らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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小田井城(御代田町)  

◆叛く佐久の意地を見せて散った尾台六郎の要塞◆

山梨県の方には悪いが、信州人の7割は武田信玄公が嫌いだという。

小豪族が犇めき合って信州を統一する気構えの武将がいなかったのは事実だが、征服者がこれほど好き勝手に荒らしまわった事への嫌悪感は、祖先の深い恨みがDNAとして信州人に継承されたのであろう。

【立て籠もるには広すぎた未完成の城】

小田井城は、御代田町小田井宿近くの三方向を谷に囲まれた崖上の自然要害にあり、当時の御代田一帯の盟主尾台(小田井とも)六郎福親が大永年間(1521~1526)に築城したのが始まりという。

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北側にある虎口から南側が全て城域となる

城域は20haを越え、周辺には長倉、金井、戸谷の3つの砦を持つ。
東側は久保沢川の流れる深い谷、西側は井戸沢川の渓谷、南は断崖という地形は攻めるに難しく守るに容易な立地条件であることが現地を見なくとも地形図からも判断出来る。

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宮坂先生の縄張り図。小諸市にある耳取城や平原城に次ぐ広大な平城だったことが分かる。


防禦の要であった北の虎口にはW型の厳重な空堀が施され、その作りには驚きよりも感動を受けました。


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巾15m深さ5m以上ある空堀の堀底には敵の侵入を遮る為に更に2m以上の高さの土塁を築きW形にしている

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↑西へ続く広大な空堀は久保沢川の深い渓谷へ続いていて、かなりの落差がある

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大手土橋の東側の空堀は貯水ポンプ場が設営されたのでかなり改変されてしまい、W形の堀も消滅しそうだ

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東の空堀は井戸沢川の断崖へ続いている。

いわゆる「田切」と呼ばれた天然の断崖を利用した城なのだが、小規模の兵力で籠城するには広すぎて不向きであり、加えて急ごしらえの防禦施設(L字の堀切など)は大軍の力攻めには何ら役に立たなかったと推察される。

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↑三の曲輪と二の曲輪を仕切る空堀。当時はもっと深かったに違いない

この城が落城したのは天文十三年(1544年)十二月。時の城主尾台(小田井)又六郎は、その才覚を武田晴信に惚れこまれて臣下になる事を勧められたが、これを拒否し、十二月十五日には板垣信方の大軍に攻撃され、奮戦空しく弟の二郎左衛門ほか全将兵が討死したという。(信州の古城~小山岳夫氏の記述より)

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西側の4の曲輪と2の曲輪にあるL字堀。破壊されずに残していただいた事に感謝する

その後、抵抗を続けた佐久の豪族は、天文十五年に内山城の大井貞清が降伏、翌天文十六年には上杉の援軍を頼りに志賀城に籠城していた笠原繁清が凄惨な最期を遂げて武田の支配下となる。
(上州の上杉援軍と武田軍の戦いで有名な小田井原合戦は、この近くの金井城付近であったと伝えられる)

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本郭の北側に隣接する「マイマイ井戸」と呼ばれる擂鉢状の窪み。かつてはもっと深く井戸が掘られていたらしい

武田氏が滅亡し織田信長が横死した激動の天正十年(1582年)、小田井城は一時北条方の支配下になったが、徳川方の依田信蕃に攻略され、のちに廃城となる。

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マイマイ井戸の土塁から本郭方面。皮肉にも戦禍を逃れた平尾氏の平尾城が間近に望める。

近年の発掘調査では、広大な城域を持つ城の区画がいくつかあるが、本郭以外には造成された痕跡や建物があった跡は確認出来なかったという。これだけの規模にしては、堀が少なく、武田の侵攻に対して普請が間に合わなかったのだろうという意見も多いと云われている。

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マイマイ井戸から北の大手方面と背景の浅間山

確かに北側の虎口さえキチンと防禦出来れば難攻不落だったと思うが、圧倒的な兵力で攻めてくる武田軍は尾台又六郎の想定外の敵だったかもしれない。

素手でブルドーザーに立ち向かう無謀さを覚悟して武田軍の前に散った又六郎の勇猛さは、佐久武士の最後の意地だったに違いない・・・・。

≪小田井城≫

標高778m 
築城年代:戦国時代
築城・居城者:尾台氏
場所:北佐久郡御代田町城児玉
攻城日:2011年3月19日
お勧め度:★★★★☆
見どころ:W形大堀切、郭、土塁
その他:付近には金井城(遺構はほとんど無い)、平尾城

※参考文献:信州の古城~城跡と古戦場を歩く~小山岳夫氏の記載(郷土出版社)








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Posted on 2011/03/25 Fri. 22:16 [edit]

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