見取図①
前回紹介した加増城よりも更に曖昧な縄張である。

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登山口から約10分で砦跡に辿り着く。看板もあるとは驚きであった。

霜台城2 (5)
砦の南先端部。街道を見張るにはちょうど良い高さと見晴らしである。

霜台城2 (6)
砦の中心部分の全長は葯27mとかなり広い。

霜台城2 (7)
主郭の背後は土塁が盛られ背後の堀切・土橋に続く。

【城跡】

尾根の中段の弛みへ上巾9mの堀を入れ、掘った土を内側へ土塁として盛土してある。堀は土橋で渡るようになっている。郭の両サイドの切岸は加工度も低く自然地形のままであろうか。北側に続く尾根を除くと三方が急斜面なので加工する必要性は無かったのかもしれない。
霜台城の比高が高いので、有事の際以外はこの砦に歩哨を置き警戒していたのだと思われる。

霜台城2 (8)
主郭から見た東側の土塁と背後の堀切。

霜台城2 (9)
堀切と土橋。

霜台城2 (12)
西側の沢に落ちる堀切。かなり埋まっているが上巾9mは圧巻である。

霜台城2 (14)
北側から見た堀と土橋。

以上、見てきた通り、堀切は立派なのだが郭が曖昧である。平時は物見砦として、そして戦時は霜台城へ向かう攻城兵を阻止する出城としての機能であればこれで十分かもしれない。

≪保科前の山砦≫ (ほしなまえのやまとりで)

標高:525m 比高:105m
築城年代:不明
城主;不明
場所:長野市若穂保科
攻城日:2017年4月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分~15分
見どころ:堀切、土橋
注意事項:特になし
駐車場:長野市の若穂隣保館(公民館)がトレッキング者向けの指定駐車場。(無料)
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:霜台城、加増城、和田東山城、春山城など

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Posted on 2017/05/07 Sun. 21:46 [edit]

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加増城 (長野市若穂保科)  

◆郭1個と堀切二条の物見砦の為に、比高310mを駆け登る病的集団◆

ブログでは毎度お馴染みの顔になっているが、我ら信濃先方衆の同盟は今年の7月で5周年を迎える。早いものである・・・。

遭難もせず、お互いの顔に飽きもせず(笑)、ここまで苦楽を共にしてきたが、我々にはもはや難易度Eクラスの辺境の地の物見小屋とか、鬼・猿の名の付く伝説の山城しか残っていない・・・・(汗)

今回ご案内するのは、片道45分、比高310m、登山道など無く直登するしかなかった「加増城」(かぞうじょう)である。

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対岸の本城である「霜台城」(そうだいじょう)の弾正岩から見た加増城。コスパなど考えたら絶対に登らない場所にある。

【立地】

長野市若穂保科の保科かわの左岸、引沢集落の南部の沢中の高いところが加増(かぞう)である。加増の南西の三角点(759.1m)のある山に加増城がある。この山は保基谷だけ(1529.1m)から北西へ下った堀切山(1157m)へ続く尾根上にあり、ここから若穂地区はもちろん、善光寺平がよく見通せる。また対岸の北方1.8kmの至近に霜台城があり、眼下の街道は須坂・仁礼方面と、菅平を経て小県及び上州に通じる。

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今回の直登ルート。麓の神社(若宮八幡宮)から祠までは道形もなく、急斜面をひたすら直登するのである。

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標高600m付近の平場にある石祠。屋根が落ちていたので、ていぴす殿と持ち上げて元通りにしておく。ご利益あるかしら(笑)

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石祠のある場所は尾根上に平場が続くので、砦に当直する番兵の小屋掛けがあったかもしれない。

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対岸には霜台城が指呼の間によく見える。

【城主・城歴】

資料がなくはっきりした事はわからないという。地元では川中島合戦の時の物見であったという伝承がある。保科氏の勢力範囲に属する地域であるが、その関係は不明だという。

加増城見取図①
とてもシンプルで機能性のみを追求した砦。この立地条件と高さであればこの装備で十分であろう。

毎回我ら信濃先方衆は一日の行動とスケジュールを検証し反省する。この日のスケジュールのラストとして午後3時から比高300mの砦がふさわしいのか?・・・しかも直登で・・・バイパス長過ぎ・・・どう考えても無謀なのだが、行かぬ後悔よりは突撃あるのみ(笑)

