らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1122

姫城(坂城町)  

◆最終防衛拠点として改修された?葛尾城の支城◆

上田市と坂城町は、江戸時代に北国街道が整備され明治になって国道が開通したこともあり現在では容易に行けるが、それまでは室賀峠を越えるか千曲川を舟で移動する方法しか無かった。



天文十七年(1548年)二月の上田原合戦での村上軍は室賀峠を越えて須々貴城付近に布陣している。

二度の敗戦で村上義清が意外に手強い相手と知った武田晴信は、葛尾城を力攻めにする事を諦めて、中信濃から攻めて村上に同調する周辺勢力の各個撃破を行い包囲網を狭める。

hime (10)
馬場と呼ばれる姫城北側尾根筋の平坦地(かなりの広さ)

天文二十二年(1553年)四月、村上方の属将であった屋代政国と塩崎氏が調略により武田晴信に味方する。

領地を接する塩崎氏(篠ノ井付近)と屋代氏(現在の千曲市周辺)の離反は、善光寺平の反武田勢力の支援を不可能にしたので、村上義清に深刻なダメージを与えるに充分であった事は容易に想像される。

IMG11121.jpg
↑坂城町教育委員会作成の縄張り図

室賀峠の抑えである対岸の狐落城の防備を厳重にして、本城の葛尾は姫城に改修を加えて防禦力と兵力の収容規模を上げたものと思われる。

hime (11)
↑楕円形の三の郭から二の郭。あまり高さは無い。

東側の斜面は傾斜がきつく本郭の南側は千曲川への断崖なので、東側に段郭を広げその先に土塁や竪掘りを構築しようとしているが、中途半端で終わっている。

hime (12)
↑縄張り図のタの堀切。向こう側が本郭。

hime (15)
↑本郭跡。指揮所というよりは物見台であったのだろう。

hime (18)
縄張り図チの堀切。南側の千曲川崖からの攻撃はあまり想定しなかったのか、かなり浅い。

村上配下の武将の大須賀氏が武田氏へ内通し、不意を突かれた児島兄弟の守る狐落城が落城する。
武田晴信による葛尾城の攻撃が始まると、村上義清は後詰めの無い籠城戦を諦め葛尾城は自落。高梨氏を介して越後の長尾景虎を頼る。

hime (7)
姫城の西側には広大な段郭があり、その先には土塁とおぼしき防禦施設が一部残る。

村上、高梨、井上、島津、須田、栗田などの北信濃諸豪族の支援要請を受けた長尾景虎は、武田晴信軍を更級郡八幡で破り葛尾城を奪回。諸氏の旧領を回復する。(第一次川中島合戦)

七月に村上義清は塩田城に入る。葛尾城を本拠にしなかったのは、地元の豪族に愛想を尽かしたという説もあるが、依田窪地域が反武田で結束していた事や、塩田城の防禦能力や軍事行動拠点としての利便性を見越したのであろう。(らんまるとしての独自意見だが)

八月、佐久の内山城に入った武田晴信は、電光石火の如く依田窪地方の諸城を降し塩田城に迫る。村上義清は再度長尾景虎を頼り越後へ落ちる。

jiji 011
塩田城全景。北向きのあまり日の当らない城です(余計なお世話?)

話が姫城から逸れてしまいましたぁー(笑)

この城は葛尾城とともにその後も利用されて、1600年頃まで改修されたようです。

hime214.jpg

≪姫城≫ (別名:矢場佐間山城?)

場所:坂城町坂城
標高646m 比高256m
攻城日:2010年11月?日
お勧め度:★★☆☆☆
見どころ:堀切、土塁、腰郭、尾根途中の天水溜めなど
その他:葛尾城までの往復はキツイので準備運動と体力に余裕を持って攻城しましょう。(比高159m)







スポンサーサイト

Posted on 2010/11/22 Mon. 23:59 [edit]

CM: 4
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top