らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鷺林城(佐久市)  

◆武田信玄の鼓動を感じる前線基地◆

自分で言うのも何ですが、凝り性なので最近は小諸周辺の攻城戦。しかも平山城か平地の城館特集(笑)

先日アップした平原城で「信玄が鷺林城(さぎばやしじょう)に陣を構えて・・・」と記載したものの、「はて、そのような城は何処に・・」と思いマサハレ殿の城と古戦場の記事を頼りにイザ出陣。

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小海線中佐都駅の近くの踏切を北側に進みます。おお、踏切に「さぎばやし」の文字があるゾ

しかし、この時期、快晴の日曜日の午前中は絶好の耕作日和とあって、十人ぐらいの地元の農家が城跡付近に集結している。

いかにも怪しい風体をした「よそ者」がウロウロ出来る状態ではないので第一次攻撃を見送り、五霊城の総攻撃に向かう(笑)

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↑小海線によって副郭は分断され、二条目の空堀が破壊されたという

「お昼時なら、地元住民も引き上げるに違いない・・・」

今度は小諸市和田の工業団地方面からの攻城に切り替えるのだが、地形図を読み間違えてしまい徒歩で20分かけて城域に達する(爆)

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現在、東西に農道が通っている場所が南側の空堀跡と推測される。埋め立てられているが、当時は7m以上の広さがあり発掘調査では周辺から数棟の臨時の建物跡が確認出来たという。

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広大な二の曲輪。区切られているのは身分の違いで宿営地を分けたのかもしれない。

もともとこの城は耳取城の支城の一つだったのだが、耳取大井氏が武田に従った事に伴い、甲州街道交通の要(古東山道、岩村田道)として改修されたのであろう。

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三の曲輪方面。

城というよりは、寄宿舎(陣城)として機能したらしく、それほど厳重な防禦は施されていないが、武田流の二重堀切りが平地の城館にも縄張りされているのが特徴だ。

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勝間反砦(稲荷山城)、前山城を宿城として佐久方面の統一を目指した信玄は、小諸、御代田の諸城の攻撃の基地としてこの場所を改築し、新たな信濃攻略の駐屯地としたのであろう。

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本郭と二の曲輪の堀切

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二の曲輪と三の曲輪の堀切

今は畑となってしまい辛うじて遺構が残っているが、当時は駐屯の為の兵舎が並び威厳のある風景だったと思われる。

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↑信玄も見たであろう遠く臨む浅間山。

天文十七年(1548)に上田原合戦で手痛い敗戦を経験した武田信玄だが、新手を率いて翌年には佐久を再び蹂躙する。
鷺林城に立つと、不屈の精神で信濃制覇の野望に燃える信玄の鼓動が聞こえるようだ。

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北側の小諸市和田工場団地方面から見る鷺林城。田切を利用した崖際平城の構造がよくわかる。

≪余談≫

この城への訪問ルートですが、小海線中佐都駅からが一般的に紹介されています。
しかし、二次攻撃に参加し北の小諸方面から進軍したらんまるは、小諸市和田の浄水センター経由のルートが最短であることを発見しました。浄水場(信州名鉄の営業所隣り)から徒歩1分。
「線路で遊んではいけません」の看板を信じて歩いた20分がアホらしい・・・(爆)

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≪鷺林城≫ (さぎばやしじょう)

標高700m 
築城年代:不明
築城・居城者:下曽根氏、武田氏
場所:佐久市常田市村
攻城日:2011年4月10日
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:曲輪、土塁、空堀
その他:私有地の畑なので注意しましょう。






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Posted on 2011/04/12 Tue. 23:43 [edit]

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