◆日本三大水攻めで最長24㎞の堤防◆水攻めというと秀吉による備中高松城が最も有名ですが、その他としては紀州の太田城(同じく秀吉)、武州の忍城(石田三成)があります。
忍城以外は城を包囲する堤防は総延長でも5㎞程度でしたが、石田三成はその5倍の堤防を築いて完璧な水攻めを行います。(いかにも三成らしい緻密な計画)
【石田三成の本陣があった円墳山】このあたりは「さきたま古墳公園」と呼ばれ、古代の権力者の象徴であった古墳が集中している全国的にも珍しい場所です。

周辺の古墳群
成田氏の立て籠もる忍城を見下ろす古墳群の中で、ひときわ高い円墳山に三成は本陣を構えます
(それ以前に忍城を攻めた上杉謙信もこの場所を本陣としたようです)

円墳山から忍城方面を望む
【柔よく剛を制す】豊臣連合軍は僅か二千の籠城兵で守る成田側に対して10倍以上の兵力で力攻めを敢行しますが、守備兵が良くこれを防ぎ、戦線はこう着状態になります。
※この時城主の成田氏長は小田原城にて籠城中で、城主の甥の氏親が防衛戦の指揮を執ったとも云われています。

天然の沼や水濠で浮城と呼ばれた忍城。付近の公園にある沼が当時の面影を僅かに残します
そこで石田三成は、東国では実践されなかった水攻めに着手し、付近の住民を総動員して総延長25㎞!!の堤を突貫工事で完成させ、利根川の水を引き入れ忍城全体を水没させます。
※この作戦は秀吉の命令によるものという説もあります
秀吉を超えるスケールと緻密な作戦で忍城を包囲した三成ですが、運の悪いことに堤防が決壊していまい、作戦変更を余儀なくされてしまいます。
(まぁ、そこが運を味方につける秀吉とは違うんでしょうネ)
結局一ヶ月に及ぶ攻城戦は決着のつかないまま、北条氏の降伏による小田原城の落城で終息を迎えます。

明治2年に描かれた取り壊し前の忍城縄張り図

忍城は明治維新後に取り壊され、当時の遺構はほとんどありません。かつて雑木林の生い茂った本郭跡に現在の模造天守と堀が復元されています
豊臣氏の北条征伐で唯一落ちなかった忍城は全国にその名を馳せ、成田氏はその後下野国烏山で2万石の大名として復帰を果たします
「城の一つも落とせぬ武将」と嘲笑された石田三成ですが、北条氏康も上杉謙信も落とせなかった城では無理からぬ事だと同情を禁じえません・・(笑)
でもその三成が百戦錬磨の家康に関ヶ原の戦い仕掛けて挑むとは、さすが義の人
注)義の人とは、通常は兼続、幸村、三成を指す
で、続きは今夜の「天地人」でご覧下さい・・(爆)
水城公園に咲く古代蓮の花。1400年前からの歴史を知る貴重な証人です。
攻城日:2009年7月19日
お勧め度:★★ さきたま古墳公園とセットがお勧め
場所:埼玉県行田市本丸(郷土博物館)
難易度:マイカーでも電車でも普通に行けます
その他:ご当地名物ゼリーフライは食べてみましょう(衣の無いコロッケ?)
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