らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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尾野山城(上田市)  

◆幾多の戦禍に巻き込まれた城◆

気がつけば、三日連続の掲載。そのうちネタが尽きて二週間ぐらいは消息不明になるかも・・・(笑)

上田市の千曲川左岸の小牧山と呼ばれる山稜には、右岸の虚空蔵山系には及ばないがいくつかの城が点在する。

築城年代の不明な小牧山城、東の尾根には、尾野山城とその支城と云われる三日城、茂沢城(笹谷城、伊勢山城とも)、孫台などがある。

尾野山城 (3)
尾野山氏の居館跡から望む尾野山城全景。

千曲川と依田川の合流地点の南西の丘陵にある尾野山城は、この付近の豪族だった尾野山氏の築城とされる。

ここからのロケーションは素晴らしいもので、浅間山麓から虚空蔵山を一望に捉える事が可能であり、その場所故にこの地を抑える為の争奪戦が起き、幾多の戦禍に巻き込まれたのは致し方の無い事かもしれない。

尾野山城 (11)

尾野山城 (12)

天文十年(1541年)五月、武田信虎と諏訪頼重そして村上義清の連合軍は、海野氏討伐の軍を起こし、海野棟網
の守将だった尾野山氏の籠る尾野山城を攻めて落城させる。

海野氏の居館のある海野平が一望出来る尾野山城を奪取すれば、敵の動きは一目瞭然であり戦局は有利に進められると判断した連合軍は、「さすがの猿飛び」かもしれない(笑)

尾野山城 (5)
山麓の炭焼き小屋から尾根伝いに登ると神社の鳥居があり、そこから城域となる。

連合軍は海野平で海野氏と合戦になり大勝。海野棟網は上州の関東管領上杉憲政を頼り落ち延び、海野方だった祢津氏と矢沢氏は連合軍に降伏する。(諏訪一族の神一族であるという事で彼等は赦免となる)

尾野山城 (17)
本郭跡に建つ社殿。北側に腰曲輪がある。

落城後の尾野山氏の動向は定かでないが、晴信の時代に武田に属していた事は、生島足島神社にある信玄宛ての起請文に「尾山 六騎」とあることから知る事が出来るが、他の豪族の騎数に比べて極端に少ないので衰退が激しかったと推察される。

尾野山城 (16)
本郭背後の三条の堀切の一部。村上系に比較するとかなり浅いが、真田時代に修復されたと思われる。

武田氏滅亡後、徳川による真田征伐の第一次神川合戦が行われるに及び、上田城攻略に失敗した徳川軍は塩川地籍に陣を張る。

真田昌幸は尾野山城に兵三千を率いて籠り、三日城を修復して徳川を牽制し長瀬地区で小競り合いに及んだという。(兵数は誇張の数字だとおもわれるが・・)

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尾野山城縄張り図。「信州の山城~信濃史学会著より転載)

小県地方の戦国期の悲哀を刻んだ城跡に立つと、ふと「ものの哀れ」という日本語の美しさが胸に沁みる。

尾野山城 (2)
ふもとの国際音楽村から依田窪方面。丸子城攻略にも失敗した徳川軍の心はいかに。

≪尾野山城≫

標高760m 比高差100m
築城年代:室町時代~
築城・居城者:尾野山氏、真田氏
場所:上田市生田
攻城日:2009年2月1日
お勧め度:★★☆☆☆
見どころ:堀切、土塁
その他:茂沢城、孫台、三日城が支城とされるのでセットでお勧め。



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Posted on 2011/03/05 Sat. 23:57 [edit]

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