らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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笹洞城(上田市)  

◆東信濃の豪族 室賀氏の詰城◆

※2016年3月20日に更新しています。城跡の詳細については⇒笹洞城を参照願います。

清和天皇を祖として、鎌倉時代には塩田平を治めていた北条氏の家臣となった室賀氏。
戦国時代に入ると武田晴信に対抗していた村上義清の配下となり上田原の合戦にも参戦する

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↑腰郭から見上げる本郭を囲む石積み。既に崩落が進行していて数年後には見られなくなるかもしれない

塩田平(上田市)から坂城・善光寺平へ抜ける旧善光街道の室賀峠を押さえていた室賀氏は、原畑城(上田市上室賀原組付近)を居館として竹把城(擂鉢山)、跡部城(三頭山)、笹洞城(下洞山)の詰城を築城したといわれる。

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↑意外と広い本郭。室賀峠につながる街道の見張りの城としては重要だったと思われる

上田原の合戦後、再度信濃に侵攻してきた武田晴信が長窪城を拠点として小県郡の諸城を次々と落城させ塩田城に迫ると、室賀氏は真田幸隆の誘いに応じて武田氏に降ります。

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江戸時代に北国街道が整備されるまで、上田から坂城に抜ける道はこの街道しか無かった

北信濃攻略を進める武田晴信は、新たに岡城(笹洞城から約3キロ離れた平地)を築城し前線基地とします。

着々と村上包囲網を完成させていく武田晴信は、難攻不落を誇った砥石城を真田幸隆に攻略させ落とさせます。

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主郭背後の堀切。結構な深さがあり見応えがあります。


砥石城を奪われ、室賀氏や大須賀氏が離反した村上義清は小県(ちいさがた)方面からの撤退を余議なくされ窮地に追い込まれました。

坂城側の室賀峠の抑えとしては、葛尾城から千曲川の対岸に位置する狐落城に児島兵庫介兄弟を守将として置きますが、属将の大須賀氏が寝返り急襲されてあっけなく落城します。

詰め城の狐城の落城は村上義清にとって最大の衝撃でした。彼は抗戦を諦め、葛尾城を捨て上杉謙信を頼り越後へ落ちます。

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二の郭というよりは出城っぽい腰郭の登り口。

武田氏滅亡後の室賀氏ですが、その後に上田小県を掌握した真田昌幸の謀略により滅ぼされます。
落ち延びた子孫は、徳川時代になると旗本に取立てられて家名を存続したとの事です。

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室賀氏の詰め城だった竹把城遠景。この城と三水城、狐落城は尾根続き。

笹洞城は訪れる人がほとんどいないので、登山道もはっきりしません。
登り口を探して道に迷い、久々に道無き道を進む姿は遭難者の捜索隊みたい(笑)

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場所:上田市上室賀原組 室賀温泉ささらの湯の裏山
攻城日:2010年5月9日
お勧め度:★★★★☆
見どころ:堀切、竪堀。腰郭、本郭の石積み
時間:ふもとから25分程度。道はほとんど消滅しているので尾根伝いにひたすら頂上を目指します
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Posted on 2010/05/23 Sun. 20:06 [edit]

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