らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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赤木北城(松本市)  

◆四方を堀で囲んだ中世館城のスタンダード◆

この先の連載は、きっとマイナーな山城ばかりが続くと思われる。

恐らくWebサイトでは初公開の城が多くなるのだが、それこそが本望なのである・・(笑)

前回紹介した赤木南城から1km北にあるのだが関連性は薄いと思われ、山城というよりは典型的な中世の館城である。

赤木北城 (3)
45×52でほぼ方形の広大な郭。

一目で単郭と判る城館なのだが、無理に重機で整地したような痛々しさが残る。柔らかい赤土層なので耕作地にも出来ずに途中で放棄されたのだろう。

赤木北城 (2)
東側には巨大な堀跡があり、周囲は高土塁で囲まれていたと推測出来る。


赤木北城 (4)
南側の堀跡。農道の脇には土塁があったのであろう。

長野県町村誌の豊丘村の項に「城墟、本村の南 赤木山の北端に位置し堀切、壕有之。城主たるは不分明」とある。
東筑摩郡誌には赤木南城の記載はあるが北城の記載は無い。
しかし、「松本市史 第二巻」には「赤木山の南山麓の狐林、現在弘長寺跡になっているところにあり、赤木郷の領主だった赤木氏の居館だという」

~以上、宮坂武男氏の記述~

赤木北城 (6)
城館の入口には土橋と思われる通路があるが、往時は木橋だったかもしれない。

この居館跡を囲む「コの字型の堀跡」で唯一往時を物語るのは、北洞北堤に通じる西側の堀だ。

赤木北城 (8)
上巾20mの深い堀切。

鎌倉時代、承久の乱で功を挙げた赤木氏がこの地を賜り治めたというが、室町時代移行の動向は謎である。

城域の北側を北洞川が流れているので、堀に注水することも可能だったはずで、居館は水掘に囲まれた要害だったことが伺い知れる。

赤木北城(18)

図解 山城探訪第五集 松塩筑資料編 017
宮坂武男氏の縄張り図。

単郭の城館としたが、隣接する桃水寺跡は見張り砦だったのかもしれない。

戦国期以前の中世の館城の構造を知るには貴重な史跡であり、これ以上の破壊が進まぬようと願っています。

赤木北城 (12)

≪赤木北城≫ (あかぎきたじょう) 

標高:669.0m 比高15.0m
築城年代:不明
築城・居住者:赤木氏
場所:松本市寿小赤
攻城日:2011年12月3日 
見どころ:堀切跡、曲輪など
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:5分
注意:夏場は雑草の聖地かもしれません。
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」

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Posted on 2011/12/05 Mon. 23:21 [edit]

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