らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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竹把城(上田市)  

◆室賀氏の詰めの城◆

上田広域トレッキングコースとして整備されている「室賀峠~摺鉢山~三水城~狐落城~十六夜観月堂」

所要時間3時間30分は気が遠くなる時間表示だ。

竹把城跡・三水城跡 001

三水城や狐落城の表示があっても竹把城(たけたばじょう)とは記載されず「摺鉢山」の表記とは残念だ(笑)

地元では「のろし台」とか「のろし山」と昔から呼ばれている。

竹把城跡・三水城跡 002

室賀峠の頂上付近の道沿いに看板と攻城用のアルミ梯子があるので道に迷う事はない。

イッキに3つの城を落とせるお勧めコースだが車で行く場合、室賀峠から坂城町五明まで車を回送しない限り往復7時間かかる!!

小生はやむを得ず三水城までの往復を敢行したが、3時間は結構辛かった。

竹把城跡・三水城跡 003
峠から15分歩くと分岐点に看板があり、摺鉢山へはそこから20分。

2年前の攻城戦だったので、「辿り着く事」が目的になっていて縄張りや構造などにほぼ無関心・・(爆)

今思えば「もったいない」(汗)

竹把城跡・三水城跡 005
本郭手前には二重堀切がある。一番目の比較的浅い堀切。

竹把城跡・三水城跡 006
二番目は厳重な加工と深さがあり、郭の背後を防禦している。

室賀氏はこの地方の土豪であり原畑城を居館として里の入口に跡部城、居館の背後に笹洞城、そして室賀峠の抑えに竹把城を築いた。

当初は村上氏に加勢していたが上田原合戦後、破竹の勢いで佐久小諸を平定してきた武田晴信の先方衆であった真田幸隆の勧誘工作と説得で武田の軍門に降る。

竹把城跡・三水城跡 007
本郭背後の斜面の傾斜はかなりキツく、石積みによる防禦の跡が見られる。

周辺の諸城にも似た構造があるので、室賀氏は石積みの技術をもっていたとみるべきであろう。

竹把城跡・三水城跡 016
19×8程度の本郭。この時期の見晴らしは良くない。

竹把城跡・三水城跡 011
塩田方面の展望。

竹把城跡・三水城跡 015
坂城方面。雑木林が邪魔でよくわからん・・。

室賀氏の離反により、竹把城の尾根伝いにある村上方の狐落城(三水城が詰めの城とも)はその運命が決まった。

大須賀氏が武田に内通し、児島兄弟の守る狐落城を武田軍と共に急襲し落城させる。

室賀氏は直接兵こそ出さなかったが、武田軍が室賀峠の尾根伝いにある竹把城経由で狐落城に向かう事を黙認したのであろう。

急峻な斜面の上に造られた狐落城は、山麓からの攻撃には耐えうるだろうが、背後からも敵を受けてはひとたまりもなかったものと思われる。

竹把城跡・三水城跡 024
三水城から見る三頭山(みつがしらやま)。三つの瘤の一つが竹把城だ。

この城の詳細を知りたい方は、マサハレ殿の城と古戦場を是非ご覧頂きたい。

その後武田軍の烽火台として使われたようだが、真田昌幸の謀略で室賀氏が誅されたのちは廃城となったらしい。

≪竹把城≫ (伊勢崎城・三頭城)

標高880.8m 比高130m(室賀峠よりの比高)
築城年代:不明
築城・居住者:室賀氏
場所:上田市上室賀入組
攻城日:2009年6月7日 
お勧め度:★★★☆☆
所要時間:30分
見どころ:堀切、土塁、石積み、展望 (複雑に組み合わされた堀は必見という)
その他:三水城までは約50分。更に30分で狐落城へ。




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Posted on 2011/05/28 Sat. 11:35 [edit]

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