らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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竹山城(長野市)  

◆海津城に最も近い石垣の防衛拠点◆

先週の日曜日は、上田市で行政書士事務所を開設されている青木先生の薦めもあり鷲尾城の攻城戦を敢行しました。サムライ左近法務事務所の備忘録

鷲尾城は古墳と山城を融合させた石垣の城で、信州にも素晴らしい先進的な城跡がある事を初めて知り感動しました。(攻城戦記はいずれまた掲載する予定ですが未定っちゅう事で・・・・)

この日はTBSドラマのJINの続編スタートで、市村正親演じる佐久間象山が登場するので長野市松代にある象山神社も探索することに。

象山神社の訪問日記はらんまるの多重人格日記と云われる「番犬ガルム」のブログ魔王、旅に出るをご覧ください。

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象山と呼ばれる小高い山が城跡。

松代は何度となく訪れて松代大本営の地下壕まで見学したのですが、この山が城跡と知ったのは清水長久氏の「続山城探訪」でした。

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例の如く下調べをしないので、象山神社から迂回して尾根の先にある民家脇から稜線を登る(笑)

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辿り着くと「立ち入り禁止の配水池」。脇を潜りぬけて行くしかあるまい。

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標識を見て愕然。「謀りおったか!」(爆) 配水池も曲輪だったのだろうか?

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途中に石段があるが、山頂の記念碑の為に作られたものであろう。

≪竹山城≫

この山はもともと象山(ぞうざん)と呼ばれ、佐久間修理が象山を号する由来となった山だが、真田氏が松代移封に際して竹を植えた事から竹山と呼ばれるようになったという。

松代町清野に本拠を置いた清野氏の同族である西条氏の要害城であったというのが通説で、清野氏が武田の信濃進出に伴いいち早く武田氏に降ったので、西条氏も同調したと推測される。

その後、海津城の防衛拠点として武田により改修が加えられたと見て良いだろう。

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二の曲輪の端にある展望台。当時も望楼があったのかもしれない。

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80m×20mの広さを誇る二の曲輪。桜のお花見に家族連れが来てました。

武田氏の滅亡後、西条氏は上杉の臣下となり景勝の転封とともに会津、米沢と移住し竹山城もその頃に廃城になったという。

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二の曲輪から本郭へ。堀切りは見当たらないが、壁面を石積みで囲んだ跡がある。

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恐らく本郭は周囲を石垣で囲まれていたと推測される。鞍骨城や鷲尾城とは時代が異なり比較的新しい。

山崎翁の記念碑の建つ本郭は20m×30mの楕円形。頂上からの展望は素晴らしい。

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サイレン装置は止めて欲しかった・・・。

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普通はこれで攻城戦記を終わるのだが、この城の凄さは西側に続く竹藪に隠れた数段の腰曲輪で、全て石垣で防禦の構築が為されている事であろう。

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↑竹に覆われているが、竹林の中に三段の石垣仕様の腰郭が隠れている。

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↑その先の尾根にはかすかだが、二条の堀切りが確認出来る。

信州の山城における石積みや石垣がどのようなルーツで伝授されたのか興味深い。

ひょっとしてまだ未発見の石垣の城跡があるのかもしれない。

≪竹山城≫ 

標高475.8m 比高109m
築城年代:不明
築城・居城者:西条氏
場所:長野市松代町竹山町象山
攻城日:2011年4月17日
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:曲輪、石垣、展望
その他:象山神社や松代地下壕は必見

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Posted on 2011/04/19 Tue. 23:33 [edit]

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