らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0621

中ノ陣城(松本市)  

◆山城探訪初心者時代の攻城戦◆

2年前の事です。

当時飽く事無く拝見していた城と古戦場のリストの中に虚空蔵山城(松本市会田)のページがあり、衝動的に出掛けました。

「とりあえず現地に行けばなんとかなるサ・・」

トウシロはこれだから困ります(笑)

中ノ陣城
林道沿いの看板。

とりあえず山麓まで着いたものの、何処に登り口があるのかサッパリわからず近所のオバサンに教えて貰う。

「中学校の脇の林道を登ると登山道の看板があるから。入口までは車でも大丈夫だよ」

田舎の人は親切だ・・・(ってか自分も田舎者だろうが!笑)

中ノ陣城 (7)

薄暗い雑木林を抜けると日が射す道になる。

「なんだ、楽勝じゃん」

林道からのショートカットなので当たり前なのだが、当時は目的地にいかに早く着くかをモットーにしていた。

中ノ陣城 (13)
本郭の土塁から崩れたと思われる石積み。

高い土塁を見た時にはさすがに感動。

中ノ陣城 (8)

中ノ陣城 (14)
本郭。当時は攻城の証として説明板とか石碑を撮るしか能力が無かった・・・(笑)

そして、今も変わらずに城跡から風景写真を撮りたがる癖は治りそうにない。

今思えば、方角からすると現城(うつつ城)なのでしょう。当時はそんな城も知らないでいたし・・・。

中ノ陣城 (15)

≪中の陣城のなりたち≫

この城は会田海野氏により鎌倉時代に築かれたという。

会田氏は天文二十二年四月、この地に侵入した武田軍の火攻めで降伏し家臣となる。
武田の滅亡後は上杉景勝に臣従するが、天正十年に徳川の後ろ盾により筑摩郡を回復した小笠原貞慶に攻められて落城。
虚空蔵山の反対側の山の嶺にいちご城を急造し立て籠もるが、奮戦空しく敗れて一族郎党自刃して果てたという。
(この時生き残った一族は武州に逃れて、今も定期的にこの地に巡礼しているそうです)

会田氏滅亡後、この地に入った小笠原氏は城代に城を改修させ現在のような石積みの遺構が残ると伝わっています。

中の陣城は、虚空蔵山に築かれた「峯の城」「秋吉砦」「天狗山砦」「うつつ城」などの中心的役割を果たし遺構もそれなりの規模だという。

※現地案内版を要約しています。


中ノ陣城 (18)
楕円形の本郭。

周辺には腰曲輪を配置してるようだが、当時の写真には残っていない。残念だ・・・(爆)

その後、秋吉砦を目指したつもりが、立ちはだかる岩登りになるとは予想だにしなかった・・(続く)

虚空蔵山城跡 (3)
実は陣の城の途中にある、この賽ノ河原のような石の沢の向こうを登った先に秋吉城があったとは・・(後悔)

≪中ノ陣城≫ 

標高940m 比高70m(林道からの比高)
築城年代:会田海野氏
築城・居住者:会田氏、小笠原氏
場所:松本市会田
攻城日:2009年5月3日 
お勧め度:★★★★☆
所要時間:20分
見どころ:段曲輪、石積み、堀切、土塁など
その他:峯の城(会田虚空蔵山城)へのルートは結構厳しい。それなりの装備は必須。






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Posted on 2011/06/21 Tue. 23:32 [edit]

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