らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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林大城(松本市)  

◆大小40区画の高級分譲地に守られた信濃守護小笠原氏200年の居城?◆

そう書いてしまうと小笠原氏と歴史を愚弄しそうだが、二年前の攻城での正直な感想ですネ・・(笑)

なんせ、物見台があったと伝わる一の門を過ぎて永遠に続く高級住宅分譲地まがいの段郭群には閉口・・(汗)

林城、山家城、埴原城 002

林城、山家城、埴原城 005
さしずめ別荘管理棟があっても不思議で無い物見台跡(一の門)

南北朝の争乱に功績があったとして小笠原貞宗が府中の井川に居館を設け、七代清宗の時に林城が完成し林の居館へ移ったという。

林城、山家城、埴原城 007
一の門を過ぎて進むと堀切が現れ、小笠原分譲地が始まるのだ。

大手道の左右に展開する曲輪群は200m先の次の堀切まで、大小20を越える区画で構成される。

「まるで段々畑じゃのぅー・・・」

林城、山家城、埴原城 008

「ガス・水道・電気引き込み済み」なら買ってもいいかもしれない・・・(笑)

二番目の堀切からは比較的に大きな曲輪が連続する。

林城、山家城、埴原城 009
二番目の堀切。

ここまでは南北朝から室町中期に至る山城の様相を呈している。

二本の堀切は戦国期に追加で掘り下げたのであろう。

二の郭手前の堀切は道路で改変され跡形も無いが、二の郭と本郭は明らかに戦国時代の改修を受けている。

林城、山家城、埴原城 010
道路で埋め立てされたが、二の郭手前の馬出しまでの土塁はかなりの高さがあったと思われる。

馬出しから二の郭も異常な高さであり、恐らく横に連絡通路があったのかもしれない。

林城、山家城、埴原城 012

二の郭~本郭にかけても厳重な段差を作る事で最終防衛ラインを敷いている。

林城、山家城、埴原城 013

とまあ、二年前の攻城時には考えていなかった事が、写真を見ると冷静に考察出来るのである(笑)

本郭の手前に堀切を加工し敵を殲滅する手法と志向は、明らかに戦国時代の後期かと思われる。

林城、山家城、埴原城 014

50×23という広い主郭は、周囲に石積みの土塁があり櫓台があったのかもしれない。

いや、守護職の本城であれば、間違いなくあったはずだ。

林城、山家城、埴原城 015

林城、山家城、埴原城 017

主郭背後は腰郭を配置し、その峰続きの奥に巨大な大堀切を施しているという。

林城、山家城、埴原城 018
流石に守護職の城だけあって、背水の陣ともいうべき主郭背後の大堀切が無い。

当時の小生はその大堀切の遺構を見ずに撤収している。

「笑止千万・・・このような本城など、片腹痛いわ、小笠原長時!」(笑)

豪語したものの、調査は完了しておらず恥ずかしい限りである・・(爆)

とはいえ、だらだらした攻城戦にも飽きたので、再調査するかは不明だ。

林小城が未踏破なので、気が向いたらそのついでに・・という事にしておく。

図解 山城探訪第五集 松塩筑資料編 030
宮坂武男氏の縄張り図。高級住宅分譲地であることが分かる??


林城、山家城、埴原城 045
林大城遠景。

≪林大城≫ (はやしおおじょう) または金華山城(きんかざんじょう)、橋倉城山(はしくらじょうやま)

標高:844.0m 比高190.0m
築城年代:南北朝~戦国時代まで
築城・居住者:小笠原氏、武田氏
場所:松本市里山辺日向
攻城日:2009年11月28日 
見どころ:段々畑尾根伝いの無数の段曲輪、石積みの土塁、堀切など
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:30分








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Posted on 2011/11/14 Mon. 22:58 [edit]

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