らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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須々貴城(上田市)  

◆上田原合戦で村上義清が本陣を置いた城◆

よーく考えたら自宅から一番近い城跡を掲載していない事に気がつく(笑)

いつでも掲載出来るからいいか、と思いつつロクな写真も撮っていないので改めて違うルートで攻城。

意外な発見があるのに驚く。やはり城跡は三度以上訪れなさい!という鉄則はホントらしい(爆)

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須々貴神社(すすきじんじゃ)の鳥居が登り口。

この地に居を構えて22年になるのだが、らんまるの自宅の場所は上田原合戦の激戦地で、近くには武田軍の重臣だった板垣信方公の墓所がある。

毎年二年参りと称して、大晦日から元旦にかけて墓所に詣でてらんまる家の武運長久を祈っております・・?

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鳥居を潜ると、斜度50度以上の石段(596段あるという・・ご苦労なこったぁ?)

いつもはこの階段を瀕死必死な勢いで登るのだが、今回は手前を右に折れて軟弱男子用の大手道を登る。

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実は、この場所は地元では天白山(てんぱくさん)と呼ばれており、らんまるの自治会が整備をしているという。
(参加したことが無いので、村八分になりそうです、ハイ。)

大手道でも息絶え絶で登ると途中に凄い長さと深さの竪掘りを発見。尾根から麓まで貫通している。

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城域の北側にある唯一の竪掘り。斜面の東側をイッキに貫いている。感動した!

大手道を登り城域の尾根に着くと、北側の郭と思われる平坦地がある。ここも初めて訪れた。

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石段を登り詰めた場所と高台の社、その南側山頂にある本郭しか知らなかったので勉強になった。

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↑石段の頂上にある郭。この北側に連続する郭が存在する。

≪上田原合戦≫

天文十七年(1548年)二月、信濃攻略を進める武田晴信と葛尾城を本拠とした信濃豪族連合軍の盟主村上義清が激突したのが上田原合戦である。
この時、武田晴信は小牧山の倉升に本陣を構え、対する村上軍は天白山に本陣を構えて采配を振ったという。

最初は武田晴信が戦局を有利に展開するが、地の利のある村上方が形勢を逆転し武田方では板垣信方、甘利虎康などが討死し、晴信自信も負傷する敗北を喫する。

武田方の兵力約八千、対する村上方の兵力は七千だったと云われ、村上軍に馳せ参じた北信濃や東信濃の反武田の諸豪族が結集した壮絶な戦いだったという。

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須々貴神社の社に登る参道。物見台か烽火台であったと思われる。

合戦終了後も二十日余り対陣した晴信は諏訪の上原城へ引き上げるが、敗戦の動揺は隠せなかったらしい。

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物見台とおぼしき郭からは村上支城群が見渡せます。

そして武田晴信の本陣である倉升方面。

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若気の至りで突き進む武田晴信と老獪な外交術を持つ村上義清の駆け引きは、砥石崩れまでは村上の勝利でしたが、その後に学習効果を得た晴信の独壇場へと変化します。

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最高地点にある本郭。

千曲川を挟んだ対岸の和合城とともに、村上の東信濃の防衛拠点だった須々貴城でしたが、その後の利用価値は薄れていったようです。

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↑上田 道と川の駅から望む須々貴城

≪須々貴城≫  (すすきじょう、別名:天白山城)

場所:上田市下之条天白山
標高646m 比高576m 比高150m
攻城日:2010年11月13日
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:竪掘り、堀切、土塁、腰郭、社からの眺め
時間:山麓の鳥居から20分弱で城域へ。
その他:石段はかなり傾斜がキツイので転落の危険あり。雨や雪の日の攻城は危険なので注意してください。

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須々貴城全景。右奥の山は城山と呼ばれ小泉上の城跡。

Posted on 2010/11/27 Sat. 21:57 [edit]

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