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おお、ここであったか・・・・。

石祠から更に25分、果てしなく長い尾根を歩き続けた我々は息絶え絶えになりながら砦跡に遭遇したのである。

【城跡】

平場の尾根の先端に、前後に堀切を穿って守られた13×9の主郭がある。低い土塁が郭を全周していて南の土塁上に三角点がある。

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堀切㋐(上巾9m)。どんなにヘロヘロになろうと、城域に入るとゾンビのように生き返るのである・・(笑)

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堀切㋐と主郭の接続部分には土留めの石積みが見られる。細部の観察を怠ってはならないという我々の無言の掟である。

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主郭(13×9)。周回する土塁もかなり低い。

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南側の土塁上の三等三角点。

主郭の西側の一段下には腰曲輪があり、南の堀に沿って土塁があり、部分的に石積みが見られ、北端に井戸跡と思われる石組がある。
堀切㋑の後ろに続く尾根は平地が50mほど続くが、縄張とは思えない。

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主郭下の腰曲輪(23×5)

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井戸跡の石組み。かなり崩落が進み原形を留めていない。

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堀切㋑(上巾10m)

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西斜面に落ちる長大な堀切㋑。どんな小さな砦でも、手抜きしないこの姿勢が大切です。

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堀切㋑より南の尾根の平場。特にこれといった防御システムは発見出来なかった。

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平場が終わると再び堀切山へ向けた険しい尾根道が続いている。

以上、観察してきた通り、単純な作りであるものの、堀は長大で立派である。伝承のように詰め城というよりは物見、あるいは烽火台といった類に属するものであろう。
もちろん、対岸の霜台城の物見という考え方が自然であり、保科前の山砦と共に保科氏の領地の監視砦であったと思われる。

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ていぴす殿も必死こいて本郭の調査をしておりますw

我々のこうした常道を外れる(?)探求心が、「彼らは、気がふれているのではないのか?」と思われ、ご自分の立ち位置を確認する行動をされる方を時々お見受けします。

大丈夫ですよ、貴方も我らの心境まであと一歩ですから・・・・きっと頼もしきお仲間に入れます・・・・・(笑)

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主郭から見下ろした堀切㋐。

≪加増城≫ (かぞうじょう 加増山城)

標高:759.1m 比高:310m(若宮八幡宮社より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:長野市若穂保科
攻城日:2017年4月16日
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:45分~60分
見どころ:二条の堀切、主郭
注意事項:道が無く神社~石祠までは直登なのでしっかりとした装備でトライしよう。
駐車場:無し、神社脇の道路に寄せて路駐。
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:霜台城、保科前の山砦、和田東山城、春山城など
Special Thanks to ていぴす殿

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各個撃破とはいえ、この砦一つのために比高310mは常人の常識を逸脱しているか・・・(笑)







Posted on 2017/05/01 Mon. 22:47 [edit]

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松田館2  

◆保存整備事業の進む松田館(まつだやかた)を3月26日まで一部公開中◆

千曲市八幡の武水別神社で代々神主を勤める松田氏の屋敷は、知る人ぞ知る戦国時代の方形居館跡であり、巨大な土塁と堀跡が残る貴重な遺構。現在千曲市が保存整備事業を進め平成31年には公開予定(当初は平成26年だったような・・)としているが、その一部が今週限定公開されている。

松田館 (4)
3月21日~26日まで一部を無料公開中。(10:00~16:00)

見たいけど、遠いし日程も短いので無理・・・という方の為に小生が見学した内容をお伝えしよう。

※ここに関しての過去記事は⇒八幡松田館をご確認ください。

【武水別神社の概要】

長野県千曲市にある武水別神社(たけみずわけじんじゃ)は、平安時代に京都の石清水八幡宮より勧進された延喜式社である。祭神として「武水別大神(たけみずかみのおおかみ)、誉田別命(おんだわけのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、比咩大神(ひめのおおかみ)など水や農業の神様を祀っている。

武水別神社他 (1)

社殿(本殿)は江戸時代天保三年(1842)に火災により焼失、嘉永三年(1850)に、諏訪の宮大工立川富昌により再建。

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主な祭事として、毎年12月10日~14日まで「大頭祭(だいとうさい)」が執り行われている

【松田家史料保存整備事業の経緯】  ※千曲市教育委員会の説明資料より引用

松田家は、代々武水別神社の神主を勤めてきた家系です。
千曲市では、長野県宝に指定された主屋(おもや)ほか市指定文化財の附属建物を平成16年12月、所有者の松田孝弘様から寄贈を受けたのを機会に、江戸時代~明治時代の建物群、約2,000坪の屋敷内に中世の居館跡を偲ばせる堀や土塁、さらに1万数千点にのぼる古文書、書画、什器等の資・史料の散逸や滅失を防ぎ、その保存と整備を行い広く活用を図る事を目的に、平成17年度から松田家史料保存整備事業を行っています。

