らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鳥羽城(上田市)  

◆猿、鬼の次は鳥の登場・・・◆

※2015年3月18日追記:この記事に記載されている鳥羽城の写真と鳥瞰図、地図上の場所は誤りである事が判明しました。リテイク記事で修正予定です。

だんだん昔話の「一寸法師」か「桃太郎」のようになってきました・・・(笑)

実はこの城、昨年に裏側の深山(みやま)地区から攻城戦を始めたのですが、途中で道が不明になり撤退。

依田川を挟み鳥屋城の対を為す位置にある城なので再戦したいと思いつつ、山頂付近の険しい岩肌を見る度に腰が引ける田舎侍なので、ついつい引き伸ばしてきました・・(汗)

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鳥羽氏の居館跡と云われる龍福寺入口。

らんまるのお師匠さんである「城と古戦場~大名の軌跡を追う~」のマサハレ様から「早急に攻略せよ」との仰せもあり、軍を起こす。

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鳥羽山の山麓にひっそりと佇む龍福寺。戦勝祈願を行い、いざ参らん!


前回は西側の裏山から攻めて失敗したので、大手筋を正攻法で攻め上がる。


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お堂裏にあるお稲荷様の奥側から尾根に登れそうなので、藪漕ぎ覚悟で突入する。

何と、尾根伝いにはかすかに道が残っているではないか。

ひたすら登り続ける事40分。北側の稜線の先端に辿り着く。

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ハイハイ、岩場ですよネ。だいぶ慣れましたからぁ~。

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宮坂先生も危惧された危険な岩場。両サイドは奈落の底。生きて帰れるのかしら・・・(涙)

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行く手を阻む大岩シリーズ。僅かなスキマを潜って更に南への稜線を這い上がる。

途中からの景色には心が落ちつきます。

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丸子市街地方面

慎重に地形図を確認しながら最後の稜線を攻めます。

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ここを抑えれば、依田窪における動向が手に取るようにわかる。

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依田川を挟んで対面にある鳥屋城

絶壁の恐怖との戦いの後には、遺構のご褒美でした。

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二の曲輪を防禦している石積み。だいぶ崩落していますが、確かに残っています。

さあ、待ちに待った最終攻防です。

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20×4の二の曲輪

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本郭の手前の坂には軽く堀を穿った跡が見られる。

祠のある場所が鳥羽城の本郭跡です。

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思わず感謝の言葉をかけて拝んだ祠。


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25×10程度の楕円形の本郭跡

鳥屋城と比較すると、石積み以外はそれほど加工されたとは思えない。

本郭の背後における防禦も無い。(もっとも岩壁の続く背後から攻められる事はあり得ない)

急峻な山奥の岩だらけの城など攻めるだけ無駄という事を物語っている。

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東側に伸びる尾根も調べたが、空堀で本郭との稜線を絶つ程度の簡単な加工。


「フン、鳥の築いた城など朝飯前に落として見せるわ!」


そう豪語して朝飯は食べてからの攻城戦だったが、立ちはだかる鉄壁岩壁の守りには往生した(笑)

この戦功で「ペテン師」とは言われまいて・・(爆)

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久々のヘタクソ鳥瞰図(笑)

攻城図面。岩場マークはもっと多いと思う。

鳥羽城IMG_0001


≪鳥羽城≫

佐久の芦田氏(依田信蕃の祖先)の持ち城で、その臣だった福島肥後守が天文年間に拠ったとされる。
古くは鳥羽氏の詰めの城と伝わるが定かでは無い。

標高820m 比高260m
築城年代:不明
築城・居住者:鳥羽氏・福島氏
場所:上田市腰越深山屋敷
攻城日:20011年6月4日 
お勧め度:★★★☆☆
所要時間:60分
見どころ:石積み、堀切、稜線からの景色
その他:岩場の連続する危険地帯。それ相応の装備で望むべし。

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丸子町民プール付近から見る鳥羽城全景。



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Posted on 2011/06/04 Sat. 21:46 [edit]

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