らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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山家城①(松本市)  

◆木を見て森を見なかった2年前の攻城戦◆

林大城も山家城も既にブログにアップしていたと思っていたが、思い込みだけだった・・・(汗)

しかもリンクさせていただいているflat topさんのコメントを読んで愕然とした。

「山家城には秋葉社があるんですね、知りませんでした…」 

????・・秋葉社??

二年前の攻城時の写真と、「図解山城探訪 第五集 松塩筑資料編」の宮坂武男先生の山家城の詳細を確認したところ、4つの城域からなる複合城であるのに、自分としては1つの城域だと思い違いをしていたのだ。

林城、山家城、埴原城 026
山家城の登り口。

つまり、説明板通りの大手口を登るとB曲輪の主郭に出て東側の郭に気が付く事無く堀切を渡りC曲輪の腰廓経由でCの主郭に登り、背後の大堀切を見て満足して終わったのだ。

yamasirotanbou (8)

「むう、これはいかぬ・・・・、再踏査の必要がありそうだ・・・」

さりとて、脇毛の左若気の至り(そんな年では無いが?)で2年前に撮影した写真をボツにも出来ない。

林城、山家城、埴原城 030
登城口を登ると左に3本の長い竪掘が確認出来る。

少なくともこの竪堀の正体を確認する行動に出れば、「B曲輪群」は確認出来たのだろう。

林城、山家城、埴原城 031
55×18のB曲輪群の主郭。当時は二の郭だと思っていた。

現在も初心者だが、二年前の小生は入門者だった・・・「頼もう!!」って道場破りの修行かい!(笑)

林城、山家城、埴原城 032
B曲輪群からC曲輪群へは深めの堀切で絶ち切っている。

林城、山家城、埴原城 033
迂回するようにCの腰郭に続く細道。

でもね、トーシロでも南に続く尾根には何かありそうだと思っていたらしく、貴重な写真を残していた(爆)

適当に写真撮れば後で役に立つかもってネ(笑)

林城、山家城、埴原城 035
南尾根に続く途中には腰郭を見る事が出来る。

本郭らしき高台の下にある腰郭に「山家城跡」の説明板があれば、入門者は術にハマるのは間違いない。

林城、山家城、埴原城 036
説明板の立つ郭。麓の集落への展望は良い。

で、高台の郭の周囲を石積みで囲われた日にやぁ、これぞ本郭だって誰もが思うでしょ!!(すごい言い訳・・)

林城、山家城、埴原城 037
かわいい石積みです。

林城、山家城、埴原城 038
19×27のC曲輪。背後の土塁も見事だ。(社は秋葉社でなく、小笠原大明神とある)

ここで周囲の石積みに圧倒され、背後の大堀切で山家城の主郭神話が完成したのだ・・・・(汗)

林城、山家城、埴原城 041
青柳城クリソツな石積み。小笠原貞慶時代の改修であろう。

林城、山家城、埴原城 042
大堀切はご丁寧な事に4本連続する。

「おのれ、武田信玄、謀ったな!」  このことである。

これだけ見事な本郭の先に、更に城を増設しているとは初めて知ったのである。

大町にある西山城と同じ手口か。

林城、山家城、埴原城 040
当時はこの堀切の尾根の先を調べる愚かさは無かったのである。

「ステイ フーリッシュ、ステイ ハングリー」(ってカタカナかよ 笑)

アップルの創始者スティーブジョブズ氏の名言は山城探訪者にも身に沁みる名言である。

「木を見たら、森も見るのだ」  このことである。

A曲輪群とD曲輪群のリベンジは、「山家城 後編」として年内に掲載しなくてはならない。

林城、山家城、埴原城 044
山家城遠景。


≪山家城≫ (やまべじょう) または中入城

標高:1057.0m 比高257.0m
築城年代:不明 戦国時代まで
築城・居住者:山家氏、武田氏、小笠原氏
場所:松本市入山辺中入8318
攻城日:2009年11月28日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:30分





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Posted on 2011/11/12 Sat. 22:33 [edit]

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