らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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井上城(須坂市)  

◆名門ゆえの悲哀を伝える井上一族の居城◆

ここ二日間、ぎっくり腰で休養せざるを得ない状況(笑)。

もともとヘルニアとながぁーいお友達でしたが、最近交流もなくホッとしていたのが災いの元。
友人は突然復縁を迫って来ます。女性なら大歓迎ですが、ヘルニア様はちとご遠慮願いたい・・・(爆)

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宮坂武男先生の井上城縄張図。今回の写生は神を冒涜しそうなので遠慮しときました(笑)

≪信濃源氏 井上氏≫

清和源氏多田満仲の子源頼信が、長元元年(1028)関東の下総で起きた年平忠常の乱を平定して東国に勢力を張り、二男の頼季が信濃に封を得て、嫡男満実とともに長久年間高井郡井上に来住し、地名をもって名字とし井上氏の祖となったという。

木曽義仲の挙兵に際し、横田河原の戦いで信濃源氏の代表格として扱われたが、どういう訳か義仲の上洛には追従せず。頼朝に従ったらしい。

しかし、この行動が頼朝の疑惑を招き当主の井上盛光は駿河で謀殺される。

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井上家は分家として保科、高梨、須田、桑洞、時田(常田)などを持つが本家は鎌倉時代には衰退してしまい、室町時代の大塔の乱で井上光頼の名が須田氏や高梨氏とともに名が見える。

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小城本郭。見晴らし小屋とも言える場所で、加工度は低い。

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小城より高梨氏の前衛拠点だった苅田城方面。

関東管領上杉氏と越後守護職の長尾氏の戦いに巻き込まれた井上氏は、越後長尾氏に加担するが同時に分家の高梨氏との領地争いで体力を消耗していく。

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大城へ向かう途中の三重の堀切。

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イマイチ加工度は低い。

武田晴信の侵攻を防ぎきれず高梨氏と共に長尾景虎を頼り越後に逃れ、その後は長尾氏の家臣になったと云われる。

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大城の本郭。東側に大堀切を備えるが、中世城域の作りであり特に手は加えられていない。

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本郭の背後の大堀切。一重で仕切るのは、築城当初の姿を留めているのかもしれない。

北側の支城とされる竹之城は、最も新しく武田流と思われる改修が随所に見られる。
この地を制圧した武田軍が対高梨(=上杉)に備えたものと思われる。

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この説明図は大堀切の近くにあるが、本城跡に掲げなければ意味が無いと思うのは、らんまるだけ?

しかし、東側にある二つの尾根筋の曲輪には、高度な加工の堀切が存在する。

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岩壁をくり抜いた上巾3mの堀切。竹之城からも確認出来る大掛かりな深い堀切。

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東側の尾根にある最終の堀切。埋まりかけているのものの、巾は広い。

恐らく東側の尾根筋は武田による改修であろう。井上集落の東側は戦国期の主要な峠であり、高梨に備えたものかもしれない。

井上家は存亡の危機にありながら、上杉家臣となることで戦国時代を生き残り家名を存続させる事が出来た。
北信濃の豪族は謙信の義を生涯忘れ得なかったに違いない。

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≪井上城≫ 

築城年代:不明
築城・居城者:井上氏
場所:須坂市井上 長野須坂インターから車で5分。 標高520m比高180mで所要時間30分。
攻城日:2010年11月7日
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:土塁、堀切、城址からの展望。
その他:井上氏居館跡、井上氏墳墓、竹之城と見どころは多い。

Posted on 2010/12/28 Tue. 23:21 [edit]

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