らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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金井城(御代田町)  

◆謎ときの答えはゲートボール場に眠るという破壊された城◆

前回紹介した小田井城の支城と云われる金井城は、小田井城の南西にほぼ隣接する。

この城に関する伝承は少なく実態は不明だったようだが、昭和63年の発掘調査で全容が明らかになったという。

工業団地の造成と長野新幹線の開通で遺構がほとんど壊されてしまい、当時の威容を知る事は不可能になったが、その前に発掘調査が行われたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

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↑東側を流れる湯川から本郭方面。田切と呼ばれる断崖を利用した縄張り。

例の如くプロフェッサーのあおれんじゃあ様の記事に刺激されて、何もなくても行ってみたい熱病を発症(笑)
北緯36度付近の中世の城郭~佐久地方の城

「本当に何もない・・・・(爆)」

その昔、ヤングだったと思わしき大勢の方が本郭であった場所でゲートボールに興じている・・・(失礼)

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左側は長野新幹線の線路。右側の一段高い場所が本郭跡だという。

リュックを背負い、地形図とデジカメとコンパスを持って乱入したらんまるは完全に場違いであり、冷たい視線を浴びたのはいうまでもない(笑)

「市民を巻き込む平城の攻防戦は、TPOを間違えてはいけない・・・・」(汗) 時すでに遅し。

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↑本郭跡のゲートボール場

発掘調査によると、この城の城域は20haを越え、国内でも屈指の巨大中世城郭だという。扇形の縄張りは弓型に幾重にも空堀を施し二の曲輪、三の曲輪を配置し北側には浅い谷を隔てて北曲輪がある。
二の曲輪と三の曲輪には建物が集中し、掘立柱と竪穴の建物が共存した跡があり、上位曲輪に近づくほど建物に違いがあり、階層による区別がされていたようだ。

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調査時の出土品は15~16世紀の物で、城域からするとさほど多くなく調理具が全域に渡って出土していることから、臨時の逃げ込み城では無かったと推定されている。

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本郭と北郭の境にある窪み。恐らくこの延長に空堀があったのだろうが、あさま号が通過して不明。

発掘調査から推定される城の変遷だが、尾台氏の勢力下では城域の狭い支城だったらしいが、武田氏の支配下になると拡張され佐久方面の駐屯地(宿城)に利用された可能性がかなりあるという。

佐久方面から北信濃へ大軍団を移動していくには、前山城、内山城、勝間反砦(一説には桜井山とも)では収容出来なかったのかもしれない。

武田氏滅亡後、徳川による佐久支配に抵抗した市河某が金井砦に籠ったらしいが、依田信蕃の小田井城攻略の際に抗しきれず上州へ逃げ、その後金井城は廃城になったという。

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主郭の南側に残る空堀跡(?) 崖の下に続く道の果てには何故かテニスコートがある。

今となっては開発という大義名分の元にズタボロとなり果てた金井城。

是非、老人の憩いの場であるゲートボール場を破壊して、本郭の発掘調査をお願いしたい(笑)

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↑昭和63年の航空写真。破壊される前に訪れてみたかった(悔)

≪金井城≫

標高749m 
築城年代:戦国時代~
築城・居城者:不明
場所:佐久市小田井
攻城日:2011年3月20日
お勧め度:★★☆☆☆
見どころ:本郭跡のゲートボール場
その他:付近には小田井城、中仙道小田井宿場跡

※参考文献:定本:佐久の城~小山岳夫氏の記載(郷土出版社)

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↑こうして見ると在りし日の姿が浮かびます。











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Posted on 2011/04/05 Tue. 23:04 [edit]

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