らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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平原城(小諸市)  

◆破壊が進む巨大な迷路の要塞◆

信州=険しい山城というイメージが強いが、小諸・御代田方面は城館を拡張したような大掛かりな平地の城が存在する。

既にご紹介した小田井城や金井城、そして今回紹介する平原城、近隣の耳取城も広い城域を持ち城全体を惣構えとしている。その威容は城下町全体に防禦を施した近世の城郭に通じるものがある。

武田軍が侵入してくる前のこの地方は、逃げ込みの為の要害など必要の無いユートピアだったのかもしれない。

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小諸市平原にある曹洞宗正眼院の東側が平原城の城域。

平原城は国道18号線の平原交差点から北側の田切地形の台地を利用して築かれた複雑な地形を利用した迷路のような巨大城郭である。

西側は、現在正眼院のある場所が外郭と推察され、複数の曲輪と空堀を組み合わせている。現在この城域は工場造成や宅地化が進み、曲輪も空堀も破壊が進んでしまい、調査すらされないまま放置されている。

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曲輪一つには今も祠が残る

この広大な城内に有利小屋城・秋葉城・太鼓城の内城が中央北から南に連郭を形成し、その回りに30余りの曲輪を築き外部からの侵入に備えていたとみられる。

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至る所に空堀の跡が見られる

平原城の成立や由緒はほとんどわかっていないという。
源平盛衰記には平原次郎景能(かげよし)や小諸太郎と共に木曽義仲に従い功績を挙げたと記されているが、平原大井氏の城館との関係はつかめていないようだ。

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↑古図を頼りに現地を探索するが、地形が変わり過ぎていてそれぞれの曲輪を特定するのは困難な作業だった。

「高白斎記」には、天文十八年(1549)武田信玄が鷺林城(佐久市常田)に陣を構えて平原城を攻め、城に放火したのち内山城へ引き上げたとある。

平原(依田)全真は、村上方に属して武田に抗戦しこの地に陣城を構えていたようだが、この攻撃により城が炎上してしまい、平原氏は武田に降る。

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↑南側の18号線から城域南の曲輪。

その後平原氏は、信盛の時に依田信蕃に属して岩尾城攻めや徳川秀忠による上田攻めに従い、徳川に出仕するに及んだという。

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東側の空堀跡は一部道路となっている

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内城の中心の秋葉城。耕作地と化してしまい、南隅の高台に稲荷社があるが朽ち果てている。

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秋葉城の南は太鼓城のはずだが、工場造成の為に破壊されて見る影も無い。

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有利小屋城跡(瓜小屋とも)。もはや面影のかけらすら無い。

失われた城域を縄張り図を元に1時間近く彷徨った。
休業していた整備工場の前を通り過ぎようとしたら警報装置が作動しサイレンが鳴り焦る(冷汗・・)
まさしく迷路にふさわしいトラップだ!(笑)

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↑城域北側の曲輪。食糧確保の為の耕作地も城に含めたというから、その名残りかもしれない。

≪平原城≫

標高760m 
築城年代:不明~戦国期
築城・居城者:平原氏
場所:小諸市平原 (国道18号線平原交差点の北東、正眼院の東側)
攻城日:2011年3月19日
お勧め度:★★☆☆☆
見どころ:複数の曲輪、空堀
その他:この時期は懐古園の桜が見事。運命を変えたいなら正眼院のお釈迦様に願うといいらしい。

※参考文献:定本:佐久の城~飯塚道重氏の記載(郷土出版社)

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荒廃の進む秋葉城にある稲荷社。平原城の鎮護神だったのだろうか。

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Posted on 2011/04/09 Sat. 10:52 [edit]

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