らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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笹沢城(旧四賀村)  

◆会田虚空蔵山城の明科口を守る砦◆

ネタが尽きそうなのも事実なのだが(笑)、実はブログを掲載するのに平均しても3日間をかけている。

本当のところは、途中でうたた寝しているというのが実情なのである・・・(爆)

今回ご紹介するのは、筑北村から南の風越峠(ふうえつとうげ)を越えた松本市会田(旧四賀村)にある笹沢城。

笹沢城(旧四賀村)
五常小学校のグランドから見る笹沢城全景。

この場所から県道302号線を西へ2km下ると明科との境になりその先1kmに塔ノ原城がある。

立地としては会田岩下氏の所領の西口を見張る場所にあり、明科方面からの街道の要衝でもある。

笹沢城(旧四賀村) (4)
小学校のグランドを抜けて会田川を渡る農道の突き当たりを右へ進むと登城口となる。

少し登ると、椎茸栽培の作業場と小屋がある。砦を守る居館があったとすれば、この場所であろう。

笹沢城(旧四賀村) (6)

中腹には「ささ沢 山の家」というログハウスがある。宿泊出来るようだが、ちょっと恐い。

笹沢城(旧四賀村) (7)

更に10分程度登ると、三角形の本郭に到達する。(15×12)

笹沢城(旧四賀村) (9)
小学生の手作りの標柱が 何か嬉しい。

笹沢城(旧四賀村) (13)
小生のくだらない解説よりも的確にこの城について要約されている。さすがだ!(笑)

この小学校出身者の中から中世城郭に興味を持つ若者を期待して止まない・・・・・。

笹沢城(旧四賀村) (10)
手前が小学校。奥を走るのは長野自動車道。

小山の単純な物見砦と思いきや、南東の尾根と主郭の東を複雑な堀切で囲んでいる。

この砦のウィークポイントは緩やかに傾斜している南東の尾根で、そこから攻められたら速攻で落ちる。

笹沢城(旧四賀村) (16)
主郭背後の二本の堀切。

この堀切の落ちる北側斜面には横堀を作る事で防禦ラインを強化している。

笹沢城(旧四賀村) (19)

尾根の三本目の堀切は巾が広く隣りにある横堀を補完しているようだ。

笹沢城(旧四賀村) (27)

稜線は堀切③で下りが終わり斎田原方面への登り斜面となる。この尾根にも防禦施設がある。

笹沢城(旧四賀村) (21)
堀切④とその先の堀切⑤。 ⑤の上に小さな郭がある。

笹沢城(旧四賀村) (34)
この尾根も北側斜面に横堀を備えている。

笹沢城(旧四賀村) (37)
最終の郭。城の弱点である斎田原方面を監視する歩哨でもいたのだろう。

東筑摩郡誌(大正八年)では「落水ノ砦址」として「山上の平 南北九間 東西六間 東南に堀切あり。会田小次郎の持城にして、笹沢監物之を守れりと言ひ伝う」とある。

会田虚空蔵山城の支城として明科口を守ったようだが、会田氏の滅亡とともに廃城になったのか、小笠原貞慶により利用されたのかは定かでは無い。

この狭い砦で敵を迎え撃つのは不可能である。

笹沢城(旧四賀村) (47)
城址より明科方面。長野道の明科トンネルが見える。

旧四賀村も城館が沢山点在する宝庫なのだが、筑北地方を平定してからじっくり攻めようと思っている。

sasazawaIMG.jpg
小学生にも笑われそうな鳥瞰図だ・・・・・(汗)

≪笹沢城≫ (ささざわじょう 落水砦)

標高:713.0m 比高120m
築城年代:不明
築城・居住者:会田氏
場所:松本市四賀五常落水
攻城日:2011年12月23日 
お勧め度:★★★★☆☆
城跡までの所要時間:五常小学校から15分
見どころ:堀切、横堀など
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」

笹沢城(旧四賀村) (5)
会田川から見る会田虚空蔵山城。






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Posted on 2011/12/25 Sun. 12:02 [edit]

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