らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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海ノ口城(南牧村)  

◆謎の多い武田晴信(信玄)初陣の山城◆

東北太平洋沖大震災から一週間が過ぎました。

何の力にもなれないらんまるですが、小諸市にある正眼院で難を逃れた多くの方のこれからの幸を願いました。

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↑平原城跡に建つ正眼院には、願えば運命が良くなるというありがたいお釈迦様があります。

本日も小田井城(御代田町)~平原城~愛宕山城と攻城していますが、城跡から「願い」を念じております。


≪平賀源信(源心)が籠城したのは本当だろうか?≫

天文五年(1536年)11月に武田信虎が佐久に侵入した際、信州海野口城を34日間に渡り囲むが落とす事が出来ず、大雪の為に甲府へ引き返す途中、殿軍を願い出た16才の晴信が手勢三百人を引き連れて海野口城を急襲する。
守将の平賀源信以下城兵は酒宴の最中で、悉く討ち取られ落城したという。

甲陽軍艦に記載されている晴信初陣の手柄を立てた城と云われるが、疑問点は多い。

海ノ口 (43)
↑JR小海線佐久海ノ口駅から約500mぐらいに登山口がある。

海ノ口
↑登り口に駐車場があるらしいので車で林道を強引に進む。途中スタックしそうになり冷汗。乗用車は無理かも(笑)

今回も家人と同行二人。何とか駐車場に辿り着くが、すでに帰りが心配だ!(爆)

そもそもこの地域は伴野氏の庄なのに、伴野氏と敵対してきた大井氏系の平賀氏が本城からこの地まで出張る必要があるのだろうか?

海ノ口 (3)
↑風林火山効果もあり道は整備されたようだが、登山道の傾斜は結構キツイ。


また、海ノ口合戦は「妙法寺記」「高白斎記」には記載が無い。


海ノ口 (6)
ようやく尾根にへばり付く。どうやら次は残雪との戦いになる予感・・・

平賀源信の実在についても疑問を呈する研究者は多いらしい。

彼は七十人力の大剛強の兵で四尺三寸の長刀使いだったと伝える物語もあり、初陣で彼の刀を手に入れた晴信は、そののち子の勝頼に刀を譲ったと云う。

海ノ口 (7)
城跡に向かう稜線。途中二ヶ所に手の加えられた浅い段差がある。アイスバーンの恐怖(笑)

海ノ口 (42)
↑稜線の最初に現れる3×6程度の曲輪。出丸のようだ。

海ノ口 (11)
本郭を取り囲む腰郭は高い段差をつけているが、天然なのか加工したのか判別が難しい。

海ノ口 (18)
天然の巨石で囲まれた本郭。二十人ぐらいなら宴会OKだ!(爆)

ここから3㎞も南に進めば野辺山高原。その先は清里なので佐久口の防衛拠点だった海尻城の支城だったというのは間違いないと思われる。

海ノ口 (35)
展望台から八ヶ岳連峰。見張り台としては文句無い立地条件。

海ノ口 (23)
本郭の東側は天然の大岩背後に大堀切がある。上巾7m以上で圧巻の見応えだ。

海ノ口 (24)



大堀切を越えて東側の尾根伝いに進むと2本の堀切が確認出来るが、かなり浅い。

海ノ口 (30)

本郭の南側には数段の腰郭が確認出来る。

海ノ口 (40)

海ノ口 (39)

堀切以外はあまり手を加えられた跡が無い。籠城すればそれなりに持ちこたえる事が出来そうだが、武田信虎がわざわざ一ヶ月もかけて包囲して落とす価値のある城とも思えない。

信玄公の初陣伝説にケチをつける気はありません。平賀源信も胴塚や首塚があるので実在したかもしれません。

真相は謎のままがいいですねぇ~、妄想も膨らむ事だし・・・・(爆)

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↑おお、やはり宮坂先生の鳥瞰図は素晴らしい。

≪海ノ口城≫ (うんのくちじょう、うみのくちじょう)

標高1300m 比高差約210m
築城年代:不明
築城・居城者:井出氏?平賀氏?
場所:南佐久郡南牧村海ノ口
攻城日:2011年3月6日
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:大堀切、郭、展望台からの眺め
その他:海尻城も近いのでセットでお勧め

海ノ口 (44)
海ノ口城全景

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Posted on 2011/03/19 Sat. 19:50 [edit]

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