らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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平賀城(佐久市)  

◆謎の多い佐久最古の城跡◆

二年前の攻城記録など掲載するのも気が引けるのだが、これほどの段郭を多用した城も珍しい。

武田信玄(晴信)が海ノ口城の初陣で、この城の当主であった平賀入道源心を討ち取ったという記述もあるが真相は闇の中である。

佐久地方を治める領主が、信州と甲斐の国境警備の為にゴミのような砦に籠り武田信虎相手に一戦交えたなどとは、考えられない・・・(笑)

平賀城003
城の大手口には不動尊が祀られている。

話は脱線するが、江戸時代にエレキテルや石綿の発見で有名なマルチタレントの走りである平賀源内は、佐久の平賀氏の末裔だったとご存知だろうか?

昭和46年に「天下御免」という某国営放送の娯楽時代劇は、平賀源内を主人公とした番組で当時小学生だった小生の大好きな番組であり、毎週欠かさず見ていた。(おいおい、歳がバレるゾ…笑)

どういう経緯で四国に土着したのかは不明だが、流浪の民と化した平賀家の奇才には違いない。

平賀城003 (13)
斜面に造作された腰廓には至る所で石積みが見られるが、近世のものなのか判別が出来ない。

この城、山全体が要害の地なのだが、耕作地として開墾されてしまい、どこまでが当時の城の遺構なのかさっぱりわからない。

「段々畑でつかまえて!」

小生の好きなフレーズである・・・・(笑)

平賀城003 (15)
大手口から続く腰曲輪は往時のものであろう。

築城の経緯もはっきりしない城で、一説には平賀冠者盛義、その次男義信に拠るとされるが謎のままだ。
武田晴信の初陣で平賀源心が討ち取られた場所はこの城だろうという説もあるが、源心自体の存在が架空であるとする論説もあるようだ。

平賀城003 (19)
堀切もなく土塁で仕切られた三の郭入口。

連続する一、二、三の郭は然したる工夫も無く、南北朝時代の古い様式で戦国時代特有の緊張感が感じられない。

平賀城003 (21)
三の郭に建つ説明板と記念碑。

この見事な段々畑は、長野県指定の史跡です(爆)

基準はイマイチ理解に苦しむが、林大城と同じで分譲地にこの城の特異性を見出したのかもしれない・・・(笑)

平賀城003 (29)
二の郭と本郭の土塁には石積みがあるが、往時のものかは疑いの余地が残る。

平賀城003 (5)
東屋の建つ本郭跡。(37×11)

そう書いてしまうと面白くない城跡になるのだが、実はこの城、小生も後日知ったのだが搦め手の東尾根に巨大な郭があり、無かったと思われた堀切が二本存在するのだ。

平賀城003 (6)
搦め手方面に隣接する腰廓。この先に広大な曲輪と堀切があるとは知る由も無かった…(汗)


平賀氏が改修したのかは定かでないが、戦国期の緊張に備えて拡充されたのだろうか??

残念ながら、再調査しなければ結論には至らない。

「最低でも三回は訪問しなければ、その城について語る事は出来ない」

宮坂武男先生の仰せの通りなのである・・・・(汗)

北に隣接する小山も「大林寺山砦」だったのだ。

恐るべし平賀城、さすが奇才の平賀源内の祖先の城である・・・・(笑)

図解 山城探訪 第九集 佐久南部資料編 130
「図解山城探訪 第九集 佐久南部資料編 平賀城鳥瞰図 宮坂武男氏」

「こりゃー佐久の城は最初から全て再調査するしかあるまい・・・・」 このことである(笑)

≪平賀城≫ (ひらかじょう 竜岡城)

標高:849.0m 比高150m
築城年代:不明
築城・居住者:平賀氏
場所:佐久市平賀城平
攻城日:2009年9月27日 
お勧め度:★★★★★☆
城跡までの所要時間:不動尊より15分
見どころ:郭群
参考文献:「図解山城探訪 第九集 佐久南部資料編 宮坂武男著」

平賀城003 (3)
平賀城全景。








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Posted on 2012/01/16 Mon. 22:34 [edit]

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