松田館 (2)
綺麗に復元整備された長屋門と水堀。

松田館見取図①
今回公開されたのは北側の約2/3で、南の斎館は工事中のため未公開。

【松田館の主な文化財】

1.名称:長野県宝「松田家住宅主屋」(まつだけじゅうたくおもや)
 指定:平成16年11月22日
 概要:主屋の建築年代は不明だが、建築部材の仕上げや建物の特徴から18世紀代の建築と推定される。
     19世紀前期に現在のように改造されたものと考えられる

松田館 (45)
北側から見た主屋。巨大すぎて写真に収まらない・・・(汗)

松田館 (9)
主屋の内部①

松田館 (10)
主屋の内部②

松田館 (14)
主屋南側の庭園

建物の特徴として、間口十二間語釈、奥行四間の細長い木造平屋建、茅葺(かやぶき)の建物で、間口中央から斎館に向かって凸字形に突き出した平面形となっている。
主屋の平面は、前後に五室が並ぶ形式で、土間が表から裏まで通る一般の民家とは異なった間取りとなっている。天井が低く、差鴨居(さしがもい)や長押(なげし)を用いない武家住宅のような趣がある。

松田館 (37)
主屋の台所

松田館 (19)
主屋の北側の裏庭

南側の突出部は書斎のような造りで、一画にある湯殿(ゆどの)は、神事の時に潔斎(けっさい)の場に使われていたところで、神主の家としての特徴が表れています。

松田館 (11)
湯殿。

2.名称:長野県史蹟「武水別神社神主松田家館跡」(まつだけやかたあと)
 指定:平成18年4月20日
 概要:敷地は東西約70m、南北約90mの方形を成し、中世の居館を構成する典型的な地割りである。
     四方に高さ約3mの土塁が廻り、その周囲を取り巻く堀跡が残存する遺構をもっている。
     これまでの調査結果から、松田館の土塁は16世紀、室町~戦国期の築造と推測される。

主屋の西側に接続する味噌蔵には、館の整備と並行して実施された発掘調査による遺物や調査当時の写真が飾られている。
また、松田家で使われた品々や松田家に伝わる古文書も一部公開されている。

松田館 (24)
発掘調査で出土した遺物

松田館 (29)
松田家で使用していたお重

松田館 (30)
松田家に伝わる文書

松田館 (34)
武田晴信(信玄)の朱印状(右)と、上杉景勝の朱印状も展示されている。

今回の一部公開では、北側の土塁、北西隅の御霊屋(おたまや)のL字土塁、裏門から氷室にかけての土塁が内側より見る事が出来た。

松田館 (53)
北側の土塁。北東隅の土塁は隠居屋建設の際に破壊された事が確認されている。

松田館 (71)
裏門付近の土塁。脇を地下水路が走っている。

松田館 (72)
北西のL字土塁の上に立つ御霊屋(おたまや)。江戸時代の天明に建てられた。

松田館 (80)
氷室のある西側土塁。

3.名称:松長野県宝「田家斎館」(まつだけさいかん)
 指定:平成26年2月28日
 概要:文久元年(1861)に再建された間口7間、奥行3間半の寄棟造の建物で、神殿が設けられた儀礼を主に行った。
    現在も9月14日の仲秋祭や大頭祭の頭殿さんの出達儀式の場として使われている。

 ※今回は工事中に付き未公開

4.千曲市有形文化財「松田邸」(まつだてい)
 指定:平成15年2月28日
 概要:江戸時代後期から明治期の主屋はじめ斎館、土蔵など16棟を指定。
    ※県宝指定に伴い主屋・斎館は除外

松田館 (67)
西の蔵。

松田館 (43)
北の蔵。

松田館 (42)
隠居屋。

松田館 (88)
裏門(裏長屋)。御霊屋から撮影。

さて、如何でしたでしょうか。

千曲市は、平成17年度から総事業費5億数千万円をかけて平成31年の完成・一般公開に向けて進めていますが、工期は延びるかもしれません。
でも、未来の子供たちに地元の文化財を残して受け継いで欲しい・・・その心意気に拍手喝采です。
完成の暁には、是非皆さんも訪れていただきたいと思います。



松田館 (86)

Posted on 2017/03/24 Fri. 10:56 [edit]

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