らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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砦山城(長野市)  

◆甲州流の築城方式のミニ要塞◆

こんばんは。毎週、年がら年中「文化の日」のらんまるでございますw(笑)

本日も北信濃を三ヶ所攻城してまいりましたが、ファイルが溜まる一方で、掲載が追いつきません。

こういう状態をこの地方の方言では「ずくが出ねぇ」と云いますが・・・(爆)

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↑居館跡ではないかと云われる砦山城の隣りにある天宗寺。

前回の笹久砦の記事で浅野井先生の記事を紹介しましたが、氏がこの城を発見されたのは昭和54年の長野県による文化財保存事業における中世城郭遺構総合調査の時であったという。

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天宗寺の西側の林の中が砦山城の城域

永禄元年(1558年)、武田晴信(信玄)は長尾景虎(上杉謙信)に備え、柏鉢や東条(尼巌城)には真田幸隆・小山田信行を在番させ、大岡城の籠城番手衆として市川梅隠斉や青柳氏を命じたという。

浅野井先生は「大岡の何処に籠れば良いのか?」という疑問を前提に調査を行い、小松尾城では西側に偏りすぎていてとても籠城すべき場所ではないし、もっと東側だったという仮定をもとに数回訪れた天宗寺で、住職の話から偶然にこの城の存在を発見するに至ったようです。

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↑浅野井氏による砦山城の縄張図

実は僕も事前に下調べせずに出掛けて、天宗寺=砦山城と思いこんでしまい、お寺の北側周辺を調べて見当たらず(大きな土塁が寺の裏側にある事や何故か稲荷神社があることは発見したが)周辺を不審者のようにウロウロしながらようやく発見に至ったのであります(笑)

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↑北側の桝形(?)から本郭へ

なるほど、木々や藪、雑草で埋もれているが40m四方形で砦と呼ぶのがふさわしいと思われる。おまけに南側の虎口には三日月堀があり、周辺の堀に水を引き入れれば立派な甲州流のミニチュア城になりますネ。

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写真で撮影しても何だかよくわからなくなるが、堀を掘った時の土で高土塁が周辺に巡っています

西側に馬踏み様の高土塁を築いたのは、城域を隠す為だったのではないかと浅野井先生は推測されてます。

恐らく天宗寺に城館があり、籠城に備えたものかもしれません。

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砦から天宗寺への連絡通路。かなり広い平地だが、小運動公園だったらしい。

残念ながら天候が小雨で見晴らしは良くなかったが、この場所から南に笹久砦、東には小松尾城が見えるという。

高地性集落の城は城館と一体になっているケースが多く、この城も例外ではないだろう。

武田晴信は、牧之島城や更埴に通じる大岡をかなり重要視していたのは、高白斉記でも記載されている。

現地に立つと「とりあえず甲州流で作ってみました!」って感じのミニミニな砦です。

≪砦山城≫(とりでやまじょう 大岡城)

場所:長野市大岡鳴沢 天宗寺西側の林
標高930m 比高40m
攻城日:2010年10月31日
時間:天宗寺に車を止めて5分
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:甲州流のミニ砦。三日月堀、馬踏み様土塁
その他:ここまで来るなら小松尾城、和田城、牧之島城などとセットでの訪問がお勧め。



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Posted on 2010/11/03 Wed. 19:12 [edit]

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