らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0812

蟻城(佐久穂町)  

◆木曽義仲ゆかりの中世の古城◆

蟻城(ありじょう)は南佐久郡の中央部穂積地籍(佐久穂町)の河岸段丘上の高峰1,047mの山頂にある。
北は佐久平から南は野辺山原まで、千曲川の谷筋も含めて一望出来ると云う。

攻城戦を開始する予定だったのだが、山麓に辿り着いた途端に何故か嫌な気配を感じて中止した。

気乗りのしない攻城戦は、実は危険なのだ。

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東電の調整池のほとりにある蟻城の説明板と地形図。背後の山は蟻城の南城。

直登をしてもそれほどの比高ではないのだが、今回はやめました(汗)

背後の穴原集落から林道経由で頂上へ行けるようだが、やはり妙な気配を感じ途中で引き返すハメになる。

「冬に来るとするか・・・」(笑)

≪以下、説明板より≫

木曽義仲は父義賢の故地多胡庄に最も近いこの地に樋口氏を派し、楯氏、矢田氏の協力を得て西上州における武士団の糾合を図ったものと思われる。
なお、甲斐源氏は同族であったが義仲と志を異にし相剋しあっていたので絶えずその動静を監視し、それとともに茅野氏や手塚氏とも連携を保っていかなければならなかった。
さらに樋口氏は旧知の秩父党や児玉党にも働きかけていた。
ここは佐久平の末端で依田城に近く南は千曲川を溯り甲斐に通じ東は十石余地峠を越えて西関東への近路であり、西は大石峠を挟んで茅野に近接している。
蟻城はこれらの交通路を眼下に置き、守備に堅い稀にみる広大な山城で、馬場、腰巻、羽場、杭の内、矢つぼ、蟻戸城の平など城下の施設の地名が今も残っている。

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城址略図によると、南城、北城、西城には土塁や堀切の跡があるらしい。

図を見る限り、鎌倉~南北朝期の山城の様式のように思える。

しかし、この略図の間違いを発見するとは現地に登りもしないのに不思議だ・・・(笑)

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皆さんも写真を見て分かる通り、断面図が上下逆さに書かれているのだ。

そう、この城は地下に向かって郭の段差が設営されているのだ・・・(爆)

宮坂センセも真っ白になりそうだぁー!!

木曽義仲の名誉にかけても早く修正してほしいものだ。

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大石川烽火台より見る蟻城全景。

頂上にはテレビ塔があり林道経由で行かれるという。モノノケがさったらチャレンジしてみたいと思う。

武田軍の征服時には烽火台として利用されたというが、定かでは無い。

ooisikawa (8)
大石川烽火台よりズーム7倍。どうやら堀切がありそうだ。

≪蟻城≫

標高1047m 比高?m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:南佐久郡佐久穂町穂積
攻城日:20011年7月31日(断念) 
お勧め度:★☆☆☆☆
所要時間:
見どころ:






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Posted on 2011/08/12 Fri. 21:48 [edit]

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