らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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岩邑城②  

◆武田・織田に挟まれた美濃遠山氏の悲哀を今も伝える城下町◆

JR中央本線の恵那駅を降りて明智鉄道に乗り換える。

この日は生憎の雨模様だ。「こりゃー岩村城は雪になるかも…」

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この電車、どことなく別所線に似ている。

途中5ヶ所の駅を過ぎて約20分で岩村駅に到着する。

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テッちゃんではないのだが、この駅舎にはどことなく郷愁をおぼえる。

デカいスーツケースを抱えたまま城巡りなど出来ないので、コインロッカーを探すが、あるわけない(笑)

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駅舎の案内所の女性が出てきてくれた。

「お客さん、観光ですか?事務所で荷物預かりますよ、お帰りの時にまた声かけて下さいネ」

さすが、人情味溢れる岩村町である。

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昭和にタイムスリップしたような小雨の降りしきる鄙びた城下町を抜けて城跡へ向かう。

聞けばこの街並みは、国の歴史的建造物保存区域に指定され、景観を損なわないよう住民が努力しているのだという。頭の下がる思いだ。

緩やかな坂道を20分登ると藩主邸跡に着く。

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関ヶ原後、岩村藩2万石の藩主となった松平家乗は、岩村城本郭から政務場所を大手口にあたるこの地に移し、城門と太鼓櫓を建てて防禦を強化し東西三十三間、南北三十六間の広大な屋敷を作った。

残念ながら明治十四年に失火により御殿は全焼。城門と太鼓櫓は近年復元された。

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屋敷跡の裏手が岩村城の大手口になる。

「藤坂の険」と呼ばれ、平時は何の変哲も無い城に通じる大手の坂道なのだが、戦時はこの場所に門と柵を作り、急坂の途中に何ヶ所も陣地を巡らせたという。

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藤坂の険。櫓門を建てて左右に伏兵を置き挟撃すれば攻城兵も怯んだであろう。


実は、この2枚の写真の間にもう1枚写真がある。

恐ろしく怨念の強い写真であり、お見せ出来ない…(汗)

今も写真をPC画面に映しただけで、部屋にあるクローゼットが突然倒れてきた。

除霊しないとヤバそうなので、本日はここまでとする。

続きは果たして掲載出来るのであろうか……(笑 ってそんな場合じゃないような気も)
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Posted on 2012/02/04 Sat. 11:15 [edit]

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