らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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殿村遺跡(松本市)  

◆知られざる会田一族の栄華◆

会田氏(岩下氏)といえば、海野平に覇を唱えた滋野一族の支流で、旧四賀村(現在は松本市へ合併)を領域とする豪族でした。
戦国時代の動乱において中信濃の侵略を目指した武田晴信の攻撃に遇い、三大勢力であった小笠原氏が塩尻峠の戦いで敗れて逃亡すると、抵抗むなしく武田に降ります。

虚空蔵山城跡 (15)
↑虚空蔵山城全景(山頂は1139m)

武田氏滅亡後は上杉景勝配下の武将となるものの、徳川の後ろ盾で旧領を回復した小笠原貞義によって攻められ滅ぼされました。

虚空蔵山城跡 (9)
↑この城の道無き攻城戦記はいずれまた・・・(って、いつになるやら)

昨年、虚空蔵山城の麓で地元の4つの学校を統廃合した新小学校の建設予定地である会田地籍で、造成工事中に中世の居館跡と、その石垣跡が発見されました。
(長野県に住みながら、全く知りませんでしたー反省・・・)

以下は平成21年の松本市立考古博物館発行の新聞より抜粋

「会田氏の居館発見か?」

所在:会田536 番地(旧会田運動広場)
調査期間:平成20 年9 月7 日~現在調査中
調査原因:四賀統合小学校建設のため。
殿村遺跡は、縄文時代の遺跡として以前から知られていました。学校建設が決まり、5月に行われた試掘調査の結果新たに古代~中世の遺構が発見され、大規模な本調査が行われることとなりました。

☆見つかった遺構
①中世の石垣 2 箇所
見つかった土器から、15 世紀頃(1400 年代)に造られたものであることが分かりました。この時代の石垣の発掘はこれが初めてです。石垣の裏側には、水はけを良くするためグリ石と呼ばれる小さな石が込められますが、この石垣はその技術が用いられる時代より古く、大きな自然石のみで構成されていました。高さ1.2 mほどで垂直に積まれ、グリ石もなく、頑丈な石垣とは言えません。しかし、石垣が用いられることがまれであったこの時代のものとしては、これだけの石垣を築くことができた人物はかなりの権力者でしょう。
会田城がしっかり望める位置であることや、館の存在を示す「殿村」という小字、また急斜面を平らに整地し、石垣を築くという大土木工事の跡から、この場所は、当時この地を支配していた会田氏の居館に関係する遺構である可能性が考えられます。しかし残念ながら、それを確実にするような遺物は見つかっていないため、まだ推測の域を超えません。

②中世の石列 4 箇所
 用途は不明ですが、石垣の層よりひとつ新しい時代の層から見つかりました。

③屋外調理施設 
屋内のカマドではなく、屋外での調理の跡が見つかっています。使い捨てられたのか、内耳鍋(ないじなべ)と一
緒に周りには炭が残っていました。

④その他
 柱の穴やゴミ穴など、大小の穴が多数見つかっています。

☆見つかった遺物
各遺構から25 枚の銭が出土しています。そのうち12 枚は礎石の下からまとまって見つかりました。
大量の箸など木製品も残りが良く、その他に土器や硯も見つかっています。

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【らんまるの感想文】

発見された当初は、「遺跡の調査保存より小学校の建設を優先すべきだ」という建設業者と癒着した方々の意見が多数だったようですが、その後すぐに松本市と合併となり、松本市長は「遺跡の発掘調査と保存を優先し、小学校は別の移転先を早急に検討する」という決断を下しました。(すごい英断だ!拍手喝采!!)

東国で「一乗谷朝倉遺跡」に匹敵する遺構が確認されれば、中世における信濃の歴史の謎が一つ解き明かされる。
全容が解明されるのは、これから本格的な発掘作業をへて20年後かもしれない。

虚空蔵山城跡 (35)
↑信州の山奥の旧四賀村に東国の小京都が存在したなんて、浪漫ですよネ。(虚空蔵山城から四賀村方面)

貴重な遺産が破壊を逃れた事に一安心でござりまするw・・・(笑)

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Posted on 2010/08/01 Sun. 20:01 [edit]

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