らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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小岩嶽城(安曇野市)  

◆武田軍に最後まで抵抗した安曇野の宿城◆

この時期の安曇野地方は、行楽客で混雑している。

レンタルサイクルを借りて秋の安曇野を満喫している方の何と多い事!・・・・いやはやお疲れ様ですw

小岩嶽城(こいわたけじょう)は、安曇野市穂高有明の県道25号線の穂高温泉郷の入口手前にある。

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この城は中世に安曇を支配した豪族仁科氏の一族である古廐氏(ふるまや)の築城とされ、有明の古厩館の防衛砦群(古廐城、鼡穴砦、空保木砦)の最後の砦(宿城)であり同族の小岩嶽氏に守らせた事から、その重要性が分かる。

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観光事業の一環として建てられた砦門。大手道の脇にあります。

冨士尾山の支峰である城山を詰城とし、西・北・東・南へと張り出した尾根の多くの曲輪や堀を切り込み、本郭がその直下に据わる。集落は堀に囲まれ、さらに周囲は天然の沢に守られた巨大な宿城である。
(塩田城に構造が良く似ている)

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幾重に区切られた広い郭は深い空堀が周囲を囲む。

高白斎記によれば、天文二十年(1551)十月二十四日に平瀬城を落とした武田軍は、そのまま小岩嶽城に向かい二十七日、周辺の砦や城下の集落を焼き払い、小競り合い程度で撤収する。

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遊歩道の南を登ると模擬櫓があり、安曇野平を一望出来ます。

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凄惨な攻防戦が繰り広げられた有明付近。

城主の小岩嶽図書は、与していた小笠原長時が林城を捨て中塔城に逃れるも、武田へ降る事をよしとせず、天険の城を頼みとして抗戦を続けていた。

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133×45の広大な本郭。石積みと空堀で厳重な防禦を敷いている。

翌天文二十一年(1552)七月二十一日に躑躅ヶ崎館を出発した武田晴信は途中で平瀬城に入り、八月に小岩嶽城を囲み攻撃を開始する。

小岩嶽図書は子の盛通と共に城兵を指揮し良く持ちこたえたが、昼夜問わない武田軍の猛攻撃の前に遂に力尽き、八月十二日に落城、親子共々生害したという。

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郭を囲む切岸と堀。

高白斎記では、「小岩竹城主生害」とだけ記載されているが、妙法寺記では「この年、信州へお働き候。小岩嶽を攻め落としめされ候。討ち取る首五百余人、足弱を取ること数を知らず」とある。

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大手道より臨む詰の城(城山)

詰の城にも登るつもりだったのだが、凄惨な落城悲話の残る城跡を巡るうちに「例のビミョーな感覚」を周囲に感じてしまい「これゃー帰らんとマズイなー」(汗)

供養塔に手を合わせるだけでは供養出来ない無念さを感じたのでござます。

この先の中信濃攻城戦、どうなる事やら……(笑)

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らんまるが神と崇める宮坂武男先生の鳥瞰図。仔細に史跡を調べた者だけが描ける世界だ。

≪小岩嶽城≫ (こいわたけじょう)

標高:840.0m 比高240m(城山位置まで)
築城年代:
築城・居住者:古廐氏、小岩嶽氏
場所:安曇野市穂高有明
攻城日:2011年10月9日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:駐車場より本郭まで徒歩10分。
見どころ:広い郭と周囲の切岸、堀切、石積みなど。望楼台からは景色も見渡せる。
その他:止め山なので尾根周辺の探索は注意が必要。
参考文献:探訪信州の古城~城跡と古戦場を歩く~(郷土出版社)、信州の城と古戦場(しなのき書房)


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Posted on 2011/10/16 Sun. 21:42 [edit]

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