らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
0726
三日城(上田市) 
◆小牧山ネットワーク戦術◆
尾野山城の支城としては「茂沢城」「孫台」「三日城」があります。
海野平の合戦に機能していたと思われる城群ですが、第一次上田合戦に真田の防御ネットワークとして再利用された可能性は否定出来ません。
マイナーな城跡ですので、取り上げているのはの上田小県の城のHPぐらいで未知数の城です。
尾野山の新池を探しその先の林道脇から北東あたりが城跡のようです。(林道の先にはKDDIの電波施設がります)
この場所のロケーションは神川(かんがわ)と千曲川の合流地点を見下ろす場所で、小牧城と尾野山城の中間地点にあります。
第一次上田合戦で堰き止めてあった神川上流の堤を決壊させる指令を出した物見小屋の役割には充分でしょう。

↑何の写真なんかよくわかんない(笑)
残念ながら雑木林に遮られて神川の合流地点は見れませんが、八重原台地や陣場砦方面まで一望出来る場所です。

↑城跡の東脇の林道から東御市方面
宮坂先生の古城図と国土地理院の地図を照合させるとこの場所に辿り着く。

村上・武田・諏訪連合軍が海野氏を滅ぼす為にいち早く尾野山城と支城群を奪取したのは、神川の合流地点に海野氏を誘い込む為の戦術の一つだったと思うのは、僕の思い過ごしだろうか・・。
※神川合戦で海野幸義は討死し、海野一族は上州へ落ち没落する

↑神川と千曲川の合流地点に近い「しなの鉄道国分寺駅」より対岸の三日城を臨む
一族がはめられた戦術を駆使して徳川軍を翻弄する真田昌幸の謀略には全く恐れ入る。
場所:上田市生田尾野山(標高623m 比高差約100m)
攻城日:2010年7月25日
お勧め度:★☆☆☆☆
行き方:尾野山~須川湖線から尾野山地区の上池目指す。その先の新池から北方面の断崖上
見どころ:単郭と一部石積み。※石積みは当時のものか不明。
尾野山城の支城としては「茂沢城」「孫台」「三日城」があります。
海野平の合戦に機能していたと思われる城群ですが、第一次上田合戦に真田の防御ネットワークとして再利用された可能性は否定出来ません。
マイナーな城跡ですので、取り上げているのはの上田小県の城のHPぐらいで未知数の城です。
尾野山の新池を探しその先の林道脇から北東あたりが城跡のようです。(林道の先にはKDDIの電波施設がります)
この場所のロケーションは神川(かんがわ)と千曲川の合流地点を見下ろす場所で、小牧城と尾野山城の中間地点にあります。
第一次上田合戦で堰き止めてあった神川上流の堤を決壊させる指令を出した物見小屋の役割には充分でしょう。

↑何の写真なんかよくわかんない(笑)
残念ながら雑木林に遮られて神川の合流地点は見れませんが、八重原台地や陣場砦方面まで一望出来る場所です。

↑城跡の東脇の林道から東御市方面
宮坂先生の古城図と国土地理院の地図を照合させるとこの場所に辿り着く。

村上・武田・諏訪連合軍が海野氏を滅ぼす為にいち早く尾野山城と支城群を奪取したのは、神川の合流地点に海野氏を誘い込む為の戦術の一つだったと思うのは、僕の思い過ごしだろうか・・。
※神川合戦で海野幸義は討死し、海野一族は上州へ落ち没落する

↑神川と千曲川の合流地点に近い「しなの鉄道国分寺駅」より対岸の三日城を臨む
一族がはめられた戦術を駆使して徳川軍を翻弄する真田昌幸の謀略には全く恐れ入る。
場所:上田市生田尾野山(標高623m 比高差約100m)
攻城日:2010年7月25日
お勧め度:★☆☆☆☆
行き方:尾野山~須川湖線から尾野山地区の上池目指す。その先の新池から北方面の断崖上
見どころ:単郭と一部石積み。※石積みは当時のものか不明。
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Posted on 2010/07/26 Mon. 23:07 [edit]
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