らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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下之城館(東御市)  

◆望月氏の伝承を物語る古い城館跡◆

下之城跡は、鹿曲川沿いを走る東御市(とうみし)田中から佐久市望月を結ぶ県道166号線、北御牧小学校から約2.1kmの位置にある。

鎌倉時代後期の遺築とされ、望月城址とも望月支城ともよばれるがはっきりとした性格はわかっていない。

下之城館 (3)
城館東側には高土塁と堀割(現在は道路)が残る。

城は鹿曲川と諸沢川の開析によって出来た4m~20mの崖に囲まれた天然の要害を利用し三郭からなり、各郭の間には堀切(堀割)が残る。
本郭は東西200m、南北80mである。

下之城館 (8)
対岸には武田軍が火矢で攻撃したという屏風岩がある。

望月氏は当初この地に城館を構え、のちに望月町の城光院館跡に移ったと云われる。(15世紀前半か?)

建武二年(1335)八月一日、中先代に味方して守護方の軍勢に攻められて落城し城館を破却されたのは、この居館だったと推定されている。

下之城館 (7)
本郭入口の南側に残る高土塁には標柱と説明板がある。(北側の高土塁は改変され遺構もない)

その後、望月氏の庶流が城館を再興し、戦国の争乱期には堀割と土塁を築き望月本城の南川を防衛する城砦として機能したのであろう。

この居館を下之城と呼ぶようになったのは、鹿曲川上流に嫡流の城館(城光院)や望月城が築かれために「下之城」と呼ばれ、呼び名がそのまま村落の地名になったと考えられている。

下之城図
城館とその周辺。北の土塁付近に「化粧水」とよばれる井戸も記載されている。

天文年間に武田軍は対岸の屏風岩から火矢で攻撃し、あっけなく落城したという。
居住性を重視した中世の城館構造では、にわか作りの補強をしても実戦には耐えられなかったと思われる。

下之城館 (2)

≪下之城館≫

標高584m 比高-
築城年代:鎌倉時代後期とも?
築城・居住者:望月氏
場所:東御市下之城 本下之城字城
攻城日:2011年7月10日 
お勧め度:★★☆☆☆
所要時間:15分、道路脇へ路駐
見どころ:堀切、郭跡
その他:本郭跡は耕作地で私有地なので注意しましょう。
参考文献:定本佐久の城

下之城館 (4)
下之城全景



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Posted on 2011/08/20 Sat. 11:07 [edit]

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