らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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愛宕山城(小諸市)  

◆バイパス工事で消えた布引城の支城◆

同名の城が日本各地に点在するが、信州の愛宕山城の記載を目にする事は少ない。

愛宕山城は小諸市大久保の鴇久保地区(ときくぼ)の北方の峰に位置し、小諸の千曲川左岸では街道の要所を抑える重要な位置にあり、楽厳寺城や布引城の攻防戦では村上軍と武田軍が熾烈な争いを繰り広げた場所で、布引城塞群の支城であったとされる。

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県道153号線沿いの「あぐりの湯こもろ」を過ぎて御牧ヶ原方面に登る途中に愛宕山記念公園がある。

愛宕山城は東西十間、南北八間に及ぶ戦国時代の山城で、本郭は山頂を削って平らにしたもので規模は小さい。

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公園化に伴い改変されたものの、愛宕社の社の残る本郭跡。

天文年間(1532~1555)、楽厳寺住職の楽厳寺雅方が、望月城主信雅の旗下となり釈尊寺(布引観音)を要塞化した。布引城塞群の一つとして愛宕山城、桝形城も築城されたと思われるが築城者などは定かでないと云う。

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望月氏、楽厳寺氏、それに隣接する堀之内城(布引城)の布下氏は村上義清に属していたが、天文十七年、武田信晴(信玄)の猛攻で釈尊寺・楽厳寺城・愛宕山城は兵火で焼失。

その後、釈尊寺は武田軍により再興され、各砦群は改修が加えられたらしい。


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城跡より浅間山方面。

鴇久保バイパスの道路工事に先駆けて平成八年(1996)までに発掘調査が実施され、本郭回りの土塁や三本の堀切、腰曲輪が確認された。

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行政は時として誰も遊ばない公園を真剣に作っている(本郭より二の曲輪方面)


在りし日の姿を見る事は出来ないが、発掘調査が行われた事は不幸中の幸いだったと思う。


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本郭は石積みで囲まれた厳重な土塁だったらしいが、イメージを損なう巨石の石積みには呆れる。

≪愛宕山城≫ (小諸市大久保)

標高764m 比高133m ※布引大橋からの比高
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市大久保
攻城日:2011年4月19日 
お勧め度:★★☆☆☆
所要時間:
見どころ:記念碑、公園からの展望
参考出展元:信州の古城~城跡と古戦場を歩く~(郷土出版社)

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中央の山の左下の起伏が愛宕山城



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Posted on 2011/05/18 Wed. 22:51 [edit]

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