らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鞍骨城(長野市)  

◆クマとの戦いを覚悟した攻城戦◆

※最新記事を2015/08/15にリテイクしました⇒鞍骨城2 リテイク

かれこれ2年前近くになるでしょうか。

人も寄せ付けない山にある城こそ、攻城の醍醐味だと錯覚していた時期がありました・・(笑)

今もその趣味は危険と知りつつ、甘美で後戻り出来ない誘惑には違いないのでしょう。

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倉科地区にある鞍骨城の登り口。

登り口にある民家のオジサンに道を尋ねると、呆れた顔でしたが、丁寧に教えてくれました。

「沢を詰めて登り、尾根に出たら右へ。クマには気をつけなさい」

鞍骨城 002

クマの目撃情報を連絡するように書かれている掲示板だが、一騎討ちで敗れたら連絡すら出来ないゾ(爆)

鞍骨城 004
沢をひたすら歩き続ける。

40分ほど登ると二本松峠に辿り着きます。

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この峠を左に下れば天城城経由で妻女山、右へ登れば鞍骨城。

当時は、この道が倉科から松代へ抜ける街道の要所だったのでしょう。

鞍骨城 010
二本松峠。ここから850m先に鞍骨城がある。

松林の稜線を登るが途中からかなり傾斜がキツくなる。

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四駆のクマさんでも息切れしそうな険しい城域をひたすら登る。

天正壬午の乱で川中島地方に進出した上杉の筆頭家老だった直江兼続がこの城に登ったという伝承は本当だろうか??

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数段の腰曲輪を経て立ちはだかる二の郭背後の切岸。

石積みの遺構が残るが、本郭には残っているというのか??

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かなり荒廃しているが、土塁周囲は当時立派な石垣だったこしれない。

そして、この石積みこそ小生が求めていたこの城の遺構だ。

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周辺の支城と共通の石積み。こんな山奥でお目にかかれるのは光栄だ。

鞍骨城 021
見る者を圧倒する。室賀氏と共に清野氏も石垣の城の先駆者なのかもしれない。

≪鞍骨城のあらまし≫

千曲市と長野市境の鞍骨山(標高798m)に、永正年中(1504~1521)、村上氏の支族・清野山城守勝照[きよのやましろのかみかつてる]が築いたとされる。西北に伸びた尾根の先端部には、永禄4年(1561)上杉謙信が本陣を構えた妻女山(さいじょざん)があり、川中島四郡を直下に見据える好立地にあたる。

鞍骨城 022
主郭を囲む石積みは見事だ。

清野氏は、村上九家※の筆頭格で、全盛期のころには鞍骨山麓の西条・清野をはじめ、雨宮、倉科、森など9カ村を領したという。天文22年(1553)武田軍の川中島進出によって、清野氏は家名を残すため、武田・村上双方に分かれたとも伝えられる。清野清秀[きよひで](美作入道清寿軒)は村上義清とともに越後に逃れたが、永禄2年(1559)、旧領に帰り、武田信玄に出仕した。なお、孫の満成も信玄・勝頼に仕え、越中守と称した。

 鞍骨山は形が馬の鞍に似ているため名づけられたといわれ、倉骨または鞍橋城とも記される。

※村上氏代官九家。諸賀(もろが)・清野・山田・雨宮・出浦(いでうら)・小野沢・滝沢・若槻・栗田の九氏のこと。

~長野市「信州・風林火山」特設サイト「川中島の戦い」より引用~

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今は天空の城らしい・・・(笑)

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主郭全景。

大室城、天城城、鷲尾城、竹山城を支城に持つ詰め城としての鞍骨城は、「一に春山、二に尼飾(あまかざり/尼巌)、三に鞍骨」と云われた要害の城である。

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本郭から長野市方面の眺め。

この城を攻城した先輩の戦記に「熊と遭遇した」という記述があり、奇襲に備えつつ制覇したのですが、帰路には天城城訪問の予定を変更してサッサと退却しました(汗) 逃げるが勝ちサ(笑)

生き延びる事が「寄せての大将」に課せられた使命ですw

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妻女山から見る鞍骨城。

≪鞍骨城≫ 

標高798m 比高380m
築城年代:不明
築城・居住者:清野氏・上杉氏
場所:長野市松代町清野
攻城日:2009年11月15日 
お勧め度:★★★★☆
所要時間:60分
見どころ:段曲輪、石積み、堀切、土塁など
その他:クマとの攻防戦に備えよ


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Posted on 2011/06/02 Thu. 22:57 [edit]

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