らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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桝形城(小諸市)  

◆滅びの美学は後世における庶民の温泉保養地になったという城◆

改変されて何も痕跡の無い城跡を掲載するのは如何なものか?という批判を浴びそうだが、武田軍の攻撃で灰燼と帰したこの城を記す事は、討死した方への供養になるのだと思っております。

「更新するネタに詰まってその場しのぎの記事を掲載するんでしょう?」

そう云われれば、否定出来るものでも無いが・・・・(笑)

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「布引温泉こもろ」の敷地内に建つ桝形城の碑。

桝形城の立地する地形は、南より流れる千曲川急流の滝久保・霧久保の断崖に阻まれ大きく湾曲し西方に方向を変える河岸段丘上にある。

大久保集落の真上に位置し御牧原の急峻な山嶺を背負う形で突出した急勾配の中腹にあるこの城は、渡河不可能な千曲川を眼下に見下ろす要害の地にあった。

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せめて説明板でもあれば、この碑の注目度は上がったのかもしれない。

築城者や築城年代は不明だが、布引山釈尊寺に属した楽厳寺氏、布下氏、この地にあったとされる神興寺の人々が布引観音周辺の城塞化に伴い、桝形城を構築したのではないかとの推察がある。

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布引温泉こもろの全景

「釈尊寺記」によると、武田晴信が天文十七年(1548)に、楽厳寺城布引城(堀之内場)を攻撃して8月8日に落城し、おそらくその時に桝形城も陥落したとされる。

その後この城の変遷を示す文献は見当たらず、いつ頃廃城になったかは定かでは無いが、愛宕山城とともに武田軍により修築され再利用されたと思われる。

いかんせん現在では温泉保養所が建てられ、跡形もありません。

大久保集落から仰ぎ見る断崖が、当時の威容を知る手掛かりです。

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千曲川方面より望む桝形城。断崖の地形を巧みに利用した事が偲ばれる。

落城の悲劇の城跡に国民年金保養センターを建てるとは、国も無慈悲な事を平気でしたものだと思えてならない。

さりとて、温泉に浸かり安堵の表情を浮かべる人々の笑顔が、落命した名も無き人々の願いだったかもしれない。

≪桝形城≫ (小諸市大久保)

標高640m 比高40m ※布引大橋からの比高
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市大久保
攻城日:2011年5月17日 
お勧め度:★☆☆☆☆
所要時間:
見どころ:記念碑
参考出展元:定本佐久の城(郷土出版社)
その他:愛宕山城、布引城、楽厳寺城も付近にある。麓の大久保集落には武田典厩信繁(信玄の弟)の墓所がある。




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Posted on 2011/06/10 Fri. 23:18 [edit]

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