らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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第四次川中島合戦のジオラマ  

★松代PAにある素敵なジオラマ★

戦国史上、最大の激戦と云われた第四次川中島合戦。

武田軍の死者四千六百余名、負傷者一万三千余名。上杉軍の死者三千四百余名、負傷者六千余名。甲越合わせて三万二千名の約83%にあたる二万七千余名が死傷したといわれる最大規模の合戦。

小生も知らなかったのだが、上信越道の松代PAには第四次川中島合戦をモチーフにしたジオラマがある。

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妻女山から霧に紛れて移動した謙信公。壁田城にある謙信公の画像とは違い、凛々しさ満点!

参考までに壁田城の社に飾られた絵画。これはこれで味わい深い・・(笑)

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この絵画によると、ゾンビ対ゾンビの合戦だったらしい・・・(汗)

三度目までは双方が我慢したが、どうしても決戦は避けられなかったらしい。

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鉄扇で応戦する信玄公の貫禄はさすが・・・(ってか、リスク対策に欠陥ありでしょ)

啄木鳥の戦法を見破り、早朝の霧に紛れて妻女山から下り雨宮の渡しで千曲川を渡った謙信公は、信玄公の本陣に迫り「車懸りの陣」で奇襲を仕掛ける。

※ちなみにこの戦法とその名前は大好きで、聞く度に心が戦慄に震えます(って、可笑しいですかぁ?)

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良く出来たジオラマ。(鞍骨城はモノホンの位置です)

徹底した殲滅戦を敢行する上杉軍に対して、鶴翼の陣で防戦する武田軍は風前の灯状態。

信玄公の首級にあと一歩まで迫りながら、妻女山の別働隊の援軍の出現に劣勢となる上杉軍。

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丁寧なジオラマの図解は共感が持てます。

奇襲戦は引き際のタイミングが肝要なのだが、謙信公は深入りし過ぎてしまったようだ。

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心トキメク車懸りの陣形。

前半戦は上杉軍が有利に合戦を進め、後半は撤収する上杉軍を武田軍が追尾するという皮肉な結果になる。

まあ、そういう歴史的な細かな事実は知らなくても雰囲気の判るジオラマは秀逸です。

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謙信公の本陣

武田軍の追撃を振り切り、僅かな馬廻りの家臣と共に飯山経由で脱出した謙信公ですが、「大将が生き延びる事の大事さ」を知っていたのはさすがです。

その後、リベンジの為に何回か川中島に繰り出すが、双方ともに味方の損傷を恐れて決着が着けられなかった事は史実が語るところでもある。

ちなみに謙信公が最初に本陣を置いた「妻女山」は江戸時代以降の名称であり、「甲陽軍艦」や戦国時代の古文書では「斎場山」というのが正式な表記であると云う。(音表記では西条山とも)

故郷遠く離れた戦場で妻を想う兵士の気持ちが妻女山という名に由来するらしい。

ロマンチックで結構な由来だと思います。

川中島合戦の動画の秀作はこちら川中島の戦い

≪松代PA 川中島合戦広場≫

場所:長野市松代町 上信越道松代上りPA
標高:
築城:日本道路公団?
攻城日:2011年4月28日
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:松代周辺は古戦場と城館の宝庫です。

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Posted on 2011/04/30 Sat. 23:02 [edit]

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